エストレガレス帝国領オークニーは、ノルガルドの第二軍師モルホルト率いる兵八万に迫られていた。
帝国軍の総大将は、双子騎士の姉ミラである。兵の数は、副将として部隊に入った妹ミレの兵を含めて五万。決して充分な数ではないが、オークニーはすぐ北に起伏の激しい荒れ地が広がっており、大軍での進攻は困難を極める。荒れ地の丘の上で待ち伏せすれば、三万の兵力差を覆すことはそう難しいことではない。
無論、懸念点もいくつかある。ひとつは、敵将モルホルトの存在だ。彼は旧アルメキアでも五本の指に入るほどの軍略家であり、かつてノルガルドとの国境を守る城だったオークニーでの戦い方を熟知しているのだ。実際、彼がノルガルドに仕官した直後、難攻不落と思われたこのオークニー城をわずかな兵で制圧している。
しかし、オークニー城の戦い方を熟知しているという点においては、ミラとミレも負けてはいない。二人は、このオークニー城でこれまでの人生で最大の修羅場を経験した。それは二年半ほど前、二人がまだ千の兵を率いる新米騎士の頃だ。ログレス王宮での軍略会議に呼び出された二人は、突然兵二万ずつを与えられ、皇帝ゼメキスを主攻とするオークニー奪還作戦に組み込まれたのだ。あの時は必死だった。自分たちがしくじったせいで皇帝が討ち取られようものなら、その時点で国が亡ぶほどの深刻な事態に陥るのだ。結果的にその奪還作戦は見事成功し、その後、二人で防衛の任にも就いた。この経験は二人にとって極めて大きく、今でもこのオークニー城を巡る戦いには大きな自信がある。
とはいえ、今回の戦いには、あの時主攻を務めたゼメキスはいない。他の戦地に回っているため仕方がないことではあるが、それでも、代わりに入ってくれるのが王妃エスメレーや四鬼将であれば心強いし、そこまでいかなくとも、魔導の名門カールセン家の当主ランギヌスや、神官騎士団長ローコッド、あるいは、プライベートで話したことはなく絶対に友だちになれそうにないが任務には忠実な忍びの者シラハ辺りだったら、まだなんとかなったかもしれない。そう、もうひとつの懸念点は、今回ミラ・ミレとともに戦うのが、彼らには遠く及ばない騎士であることなのだ。
オークニー城の見張り塔に立ち、ミラは北の荒れ地に目を凝らした。遠く離れた街道の先に、わずかな砂埃が立ち上っている。敵が進軍している証だ。こちらも迎撃の準備をしなければならない。
北からの侵攻に対し、全軍城に立て籠もって戦うのはこのオークニーでは得策ではない。北の起伏の激しい荒れ地を活かさない手はないのだ。作戦として定石なのは、一部隊が城に残り、残りの部隊は北の街道を挟む左右の丘にそれぞれ陣取って待ち伏せすることである。地の利がある丘の上で敵を迎え撃ち、敵が消耗したところで総大将の部隊が城から出撃して敵将を討つのである。また、もし丘を巡る戦いが不利となれば、一度撤退してそこから改めて守城戦に持ち込むこともできる。長期戦になれば、防衛側は有利になる。
この戦法を行うに当たって理想的なのは、ミラが城に残り、ミレともう一人が丘に陣取ることである。魔術師であるミレが広範囲の魔法で敵軍を弱らせ、そこへ槍騎士であるミラが突撃する。これまで何度も行ってきた作戦だ。二人はこの三年の間に多くの経験を積んだ。相手が軍師として名高いモルホルトであろうと充分戦えるであろう。懸念があるのは、もうひとつの丘に陣取ってもらう騎士だった。
ランギヌスの息子・レインである。
レインは、見張り塔から敵軍が舞い上げる砂埃を見てみるみる青ざめていった。昨年十月上、ミレに会おうとログレスを訪れ、その場の流れで仕官することになってしまったレイン。通常、仕官後はまず訓練場に入り、ある程度鍛えられてから戦場に出ことになる。しかし、騎士不足のエストレガレスではそんな余裕はなく、レインはいきなりカーナボンの防衛部隊に配属されることになった。幸か不幸かカーナボンが戦場になることはなかったのだが、ここまでレインは戦闘の経験はおろか訓練さえもまともに受けていないのである。その上、仕官する前は実家に引きこもっていたという生粋のもやしっ子だ。ハッキリ言って戦力として期待することは難しく、あのウソツキ魔術師や生臭坊主の方がはるかにマシであろう。
「――姉さん、そろそろ配置につかないと」
同じく見張り塔で北を見ていた妹のミレが言った。いまさら軍編成を嘆いても仕方がない。帝国の戦力不足はどこも同じだ。いや、三部隊入っているだけでまだマシな方かもしれない。城によっては、二部隊一部隊で守っているところもあるのだ。
「そうね」と、ミラも覚悟を決める。「じゃあ、配置はどうする? 右の丘はミレに陣取ってもらうとして、左の丘は……」
ふたりの目がレインに注がれた。その視線(といよりはミレの視線)を感じたレインは、それまでの怯えた表情をきりりと引き締める。
「いや、ミレは後ろに下がってて。僕が必ず守ってみせるから」
勇ましいことを言うが、顔は青ざめたままだからなんの説得力もない。
「レイン様に万が一のことがあれば、ランギヌス様に申し訳ありません。レイン様の方こそ下がっていてください」
気遣うように言うミレ。ミレは、レインの実家であるカールセン家の養子として育てられたため、レインは義理の兄にあたる。その父であるランギヌスには大恩があり、ミラとしても、レインの身に何かあったら申し訳ないと、
兄としての面目丸つぶれなことを言われたレインは、「……うぅっ」と唸った。戦いの経験がミレに劣ることは明白であり、その点において反論の余地は無い。
それでもレインは、めげることなく言う。「確かに、僕はミレに比べたら
三年間最前線で戦ってきた妹と三年間家に引きこもってウジウジしてた兄の差がちょっとなワケないだろ、というツッコミはどうにかガマンするミラ。というか、どうもこの男はミレの前でやたらカッコつけたがるクセがある。これはもしや……と、ミラは勘ぐる。
「お気持ちだけで充分です」と、ミレは優しい口調で言い聞かせる。「今回の戦いは、あたしたちにお任せください」
そして、ミラの方を見た。「姉さんは、左の丘に入って。あたしが魔法で敵軍を弱らせるから、姉さんがトドメを」
「……そうね。そうしましょうか」
仕方なく、ミラはその作戦に同意する。本来はレインに左の丘に入ってもらうべきなのだが、戦力としてはアテにならないし、ミレがそちらに気を取られてしくじるのも困る。現状なら、それが最善策だろう。
「では、レイン様はこちらで見ていてください。あたしたち、必ず勝利してみせますので」
そう言い残し、ミレは右の丘に向かうため階段を下りて行った。
「ミレ~」
レインはミレの背中に向かって言うが、その情けない声はもう届かなかった。やれやれ、悪気はないとはいえ、ミレもミもフタもないこと言うわね、と内心ため息をつくミラ。しかし、すぐに気を引き締め直し、自分も左の丘へ向かう。余計なことを考えている場合ではない。何としてでも、このオークニーは守らなければならない。
先月、密かにジュークス城に兵を集中させていたノルガルドは、白狼ヴェイナードや弓騎士ブランガーネら精鋭部隊をもってリドニー要塞へ侵攻し、これを制圧した。リドニーがノルガルドに制圧されるのは、フォルセナ大陸の歴史上初めてのことだ。そのすぐ南には王都ログレスがある。エストレガレス帝国は、喉元に刃を突きつけられた状態だ。
とはいえ、ノルガルドがいきなりログレスへ侵攻する可能性は低い。戦略上、周辺のカドベリーやファートなどの拠点を制圧してからでないと危険だ。ミラたちが守るこのオークニーも、ログレス侵攻前に制圧しておきたい拠点のひとつであろう。ゆえに、帝国にとっては死守しなければならない拠点である。他の城はリドニーやオークニーのような天然の要塞ではない。ここも落とされると、他の拠点も雪崩式に落とされかねない。
この重要な戦いにレインが配置されたことはミラにとって大きな懸念だが、一方で、ノルガルドにとっても懸念となりうるかもしれない、と、ミラは密かに考えている。敵将モルホルトは旧アルメキアの軍師であったため、そのアルメキアから戦力を引き継いでいる帝国騎士の実力は充分に把握している。しかし、仕官して間もないレインの情報だけは充分ではないはずだ。レインには、魔導の名門カールセン家の長男という肩書きがある。いかにその実態が元引きこもりで訓練無し実戦経験ゼロのもやしっ子であろうとも、相手はそれを知る由もないのだ。その大きすぎる肩書きは決して無視できないはずだ。モルホルトのような知略を持って戦う騎士は、事前に情報が無いものを嫌う。まして、定石である魔術師二人で左右の丘に陣取るという戦法を捨て、情報が無いレインが後方に陣取るという奇策に出れば、相手は警戒せざるを得ないだろう。そこに、付け入る隙が生じるはずだ。後は、得意の双子の連携で、必ず勝利を掴み取ってみせる。
ミラも、配置につくべく丘へ向かう。