アスティンの北西、現在はカーレオン領となっているソールズベリーの城の会議室で、魔術師シェラは拳闘士シュストと戦略会議を行っていた。すなわち、ふたりでのんびりお茶をすすっているのである。イスカリオ侵攻時はあちこち忙しく動き回っていたものの、それがひと段落し、帝国もキャメルフォード奪還やオークニー・リドニー等北の防衛に力を注いでいるので、このソールズベリーは比較的穏やかだ。のんびりできる時はのんびりするというのがシェラのモットーなので、大きな動きがない時は会議室で静かにお茶をすするのが、すっかり日課となっていた。
だが、会議室の外から、「たいへんたいへーん!」と、騒がしい声が近づいてくる。カーレオンでは王妹のメリオットが兄王カイのいる部屋に駆けて行くという日常の光景だが、今メリオットは首都リンニイスで訓練を行っているはずだし、聞こえてくるのは十代の少女の若々しい声ではなく、長年のお酒好きがたたって少々かすれてしまった大人の女性の声だ。何より、閉め切った会議室内にもそのキツイ香水の匂いが漂ってくる。
バタン! と勢いよくドアが開き、室内にむわっと香水の匂いが広がった。
「あなた方、なにをのんきにお茶なんてしてらっしゃるのですか! 大変ですのよ!」
愛用のとんがり帽子を揺らしながら入ってきたのは魔術師のヴィクトリアだ。やれやれ、カーレオンも面倒な人材を受け入れてしまいましたわね、と、シェラは主君カイと同じようなため息をつく。
「ただのんきにしているわけではありません戦略会議です。それよりなんですか騒がしい。あなたももういい年なんですから、子どもみたいに騒ぐものではありません。なにより、その香水の匂いをなんとかしなさい。せっかくの高級茶葉の香りが台無しですわ」
シェラがそういうと、大変な事態はどこへやら、ヴィクトリアの関心はテーブルの上のティーポットと茶葉の入った缶に向いた。
「あら、どこのお茶ですの?」
「レオニアの高地で栽培されたラージゲートですわ」
「まあ、フォルセナ三大銘柄のひとつではありませんか。よくそんな珍しい茶葉が手に入りましたわね。わたくしもご一緒してよろしいかしら」
「構いませんが、次からはその香水の匂いを少し控えてくだされば助かります」
「そんなに匂うかしら? まあ、何年も探していたアドバンスド・ヒー・ハー・オールドバルバレムが手に入ったものですから、ちょっと使い過ぎてしまったかもしれませんね」
ヴィクトリアがそう言うと、それまで適当にあしらおうとしていたシェラの関心がヴィクトリアの使っている香水に向く。
「まあ、かつてアルメキア王妃も愛用したという超高級ブランドではありませんか。そんな高いもの、よくあなたのお給料で買えましたわね」
「イスカリオ時代はギャンブルで結構稼いでましたから、大したことはありませんわ。良かったら、あなたも使ってみます?」
「いいんですの? 悪いですわねぇ」
「構いませんわ。お茶のお返しです。では、わたくしもお邪魔して」
ヴィクトリアも会議の席に着く。シェラはティーポットからカップにお茶をそそいで差し出した。ヴィクトリアはカップを持つと、まずは香りを楽しみ、ひと口すすってじっくり味わったあと、ふう、とひと息ついた。
「……て、のんびりお茶などしている場合ではないんですの。大変なのです。隣のアスティンに、帝国軍が侵攻してきたそうではないですか」
ヴィクトリアはティーカップを置くと、思い出したようにそう言った。
シェラは二杯目のお茶をすする。「その情報はわたくしの元にも入ってますが、それがなにか?」
「よくそんなにのんびりしてられますわね。アスティンには、あなたの主君のカイさんがいらっしゃいますのよ? しかも帝国軍の総大将は四鬼将のギッシュ様だそうではないですか。ああ、こんなところでじっとしている場合ではないです! わたくしたちも早く行かなくては!」
「なにを言っているのです。わたくしたちの任務はこのソールズベリーを守ること。勝手に動くわけにはいきません」
「そんなことを言ってる場合ではないでしょう! あのカイさんとギッシュ様が戦うんですのよ!? わたくしたちが行かなくて、どうするんですか!」
いても立ってもいられないという様子のヴィクトリアに、シュストが目を潤ませた。「ヴィクトリア殿……カーレオンに仕官してまだ間もないにもかかわらず、我が主君の身をそこまで案じていただけるとは……このシュスト、あなたの忠誠心に感服いたしました! 構いません! ソールズベリーの防衛はこの私にお任せを! お二人は今すぐアスティンへ向かい、その忠誠心で陛下をお守りください!」
熱く語るシュストに対し、シェラは冷めた目を向け、「ないない」と手のひらをひらひらと振った。「この人にそんな忠誠心なんてあるわけがないでしょう。ただのミーハーです」
「ミーハー?」
「ええ。大方、カイ様とギッシュさんのどちらが勝つのかが気になるだけでしょう」
この指摘に、ヴィクトリアは「当然ではないですか!」と声を張り上げた。「アルメキアの魔導学校で常に首席を争われていたあのお二人が、遂に実戦で勝負するのですよ! これは、古いイスカリオの言葉でいうところの、『旦那を質に入れてでも見なければならない試合』ですわ!」
「質に入れる旦那がいないでしょうが、まったく」
シェラはやれやれ、とため息をついた。
イスカリオの魔術師ヴィクトリアは、祖国滅亡後はカーレオンに仕官していた。彼女は「強い殿方に仕えるのが信念」だそうで、イスカリオに仕えていたのは狂王ドリストの強さに惹かれていたかららしい。しかし、イスカリオは今年八月にカーレオンの侵攻によって滅びた。すなわち、カーレオンの王カイはドリストよりも強いということになり、この国へ仕官した、というわけである。
「――しかし、お二人がライバル関係であることは聞いていましたが、陛下と同じ魔導学校に通われていたのですね」
シュストはヴィクトリアが差し入れしたケーキを食べながら言った。今年の二月、シェラとヴィクトリアは当時イスカリオ領だったザナスの争奪戦で相対している。その時の戦義での壮絶な舌戦は、今でもカーレオン兵の間で語り草になっているとかいないとか。
「ライバルだなんてとんでもない」と、シェラは否定する。「カイ様たちには到底及びませんが、わたくしは一応学内では上位にいました。でも、この人は万年下位の落ちこぼれでしたから」
ヴィクトリアは「おほほ」と上品ぶって笑う。「世の中、学校の成績ばかりが全てではないでしょう? 学生時代落ちこぼれでも、後に成功した人はいくらでもいらっしゃいます。成績がどうあれ、今が幸せならそれで良いではありませんか」
「幸せそうには見えませんけどね」
シェラは皮肉を込めて言った。前回戦場で会った時は二十九歳だったヴィクトリアも、先月下旬についに三十路の扉を開いてしまった。同級生の女子はもうほとんどが結婚し、子育てに励んでいる者も多い。フォルセナ大陸の女性の結婚適齢期は二十代前半と言われており、二人とも大きく行き遅れてしまっている。
だがヴィクトリアは、「あら? そうですか?」と、なにも気にしていないような顔で言う。「戦乱の世にこうしてのんびりケーキとお茶を頂けるだけで、充分幸せだと思いますけど?」
ヴィクトリアはケーキをひと口食べ、「うーん、美味しい」と、幸せそうな顔で頬に手を当てた。
「ま、それは言えてますわね」
シェラもケーキを食べる。イスカリオでは有名な三ツ星スイーツ店・ミッツホッシーのソールズベリー支店で買ってきた、限定五十個の絶品キャロットケーキである。にんじんの甘みとスパイスの香りがしっとり食感にマッチした、その名のとおり絶品の味わいだ。人気店の限定品だけあって朝早くから並ばなければ買えない品であり、家事に育児に忙しい主婦では到底買えるものではない。ヴィクトリアの言う通り、こうしてケーキが食べられることは幸せなのだ。また、カーレオンでの夫婦の離婚率は約三十五パーセントという統計データがあり、この割合は年々上昇傾向にあるそうだ。三組に一組は離婚しているのである。結婚が女の幸せ、というのは、もう古い考えだろう。とはいえ、結婚したいかしたくないかで言えば、シェラはしたい方なのだが。
「それに――」と言って、ヴィクトリアは話を続ける。「わたくしも学校へ入学した時はフォルセナ1の魔術師になれると根拠もなく思っていましたが、カイさんやギッシュ様を見て、すぐに現実に気付かされましたわ。特にカイさんは、赤青緑白の異なる属性の魔法をあっという間に習得していきましたからね。世の中には天賦の才をというものがあるのです。わたくしみたいに才能のない者がいくらあがいても勝てないと、思い知らされましたわ」
属性が異なる魔法の習得は難しく、中でも、赤と青、白と黒、そして、緑と白は特に困難であり、並の騎士にできるものではない。それを学生時代からやっていたのだから、確かにカイには天賦の才があったのだろう。
シェラはケーキで水分が失われた口の中をお茶で潤した後、「あら、あの二人も、才能だけで首席争いをしていた訳ではないと思いますわよ? ちゃんと努力もしています。特にギッシュさんは」と言った。
魔導国家カーレオンの次期国王として物心ついた頃からあらゆる英才教育を受け、特に魔法に関しては留学前から高い教育を受けてきたカイに対し、ギッシュはアルメキアの下級貴族の家に生まれ、家系に魔術師もおらずほぼ独学で魔導学校に入学したそうだ。それでもお互い常に首席を争う間柄であったため、ギッシュが並々ならぬ努力をしてきたことは間違いない。ギッシュは白と黒の魔法こそ使えないが、その分、赤青緑の魔法に精通しており、カイが使えない魔法を使うこともできる。二人にも得手不得手があり、一概にどちらが優れているとは言えない。
シェラの話に、シュストは大きく目を見開いた。「なんと。帝国四鬼将のギッシュとは、それほどの魔術師なのですか。うちのガッシュとは大違いだ」
「当たり前です。ガッシュとギッシュ、一文字違うだけで大違いですわ」
シェラがそういうと、ヴィクトリアもうんうんと頷く。「それ、わたくしもイスカリオ時代に何度も言いましたわ。あの人どうにかして改名させられませんの? 一部では兄弟疑惑も出ているとか。あんなのと一緒にされては、ギッシュ様もさぞ迷惑でしょう」
「ホントですわね」
「それで、あなたはどちらが勝つと思いますの?」ヴィクトリアは目を輝かせながら訊いてきた。
シェラは自信を持って答える。「それはもちろんカイ様でしょう。カイ様もギッシュさんも努力はしていましたが、同じ努力をしたなら、最終的にものをいうのは才能でしょう。その点で言えば、やはりカイ様の方に分があると言わざるを得ませんわ」
「あら、わたくしはそうは思いませんわ。確かにカイさんは才能も努力も兼ね備えているでしょうが、少々野心が足りないと思いますわね。野心は向上心へと繋がりますから、その点で言えばギッシュ様の方が上回るでしょう。実力が拮抗した戦いでは、『絶対に相手を倒す!』という思いは、大きいと思いますわよ?」
「あらあら、それでしたらカイ様だって負けてはいませんわよ? 何といってもカイ様はこの国の王。『絶対に国を守る!』という思いは誰よりも強いですからね。こちらから攻めて行った戦いならともかく、攻められている戦いならば、必ずカイ様が勝ちますわ」
「あらあらあら、それはどうでしょうか? カーレオンの本土が攻められているのならともかく、戦いの場となっているのは元イスカリオ領だったアスティンですからね。カイさんもあんまり思い入れはないのではなくて? いざとなったら、あっさり退却すると思いますわよ?」
「カイ様に限ってそんなことあるわけないでしょう。絶対カイ様が勝ちます」
「そんなことはありません。ギッシュ様だって充分勝利できます」
「カイ様!」
「ギッシュ様!」
徐々に興奮してきたふたりは思わず立ち上がり、テーブルを挟んでにらみ合う。
そこへ、「急報!」と、兵士が飛び込んできた。「帝国領オルトルートより兵五万が出撃し、この城へ向かっております! 総大将はエスメレーです!」
この一報に、シェラとヴィクトリアの対抗心は急速に薄れた。
「エスメレーさんといえば、結婚適齢期の二十代前半で当時のアルメキア軍総帥ゼメキスの元へ嫁ぎ、いまや帝国王妃となった
ヴィクトリアの言葉に、シェラは「ええ」と頷く。「ノルガルド軍を返り討ちにしたり、西アルメキア侵攻時に次々と城を奪ったりで、最近随分と調子に乗っていると聞いてますわ。まあ、どうせ夫の肩書きだけがアイデンティティのしょーもないマウント女でしょう。わたくしたちが、本当に強い女というものを教えてさしあげますわ」
しかし――。
この後二人はけちょんけちょんにやられ、結婚という絆が生んだ力というものを実感しつつハーヴェリーまで後退したのであった。