エストレガレス帝国領、オルトルートとトリアの中間地点にある小さな宿場町の酒場で、ノルガルドの魔術師ゼラフィンは一人静かに酒を飲んでいた。王の命により、大陸を巡る旅をしている途中である。陽はまだ高く、酒を飲むには少々早い時間、酒場にはゼラフィンの他に数人の客がいるだけだった。
大陸を巡る旅を命じられている身としては、少なくとも暗くなるまでの間は、周辺を探索するなり情報を集めるなりするべきであろう。噂では、この街の北にある大きな湖にはこの世のものとは思えないほど美しい島があるとかないとか言われている。真偽不明の話ながら、行ってみる価値はありそうだ。
他にも、南に行けば忘れられた遺跡があり、西の街道沿いにはたっぷりのハチミツが入った大きな釜が置いてあり、東の渓谷には小さな吊り橋を我が王国だと言って占拠しているおかしな男がいる、など、様々な噂話が耳に入っている。そういう場所ではなんらかの武具や魔法道具を入手したり、あるいは修行になるような出来事が起こったり、運が良ければ在野の騎士や野良モンスターと出会って味方にできることもある。もちろん、何も無かったり、運が悪いと怪我をしたり病にかかったりすることもあるが、そういった様々な経験をすることが、大陸を巡る旅の目的なのだ。
だが、今日のゼラフィンはどうしてもそんな気分になれず、早々に呑み始めてしまった。いい歳をして祖国から遠い小さな町の小さな酒場で一人酒を啜ることに情けなさを覚えるが、だからこそ呑まずにはいられないのだ。
ゼラフィンは、先王ドレミディッヅ時代よりノルガルドに仕えてきた騎士だ。先王時代は前線の部隊に配属され、ドレミディッヅが戦死したリドニー要塞を巡る戦いにも参加していた。あの戦いでは王のすぐ近くに配置されていたものの、敵の奇襲に気づくのが遅れ、ドレミディッヅはゼメキスによって討たれた。ゼラフィンは、すぐ近くにいながら主君を守ることができなかったことを悔い、今度こそ主君を守ると誓って、現王ヴェイナードに仕えている。
だが、そんな彼の誓いもむなしく、現在ゼラフィンは王を守るどころかどこの戦地にも配属されず、こうして大陸を巡る旅を命じられる有様である。ゼラフィンが仕官して間もない若手の騎士であるなら納得できる。大陸を巡る旅は修行の一環であり、これを積み重ねて急成長する騎士は多いのだ。だが、ゼラフィンは先王時代より仕える古株であり、
杯の酒を飲み干し、ゼラフィンは新たに酒を注ぐ。それに口を付けようとしたところで、突然、どん、とテーブルが叩かれた。
「なあ、あんた、ひょっとしてルーンの騎士か?」
近くの席で呑んでいた中年の男が、ゼラフィンのテーブルに手をつき、顔を覗き込むようにして言ってきた。その顔は赤く、目は座っており、テーブルを支えにしないと立つこともままならない様子だ。かなりの酒が入っているようだ。
「聞こえねぇのか? あんたはルーンの騎士か、って訊いてんだ?」
店中に響くほどの大声を出す酔っ払い。仕方なく、ゼラフィンは「そうだが?」と答えた。
「やっぱりそうか、そうじゃねぇかと思ったんだ!」酔っ払いはテーブルをバンバン叩きながら言う。「俺はな、昔ルーンの騎士にひでぇメに遭わされたんだ。それ以来、騎士を見ると
酔っ払いは景気づけとばかりに持っていた酒瓶の中身をぐびっと飲み、ふらつく足取りで店の外に向かった。言いがかりもいいところだが、相手はとても冷静に話ができるような状態ではない。無視することもできるが、そうするとますます騒ぎ始め、店に迷惑がかかるかもしれない。
「なにしてやがる! 逃げるんじゃねぇぞ! さっさと来い!」
ゼラフィンは仕方なく酔っ払いの後について店の外に出た。
昼過ぎの宿場町は行き交う人も多い。酔っ払いは人目を気にすることもなく、大通りのど真ん中でゼラフィンを振り返り、胸の前で拳を構えた。
「俺はこう見えても昔はちびっこ拳闘士大会でベスト64に選ばれたことがあるんだ。吠え面かくなよ?」
昔過ぎるし何人の中から選ばれたのかも判らないし何人だろうと低い順位であることに変わりないが、もはやツッコミを入れる気にもなれない。
「行くぜ!」
酔っ払いがパンチを放つ。もちろん、足取りさえおぼつかない酔っ払いのパンチはヘロヘロで、ストーンゴーレムでも余裕でよけられそうな遅さだ。かわすのも面倒なので、そのまま受ける。ゼラフィンは魔術師だから身体はあまり鍛えていないが、それでも痛くもかゆくもない。
「……へへ、少しはやるようだな」ふらつく足で間合いをとって構え直する酔っ払い。「どうした、来いよ? ビビってんのか? ああん?」と、挑発までしてくる。
ゼラフィンは仕方なく、軽くパンチを放った。それは酔っぱらいのみぞおちにまともに入る。酔っ払いは吹っ飛ぶように後ろに倒れた。
「ぐおおぉぉ! いてええぇぇ! 死ぬううぅぅ!」
酔っ払いはみぞおちをおさえてのた打ち回る。もう一度言うが、ゼラフィンは魔術師である。得意とするのは魔法を使った戦闘であり、肉弾戦は不得手だ。それでも、相手のパンチは一切効かず、こちらのパンチはどんなに手を抜いても的確に相手を仕留めることができる。これが、ルーンの加護を持たない者と持つ者の差である。一般人が騎士にタイマンでケンカを売るのは自殺行為に等しいのだ。ゼラフィンは温厚な性格なので、どんなに理不尽に絡まれようと酔っ払い相手に本気を出すことは無いが、中には気が短い騎士もいるのでみんなも気を付けよう。
ゼラフィンは酔っぱらいを助け起こそうと手を差し出した。すると、酔っ払いはがばっと身を起こし、超一流の拳闘士も
「まいりましたぁ! 私の負けでございます! これを差し上げますから、どうか命ばかりはお助けを!!」
酔っ払いが取り出したのは木の板を円盤状に切って加工したものだった。それがふたつ。一見しただけでは何に使う物なのか判らない。よく見ようと身を乗り出す。
「覚えてやがれええぇぇ!」
ゼラフィンが木の板に気を取られている隙に、酔っ払いは定番の捨て台詞を残してものすごい速さで逃げて行った。さっきまでと違い、とても酔っ払っているとは思えない足取りだった。
やれやれ、と、ゼラフィンは酔っ払いが置いていった丸い木の板を拾う。一見どころかじっくり見ても何に使うものか見当もつかない。こんなものどうしろと言うのだ、と、あきれる。ノルガルドでは戦力外通告に近い扱いを受け、旅先では酔っ払いに絡まれあげくに訳の判らない物を押し付けられる。つくづくやってられない。ゼラフィンは酒場に戻って呑み直すことにした。