メリオットがデスナイト・カドールに拉致された事件から、半年が過ぎた。
賢王カイは、リンニイスの西にあるケール城の一室で、眠り続けるメリオットに寄り添っていた。彼女の目は、この半年の間、ずっと閉ざされたままだ。
「メリオット……いつまで眠っているつもりだい? いつも、僕の寝坊をからかっていたくせに」
ベッドのそばに置いた椅子に腰かけたカイは、両手を組み、眠り続けるメリオットに話しかける。半年間、毎日そうしてきた。無論、眠り続けるメリオットはなにも反応しない。メリオットがいない王宮は、まさに灯が消えたかのようだった。「たいへんたいへーん!」と走り回る姿を微笑ましく思っていたあの日々が、今はただ懐かしい。
半年前、デスナイト・カドールに拉致されたメリオットを救出するため、カイとディナダンは帝国との戦いを放棄してカドールを追った。そして、あと少しで救出できると思われたその時、カドールの投げたナイフを背に受け、メリオットは倒れた。そのナイフには呪いがかけられており、以来、メリオットの意識はずっと戻らないままだ。どんなに治療の魔法を施しても効果は無く、無論、医者にも手の施しようがなかった。それは、カドールが使った呪いが古代魔法の一種であることを意味していた。
死んでいるわけではない。だが、生きているとも言えない。
古代魔法は、大陸一の魔術師と噂されるカイですら、その存在を古い文献で読んだことがある程度だ。詳しいことは判らない。その詳細を知っている者がいるとすれば、恐らくこの出来事の元凶であろう魔導士ブロノイルだ。だが、あれ以降姿を見せていない。
眠り続けるメリオットを救うため、カイは古代魔法の調査を始めた。自国の古い書物はもちろん、あらゆる
それでも、メリオットが目を覚ますことはなかった。
「僕は、なんのために騎士になったんだろうね」
カイは、メリオットの手を取り、そっと握りしめた。
「前に、ディナダンにも言われたよ。『一人の人間を幸せにできない者に、多くの人を幸せにできるとも思えない』ってね。ホントにその通りだよ。メリオット一人守ることもできないのに、騎士だなんて、よく言えたもんだ」
己の無力さを痛感する。静かなる賢王、大陸一の知恵者……そんな呼び名も、今はただ虚しいだけだ。望むのはささやかな幸せ――そんな小さな望みさえ、叶えることができない。
「メリオットは覚えているかな? あれは、君が五歳になったばかりのことだ。父上の狩りに、連れて行ってもらったことがあっただろ?」
カイは、眠り続けるメリオットの意識をどうにか引き戻せないかと、話を続ける。
「あの時、森の中からキツネが現れて、襲われそうになった。僕は何もできなくて、危うくメリオットに大怪我をさせるところだった」
幸いメリオットは無傷だったが、メリオットをかばったカイは大怪我をし、一節の間入院を余儀なくされた。そして、ようやく会うことができたメリオットは、大粒の涙を流して泣きじゃくった。
「あの時、僕は誓ったんだ。大切な妹を悲しませないために、強くなろう、って」
カイがルーンの加護に目覚めたのは、それからほどなくのことであった。
それ以降、カイは魔法の猛勉強を始めた。魔導国家と呼ばれるカーレオンには優秀な魔術師がたくさんいる。彼らに教わり、次々と魔法を取得していった。アルメキアの魔導学校へも留学した。優秀な教師と学友に囲まれたカイはみるみる成長し、やがて、大陸一の魔術師と噂されるまでになった。魔法以外にも、統魔力やモンスターについて、あるいは戦術や兵法など、戦いに必要なことは積極的に学んだ。無論、そもそも戦いにならぬよう、外交や経済政策などを学ぶことも怠らなかった。外交には欠かせない情報収集にも力を入れ、それらの分析にも力を注いだ。いくさが始まっても、決して他国に負けなることはないという、確かな自負があった。
なのに。
「僕は、一番守りたかったものを、守ることができなかった」
メリオットの手を強く握りしめる。どんなに魔法を学ぼうと、どんなに戦略を学ぼうと、どんなに政治を学ぼうと、目的を果たすことができなければ、全て無意味だ。
カイは、己の無力さに顔を伏せ、涙を流した。
その涙が頬を伝い、カイが握りしめたメリオットの手に、流れ落ちた。
その瞬間。
ぴくり、と、メリオットの手が、動いた。
はっとして、カイが顔を上げると。
「――もう、お兄ちゃんたら、シャツがシワシワだよ?」
メリオットは微笑みを浮かべながら、小さく弱々しい声で――しかし、ハッキリとした意志を持った声で、言った。
「メリオット――」
カイは、言葉を発しようとして、やめた。
そして、ただ、強く、その手を握りしめた。
「――ずっと、真っ暗な場所にいたの。周りに誰も居なくて、呼んでも誰も返事してくれなくて、怖くて、寂しくて、一人で泣いてた」
眠り続けていた間のことを、メリオットはそう話した。それが呪いの力なのか、あるいはただの夢なのか、カイにも判らない。
「でもね、ずっと泣いていたら、お父さんの声が聞こえたの。『王家の血を引きし者が、いつまでも泣いてどうする。いかなる場合も、民のために為すべきことをし、その責務を果たすのだ』って、叱られちゃった」
「そうか、父上が」
カイはほほ笑む。夢か呪いかは判らないが、それは本当に父の言葉だったと、信じることにした。
「だからあたし、立ち上がって、歩き続けて……そしたら、お兄ちゃんの声が聞こえたの。あたしの名前を呼んで、心配してて……その声がする方に、ずっと、ずうぅっと、歩き続けたの」
カイは、毎日のようにメリオットのそばで話しかけ続けた。もしかしたら、それが通じていたのかもしれない。
話をしていたメリオットは、何かに気づいたような顔になる。
「あたし、どれくらい眠ってたの? 帝国やノルガルドとの戦いは、どうなったの?」
身体を起こそうとするのを制し、横になっているよう言った。
「大丈夫。メリオットは、そんなこと気にしなくていいんだ。待ってて。すぐに、医者を呼んでくるから」
そう言って、カイは立ち上がる。握りしめていた手を離し、外に出ようとする。
「お兄ちゃん」
妹の声に、扉に手をかけたまま振り返った。
「すぐ戻って来てね」
どこか寂しそうな顔で言う妹に、「もちろんだよ」と、笑顔を返した。
カイは、部屋を後にする。
信頼できる者にメリオットが目覚めたことを告げ、ケール城を後にした。
城の外には、約二万の兵と、ドラゴンやクレイゴーレム、グールといったモンスター、そして、ディナダンやシュスト、ボアルテにシェラたち、カーレオンの主要な騎士が待機していた。
カイはその前に立つ。
「皆、ヤケを起こさないように。落ち着いて戦えば、勝機はあるから」
短く、その思いを告げる。騎士たちは、王の言葉を信じ、力強く頷く。
そして。
カーレオン軍は、最後の戦場へ向かった。