「父上が、アルメキアのランス王子と接見するだと!?」
パドストー公国・カルメリー城の一室で、パドストー王子・メレアガントは、配下の兵士の言葉に、思わず怒りの声を上げた。
暖かな春の日差しが降り注ぐのどかな午後のことだった。その日は特に重要な公務も無く、自室でくつろいでいたメレアガントだったが、昼を過ぎた辺りから、城内がにわかに騒がしくなり始めた。何事かと城内警備の兵に訊いたところ、父王・コールが、アルメキアのランス王子と接見するとの答えが返ってきたのである。一国の王が他国の王子と会うとなれば極めて重要な国事だが、メレアガントには何も知らされていなかった。まして、アルメキア王国は先月のクーデターによって滅び、王太子ランスは、クーデターの首謀者・ゼメキスから追われている身である。
「いったいどういうことだ!?」
怒声を浴びた配下の兵は、震える声で答える。「は……はい! 申し訳ございません!! 我々には、それ以上の情報は入っておりません! 申し訳ございません!!」
まるでこれから死刑でも宣告されるかのような表情で頭を下げる兵士。その卑小な態度にメレアガントはさらに苛立ったが、それをこの兵士にぶつけても意味は無い。一護衛兵に過ぎないこの男に詳細が伝わっているはずはないだろう。この兵士を問い詰めても無駄だ。
「ブルッサムはどこだ!」
さらに声を荒らげるメレアガント。ブルッサムは、メレアガントの補佐を務めているパドストーの重臣である。
「謁見の間にいらっしゃると思われます!」
ちいっ、と、舌打ちをするメレアガント。謁見の間にいるということは、ブルッサム自身は今回の件を知っていたのだろう。自分だけが蚊帳の外だったのか。
「くそう! どいつもこいつも、俺を馬鹿にしおって!」
メレアガントは腹立ちまぎれにそばにあったテーブルを蹴り上げた。上に置かれていた花瓶や燭台が派手な音をたてて床に散らばり、兵士は「ひぃ!」と、小さな悲鳴を上げた。「メ……メレアガント様、どうかご容赦を!!」
なんの罪もないのにそのまま土下座でもしそうな雰囲気の兵士を放っておいて、メレアガントは部屋を飛び出し、謁見の間へ向かった。
――ランス王子め! このような時に我が国を訪れるなど、どういうつもりだ! その接見を許すなど、父上も何も考えておられる!!
怒りを全身から発しながら、メレアガントは回廊を進む。城に仕える兵や従者達は、メレアガントの怒りのオーラを敏感に感じ取り、ある者は部屋に逃げ、ある者は決して目を合わさぬよう廊下の隅で頭を下げた。その姿は、さながら嵐が過ぎ去るのを家の中で震えながら待つ人々のようだった。
旧アルメキア――現在のエストレガレス帝国の西に位置する国・パドストー。かつてはアルメキアの領土であったが、アルメキアの建国百年を機に独立。以後、百年以上に渡り、アルメキアに忠誠を誓ってきた西の大国である。
メレアガントは、現パドストー王・コールの一人息子で、パドストーの王太子だ。現在二十五歳。パドストーの王族は生前退位が一般的であり、現国王コールが歴代最高齢の六十二歳であることを考えると、メレアガントはすでに王位に就いていてもおかしくはない。だが、王はいまだ退位の意思は見せていなかった。高齢にもかかわらずほぼすべての公務を一人でこなし、城内の者や国民からは『老王』という呼び名で親しまれていた。
――老王は、若君を王に相応しくないと考えている。
城内はもとより、パドストー国中にそのような噂が立っているのを、メレアガントは知っていた。噂ばかりではない。王はメレアガントに王位を譲る気配はおろか、政治事に対する相談すら一切なく、全てのことを王一人、もしくは自身の側近のみで決めてしまう。今回のようなことは珍しいことではないのだ。だからこそ、メレアガントの胸の内は、父に対する不満で溢れかえっていた。
謁見の間の扉を蹴破らんばかりに開き、中に入るメレアガント。室内の者の視線が一斉に注がれる。謁見の間は縦に長い広間だ。入口から奥まで朱色の絨毯が敷かれ、その両脇には槍を携えた護衛兵が等間隔で並んでいる。広間の奥は一段高くなっており、その中央に、きらびやかな装飾がほどこされた王座が置かれてある。そこに座る豊かな白髭を蓄えた老人こそ、メレアガントの父であり、パドストー公国の王・コールである。そして、部屋の中央には、黄金色の鎧を着た少年と、お付きの騎士と思われる男が跪いていた。アルメキア王子ランスと、親衛隊隊長のゲライントだろう。
「騒々しいぞ、メレアガント。何事じゃ」
王座に座るコール王が、重々しい口調で言った。
「それはこちらの台詞です、父上」メレアガントは、大股で王座まで歩く。「このような接見を私に相談なく行うなど、一体どういうおつもりですか?」
「はて? わしはこの国の王であるぞ? なぜそなたに相談する必要がある?」
「私はいずれ父上の後を継ぎ、王となる者です」
「血の繋がりだけで王位を譲るつもりは、わしには無いがのう」
「し……しかし、父上!」
「もうよい、下がれ。無礼であるぞ!」
一喝されるメレアガント。さらに食い下がろうとしたが。
「――坊ちゃま。お気持ちは判りますが、今は接見中にございます」白髪交じりの長い髪を首の後ろで結わえた初老の男に止められた。「お話はこのブルッサムめがお伺いしますので、どうぞ、こちらへ」
メレアガントは、初老の男に連れられ、高座の端へ下がった。メレアガントの他にも、パドストー公国の重臣が控えている。
「ブルッサム――」と、メレアガントは初老の男を鋭い目で睨んだ。「貴様、今回の接見を知っていたのか?」
「はい。今朝、陛下より直接お聞きしました」ブルッサムは、メレアガントの視線を気にした風もなく、淡々とした口調で答えた。
「なぜそのことを俺に報告しない!?」
「陛下より、坊ちゃまにお知らせする必要は無い、と、仰せつかっておりましたので」
「貴様、父上と俺、どちらに仕えているのだ?」
「私は、陛下の命により坊ちゃまに仕えております」
相変わらずのブルッサムの態度に、メレアガントは大きく舌打ちをした。
ブルッサムは、古くからパドストー公国に仕える騎士の一人だ。かつては『疾風のブルッサム』という呼び名で戦場でも広く知られた存在であったが、老いを感じ、一線から身を退いた。今は本人の言葉通り、コール王の命により、メレアガントに仕えている。役職上はメレアガントの補佐官であるが、その忠誠心はメレアガントよりもコール王に向けられているのは誰の目にも明らかであった。城の者からは陰で『若君の御守り役』と言われている。ブルッサム本人も、口にこそ出さないが、内心そう思っているのだろう。その証拠に、何度注意しても、二十五歳のメレアガントのことを「坊ちゃま」と呼び続けている。
「愚息が失礼をいたしました、ランス王子、ゲライント殿。お詫びさせていただきますぞ」コール王は、下座に跪くランス王子達に軽く頭を下げた。
大きく息を吐き出し、心を落ち着かせようとするメレアガント。父やブルッサムからの扱いは腹立たしいが、今はランス王子のことが問題だ。一体何が目的でこの国を訪れたのか。そして、父はこの者たちをどうしようというのか。
「それでは、堅苦しい挨拶は抜きにして……ランス王子。本日は、一体どのようなご用件で参られたのかな?」
コール王の声が、客人を迎えるものから威圧するような声に変わったのを聞き、メレアガントは胸の奥で安堵の息をついた。
父が自分に断わりも無くこのような席を設けたことは大いに不満であったが、これが『謁見』であることには、メレアガントは満足していた。
『謁見』とは、身分の低い者が身分の高い者に会うことである。ランスがアルメキアの王太子であることを考えれば、コール王がこの謁見の間で会うことは大きな間違いである。パドストー公国は、かつてはアルメキアの属国であった。現代ではその主従関係は無くなったが、それでも立場は対等、もしくは、パドストーが謙譲する立場であり、パドストー王がアルメキア王子を迎えるならば、アルメキア側を高めた会合の席を設けるべきである。それを、コール王は『謁見』とした。つまり、ランス王子を下に見ているのである。コール王は長年アルメキアに忠誠を誓うという立場を貫いて来ていたため、ランス王子に対するこの扱いは異例とも言えた。無論、アルメキアは事実上滅亡状態にあるので、もはやランスは王子ではない。メレアガントにしてみれば、この『謁見』は、極めて正当なのである。それを王自身の判断で行ったことは大きな意味があった。
アルメキア王国は、もう存在しない。
パドストー公国は、アルメキアの属国ではない。
コール王の前に跪くランスの姿は、そのことを如実に表していた。
「――このたびは、流浪の身である我らをお迎え頂き、誠に有難うございます」
口を開いたのはランスではなく、側近の騎士ゲライントだった。「すでにご存じのことと思いますが、我が国アルメキアは、逆賊ゼメキスに奪われてしまいました。ヘンギスト王と王妃様は討たれ、生き残った者は、我々と、わずかな兵のみ」
「ふむ。誠に嘆かわしいことじゃ。我らとしても、心を痛めておる」コール王は髭をさすった。「それで、ランス殿。これからどうするおつもりじゃな?」
ゲライントが答える。「ゼメキスは、自らを皇帝と名乗り、エストレガレス帝国の樹立を宣言しました。我らとしましては、一刻も早くゼメキスを討ち、祖国を奪還したいと考えております」
「しかし、ゼメキス軍はアルメキア最大の勢力で、その上、クーデター時にはアルメキア軍の大半がゼメキス側に付いたと聞いておる。失礼ながら、今のそなた達の兵では、少々難しいのではないかね?」
「無論、心得ております。コール王! 無礼を承知で申し上げます!」ゲライントの声がひときわ大きくなる。「我らに、パドストーの兵をお貸しください!!」
ゲライントの申し出に、広間は大きくざわめいた。高座の脇に控えていたパドストーの重臣たちは顔を見合わせ、警護の兵たちも大きく息を飲む。ただ一人、コール王だけが表情ひとつ変えず、まっすぐな視線をランスに向けていた。
まず声を荒らげたのはメレアガントだった。「――何をバカなことを!! 文無しの分際で、我が国から兵を借りるだと!? ふざけるな!!」
「無礼は百も承知しております! コール王。どうか、我らに力を!!」
ゲライントの言葉と共に、ランスと二人、深く頭を下げた。
メレアガントは高座の中央まで出て行った。「王子をかくまってくれと泣きついて来たのかと思いきや、よくもそのような戯言を!! 父上!! このような者の言うことなど聞く必要はありません! 即刻出て行ってもらいましょう!!」
だが、コール王はメレアガントを無視し、相変わらず表情を変えることなく言う。「兵を貸せとは豪儀な申し出じゃな。して、どの程度の兵が必要とお考えじゃ?」
「十万……いえ、五万をお貸し頂ければ、必ずや、ゼメキスめを討って見せます」ゲライントは力強く宣言する。
「五万だと!? 我が国の兵の四分の一に匹敵する数ではないか!!」メレアガントはコール王を見た。「父上! このような話に耳を傾けてはなりませんぞ! まったく……戯言を言うにも限度というものが――」
「メレアガント――」コール王が、怒気を抑える声で制した。「少し黙っていろ」
「し……しかし、父上!」
メレアガントはさらに何か言おうとしたが、ブルッサムに制された。
コール王は、視線をランス達に戻した。「失礼をした。だがランス殿。メレアガントの言う通り、五万の兵は簡単に貸せるものではない。何より、エストレガレスの兵はその十倍以上にもなると聞く。五万程度では、到底勝ち目はないと思うが?」
ゲライントが答える。「確かに、数の上での不利は明確。しかし、アルメキアは我が母国であり、地の利はこちらにあります。少数でも、隙を突いて攻め入れば、必ずやゼメキスの首を――」
「わしはランス殿と話をしておるのじゃ!」怒りに満ちた声を上げるコール王。「ゲライント殿、そなたも少し黙っていてもらおうか!」
コール王は温厚な性格で知られており、このような怒声を上げる姿など、メレアガントは見たことが無かった。パドストーの重臣や護衛兵も動揺している。ただ一人、ブルッサムだけが顔色一つ変えず、様子を見守っていた。
「……御無礼をいたしました」ゲライントは深く頭を下げた。
コール王は大きく頷き、視線をランスへ移す。「ランス王子。先ほどから一言もしゃべっておらぬが、どういうおつもりかな? まさか、アルメキアの時期王は、国の行く末を左右することを、全て家臣に任せきりなのかね?」
「いえ……大変失礼をいたしました。お許しください、コール王」
初めてランスが口を開いた。まだ大人の男としての重みをもっていないが、よく通る声だった。
「ふむ。して、ランス王子。そなたはどう考えておる? 五万の兵で、ゼメキスを討てるとお思いか?」
「難しいかと思います」
ランスは、ためらうことなく言い切った。
予想外の答えに、広間がまたざわつく。
「お……王子……それは……」
ゲライントが何か言おうとしたが、ランスはそれを制した。「いいんだ、ゲライント。ここで虚勢を張っても無意味だ」
コール王は髭を撫でる。「難しい、とは、何とも気概無いことよ」
「申し訳ありません。ですが、敵は、かつてアルメキアで最強を誇ったゼメキス軍を中心とした部隊。決してパドストーの兵力を侮るわけではありませんが、やはり数が違いますし、何より、コール王やメレアガント殿、あるいは、パドストーの将軍が率いるならまだしも、我々のような余所者が率いたところで、兵の士気は上がらないでしょう。それであのゼメキスを討つなど、難しいと言わざるを得ません」
メレアガントは高らかに笑った。「――アルメキアの王子は随分と臆病者のようだ。そのような者に我が国の大切な兵を貸すわけにはいかん! 即刻出ていくがいい!! 貴様などをかくまっていては、我が国を攻める口実をゼメキスに与えるようなものだからな!」
だがランスは、まっすぐにコール王を見つめて言う。「コール王。たとえ我々が出て行ったとしても、ゼメキスは必ず攻めて来るでしょう。あの者が目指すは覇道。戦場こそが生きる道と、我らの前で宣言しました。その言葉通り、あの男は、戦いが己の価値を高めると信じております。戦闘は、避けられません」
ランスの視線を真っ直ぐに受けるコール王。厳しかった顔が崩れ、愉快そうな笑い声をあげた。「ほっほっほ。ここで根拠のない戦略や利己的な正義を語り始めたら、メレアガントの言う通り即刻出て行ってもらおうと思っていたが、ランス王子は物事を冷静に判断できる目を持っておるようじゃな。気に入ったぞ」
「父上! それは――」
声を上げようとしたメレアガントを、コールは片手を上げて制した。そしてランスに向かって言葉を継ぐ。「じゃがの、それだけでは我が国の兵は動かせぬ。兵は、我が国の大切な財産じゃからな」
そう言うと、コール王は髭をなで、何かを吟味するように天井を見上げた。
やがて。
「――ふむ。これは、いい機会かもしれんな」
視線を、ランスと、そしてメレアガントに移した。
「アルメキア王国時期王・ランス。そして、我が息子メレアガントに問う――王に最も必要なものとは何か?」
突然の言葉に、ランスと、そしてメレアガントも、言葉を失う。
その様子を、コール王はさも愉快そうに眺めている。「ほっほっほ。どうした? 二人とも。まさか、その歳になるまで、王になる心構えが無かったとでも言うつもりか?」
いきなりの事に驚いたメレアガントだったが、すぐに父の考えを悟った。父は、俺とランスを試そうとしている、と。
メレアガントは、ランスが口を開くより先に言った。「王に最も必要なもの――それは『権威』です! 権威こそが人を引き付ける! 権威無き者に人は従いませぬ! 万人を引き付け、従わせる力。それこそが、王に最も必要な物です!!」
「ふうむ、『権威』か……なるほどのう……」コール王はメレアガントの言葉を吟味するように何度かつぶやいた後、再びランスを見た。「では、ランス殿。そなたは、どう考える?」
ランスは、しばらく考えるような、あるいは、迷うような表情をした後、静かな口調で話し始めた。「王に必要な物、それは『信頼』だと思います。どんなに力のある者でも、人々からの信頼無くしては、国を動かすことなど――」
ランスは、そこで言葉に詰まる。何も言わない。広間が、沈黙に包まれた。
「ランス殿? どうされた?」コール王が先を促した。
「いえ……コール王、申し訳ありません」ランスは、深く頭を下げた。「今の私は、その問いに対する答えを、持っておりません」
あまりにも予想外の言葉に、広間は再びざわついた。
メレアガントが嘲笑する。「バカな!? 答えられないだと? アルメキアの王子は、随分と間抜けのようだ。こんな男が時期王などとは呆れる! 存外、ゼメキスに国を奪われて、民は幸せかもしれんぞ!!」
ゲライントが立ち上がった。「メレアガント殿!! 我が
だが、ランスがゲライントを制した。「いいんだ、ゲライント。今の僕は、何を言われても仕方がない」
「し……しかし……」
ランスはコール王を見る。「コール王。以前の私なら、あなたの問いに『信頼』と、お答えしたでしょう。しかし、私はあの夜、父と母を殺され、国を奪われ、憎き敵を前にしても一太刀すら浴びせることもできず、逃げ出すしかできませんでした。自分が、いかに無力な存在だったのかを思い知らされました。それまでの私は、なんの力も無いのに、自分は王になると……自分は、王にふさわしい人間だと思っていました。それは、とんでもない
「ふうむ、それは何じゃな?」
「私とゲライントが祖国を追われ、まず逃げ込んだのは、パドストーの国境近くにある小さな村でした。そこの村人は、素性も知れぬ我々を温かく迎え入れ、怪我をしたゲライントの治療をし、傷が癒えるまで、温かい寝床と、温かい食べ物を与えてくれた。彼らは、ずっと笑顔で我らの世話をしてくれました。ゲライントの傷が癒え、旅立った後も、立ち寄る先々の村や街で、人々は我らをもてなしてくれました。皆、笑顔で暮らしていました。恥ずかしながら、私はこの歳になるまでずっとログレスの王宮内で過ごし、国の外れで暮らす人々のことなど、考えたこともありませんでした。しかし、彼等は彼等で、それぞれの人生を生きている。こんな簡単なことに、私は、ようやく気付いたのです」
ランスは、道中の人々の笑顔を思い出したかのか、ふっと、顔をほころばせた。
しかし、表情を引き締め、続けた。「コール王。我がアルメキアにも、彼らのように笑顔で日々を送っていた人がいたはずです。ゼメキスはそれを奪った。そして、今またこの国に攻め入ろうとしている。この国の民の笑顔をも奪おうとしている! 私はそれが許せない! 私は、彼らの笑顔を護りたい! そして、アルメキアの人々にも笑顔を取り戻してほしい! コール王。兵を貸せと言ったことはお詫びします。そんな資格は、私にはありません。代わりに、この国の民の笑顔を護るため、引いては、我が国の民の笑顔を取り戻すため、どうか、その力をお貸しください!!」
ランスは、深く――深く、頭を下げた。
ゲライントも、それにならう。
長い沈黙。
メレアガントがそれを破った。「フン! なんだかんだ綺麗ごとを並べようとも、結局は兵を貸せということではないか! 父上! こやつらは、もはやペテン師も同然です!! 国から追い出すなど生ぬるい! 牢に閉じ込めてしまいましょう!!」
だが、コール王は。
ランスの言葉を聞き、満足げな表情で見ていた。
そして、一度大きく頷くと。
「――ゲライント殿。貴殿は、王子に良い教育をされているようじゃ」
「いえ、私など、何もしておりませぬ」かしこまるゲライント。
「謙遜せずとも良い。誠に、我が息子の教育もお願いしたいくらいじゃ。のう? ブルッサムよ」
高座の脇に控えていたブルッサムは、コール王に向かって深く頭を下げた。「お恥ずかしい限りにございます」
コール王はメレアガントを見た。「どうやら我が息子には、まだまだ王たる資質が足りぬようじゃ」
「父上! 何を――」
「メレアガントよ。そなたの申したことは間違いではない。王たる者、『権威』は必要じゃ。じゃが、それだけが全てではない。ランス殿の言おうとした『信頼』も、王には必要であろう。それに――」
王は、メレアガントだけでなく、ランスやゲライント、そして、この場にいる全ての者に向けて、語る。
「この地には、様々な王がいる。知力をもって国を統べる王。大いなる野望をもって国を統べる王。信仰によって統べる王もいれば、人柄によって統べる王もいる。ゼメキスのように武力をもって統べる王とて、歴史的に見れば、決して珍しくはない。誰が王として正しい姿なのか? 答えなど無いであろう。王に最も必要なものは何か――わしも長らく王を続けているが、まだまだ答えは見つからぬよ」
コール王は髭を撫でながら笑う。コール王が王位に就いて四十年以上。パドストー歴代最高齢の王は、力強い口調で続ける。
「じゃが、ひとつだけ確かなことがある。それは、国とは民があってこそのもの。王が国を統べる者ならば、王は、民のために存在するもの。決して、王のために民が存在するのではない。ランス殿は、そのことがよく判っておられるようじゃ」
コール王は、満足げな表情でランスを見つめた。
そして、表情を引き締め、王座から立ち上がった。「皆の者、よく聞け! 今日をもってわしはパドストーの王位から退き、その全権を、このランス殿に譲るものとする!!」
広間がどよめく。
パドストーの重臣たちはもちろん、護衛兵、ゲライントやランスも、驚きの表情でコール王を見る。
メレアガントも我が耳を疑わずにはいられない。王位を退く? ランスに譲る? 何を言っているのか判らない。
メレアガントはコールの前に立った。「お……お待ちください! 父上!! このような時に
「これは戯れなどではない! 元よりこのパドストーは、百年前、我が祖先がアルメキア王国より譲り受けたもの。それを今、返す時が来たのじゃ!」
コールは高座から降りると、ランスの前に跪いた。
「ランス様。これより我らはランス様の臣。我らの力、存分にお使いください」
ランスは動揺を隠せない表情だ。「し……しかし、コール王。今の私に、そのような資格は――」
「ほっほっほ。ランス様。謙虚なのは悪いことではないが、王となる者、時には我が息子のような自惚れも必要ですぞ」
「――――」
「ランス様――」と、ゲライント。「ここは、ゼメキスを討つため、コール王のお言葉、ありがたく頂戴いたしましょう」
ランスは、広間を見回した。最初は動揺していた人々も、コールが本気であることを悟り、その言葉を受け入れる表情になっている。
ランスは、大きく頷いた。「判りました、コール王。しかし、条件がございます」
「条件とな?」
「はい。コール王のお言葉は大変嬉しく思いますが、やはり今の私に、王たる資格はありません。私が王になる資格を得るとすれば、それは、奪われたアルメキアの王都ログレスを、ゼメキスの手より取り戻した時だと思っております。ですから、その日が来るまでは、決して、私のことを王などと呼ばないでください」
「――うむ」
「そして、私がゼメキスを打ち倒し、祖国を取り戻した暁には、この国を、コール王にお返しします。それでよろしいでしょうか?」
「ふうむ。それはちと困ったのう。わしも、もうこの歳じゃ。ランス様の力を信じない訳ではないが、それでもアルメキアを奪還するのは、一年や二年では叶いますまい。それまで、この老体がもちますかのう――」
コールは髭を撫でながら広間を見回し、そして、メレアガントを見た。「そうじゃ。ランス殿が祖国を奪還した際、我が息子メレアガントが王にふさわしい器となっていたならば、その時、パドストーをメレアガントに返す、それでいかがかな?」
おお、と、広間がどよめいた。
今の言葉は、コールがメレアガントに王位を譲る意向を示したことになる。
長きに渡り王位継承については口をつぐんできたコールが、条件付きながらも、ついにメレアガントを認めた。
パドストーに仕える者たちにとって、それは、非常に大きな言葉だった。
しかし、メレアガントは。
「冗談ではありませんぞ! 父上!! そのような条件、呑めるわけがありません!」
拳を握って叫ぶ。
「な……何を?」
まさか拒否されるとは思っていなかったコールは、目を丸くする。
メレアガントはランスを指さした。「その男が私の器をはかるというのならば、私もその男の器をはからねば不公平というもの!! エストレガレス帝国との
「な……このバカ息子が! このような時に戯れを言うものではない!!」
「これは戯れなどではありませぬ! この条件でなければ、私は決して認めませぬぞ!!」
メレアガントとコールは、奥歯をぎりぎりと噛みしめて睨み合った。
緊迫した空気を破ったのは、高らかに笑うブルッサムの声だった。皆の視線がブルッサムに注がれる。
「――いや、失礼をしました。つい先ほど、似たようなやり取りを見たものですから。陛下も坊ちゃまも、やはり、親子でございますな」
そして、ブルッサムはもう一度高らかに笑った。つられて重臣たちが笑い、ランスたちが笑い、護衛兵の顔にも笑顔が浮かんだ。
「コール王――」ランスがコールを見た。「私は、メレアガント殿の言う条件で構いません。私に王の資格が無く、メレアガント殿にその資格ありとなれば、私は喜んで、アルメキア王の座をお譲りします」
そしてランスは、メレアガントを見た。「メレアガント殿。御助力に感謝いたします。ともに力を合わせ、ゼメキスを討ちましょう!」
「フン! 誰が貴様の力など借りるものか! 俺は、俺の力でゼメキスを倒して見せる!」
メレアガントの態度に、コールは頭を抱えた。「……やれやれ。愚かな息子だと思っておったが、よもや、これほどまでとはのう」
コールは大きくため息をつくと、「まあよい」と言って、立ち上がった。
広間中を見回し、そして。
「――今この時より、パドストー公国はランス殿を中心とした新たな国家へと生まれ変わる! 新たなるパドストー公国の――いや、新生アルメキア王国の誕生である!!」
コールの宣言に、広間は拍手と喝采に包まれた。
☆
聖王暦二一五年三月下。
パドストー公国・コール王は、この日をもって退位。その全権を、旧アルメキア王太子・ランスに譲った。
パドストーは、新生アルメキア王国『西アルメキア』の樹立を宣言。エストレガレス帝国との徹底抗戦の構えを見せた。