第十五話 バーリン 聖王暦二一五年四月上 レオニア/聖都ターラ
レオニアの辺境にある小さな村から聖都ターラにやって来た少女・バーリンは、中央広場にあるフォルス神像の前に立ち、落ち着きなく周囲を見回していた。街のほぼ中央に位置するこの広場は、多くの人が行き交っている。買い物かごを持ち、商店街の方へ向かう者。鎧を着て、城の方へ向かう者。一日の仕事を終えたのか、くたびれた表情で住宅街の方へ向かう者。持ち込んだ台の上に立ち、人々に神の教えを説く者。楽器を奏でて歌い、足を止めた人からお金を集めている者――多くの人が行き交い、あるいは、行き交う人を目当てに訴えかけたり歌ったり。広場は、すぐ側にいる人に話しかけるにも大きな声を出さなければいけないほどの喧騒だ。バーリンの住んでいた村では、お祭りの日でもこれほどの人が集まることは無い。さすがはレオニアの首都である。初めて訪れた都会の様子に気圧されそうだ。人が多いのは苦手だ。本当ならすぐにでも帰りたいのだが、そういう訳にもいかない。わざわざ何日もかけて遠い村からやって来たのだから。彼に会うために。
ドクン、と、心臓が大きく血液を送り出す。
さっきからずっと、心臓のドキドキが止まらない。バーリンは胸に手を当て、落ち着け、落ち着け、と、心の中で呟く。それでも、胸の高鳴りは治まらない。
――胸の高鳴り?
そんな風に考えた自分が妙に恥ずかしくなり、バーリンはぶんぶんと首を振る。胸の高鳴りなんていうと、まるで恋をしているみたいじゃないか。そんなワケは無い。そう否定しても、じゃあこのドキドキの正体は何なのか? と考えると、今から会う人のことを思い気持ちが高揚している、という結論に至る。それはすなわち、胸の高鳴りに他ならない。
「どうした? バーリン? 緊張してるのか?」
そう言ってバーリンの顔を覗き込んだのは、村から一緒にやって来た幼馴染の少年・ガロンワンドだ。
「べ……別に、緊張なんか、してないよ」胸の高鳴りを悟られないよう、何でもないフリをするが、スムーズに言葉が出てこなかった。
そんなバーリンの姿を見て、ガロンワンドは小さく笑う。「まあ、気持ちは判るけどな。あいつに会うのも、一年ぶりだもんな」
一年ぶり――そう、彼が故郷の村を出てから、もう一年になる。
一年前、静かな田舎村だったバーリンたちの故郷を揺るがす大事件が起きた。村に住む娘で、バーリンたちの幼馴染であるリオネッセが、レオニアの女王に選ばれたのである。
レオニアは宗教国家であり、神の教えが絶対とされている。王を選ぶのも神託に委ねられ、前王の崩御後、選ばれたのがリオネッセだった。それまで
もう一人、リオネッセと一緒に村を出た者がいる。これも、バーリンたちの幼馴染であるキルーフだ。
キルーフは、リオネッセが王宮へ旅立つ日、迎えに来た騎士に、「俺も騎士になる」と、仕官を申し出た。無茶な話ではあったが、なんと、この仕官は王宮の者に受け入れられた。恐らく、突然見知らぬ土地に連れていかれ、女王という重責を背負わされるリオネッセへの、せめてもの配慮だったのだろう。キルーフは、その後王宮で騎士としての訓練を経て、今では女王を護衛する任務に就いているらしい。
そんなキルーフと、一年ぶりに会う――バーリンの胸の内には、嬉しいという気持ちがある一方で、不安な気持ちもある。
周囲を見回す。広場を行き交う人の中には、バーリンと同年代の女の娘も少なくは無い。みんな、赤や青や黄色といった、色とりどりの服やアクセサリーで綺麗に着飾っている。まるでパーティーにでも行くような派手な格好だが、どうやら都会ではあれくらいの服装が普通らしい。それに対し、自分の服装はどうだろう? 厚手の布を縫い合わせただけのシャツとズボンに熊の毛皮で作ったベスト。上から下まで茶色一色で、畑仕事か狩りでもするような格好だ。それも仕方がない。彼女の住む村は家と畑と森くらいしかないド田舎で、服やアクセサリーを売っている店など存在しないのだ。バーリン的には、これでもめいっぱいおしゃれをしてきたつもりなのだが、やはり、都会の娘と比べると、どうしても見劣りしてしまう。キルーフは、この一年ですっかり都会の暮らしに染まっているかもしれない。こんな格好、笑われてしまうのではないだろうか?
「なあ、ガロン。あたしの格好、変じゃないか? もっと、綺麗な服を着て来た方が良かったかな?」
隣のガロンワンドに訊く。この広場に来て、すでに何度も訊いたことで、その度にガロンは「別に変じゃない」と言ってくれるが、それでもまた訊かずにはいられない。
「大丈夫だって。べつに、変じゃないだろ」
ガロンの答えは同じだ。それでも、不安は消えない。
バーリンは、首から提げているペンダントを、ぎゅっと握りしめた。バーリンが唯一身に付けているアクセサリーである。アクセサリーと言っても、淡いブルーの石を革の紐に取り付けた簡素なものだ。石の形はいびつで、輝きも無い。何の石なのかはバーリンも知らないが、恐らく高価な宝石とかではないだろう。それでも、バーリンにとっては世界中のどんな宝物よりも大切な物だった。十年近く前、キルーフからプレゼントされたのだ。まだ十歳にも満たない頃の話で、恐らく川とか山に落ちていたのを拾ったのだろう。彼はそんな話すっかり忘れているかもしれないが、バーリンは、ずっと大切にしてきた。彼女にとってはお守りのようなもので、今日のような大切な日には、いつもこのペンダントを握りしめる。そうすることで、不思議と気持ちが落ち着くのだ。
「――おーい! ガロン! バーリン!」
懐かしい声が広場に響く。どくん、と、心臓がさらに大きく脈打った。声のした方を見る。多くの人の中にいても、すぐに見つけることができる。こちらに向かって手を振っている。胸のドキドキはさらに激しくなる。もう、どんなにペンダントを握りしめてもムダだった。
「おう! こっちだ、キルーフ!」ガロンワンドが手を振りかえす。
――あたしも手を振りかえすべきなのかな。でも、そういうのなんか恥ずかしいし。でも、キルーフもガロンもやってるんだし、別に大丈夫だよね。でも……。
どうでもいいことにバーリンが悩んでいる間に、キルーフはやって来た。
「久しぶりだな! ガロン!!」がしっ! っと、ガロンワンドの手を握るキルーフ。
ガロンも、キルーフの手を強く握り返している。「1年ぶりだな! お前、なんだかたくましくなったな」
「ん? そうか? まあ、毎日毎日訓練させられてるからな」
「はは。今や女王の護衛騎士だもんな。村で一番の悪ガキだったお前が、出世したもんだぜ」
「うるせぇ。村一番の悪ガキは、お前だろ」
男二人が再会を喜びながらたわいのない話をしている間、バーリンは。
――えーっと。あたしも、「久しぶり!」って言えばいいのかな。なんだか、ガサツな感じがする。でも、「お久しぶりです」なんて言ってほほ笑むのはガラじゃないし。黙ってるのも無愛想だし。えっと。あたし、村にいた時、キルーフとどんな風に話してたっけ? 一年前も会ってないから、もう忘れちゃった。というか、そういうのって忘れるものなのかな。
「バーリンも、久しぶりだな!」
突然声をかけられ、バーリンは。
「よ……よう!」
裏返った声で言い、右手を挙げた。あー、もう。そうじゃないだろ。
「あん? なに変な声出してんだ?」笑うキルーフ。
「べ……別に変な声なんて出してないだろ!」思わず大きな声を出してしまう。
「何怒ってんだ。変なヤツだな」キルーフは呆れ顔になった。
――だから、そうじゃないだろ。あたし、何やってるんだ。久しぶりに会えたんだから、もっと、ちゃんと話さないと。
バーリンはあらためて挨拶をしようとしたが。
「しかし、遠いのに、よく来てくれたぜ、ガロン。リオネッセも、喜んでたぜ」
ガロンと話し始めるキルーフ。もうバーリンの方を見ていなかった。一年ぶりの再会は、なんとも微妙な形になってしまった。バーリンは、ガックリと肩を落とした。
「リオネッセは、お城か?」ガロンがキルーフに訊いた。
「ああ。お前らが来るっていったら、会いたがってたんだけどよ、外出の許可が下りなかったそうだ」
「はは。まあ、当然だろうな。あいつも、今やこの国の女王だしな。国の状況を考えたら、外出なんて簡単にできないだろう」
二ヶ月前、アルメキア王国で軍総帥ゼメキスがクーデターを起こし、それをきっかけに、フォルセナ大陸は戦乱の時代に突入した。建国より長らく自治を守ってきたこのレオニアも例外ではなく、先日、北の大国ノルガルドより宣戦布告され、国を守るために戦うことになった。そんな状況だから、一国の王が簡単に外出できるはずもない。
キルーフが頭の後ろで手を組んだ。「はるばる故郷から友達が訪ねて来たんだから、ちょっとくらいいいじゃねぇかと思うんだけどよ、側近に、頭の固いヤツが一人いてな。そいつが、どうしても許してくれないらしい」
ガロンは苦笑いを浮かべた。「外に出るのも誰かの許可が必要ってわけか。女王っていうのも、楽じゃないな」
「まったくだ。堅苦しくて、息もできないかと思うぜ。ホントは俺も外出の許可が出てないんだが、こっそり抜け出してやった」
「おいおい。女王の護衛が、そんなんでいいのか?」
「ちょっとくらい大丈夫だよ。それより、どうする? 飯でも食うか? どこか行きたいところがあるなら、案内してやるぞ?」
嬉しそうな顔のキルーフ。久しぶりの幼馴染との再会を、心から喜んでいるようだ。バーリンも、ガロンワンドも同じ気持ちだ。リオネッセがいないのは残念だが、このままずっとお喋りしていたい気分だった。
だが、そういう訳にはいかない。
ガロンが、「ふふん」と、意味ありげに笑った。
「なんだ? ガロン」キルーフが首を傾ける。
「実はな、キルーフ。今日来たのは、ただお前に会うためだけじゃないんだ」
「ん? 何か、他に用があるのか?」
ガロンはバーリンを見た。「おい、バーリン。教えてやれよ」
「へっ!?」急に話を振られ、また声が裏返ってしまうバーリン。
「だから、お前は何変な声出してんだ」キルーフはまた呆れ顔になる。
「変な声なんか出してない!」
「いちいち怒るなよ。それより、何だ? 何があるんだ?」
「それはその……なんというか……」どう話していいか判らないバーリンは、助けを求めるようにガロンを見た。「ガロンが言ってくれよ」
「いいのか? せっかくのサプライズなのに」
「サプライズなんてモノじゃないだろ。いいから、ガロンが言ってくれ」
まごまごしたやり取りを見かねたのか、キルーフが声を上げる。「ああ! もう! 何なんだよ! どっちでもいいから、早く言えよ!」
「うるさいな! こっちにだっていろいろと都合があるんだよ! フン! お前みたいなやつには、教えてやらない!」
プイッと、横を向くバーリン。
「はぁ? なんでそうなるんだよ。ワケがわからん」
ガロンが笑った。「相変わらず、仲がいいな、お前たちは」
「「どこがだよ!」」
バーリンとキルーフ、二人の声がピタリと揃った。そんな二人を見て、ガロンはさらに笑った。
しばらく笑った後で、ガロンは話し始めた。「実はな、キルーフ。俺たちも、お前と一緒に戦おうと思って、仕官しに来たんだ」
キルーフは驚いた顔になる。「仕官? 騎士になりたいのか? ルーンの騎士は、誰にでもなれるもんじゃねぇぞ?」
仕官とは、騎士として国に仕えることであるが、フォルセナ大陸において『騎士』とは、ルーンの騎士のことを指す。ルーンの騎士は、マナという魔法の力を扱える者のことだ。フォルセナ大陸では、大地からマナが湧き出しており、この力を利用して、魔法を使ったり、異世界から魔物を召喚したりすることができる。しかし、マナの力は誰にでも扱えるものではない。それは生まれ持っての素質のようなものであり、素質を持たない者は、どんなに修行してもマナを使うことはできない。だから、キルーフの言う通り、騎士は誰にでもなれるものではなかった。マナの力を使うことができる者は『ルーンの加護を受けた者』と呼ばれる。一年前、キルーフが王宮に仕えることができたのは、この加護があったからだ。ルーンの加護を受けていない者は騎士ではなく兵士である。武術や軍略に優れた者は軍内でもそれなりの地位を得ることはできるが、それでもやはり、騎士は一線を画す存在だった。
キルーフはすまなさそうな口調で続ける。「まあ、お前たちの気持ちはありがたいけどな。ルーンの加護が無ければ、兵士にされるだけだ。戦争が始まるから兵士は募集しているけど、一般兵なんて、戦場でいいように使われて死ぬだけだぜ。やめとけよ」
だが、ガロンは誇らしげに胸を張る。「ふふん。それがな、キルーフ。俺たちも、ルーンの加護があったんだよ!」
「なに!?」キルーフは目を丸くする。「えっと、それじゃあ……」
「ああ、そうだ。俺たちも、ルーンの騎士になれるんだ! なあ、バーリン!」
ガロンがこちらを見たので、キルーフも「そうなのか?」という表情をバーリンに向けた。バーリンは、「うん、まあ、そうだね」と答えた。最初はガロンの言葉を信じられないような表情だったキルーフだが、少しずつ笑顔になっていった。
「そうか! お前たちにもルーンの加護が! やったな!」
キルーフは、ガロンの肩をバンバンと叩いて喜んだ。
ルーンの加護を得るタイミングは人それぞれ異なっている。例えばリオネッセやキルーフは、幼いころから加護があった。ガロンやバーリンのようにある程度大人になって授かる者もいれば、かなり晩年になって授かる者もいる。詳しい理由は判っていないが、ある日突然目覚めるのがルーンの加護だ。
キルーフは嬉しそうに続ける。「ルーンの加護があるのなら話は早い。王宮の連中に紹介してやるよ。今は騎士が不足してるから、大歓迎だろうぜ。ただし、王宮内は規律が厳しくて息がつまるし、騎士の修業は厳しいから、覚悟しとけよ!」
「はは。お手柔らかに頼むぜ」ガロンは苦笑いを浮かべた。
「バーリンも、よろしくな」
キルーフはバーリンを見て、ぱちっ、っと、片目を閉じて笑った。
バーリンはまた「お……おう!」と、調子の外れた声を出してしまった。キルーフに呆れられ、ガロンに笑われる。さっきから、こんなのばっかりだ。恥ずかしくて、顔から火が出る思いだ。
――ああ、でも。
キルーフの笑顔を見て思う。来てよかったな、と。
一年前。キルーフとの別れは本当に突然だった。王宮の人がリオネッセを迎えにきたその日、キルーフは突然、「俺も王宮へ行って、騎士になる!」と宣言し、身支度もそこそこに旅立って行ったのだ。別れの言葉さえほとんど無かった。最初は、どうせすぐに帰って来るだろう、と、たかをくくっていた。村で一番短気なキルーフが、王宮の生活に馴染めるはずがない、と。しかし、一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、彼は戻ってこなかった。三ヶ月後、ルーンの騎士になり女王護衛の任に就いた、と、手紙で知らされた時は、絶対にウソだと思った。大言を吐いて村を出た手前、帰って来づらいのだろう。だから、無理しないで村に戻って来てもいいよ、と、返事を書いた。それからも一、二ヶ月に一度のペースで手紙が届いたが、村に帰るといった内容のものは無かった。まさか、本当にルーンの騎士になれたのだろうか? 確かにキルーフは幼いころからルーンの加護があったが、だからといって、彼が本当にルーンの騎士になるとは思ってもいなかった。ルーンの加護があれば騎士になれるのは確かだが、だからと言って、加護があればすぐになれるというものでもない。騎士になるためには厳しい訓練が必要だ。その訓練に、キルーフが耐えられるとは思えなかったのだ。だが、何度手紙をやり取りしても、騎士としてリオネッセを護衛しているから帰ることはできない、という返事しかなかった。どうやら本当に騎士になったようだ。幼馴染として、それは喜ばしい事なのかもしれない。しかしそれは、キルーフはもう村に戻って来ないということを意味していた。
自分もルーンの加護を授かった時は複雑な気持ちだった。騎士になる資格がある――つまり、キルーフと一緒に王宮に仕えることができるかもしれない。それは素直に嬉しい。しかし、自分なんかが騎士になれるのだろうか? という不安は、当然、あった。畑仕事と狩りの経験しかない自分に、騎士の素質があるとは思えない。だが、きっとキルーフも、仕官する前は同じ気持ちだったはずだ。彼だって、騎士になるに前は不安だっただろう。彼は、その不安を乗り越えたのだ。なら、自分にもできるはずだ。バーリンは、同じ時期にルーンの加護を授かったガロンワンドの後押しもあり、仕官を決意した。それが間違いではなかったと、今、キルーフの笑顔を見て思う。
これからよろしくね、キルーフ――そう、言おうとしたが。
「――お前らが仕官したと聞いたら、リオネッセのヤツ、スゲー喜ぶと思うぜ!」
そう言ったキルーフの笑顔は、さっきバーリン向けた笑顔よりも、もっと輝いていたから。
バーリンは、思わず口を閉ざしてしまう。
キルーフは、さらに言う。「リオネッセも、いつも気丈に振る舞ってるけど、本当は寂しいんだと思うぜ。ときどき、王宮の屋上で村の方を見てるもんな。王宮にはたくさんの人がいるけど、みんな、リオネッセに対して、女王として接するんだ。まあ、当たり前と言えば当たり前なんだが、そういうの、アイツにとっては余計な気遣いなんだと思うぜ。俺だって、ずっとアイツのそばにいれるわけじゃないし、もっと気楽に話せるヤツがいればいいと、ずっと思ってたんだ。お前たちがいてくれれば安心だ。いいか? リオネッセに変な気を使うんじゃないぞ? あいつは確かに女王だが、俺たちはガキの頃からの付き合いだ。そこは、ずっと変わりない。村にいた時と同じように接した方が、リオネッセも喜ぶ」
リオネッセ、リオネッセ、リオネッセ……キルーフの口から出て来るのは、リオネッセの話ばかりになった。
それを聞いていると。
――あーあ。やっぱり、来るんじゃなかったかな。
バーリンの胸に、さっきとは逆の気持ちがこみあげてくる。
判っていたことだった。キルーフの心は、常にリオネッセに向けられている。そもそも彼が仕官したのは、ただリオネッセのためだ。リオネッセが一人で王宮に行くことを心配し、彼女のそばにいてずっと護るために騎士になると、村を出る時、みんなの前で宣言している。思えば、子供の頃からずっとそうだった。川で釣りをしていて大物が釣れると、彼は真っ先にリオネッセに持って行く。山で綺麗な花を見つけると、彼は真っ先にリオネッセに持っていく。山で遊んでいて野犬に吠えられた時、彼は真っ先にリオネッセを守る。彼にとってはリオネッセだけが特別な存在であり、自分はガロンワンドと同じ、仲の良い友達の一人に過ぎない。それなのに、あたしは、何を期待していたのだろう? ほんの一年で、彼の心が何か変わっているとでも思ったのだろうか? そんな訳はない。彼はリオネッセしか見ていない。リオネッセの事しか考えていない。それは、ずっと前から判っていたはずなのに。
やっぱり、村に帰ろう。彼のそばにいても、きっとつらくなるだけだ。昔のように。
「――よし! そうと決まれば善は急げだ! さっそく、王宮へ行こうぜ!」
ガロンと共に王宮の方へ歩き出すキルーフ。
「あ、待って、キルーフ」
彼の背中に呼びかける。キルーフは振り返り、「なんだ?」と、首を傾けた。
「あの……やっぱり、あたし――」
村に帰るよ――そう言いかけたのだが。
「あれ? お前、それ――」
キルーフが、バーリンの胸の辺りを指さした。
バーリンの胸には、薄いブルーの石で作ったペンダントがある。子供の頃、キルーフからプレゼントされた物だ。
「それってもしかして、俺がガキの頃プレゼントしたやつか?」キルーフは、驚いているようだった。
ドキリとするバーリン。もう十年以上昔の話だ。まさか、キルーフが覚えているとは思わなかった。
「え? あ、いや……まあ、そうだけど」
「あんなガキの頃のプレゼント、まだ持ってたのか、お前」小さく笑うキルーフ。
「な……なんだよ。あたしの勝手だろ? 悪いのかよ?」
恥ずかしさもあって、思わずきつい口調になってしまうバーリン。ああ、またケンカになってしまう。そう思ったのだが。
「いや、別に悪いってことは無いけど……そっか。お前、大切にしてくれてたんだな」
思いに反し、キルーフは、しんみりとした口調で言った。
「別に……大切になんか……」
予想外の反応に、戸惑ってしまうバーリン。
キルーフは、さらに続けた。
「嬉しいよ、ありがとう」
それは、今までで一番の、優しい言葉と、そして、笑顔だった。
顔が紅潮していくのが、自分でも判る。恥ずかしい。逃げ出したい。
でも、同時に。
――嬉しいよ、ありがとう。
その言葉が、バーリンの胸にしみこんでいく。彼にとってはなんでもない言葉なのかもしれないが、バーリンにとっては、何よりも嬉しい言葉だった。
バーリンは、胸のペンダントをぎゅっと握りしめる。
このペンダントも同じだ。彼はこの石を、リオネッセではなくあたしにプレゼントしてくれた。彼にとってはなんでもないことなのかもしれないが、あたしにとっては、何よりも大事な宝物だ。
村でキルーフたちと暮らしていたときのことを思い出す。彼は、ずっとリオネッセしか見ていなかった。それがつらかった。彼のそばにいれば、この先もずっと、同じ思いをし続けることになるかもしれない。
でも。
彼との思い出が全部つらい事ばかりなのかと言えば、絶対に、そんなことは無い。
ならば、これからもきっと。
「……バーリン? どうかしたか?」
キルーフが、心配そうにバーリンの顔を覗き込む。
――ええい、仕方ない。
バーリンは拳を握ると。
ぽかり、と、キルーフの頭を叩いた。
「――いってぇな! いきなり何すんだよ!」頭を押さえ、怒るキルーフ。
「うるさい。何となくだよ」バーリンは、笑いながら言った。「それよりキルーフ。あたし、おなかすいちゃった。お城に行く前に、何か、おいしい物食べさせてよ。キルーフのおごりで」
「はぁ? 何で俺がおごらなきゃいけないんだよ?」
「当然だろ? わざわざ遠い所から会いに来てやったんだぜ? さあ、行こう! ガロンも、はやくはやく!」
キルーフの腕を引っ張り、ガロンを手招きで呼ぶ。
「まったく……ワケがわからん」
キルーフはまた呆れ顔になったが、すぐに、クスリと笑う。
「なんだよ? 気持ち悪い」目を細めるバーリン。
「あ、いや。なんと言うか、やっとお前らしくなったな、って」
「え?」
「さっきからお前、妙によそよそしかったからな。何かあったんじゃないかって、心配したぜ」
「ま……まあ、こっちにも、いろいろと都合があるんだよ」
「都合?」
「いいから。それより、はやく飯を食わせろ」
バーリンはキルーフとガロンの腕を引っ張った。
――もう、ごちゃごちゃ考えるのはやめた。あたしは、あたしらしくしていればいいんだ。
バーリンの胸に、もう迷いは無かった。