首都リンニイスの王城にて、宰相ボアルテは強い決意を胸に王の政務室の前に立っていた。中からは楽しげに談笑する声が聞こえる。カイとメリオット、そしてディナダンがいるようだ。平和な折には日常だったこの楽しげな声も、いくさが始まってからは聞くことが少なくなった。開戦後、カイは忙しく領内の城を行き来し、メリオットも弓と魔法の訓練に励んでいる。二人が一緒にいる日常は、もう遠い昔のようである。ボアルテの決意は、そんな二人の距離をさらに遠ざけてしまう可能性もある。やはり、話すのは時期尚早か……一瞬そう思ったが、すぐにその考えを打ち消す。話さなくてはいけない。ボアルテは先王の代より騎士としてこの国に仕えてきた。これは、亡き先王へ奉げる最後の忠義とも言える。何より、ふたりの絆を信じている。
ボアルテは扉を開いた。部屋にいた三人の視線が注がれる。
「あら、ボアルテ」と、メリオットが笑顔のまま言う。「ちょっと聞いてよ、お兄ちゃんったら、この前『イスカリオの法律を改正する』とかなんとか偉そうなこと言ってたくせに、実際は狂王が事前に全部やってくれてて、なにもする必要がなかった、なんて言うのよ? ホント、ドジなんだから」
「ドジと言われるのは心外だね」と、カイも笑顔で話す。「僕は占領国の義務として当たり前のことをしようとしただけさ。ただ、その下調べが充分じゃなかっただけだよ」
「それをドジっていうんじゃない。ねえ? ディナダン」
「姫の仰る通りです」と、ディナダンは深く頷いた。「言い訳するなど、王にあるまじき行為。みっともない限りですな」
微笑ましい兄妹たちの話だ。いつもなら、ボアルテも笑って会話の輪に加わるところだ。
だが、ボアルテはにこりともせず、ただ黙ってふたりを見つめた。
「……どうしたのボアルテ、マジメな顔しちゃって」ただならぬ雰囲気を察したのか、メリオットが心配そうに問う。
「何かあったのかい?」カイも表情を引き締めた。
室内の楽しげな空気は、一瞬にして緊張したものに変わる。それを申し訳なく思いつつ、ボアルテは話し始める。
「カイ様、メリオット様。このボアルテ、今までおふたりに重大な隠し事をしておりました。どうか、お許しください」
深く頭を下げ続けるボアルテに、メリオットが「なに、急に……」と、不安をあらわにする。
ボアルテは頭を上げた。「今日は、おふたりに先王様の遺言をお伝えいたします」
「お父さんの……」
息をのむ表情のメリオット。カイも、わずかに目の色を変えた。
「……私は席を外した方がよろしいようですな」
ディナダンは部屋を出ようとしたが、ボアルテは「いえ、ナイトマスター殿にも聞いていただきたい話です」と、それを制した。
ディナダンは少し戸惑った表情でカイを見る。カイが小さく頷き、ディナダンは仕方なしというような顔で再びボアルテを見た。
ボアルテは「カイ様……メリオット様……」と、ふたりの表情を確認するよう順に見て、そして告げた。「実は、おふたりは、本当の兄妹ではございません」
「え……それって、どういうこと……?」
とっさに理解できなかったのであろう。さらに不安げな声を上げるメリオットに、ボアルテは心を痛めながら、それでも決意を曲げず、伝える。
「先王様の
その瞬間、カイも、メリオットも、凍りついたように言葉を失った。二人の鼓動が聞こえてくるかのような沈黙だ。息を飲んだメリオット、その視線がボアルテ外れ、まるで助けを求めるようにカイとディナダンの間をさまよう。
その痛々しい姿に耐えられず、「メリオット様、今までこのことをお話しせず、本当に申し訳ありませんでした」と、ボアルテはメリオットから目をそらすように、もう一度深く頭を下げた。
「先王様――つまり、メリオット様のお父上は、王位に就いて以降も長く子宝に恵まれませんでした」ボアルテは、メリオットが混乱しないよう、ゆっくりとした口調で事の経緯を話す。
子が生まれぬことを案じた当時のカーレオンの重鎮たちは、このままでは王家の血筋が途絶えてしまう、と、盛んに養子をとることを王に勧めた。王はこれの話を受け入れ、遠い血筋から一人の男子を養子として迎えた。それが、カイである。
「……その後、メリオットが産まれたんだね」
カイの言葉に、ボアルテは「その通りにございます」と言い、そしてさらに言葉を継ぐ。「ですが、先王様はおふたりを等しく愛しておりました。それだけは、間違いございませぬ」
「それで、父上の遺言というのは?」
カイが先を促すように言う。メリオットと違い、カイは冷静にこの話を受け入れているように見えた。無論、心の中は判らない。それでも、現国王として、先王の遺言を聞く覚悟がある目をしているように思えた。ならば、ボアルテも長くこの国に仕えてきた者として、覚悟を持って伝えなければならない。
「先王様は、カイ様とメリオット様がご結婚し、ふたりで国をまとめるのが一番良い、と、おっしゃっておりました」
「――――」
カイがまた言葉を失う。先王の遺言、と聞いて、カイがどのような話を想像していたのかは判らないが、恐らくボアルテの話はカイの想像を超えるものであったはずだ。
再び部屋を沈黙が支配する。カイも、メリオットも、そしてボアルテも、誰も言葉を発することができない。息がつまる。空気が鉛のごとき重さで身体にまとわりつくような錯覚さえした。
「やれやれ」と、沈黙を切り裂くように、ディナダンが口を開いた。「昨日まで兄妹だったおふたりにいきなり夫婦になれとは、よくそんな人の気持ちを無視したことが言えますな、ボアルテ卿」
いつもはボアルテの胃を痛めるナイトマスターの皮肉も、今回ばかりはありがたいとさえ思う。沈黙は、非難されるよりも苦しい。
「返す言葉もありませぬ。先王様も、決して強制はしておりません」
ディナダンを見てそう言った後、ボアルテは「ただ――」と言って、またカイとメリオットを順に見た。
「わたくしも、先王様の仰るようにするのが、一番良いと思います。どうか、おふたりよく話し合ってお決めください」
そして、さらにもう一度、頭を下げた。
「――メリオット、大丈夫かい?」
カイの声で、ボアルテは頭を上げた。メリオットは、足の力を失ったかのように壁に寄りかかっていた。
心配して駆け寄ろうとしたカイを、メリオットは、「大丈夫」と言って制した。「ちょっと、目まいがしただけ。ごめん、あたし、部屋に戻るね」
メリオットは壁に手をつきながら扉の方へ歩く。
カイは、「ディナダン、付いてやって」と促したが、メリオットは「ううん大丈夫、一人で戻れるから」と、それを拒否した。
――お願いだから一人にさせて。
そう言っているようにも聞こえる。
それ以上何もできず、ボアルテたちは部屋を出るメリオットを見送るしかなかった。
ディナダンが怒りを含んだ視線を向けて来た。「はっきり言って気に入りませんな、ボアルテ卿。ふたりは王家の血筋を伝える道具ではないのですよ」
この言葉に、ボアルテは初めて表情を歪めた。
今回この話をすることは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
だが、ボアルテは、決してふたりを苦しめることが目的で話した訳ではない。
「わたくしは、わたくしなりに考えて、おふたりにとって一番良いと思うからこそ、お話ししたのです」
強く主張する。
今回の話がふたりを――特にメリオットの心を傷付けたことは否めない。それでも、ふたりを道具のように扱ったと言われるのは心外であった。もちろん、この話を口外せず、墓場まで持ち越すこともできた。ふたりのことを思うならばその方が良いのではないか、とも考えた。
だが、ボアルテが忠義を奉げたのは、現王家のカイやメリオットだけではない。先王にも忠義を奉げ、そして、多くの恩を賜っているのだ。その遺志に背くことなどできるはずがない。カイとメリオット、ふたりの絆を信じるしかない。
「それでは、わたくしも失礼いたします」
最後にもう一度深く頭を下げ、ボアルテは部屋を後にした。