宿敵ブロノイルを追って大陸中を旅する流星のハレーは、ノルガルド領ダマスから南のウィズリンドへ向かい街道を歩いていた。しばらく動きを見せなかったブロノイルが、半年ほど前のオルトルートを巡る帝国とカーレオンの戦いに現れたとの情報を掴んだのだ。大陸中を巻き込む大戦を引き起こし、そのいくさを煽ろうとしているブロノイル。これまでの調査でそこまでは判明したものの、その先に何を見据えているのかはいまだ判らない。ただ言えることは、ヤツの企みは成就しつつあるということだ。開戦から間もなく四年。次々と国が亡ぶも、いまだ戦いに終わりは見えない。完全に泥沼化している。全てはブロノイルの思惑通り進んでいるはずだ。何としてでも、奴の企みを暴き、阻止しなければならない。でなければ、このフォルセナ大陸は、いや、この世界そのものが、大変なことになる予感がする。
先を急ぐハレーだが、まるでその行く末を暗示するかのように、空には分厚い黒雲が広がっていた。すぐにひと雨くるであろう。足を早めたハレーだったが、ぽつりぽつりと滴りはじめた雨足はハレーの足よりも早く、すぐに本降りとなり、やがて地面に叩きつけるようなどしゃ降りになった。どこか雨を避ける場所は無いかと周囲を見回すと、東側の小高い丘の上に一本の大きな木が見えた。木の枝はたくさんの葉を蓄えて広がっており、充分な雨避けにりそうだ。ハレーは丘をあがり、木の下に駆け込んだ。
「こんにちは、ひどい雨だね」
樹の下には先客がおり、駆け込んだハレーに笑顔で話しかけてきた。褐色の肌をした少女だった。そうね、と、ハレーは身体の雨粒をはらいながら答える。
「これ、良かったら使って」
少女は、ポケットからハンカチを取り出してハレーに差し出した。ハレーは礼を言い、ありがたく使わせてもらった。
雨は降り続き、しばらく動けそうにない。二人は降り続く雨を眺めながら、とりとめのない会話をする。
半時ほど経ち、特に話すこともなくなった頃、少女は大きくため息をつき、「やっぱり来ないか」と、悲しみを帯びた笑みを浮かべた。
「……どうしたの?」ハレーが訊く。
「あたし、フラれちゃったみたい。ま、それは最初から判ってたんだけどね」
少女は明るく答えたが、その裏に悲しみを隠すような声だった。
意味を測り兼ね、ハレーは首を傾ける。
「ごめんね、変なこと言って」
少女は謝った後、事情を話し始めた。
「実はあたし、ここで待ち合わせしてたの、幼馴染と。故郷に帰ろう、って」
少女の故郷は、旧レオニア領の山奥にある小さな村だという。
十六歳の時、彼女の幼馴染は夢を追って都会の街に出たそうだ。少女も、その幼馴染を追い、後から村を出たという。
「でも、いろいろうまく行かなくてね。もう、全部イヤになっちゃったんだ。だからあたし、アイツに言ったの。もう故郷の村に帰ろう、全部忘れて、村で静かに暮らそうって」
そして、今日、この木の下で待ち合わせをした。
「あなたが来たとき、アイツが来たって思ったんだ。全然似ても似つかないのにね」
少女は、「ホント、バカだよね、あたし」と、ひどく苦味を帯びた笑みを浮かべる。「アイツが来るはずないのに」と、期待していた自分を恥じるように言う。
ハレーは何も言わず、少女を見つめる。その幼馴染の夢というのが何なのかは判らないが、その彼は、少女よりも夢の方を選んだのだ。
少女は、懐からペンダントを取り出した。淡いブルーの石を皮の紐に取り付けただけの簡素なものだ。
「子どもの頃、アイツから貰ったんだ」
そう言って、少女はペンダントを首から外す。
「……捨てるの?」
ハレーは、少女の思いをくみ取るように言った。
「そうしたいけど、ずっとできないでいるの」
自嘲するように、少女は小さく笑う。何度も捨てようと思ったが、そのたびに彼との思い出が溢れだしてきて、どうしても捨てられなかったという。
少女は、一度ペンダントをぎゅっと握りしめると、それをハレーの方に差し出した。
「これ、貰ってくれない?」
「え? いや、そんな大事なものを貰うわけには……」
戸惑うハレーに、少女は助けを求めるかのような表情で続ける。
「ここで手放さないと、あたし、ずっと捨てられないと思うの」
幼馴染への想いを断ち切りたい――少女の目は、そう訴えかけていた。
ペンダントの石は、形はいびつで、輝きもない。子どもの頃に貰ったと言っていたから、たまたま見つけた綺麗な石をプレゼントされたのかもしれない。少なくとも、高価な宝石とかではないだろう。少女のためになるのなら、と、ハレーはペンダントを受け取った。
雨はいつの間にか小降りになっていた。一面に広がっていた黒雲も薄くなり、ところどころに青空が覗いている。じきにやみそうだ。
「さてと、あたしは、もう行こうかな」
少女は気持ちを切り替えるように少し大きな声で言った。あるいは、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「気を付けてね」
ハレーは、少女が次の恋へ踏み出せるようにとの祈りを込めて、笑顔で見送る。
だが、少し丘を下ったところで少女は立ち止まり、心残りがあるかのように振り返った。
「……もし、後でアイツが来たら、そのペンダントを渡して、こう伝えてくれないかな? あたしたち、これからは別々の道を歩むことになるけど、思いはずっと一緒だから、って……」
幼馴染への未練を、覗かせる。
だが、少女は今の言葉を打ち消すように、大きく首を振る。
「ううん、やっぱりいいや。アイツが来るわけないし」
最後の未練を断ち切るように、言った。
「……あ」
少女が空を見上げた。少女が向かう方向の空に、大きな虹がかかっていた。雨は上がり、さっきまでのどしゃ降りがウソのように、青空が広がっている。
ハレーは、しばらく虹を見つめる。
気が付くと、少女はいつの間にかいなくなっていた。
「……がんばってね」
ハレーは少女の未来に幸せが待っていると信じ、旅を再開する。