ノルガルドの王ヴェイナードより会見の申し入れがあった翌節、カーレオン領北西の砦アスティンに会見の場が設けられた。といっても、アスティンはイスカリオ時代より他国と国境を接する最前線の砦であり、国賓を迎えるような豪華な部屋は無い。戦略会議を行う部屋をそのまま使っているだけだったが、カイはそれで問題ないと判断していた。
会見に参加するのは、カーレオン側は王カイと宰相のボアルテ、ノルガルド側は王ヴェイナードと銀の騎士グイングラインに軍師モルホルトだ。ノルガルドの第一・第二軍師と言える二人を同行させている辺り、ヴェイナードもこの会見を重要なものと捉えているようだ。
「カーレオンへようこそ、ヴェイナード王。今回は急遽会見の場を設けたので、ろくなおもてなしもできず、申し訳ない」
テーブルを挟んでヴェイナードの正面に立ったカイは、本来なら行うべきカーレオン式の歓迎の仕草や握手を求めたりすることもなくヴェイナードを迎えた。そんなことをしても応じるような相手ではない。
「構わぬ。くだらぬ歓迎の式典などされても迷惑だ。予は遊びに来たのではないのだからな」
案の定、ヴェイナードはカイに対しても威圧的な姿勢で接してきた。それだけで、この会見が平和的に行われるものではないことが窺える。
無論、カイもそれは百も承知で臨んでいる。相手がそのような態度で来るのであれば、こちらも相手に礼を尽くす必要もない。
「さて、堅苦しい挨拶は望まないだろうから、さっそく本題に入ろう。君はこの会見に何をお望みかな」
ヴェイナードが席に着く早々、カイはそう切り出した。通常の王同士の会見では極めて礼を欠く行為だが、相手がヴェイナードならば、これがベストだと判断していた。
「話が早くて助かる。予は回りくどい話は好まぬのでな」
予想通り、ヴェイナードは不快感を表すこともなく、さも当然のような顔で続けた。「予が求めるのはふたつにひとつ。カーレオンを我らに差し出すか、戦って滅ぼされるかだ」
やれやれ、と、カイは胸の内でつぶやいた。会見が始まった直後にこの要求。礼を欠くどころの話ではない。当然受け入れられるわけもなく、場合によっては宣戦布告ともとられない暴言だ。
だが、ヴェイナードが最初にそう言ってくることは事前に予想していたことである。それはボアルテにも伝えてあり、取り乱したりしないよう、あらかじめ言ってあった。
カイも感情を乱すことなく言う。「そう来ると思ったよ。君は、レオニアの女王にも同じ要求をしたそうだね。その時は女王が要求を拒否して宣戦布告となったそうだけど、結局最後には君の望み通り、レオニアはノルガルドに併合された」
「よく調べてあるな。さすがは賢王。大陸一の知恵者と言われるだけのことはある」
たいして感心もしていないような口ぶりで言うヴェイナードに、カイは「とんでもない」と言って、さらに続けた。「私は少し記憶力がいいだけの、ごく平凡な男だよ。私が求めているのはささやかな幸せさ。だから、無闇に戦うことは望まない。でも、カーレオンの王として、この国を差し出すわけにもいかない。どうだろう。ここは折衷案として、同盟を組むというのは」
この提案に、ヴェイナードの後ろにひかえていたグイングラインとモルホルトの二人は、わずかに目を見開いた。関心を持っている様子だ。ノルガルド軍全体を指揮する立場にある者としては、安易に見逃せない話であろう。
しかし、ヴェイナードは興味を示すようなこともなく、表情ひとつ変えなかった。
「ふたつにひとつと言ったはずだ。他の選択肢は無い」
冷たく突き放すように言う。
「そう無下にせず、少しは吟味した方がいいんじゃないかな? 今のカーレオンとノルガルドは、敵対するよりも同盟を結んだ方が、利が大きいはずだ」
開戦から間もなく三年。レオニア、西アルメキア、イスカリオが滅亡し、残るはカーレオンとノルガルド、そしてエストレガレス帝国の三国となった。この内、エストレガレス帝国はカーレオンとノルガルドの共通の敵国だ。カーレオンは旧アルメキアの同盟国であり、それを滅ぼした帝国に対して制裁を加える責務がある。ノルガルドは旧アルメキア時代から敵対しており、何度も戦闘を繰り返してきた。その上ゼメキスには前王ドレミディッヅを討たれている。前王の仇を取り、帝国を滅ぼすまで、戦いをやめることはないだろう。
こうした事情があり、カーレオンとノルガルドにとってエストレガレスは共通の敵だが、カーレオンとノルガルドの間には、大きな遺恨は無い。カーレオンは旧アルメキアの同盟国ではあったが、ノルガルドとの戦闘には一切関わっていない。そこが、同じ旧アルメキアの同盟国でもノルガルドと国境を接していたパドストーとの大きな違いである。もちろん、ノルガルドが大陸制覇を掲げていることはカイも承知だ。それでも、一時的にでも同盟を結び、協力して共通の敵であるエストレガレスと戦えば、お互い被害をかなり抑えることができる。ノルガルドにとって、決して悪い話ではない。
だが、ヴェイナードは話に乗って来なかった。
「同盟は信頼関係があってこそ成り立つものだ。予はそなたを信用しておらぬ」
カイは苦笑いを浮かべた。「これは心外だね。私は、そんなに信用が無い男かな」
「そうだ。そなたらの国は開戦時から西アルメキアと同盟関係にあったが、西アルメキアが帝国に侵攻され、窮地に陥っても、なにもせず見捨てたそうではないか」
そちらもよく調べてあるね、と、カイは内心思ったが、もちろんそれを表に出すことは無い。
「見捨てただなんてとんでもない。あの頃は我が国には騎士が少なく、その上イスカリオに侵攻され、とても軍を回せる余力が無かったんだよ」
「そのイスカリオとも裏で繋がっていたのでは、という疑いもある」
この言葉には、後ろのボアルテが驚きの声を上げた。
カイはわずかに首を傾けた。「どういうことだい?」
「貴様らは半年ほどの短期間でイスカリオの領地を掌握したが、あの手際の良さはあまりにも不自然だ。それまで防衛に徹し、あまり大きく軍を動かすことがなかったそなたらが、いきなりイスカリオの全土を占領したのだからな。イスカリオに内通者がいて、軍の動きを把握していなければ不可能であろう」
どうやらノルガルドにも優秀な諜報員がいるようだ――もちろんこれは胸の内で思ったことで、表には出さない。
「それは誤解だよ。私は、イスカリオがノルガルドと帝国との戦いに気を取られている隙を衝いただけさ」
「信用できぬな。ゆえに同盟など結ばぬ。どうしてもというのなら、そなたの王位と騎士の資格、そして、すべての王族や側近らの役職と騎士の資格をはく奪し幽閉する。それならば、同盟を考えないでもない」
「それだと属国になるのと変わらないと思うけどね。それに、私だけならともかく、私の国には地位や資格をはく奪されることに納得しない者が、たくさんいるだろうからね」
ふたりの王の要求はかみ合わず、このままでは決裂してしまうだろう。それはカイの望まぬことである。同時に、ヴェイナードもまた、望む結果ではないと確信していた。
「賢王。予は回りくどい話は好まぬと、最初に言ったはずだ」
案の定、ヴェイナードは言葉にほんのわずかな苛立ちを乗せ、そう言ってきた。
「どういうことかな?」とぼけるように、カイは訊き返す。
「よもや賢王ともあろう者が、同盟などというありふれた話で予を納得させられると思ったわけではなかろう。まだ隠しているものがあるはずだ。つまらぬ交渉術などいらぬ」
言葉の苛立ちがまた強くなる。こちらの思惑通りになってきた。
カイは平然とした顔で言う。「それはこちらの台詞だよ。回りくどい話をしているのは、君の方じゃないのかな」
「ほう?」
「属国になるか、戦って滅ぼされるか、ふたつにひとつ……こんな安い脅しに屈して私が国を差し出すなんて、君も最初から思ってないだろう? そして、本当に選択肢がその二つしかないのなら、私が戦うことを選ぶことは判っているはずだ。だったら、こんな会見なんてしなくても、最初から宣戦布告をするだけでいい。でも、君はそれをせず、私との会見に臨んだ。宣戦布告以外の目的がなければ、わざわざここまで足を運ぶとは思えないんだけどね」
直前まで一人の村娘に過ぎなかったレオニア女王にすら通じなかった脅しだ。生まれた時から王になるための教育を受け、騎士としての訓練も怠らなかったカイに通用すると本気で思っていたのなら、旧アルメキアの王ヘンギストにも匹敵する愚王だ。当然、白狼ともあろう男が、そんな愚策を施すわけはない。
ヴェイナードは無言のままカイに鋭い視線を向けていたが、やがて口を開いた。
「よかろう。予の目的を教えてやる。予はそなたの器を図りに来た。そなたの言う通り、今ノルガルドとカーレオンが戦うのは得策ではない、まずは共通の敵であるエストレガレスを叩く、というのは、こちらも望まぬことではない。問題は、カーレオンという国が我がノルガルドと同盟を結ぶに値するかどうか、すなわち、カーレオンの静かなる賢王と呼ばれる男が、予と手を組む器にあるかどうかだ。この会合を簡単に決裂させて終わらせるだけならば並の王だ。同盟を結ぶ価値など無い。宣言通り、戦って滅ぼすだけだ。だが、そなたが世の興味を引けるだけのものを見せることができれば、そなたは余と手を組む器にある王だ。さあ、隠してあるものを、見せてみよ」
やれやれ、器を図りに来たなどと、よくもそんな上から目線で言えるもんだね、という気持ちもあるが、国の規模で言えばノルガルドはカーレオンよりも大きいのは確かだ。フォルセナ大陸では、北の大国ノルガルド、南の小国カーレオンと呼ばれているのも事実である。それに免じ、横柄な態度には目をつむることにした。それに、ヴェイナードを焦らし、先に本音を言わせたことで、この会見はこちら側に傾きつつある。そう判断したカイは、ヴェイナードの言う通りにすることにした。
「判った。じゃあ、とっておきの話をしよう。ボアルテ、あれを」
カイが命じると、ボアルテは地図を取り出し、テーブルの上に広げた。フォルセナ大陸全土の地図で、カーレオン・ノルガルド・エストレガレスの現在の領土が色分けされている。
「これは現在の大陸の勢力図だ。君たちノルガルドは、西のキャメルフォードから東のハドリアンまでを領土としている」
カイは、地図上のキャメルフォードを指さし、ハドリアンまでを北回りでぐるっとなぞった。
「対して、私たちカーレオンは東のアスティンから、西のベイドンヒルまでが領土だ」
今度はアスティンからベイドンヒルまでを南回りでなぞる。ちょうど、二国でエストレガレス帝国の領土を取り囲む形になっている。
「ノルガルドの最大の敵はやはり帝国だ。開戦当初より王都ログレスへの侵攻作戦を進めているけど、うまく行っていないのが現状だ。北からの侵攻は、リドニーとオークニーのふたつの要塞に阻まれるからだ。ここを落とすのは、君たちをもってしても、容易ではない」
旧アルメキア時代より、ログレスは北からの侵攻に備えてきた。ノルガルドと国境を接するリドニーとオークニーは、それぞれ川の中州と切り立った崖に挟まれた地に建つ天然の要塞で、極めて守りは堅い。実際、ノルガルド軍は何度も返り討ちにあっている。
「もうひとつのルートは、西のキャメルフォードから侵攻すること。帝国は、西からの侵攻には、決して強くない」
カイは大陸の西にあるキャメルフォードを指さした。旧アルメキア時代、西の国パドストーは同盟国であったため、そちらからの侵攻は想定されておらず、北と比べると守りは堅くない。
「ただ、それは帝国側も承知している。だから、現在戦力を西側に集中させつつある。恐らく、今後はキャメルフォードの奪還に全力でかかってくるだろう。そうなると、西側からの侵攻も、容易ではない」
ひと月前、帝国の双子の騎士ミラとミレ、そして、魔導の名門カールセン家の当主ランギヌスの部隊が、キャメルフォードを奪還するため侵攻した。この戦いはノルガルドが勝利し、防衛に成功したものの、キャメルフォード側の被害も決して少なくはなかっただろう。次はゼメキスやエスメレーらが侵攻してくる可能性もある。そうなると、西側からも迂闊に動けない。
「ただ、帝国の弱点は騎士が少ないことだ。北と西に戦力を集中すれば、南の守りは薄くなる。いま、帝国を攻めるならば、こちら側だ」
カイは南のカーナボンやオルトルートを指さした。このふたつの城へ攻め込むならばアスティンかソールズベリーからだが、どちらもカーレオンが押さえている。
「我が国にとっては帝国へ侵攻する絶好の機会……と言いたいところだけど、残念ながら、いまのカーレオンの戦力では、帝国と正面切って戦うのは厳しい。カーナボンやオルトルートを落とせても、ログレスへ迫れば、ゼメキスも黙っていないだろうからね」
もしここでカーレオンとノルガルドが同盟を結べば、話は変わってくる。お互いの侵攻に備えなくても良いならば、防衛の戦力を帝国侵攻へ回すことができるからだ。二国同時に攻め込めば、帝国を滅ぼすのはそう難しいことではないだろう。
だが、同盟は信用があって成り立つ。ヴェイナードはカイを信用できないと言ったが、カイもまたヴェイナードを信用していない。騎士もモンスターも兵も、まだまだノルガルドはカーレオンを上回っている。カーレオンが南から帝国へ攻め上がった途端、同盟を破棄され背後の都市を占領されてはたまらない。
「賢王。その程度の戦術、我らも心得ている。まさかその講釈だけで、また同盟を結ぼうなどと言うのではあるまいな」
言葉にまたわずかな苛立ちを含めるヴェイナード。
カイは、「もちろんだよ。話はここからだ」と言って、指をいま自分たちがいるアスティンへ移動させた。
「このアスティンと、隣のザナス、ソールズベリー、南のレティシュノートとブロセリアンデ――」
そう言って、カイはそれぞれの城を指でなぞって行く。さらに南へ移動させ、カエルセント、ロージアンまでなぞった。
「この、旧イスカリオの領土と旧帝国領のソールズベリーを、ノルガルドに譲るよ」
そう言うと、それまで表情を変えることがなかったヴェイナードが、初めて大きく目を見開いた。後ろに控えていたグイングラインとモルホルトも「なに!」と、意表を突かれた声を漏らす。
「もちろん、ただで譲るわけじゃない。代わりに――」
カイは、指を大陸北西にあるゴルレに移動させた。そして、城の名を口にしながら、キャメルフォード、ファザード、カルメリーと、順に指さしていく。
「――これらの旧パドストーの領地を、カーレオンに譲ってほしい」
モルホルトがくぐもった唸り声を上げた。グイングラインは目を大きく見開いて地図を凝視している。ヴェイナードも地図を凝視していたが、やがて唇の端を吊り上げ、視線をカイへ移した。
「領土交換ということか」
「その通り」
室内に熱がこもってゆく。グイングラインとモルホルトの額には汗が浮かんでいた。ボアルテには事前にこの案について話していたが、それでも緊張の面持ちで場を見つめている。カイとヴェイナードだけが、静かに笑みを浮かべるだけだ。
「だが、カルメリーとファザードは帝国の領土だ。我らに差し出せというのはどういうことだ」
ヴェイナードの問いに、カイは涼しい顔で答える。
「あそこに残っているのは大した騎士じゃないし、領土的に帝国もそれほど重要視していない。いざとなったら、すぐに兵を引き上げるだろう。あなた方なら、すぐに奪えるはずだ」
ヴェイナードは「フフ」と一度小さく笑ったが、すぐに視線を鋭くし、あごに手を当て、軽く吟味するように地図を眺めた後、さらに言う。
「悪くない話だが、城の数的にこちらに有利過ぎるな。他に何か望みがあるのであろう」
カーレオンが手放す城が七つなのに対し、貰い受ける城は四つだ。当然の疑問である。
「そうだね」と、カイは頷く。「これを機に、同盟とまではいかなくても、しばらく不可侵条約を結んで欲しい。いま我々が戦うのは、どう考えても利が無いからね」
元々カーレオンが参戦したのは、旧アルメキアを乗っ取ったゼメキスとエストレガレス帝国に制裁を加えるためだ。参戦した理由は違えど、目的はノルガルドと一致する。
そして、帝国が滅びるならば、それをするのは必ずしもカーレオンでなくとも良いとも思っている。ランスは自らの手でゼメキスを討ち、自分たちの手で祖国を取り戻すことに固執しただろうが、カーレオンにはそこまでの執着は無い。さらに言えば、ゼメキスと帝国に制裁を加えるというのも建前に過ぎない。カイ個人の本音を言えば、愚王ヘンギストを討ち、腐りきったアルメキアを滅ぼしたゼメキスを称賛したいくらいだ。今回のいくさも、帝国が攻めてくるから戦っているだけのことであり、ゼメキスが剣を収めるなら、こちらもこれ以上戦うつもりもないのだ。ただ、それは一〇〇パーセントない。このいくさの裏には何かとてつもなく大きな力が動いており、ゼメキスはそれに操られているように思う。ゼメキスが戦いをやめぬのであれば、こちらも戦うしかない。
カイはさらに話を続ける。「領土を交換しても、今後帝国がキャメルフォード奪還に来るのは間違いないだろう。それは、私たちが引き受けよう。君たちは、南からログレスへ侵攻すればいい」
領土交換が実現すれば、カーレオンはハーヴェリー・キャメルフォード・ゴルレの三城を守るだけでいい。不可侵条約を信用するならば、キャメルフォードだけで大丈夫だ。それだけ戦力を集中できるわけである。カイとディナダンがキャメルフォードに入れば、たとえゼメキスやエスメレーや四鬼将らが攻めてきても、そう簡単に奪わせはしない。ノルガルドの侵攻で帝国の勢力が弱まれば、カーレオンが攻めに転じることも可能だ。
「それで首尾よく帝国を滅ぼせたとして、その後はどうするつもりだ」ヴェイナードの目が、また鋭くなった。
「その時は、できればまたこうして話し合いたいね。最初に言った通り、私は無闇に戦うことは望んでいない。カーレオンは、ノルガルドと戦う理由が無いんだ。条件によっては、属国とまでは行かなくても、この大陸のゆく末を君にゆだねてもいいと思っているよ」
「フン、心にもないことを」
「とんでもない。まあ、少し大げさには言っているけどね」
ヴェイナードはまた小さく笑うと、視線を地図へ移した。その背後でグイングラインとモルホルトが目を合わせ、互いに頷く。そして、グイングラインがヴェイナードの耳元で何か囁いた。声は聞こえなかったが、唇の動きから、「検討に値する話かと」と読んだ。ヴェイナードは視線を動かさず「判っている」と言った。
そして、その視線をまたカイへ向ける。「さすがは賢王、実に興味深い話だ」
「君のお眼鏡にかなったようなら、光栄だね」
「少し時間を貰いたいのだが、構わぬか」
「もちろんだよ。別室を用意してあるから、自由に使ってくれ」
「礼を言う。茶などの気遣いは無用だと従者に伝えてくれ」
カイは外に控えさせていた騎士を呼ぶと、ヴェイナードを別室へ案内させた。室内はカイとボアルテだけになる。カイは椅子の背もたれに身体を預け、ふう、と、大きく息を吐いた。
「つくづく、ディナダンを連れて来なくて良かったよ。彼がいたら、とんでもないことになっていた」
冗談を言ってみたが、ボアルテはまだ緊張を崩せないでいるようだ。
「陛下は、ヴェイナード王は必ず応じると仰いましたが、本当に大丈夫でしょうか」
心配そうな口調のボアルテ。彼は時に臆病と取られかねないほど慎重な人間だ。
「彼はこの話を見逃すような男じゃない。心配ないよ」
カイは、ヴェイナードは九分九厘この話に乗ってくると分析している。先ほど言った対エストレガレスの戦略面の利も大きいが、ノルガルドには、それ以上に見逃せない点があるのだ。食糧問題である。
大陸の北に位置するノルガルドは食糧生産力に乏しく、慢性的な飢えに苦しんでいる。ノルガルドが長い歴史の中で何度も南へ侵攻しようとしているのは、この食糧問題を解決するために、南の肥沃な大地を求めているからだ。
レオニアを併合し、キャメルフォードも制圧したノルガルドだが、まだまだ国民全体に充分な食糧がいきわたるまでには至っていない。栄養充足値という国民一人当たりの食糧事情を表す数値があるが、現在のノルガルドは一〇〇を基準として九五である。領土交換を行い、ノルガルドが旧イスカリオの領土とソールズベリーを手にすれば、食料充足値は一〇八になる。国民全体に充分な食糧を与えるのも不可能ではない数値だ。
カイの提案を受け入れれば、ノルガルドの食糧問題は解決に向かう。後は前王ドレミディッヅを討ったゼメキスの首を取れば、ノルガルドは戦う理由が無くなると言える。ヴェイナードは大陸制覇を掲げているものの、国民は無闇にいくさが長引くことは望まないはずだ。ヴェイナードとしてもこの点は無視できないであろう。今ここでカーレオンとノルガルドが交戦しなければ、エストレガレス帝国を滅ぼした時、その後の交渉次第で、この大陸全土を巻き込んだいくさを終わらせることができるかもしれない。
「しかし、せっかく占領したイスカリオの領土を手放すことを、皆納得するでしょうか?」
ボアルテはまだ心配そうだ。今回の領土交換の話はボアルテにしかしていない。イスカリオへの侵攻にはカイの他に拳闘士シュストや魔術師シェラら多くの騎士が関わっており、兵やモンスターにも少なからず被害が出ている。決して楽に手にした領土ではない。
「ヴェイナード王を納得させるためには仕方ないことさ。うまく行けばこの先の戦いはぐっと楽になるわけだし。まあ、メリオットには、『国を滅ぼした者として残った民を導く責任はどうしたの?』とか言われそうだけどね」
その姿が目に浮かぶようだが、その時はまた言いくるめればいい。
ふたりはそのまま部屋に残り、一時ほど待つ。
やがてドアが開き、ヴェイナードたちが戻ってきた。
「待たせたな、賢王」と、ヴェイナードが再び席に着く。
「構わないよ。それで、結論は出たのかい?」
「ああ。今回の会見は、実に有意義であった。我らも事前にそなたがどのような話を持ち出すか、ある程度予測を立てていたのだが、こちらの想定をはるかに超える話であった。さすがに大陸一の知恵者と呼ばれるだけのことはある」
「それはどうも」
「だが、領土交換などという奇策を惜しげもなく披露する辺り、やはり油断ならぬ男だ。腹の中で何を企んでいるのか、予にも想像がつかぬ」
「そんなに私は信用が無いかな」
「そうだ。よって、こちらからもひとつ条件を出す。それを飲めるのであれば、応じよう」
やはりそうきたか、と、カイは胸の内でつぶやく。条件としては充分なはずだが、貪欲な白狼のこと、さらに何かを要求してくることは想定の範囲内である。そして、先ほど提示した領地に加えて、ハーヴェリーとゴルレなら明け渡す準備があった。
カイはできるだけ困ったような表情をしながら、「なんだい? その条件というのは?」と訊いた。
ヴェイナードは、表情も感情も乱すことなく言う。
「そなたには、妹がいるそうだな」
この瞬間。
盤上の駒を操るかのごとくこの会見を進めてきたカイだったが、急に、身一つで戦場に駆り出された気分になった。
「……それがどうかしたのかい?」
この会見で、初めてカイの感情が乱れる。
それを目ざとく見て取ったのだろうか、ヴェイナードはわずかに満足そうな笑みを浮かべた。
「その者を、人質としてノルガルドに渡してもらおう」
白狼のこの要求に、ボアルテが大きく声を上げた。カイも、額から汗が流れ落ちる。それは、賢王カイの頭脳をもってしても想定していなかったものだった。いや、カイだからこそ、失念していたと言っていい。
「この話に、妹は関係ないと思うけどね」
「なぜだ? 同盟や不可侵条約に、王族から人質を差し出すのは珍しい話ではなかろう」
確かにそうだ。同盟の証に人質を差し出すことで、それを破棄されることを防ぐことができるのだ。言葉や書状だけの同盟など、戦争の中では大した効力を持たない。
「なら、そちらも人質を出せるのかい?」
カイは精一杯の反撃を試みるが、無駄だった。
白狼はいささかのためらいも見せず、「無論だ」と言い切った。「だが、予にはもう身内はおらぬゆえ、前王ドレミディッヅの娘を渡そう。それで良いか」
「やめておくよ。それは君にとってむしろ厄介払いになるし、差し出されても、こちらも持て余すだろうからね」
それに、白狼に対して人質がなんの効力もないことは判っている。白狼は、前王ドレミディッヅが討たれ、旧アルメキアと講和を結ぶ際、ただ一人の身内である姉を人質に出した。その姉はいまエストレガレス帝国にいるが、白狼はその帝国と戦い続けている。
「陛下、ヴェイナード王……」ボアルテが、恐る恐るという風に言う。「人質が必要ならば、この私がなりますゆえ、どうかメリオット様はご容赦ください」
「いや、そんな必要はないよ」
白狼が何か言う前に、カイはボアルテを止めた。
「
「ならばこの話は無しだ。国のために身内を差し出すこともできぬ王など予が手を組むに値しない。最初の問いに戻ろう。カーレオンを差し出すか、戦って滅びるか、ふたつにひとつを選べ」
「その答えは、もう言ったはずだよ」
「では戦って滅びるというので良いのだな」
それは白狼の最後通告であった。すなわち、この交渉の終わりを示唆するもの。
カイは拳を握りしめ、白狼の氷のように冷たく鋭い視線を真っ直ぐに受け止め、言う。
「滅びはしないさ。僕には僕の守るべきものがある。そのために戦おう」
「よかろう。では、次に会うときは戦場だ」
白狼が席を立つ。そして、部下二人を連れ、部屋を出ようとした。
「待て」
それを、カイが引きとめた。
白狼は立ち止まり、振り返る。
「なんだ。気が変わったなどと言っても、もう遅いぞ」
「そんなことを言うつもりはない。ただ、最後にもう一度、君と話がしたい。二人きりでね」
ボアルテが心配そうに声をかけるが、大丈夫だよ、と、返す。
「別にもう一度最初から交渉しようっていうんじゃない。ただ話がしたいだけだ。君のことを知りたくなった、と言っていいだろうね」
白狼はしばらく黙っていたが、やがて、「よかろう」と言って、グイングラインたちに下がるよう命じた。カイも、ボアルテに部屋から出るように言う。
部屋には、カーレオンとノルガルドの王の、ふたりだけが残った。
「……本当に驚いたよ。まさか、領土交換の話を断るなんて」
カイは心の底から言った。ノルガルドにとっては利しかない話のつもりであった。多少要求を追加してくるとは予想していたが、まさか人質を要求するなど思ってもみなかった。確かに、同盟などで人質を交換するのは珍しい話ではない。だが、今回の話で重要なのは領土交換の方であり、そこに人質の話など持ち出せば決裂するのは目に見えている。カイには、白狼がこの話を拒んだとしか思えなかった。だが、その理由が判らない。
「予が満足する話でなかったから切った、それだけのことだ」
白狼は、なんでもないことのように言う。
「そうは思えないな。僕は、君があえて戦う道を選んだとしか思えない。でもなぜだ? 私は私なりに最大限考えて、戦わずにすむ道を示した。なのに、なぜ君はそちらを選ぼうとしない」
「簡単なことだ。予にとって、生きることは戦うことだ。世界は厳しい。雨が降らねば乾き、作物が実らねば飢える。その中で生きるには、誰かと戦い誰かを押しのけ、誰かから奪ってでも望むものを手に入れねばならない。そしてこの不条理に勝った者だけが、生きる資格があるのだ」
「だがそのために置き去りにされてしまうものがあるとは思わないのかい」
「知ったことではない。予ははるかな高みを目指し戦っている。それについて来れぬものなど、必要ない」
さも当然であるかのごとく、白狼は言う。自分の生き方になんの疑問も抱いていないようだ。当然、カイには理解できない。
「高みを目指すことは立派だよ。だけど、なぜそこまで頑なになる必要がある。人には限界がある。どんなに高みを目指したところで、完全な存在になどなれるはずはない」
大陸一の知恵者などと呼ばれていても、カイは自分が完全な人間だなどと思っていはいない。それでも、周りに支えてくれいる人がいるからこそ、自分でいられるのだ。カイはそれを誇りに思い生きてきた。カイ自身も高みを目指すことに努力は惜しまない。だが、周りの人たちを置き去りにしてまで高みを目指すことに、なんの意味があるのだろう。
「忠告はありがたく拝聴しておこう」
言葉とは裏腹に、まったくなにも心に響いていない口調で、白狼は言う。「だが、いかに賢王と言えど、自分の限界がどこにあるのかを知りはすまい。予は完全な人間になろうなどとおこがましいことは考えていない。ただ、完全な自分になりたいのだ」
己の理想は戦いの先にある――そう信じて疑わない言葉だ。カイには、決して理解できないであろう。
「君がその生き方を続ける限り、いつか大切なものを失うよ」
そう告げると。
白狼の表情がわずかに歪んだのを、カイは見逃さなかった。
しかし、それが何を意味するのかまでは、カイをもってしても判らなかった。
白狼は「話はこれまでだ」と言って、席を立つ。「理想は遠く、時間は有限だ。
「いや、もう会うことは無いかもしれないよ。今の生き方を変えない限り、君は遠からず、命を落とす」
「フン、面白い冗談だ」
白狼は部屋から出て行った。
カイは拳を強く握りしめ、白狼が去った扉を見つめていた。
聖王歴二一七年十一月下。
カーレオン王カイと、ノルガルド王ヴェイナードが、アスティンにて会見を行う。
カーレオンはノルガルドに対し、同盟・不可侵条約等の話を持ちかけるも、交渉は決裂。ノルガルドが宣戦布告をし、カーレオンはこれを受け入れた。