ノルガルドの首都フログエルの王城の会議室には、王ヴェイナードをはじめ軍師グイングラインや先王姫ブランガーネなど多くの騎士が集まっていた。王の命により、急遽召集されたのである。中には戦士ルインテールや魔術師ゼラフィンなど、普段はあまり戦略会議に出ることのない騎士の姿もあった。
「会議の前にひとつ言っておきたいのだが――」
全員が席に着くなり、まずブランガーネが口を開いた。戦略会議において王よりも先に発言することは礼を欠く行為であるが、そのようなことを気にするブランガーネではない。王もすでに慣れているので、「なんでしょう、姫」と、咎めることなく促す。
「西の戦線のザマはなんだ? せっかく占領した旧パドストーの領土を、あっさりカーレオンに奪われおって」
その鋭い目を、なんの遠慮もなく王に向ける。昨年二月のキャメルフォード侵攻に始まり、カルメリー、ファザード、と、一年をかけて旧パドストー領の大部分を占領したノルガルド。その間、キャメルフォード奪還を目論むエストレガレス帝国からの再三の侵攻も退けてきたのだが、今年の二月下旬に南のカーレオンにファザードを占領されると、その後わずか二ヶ月ほどで三つの拠点すべてを手放すことになってしまった。その西の戦線を指揮していたのが、他ならぬヴェイナードである。
「こんなことなら、領土交換に応じて同盟を結んでおけばよかったものを。せっかくの良い話を王の独断で破棄した上に、その相手に攻め込まれて領土を奪われるなど、もはや笑い話だ」
ノルガルドとカーレオンの会見で、賢王カイは旧パドストーの領地と旧イスカリオの領地を交換することを申し出たのだが、ヴェイナードはこれを受け入れなかった。結果、二国は交戦状態となる。その後カーレオンは西の領土を次々と奪い取ったが、ノルガルドは東の戦線でアスティン侵攻に失敗し、カーレオンから領土を奪い取るには至っていない。ブランガーネにしてみれば文句のひとつも言いたくなるだろう。西の戦線を指揮していたのが王でなければ、他の騎士から苦言を呈されてもおかしくはない。
「同盟の件に関しては、姫にご相談もせず我々だけで決めてしまったことは申し訳なく思います。ですが、あの国と同盟を結ぶ道はありません。我らは我らの手で大陸制覇を成し遂げてみせます」
「さんざん敗北を繰り返した身でよく言う」
「申し訳ない限りです。言い訳にもなりませぬが、現在戦力をジュークスに集結させておりますゆえ、無駄に戦力を失うわけにはいかなかったのです」
「ジュークスに? 聞いておらぬぞ」
ブランガーネは思わず身を乗り出した。他の騎士たちも、虚を突かれたようにざわめく。
「エストレガレスやカーレオンに悟られぬよう、極秘のうちに行いました。すでに部隊編成は整いつつあります」
「リドニーを落とすつもりか?」
ブランガーネが問う。ジュークスに兵を集結させる理由は、それ以外にないだろう。
ヴェイナードは「その通りです」と頷いた。「この会議の主題はそれです。今回のリドニー侵攻は、現ノルガルドの精鋭部隊をもって挑みます。今度こそ、ぬかりはありません」
リドニーはジュークスの南にある要塞だ。エストレガレスの首都ログレスに直結する最重要拠点であり、それだけに守りは極めて堅い。リドニー要塞最大の強みは、フォルセナ大陸で最も流域面積の広い川の中州に建っていることである。渡るための橋はドラゴン一体がどうにか通れる程度の幅しかなく、大軍での進軍は困難を極める。そのため、対岸での待ち伏せという単純な戦法で容易に迎撃されてしまうのだ。水上モンスターや高空モンスターを中心とする部隊を編成したとしても、それを統べる騎士の方が水上での行動を著しく制限されるため、思うように効果を上げることはできない。リドニーはフォルセナ大陸にいくつかある天然の要塞の中でも最も侵攻が困難で、ノルガルド軍は先王ドレミディッズ時代から、いや、それよりもはるか前の建国時代より、この砦に侵攻を阻まれてきたのだ。
ブランガーネは、「フン」と言って、椅子の背もたれに体を預けた。「そういうことなら、まあお手並み拝見といこう。リドニーを落とせば、ここまでの失態は帳消しにできるほどの成果だからな。また姉に気を取られてしくじるでないぞ」
最後に皮肉を言い、この話はこれで終わらせるつもりだったブランガーネだが。
「姫にとっても他人事ではございませぬ。リドニー侵攻には、姫の部隊にも入っていただきますゆえ」
ヴェイナードの言葉に、ブランガーネは驚く。
「
「はい。我が国の精鋭部隊をもって挑むと申し上げた通りです。姫の弓の腕前は、いまや我が国一、いえ、もはや大陸一と言っても過言ではないでしょう。特に、昨年イスカリオに侵攻された際、ターラ城に立て籠もって耐え忍び、相手が消耗したところで反撃に転じてすぐさま領土を奪い返した手際はお見事でした。いま東の戦線が維持できているのは、姫のおかげです」
「なっ……!」
思わず言葉を失うブランガーネ。よもやヴェイナードからそのような言葉をかけられるなど、思ってもみなかったようだ。
「いかがされました?」と、ヴェイナードはどこかからかうような口調で続ける。「見込み違いでしたら、代わりの者を出撃させますが」
「ふざけるな! 妾の代わりなどいるものか!」ブランガーネは再び身を乗り出した。「貴様も、ようやく妾のことを認める気になったか。よかろう。妾の力で、リドニーを落としてみせる!」
「期待しておりますよ、姫」そう言った後、ヴェイナードは他の騎士たちを見た。「いま言った通り、次節リドニーへ侵攻する。この作戦には、現在の我が国の精鋭部隊をもって挑むゆえ、他の城の部隊配置に大きな変更が出る。グイン」
ヴェイナードはグイングラインの方を見た。グイングラインは頷き、話を引き継ぐ。
「では、リドニー侵攻に伴う新たな配置を伝える」
グイングラインは騎士一人一人に新たな赴任先を命じていった。
「――配置は以上だ。皆、心して当たれ」
「は!」
王の言葉に、騎士たちは右拳を左掌で包む仕草で応じた。他に話が無ければ、これで会議は終了となるのだが。
「――陛下、よろしいでしょうか?」
そう言って手を挙げたのは、カークモンドという名の男だった。ノルガルドの名家出身で、先王時代より仕えている騎士である。
王が発言を許可したので、カークモンドは続ける。「先月アリライムの捕虜収容所が襲撃され、捕虜が何名か逃走しました。襲撃したのは、レオニア解放軍とみられます」
「アリライムが?」
声を上げたのはブランガーネだった。これまでレオニア解放軍について調査していたのが彼女である。
レオニア解放軍は、ノルガルドとレオニアの併合に反発し、各地で破壊活動を行っている反乱分子の集まりである。その活動はこれまで旧レオニアの領土内に限られていたが、アリライムはノルガルドの西端にある城だ。かつてはパドストーとの国境を守っていた城であり、東のレオニアからは対極に位置すると言っていい。旧レオニアの領土以外で解放軍の活動があったのは、これが初めてだ。
「誰か派遣して、調査いたしますか?」グイングラインがヴェイナードに問う。「逃げた捕虜を捕らえ、処刑する必要もあります」
「いや、いまはリドニー戦に全戦力をそそぐ。捕虜ごときに構っている暇はない。調査はリドニー戦を終えてからでよかろう」
王の言葉に、グイングラインは「御意」と短く答えた。
その後、いくつか細かい議題を話し合い、会議は終了となった。
会議が終わり、魔術師ゼラフィンは城内の自室で一人酒を飲んでいた。会議後、多くの者はその足で新たな赴任地へ向かったが、ゼラフィンは自室に戻り、酒を飲むことにしたのだ。日はまだ高く、酒を飲むには早い時間だが、そんなことにもすっかり慣れ、もう罪悪感を抱くこともない。
窓から外を眺める。城の中庭には多くの雪が積もっているが、空は晴れ渡り、降り注ぐ日差しは少しずつ温もりを増している。庭の中央に立つ大きなモミの木に降り積もった雪が溶け、地面に滴となって落ちていく。四月、寒冷地ノルガルドでは国土の多くにまだ雪が残っているが、平地では少しずつ春の気配も感じ始めている。そう遠からず雪は姿を消し、この国も遅い春を迎えるだろう。
だが、ゼラフィンの胸中は万年雪が積もっているかのごとく冷やかであった。
ドアがノックされた。どうぞ、と促すと、ドアを開けたのは先ほどの会議でレオニア解放軍の襲撃を知らせたカークモンドだった。
「失礼しますよ」と入ってきたカークモンドは、真っ昼間から酒を飲むゼラフィンを見て、「おや、これはいけませんなぁ。こんな明るいうちから
「構わんよ」
ゼラフィンが椅子を促すと、カークモンドは「では、失礼して」と座った。ゼラフィンはカークモンドにグラスを渡し、酒を注ぐ。
「それでは、乾杯」
グラスを掲げるカークモンドに付き合い、ゼラフィンも「乾杯」とグラスを合わせる。カークモンドはグラスの半分ほど飲み、「うーん、いい酒ですな」と唸った。ゼラフィンもグラスに残っていた酒を飲み干した。
カークモンドは、ゼラフィンと同じく前王時代よりノルガルドに仕える魔術師である。名家の出身らしく温厚な性格をしており、ヴェイナードが王位に就いて以降、王宮内で発生した先王派と現王派の対立において橋渡し的な役割を担ってきた騎士である。ゼラフィンはノルガルドの古株の中では珍しく現王派であったため、ルインテールやロードブルら先王派の騎士からは疎まれることもあったが、そこをうまく取り持ってくれたのもカークモンドだった。そして、先王派の騎士も現在は現王ヴェイナードの才覚を認め始めており、最大の問題となると思われた先王の娘ブランガーネも以前と比べればおとなしくなっているため、王宮内の対立は無くなりつつある。
カークモンドはゼラフィンが飲み干したグラスに酒を注いだ。「いよいよリドニー侵攻が始まりますな」
「そのようですな」
酒を受けながら、ゼラフィンは短く答える。
「おや、覇気がありませんなあ。ノルガルド一世一代の大勝負になるやもしれぬのですぞ?」
「そうかもしれんが、私の関せぬ地で行われるのであれば、覇気の出しようもない」
ゼラフィンは注がれた酒を一気に飲み干すと、「最近は、どうも陛下に必要とされていないように思える」と、胸の内にある不満を口にした。
カークモンドは、空になったグラスに黙って酒を注ぐ。
先王ドレミディッヅの時代、ゼラフィンはリドニー要塞を巡る戦いに参加したが、ゼメキスの特攻に気づくのが遅れ、すぐそばにいながら王を守ることができなかった。そのことを悔い、今度こそ主君を守ってみせると誓ったゼラフィンは、前王派と現王派の対立の中でも現王派を貫いてきたのだ。
「――二度と悔いる戦いはしない、今度こそ王を守ってみせる、と意気込んでいたのに、此度の作戦で私が配置されたのはゴルレだ」
ゴルレは、捕虜収容所が襲撃されたアリライムのさらに南西に位置する城だ。現在ノルガルドとカーレオンの国境を守る城でもある。リドニーからはほど遠く、これで王を守るなどできるはずもない。
「その前は、大陸を巡る旅を命じられていた。この歳で新米騎士のような扱いだ。いまさら出世など望んではおらんが、居ても居なくてもいいというのではかなわん」
ひとしきり愚痴を言った後、またグラスの酒を飲み干すゼラフィン。あおるような飲み方になっていた。
テーブルにグラスを置いたが、カークモンドはそれ以上酒を注がず、瓶を横に置いた。
「確かに、我々にはもう出世は望めないかもしれませんな。しかし、居ても居なくてもいいというのは、違いますな」
そう言った後、カークモンドは視線を窓の外へ移した。ゼラフィンもそちらを見る。中庭の大きなモミの木が見える。
木を見つめながら、カークモンドは言う。「どんな木も、地面に根を張らなくては立つことすらままなりません。我々は、ノルガルドという大木を支える根っこなのですよ」
「ノルガルドの根っこ……」
復唱するように言ったゼラフィンに、「ええ」と頷いて、カークモンドは続ける。「ゴルレは対カーレオンの生命線です。これ以上ヤツらの侵攻を許してはならない。それは、ゼラフィン殿の手にかかっているのです。もしカーレオンがゴルレに侵攻してきて、ゼラフィン殿が敗れれば、敵はノルガルドの奥深くまで侵攻してくることになります。リドニーで戦う陛下の背後に迫ることになるのですぞ。ゴルレを守るのは、重要な任務です」
「それは、そうかもしれぬが」
「大陸を巡る旅もそうです。今回急遽リドニー侵攻を行うことになったのは、ゼラフィン殿が手に入れた
水グモは、ゼラフィンが前回の旅で手に入れたものだ。旅の途中で立ち寄った酒場で絡んできた酔っ払いから押し付けられたのである。最初はただの丸い木の板にしか見えず、何に使うものか皆目見当もつかなかったのだが、念のため持ち帰って調べてみると、意外にもそれは魔法の武具だった。水グモは東方の小さな島国に伝わる『忍び』が使う武具のひとつで、靴のように履くことで水上を自由自在に歩くことができるのだ。
つまり、騎士も水上で制限を受けず行動できるようになる。
リドニー要塞は大河の中央に浮かぶ小さな島にあり、陸上部隊が進軍するには狭い橋を渡る必要がある。そのため、橋の向こうで待ち伏せされ、ドラゴンやヒュドラなどのブレスで返り討ちにされることが多い。
だが、水グモがあれば、騎士も水中モンスターや高空モンスターと共に水上から攻めることができる。戦略の幅が大きく広がり、これが、今回のリドニー侵攻へ繋がったのだ。
カークモンドはさらに話を続ける。「今回の戦いにはノルガルドの精鋭部隊をもって挑むのですから、必ずや成功するでしょう。戦場には出られずとも、ゼラフィン殿も今回のリドニー侵攻の立役者の一人なのです。陛下たちもそれは認めているでしょう。戦いの主役は陛下や姫や軍師たちかもしれませんが、彼らの活躍の陰にゼラフィン殿がいることは間違いありません。我々は、木と同じなのです。ノルガルドという大木に陛下たちが花を咲かせることができるのは、我々根っこが養分を吸い上げているからですよ」
「根っこが養分を吸い上げるか、なかなかうまいことを言う」
「ええ。恐らく我々の名が歴史に残ることは無いでしょう。しかし、それでもいいではないですか。木が大きくなればなるほど、根も、より深く、より広く伸びていかなければなりません。これからノルガルドがさらに勢力を伸ばすためには、我々の存在が欠かせないのです」
「ふふ、そうだな」
小さく笑い、庭のモミの木を見る。その根元はまだ雪に埋もれているし、たとえ雪が溶けても根を見ることはできないが、地面の下には間違いなく存在する。そうでなければ、あれほどの大木が立っていられるわけがない。
ゼラフィンはカークモンドに視線を戻し、「そなたの言う通りだ」と、大きく頷いた。「根っこには根っこの戦いがある。我々は、我々にできることをやって、主君を支えればいい」
「その意気です」
カークモンドは、改めてゼラフィンのグラスに酒を注いだ。
「では、ノルガルドを支える根っこに乾杯」
今度は、ゼラフィンからグラスを奉げる。
「乾杯」
ふたりはグラスを合わせ、酒を飲む。いつも飲んでいる酒だが、その一口は、久しぶりにうまいと感じた。
どさり、と、中庭で音がした。モミの木の枝に降り積もっていた雪が落ちたようだ。
そこには、冬を越えたいくつもの細葉が、ようやく訪れた春の日差しを求めるように、空に向かって広がっていた。
ふたりは、冬でも葉を落とすことのないモミの木を見つめる。
春、モミの木は新芽が吹き、やがて花が咲く。