ハドリアン砦をめぐるイスカリオとレオニアの攻防は、佳境を迎えていた。
怪鳥ロックの嘴を縛り爪を切り落とすという想定外の策にはまり、イスカリオ軍に大きく押し込まれたレオニア軍。城壁の上まで敵の侵入を許したものの、レオニアの政務補佐官であり最高司祭でもあるパテルヌスが指揮を取り、なんとか持ちこたえていた。だが、戦況はまだまだ不利だ。城壁を突破されれば、ハドリアンは落ちる。レオニア軍は北東のグルームという城まで撤退しなければならない。それだけは、何としてでも避けねばならなかった。建国以来、長らく自治を護ってきたレオニア。歴史上、このハドリアン砦を突破されたことはない。南からの侵攻は、全てここで食い止めて来たのだ。その砦を落とされたとあっては、兵の士気は著しく下がるだろう。逆に、イスカリオ軍の士気は上がる。そんな状態で、ハドリアンよりも護りが弱いグルームを防衛することは極めて困難だ。グルームの北は、もう聖都ターラである。ハドリアンの陥落は、レオニアの滅亡に直結すると言っても過言ではない。
キルーフは焦っていた。城壁の上は、敵味方入り乱れた混戦状態である。とりあえず目についた敵兵を得物である両手斧で叩き斬っているが、敵の数はいっこうに減る気配は無い。
このような戦況の場合どうするか――騎士になって一年。兵法は、神官騎士団長のアスミットから教わっていた。だが、決して頭が良いとは言えないキルーフ。城壁の上での戦い方も教わったはずだが、すでに記憶の中から抜け落ちていた。
――くそ! 兵法なんて関係ねぇ! 要は、敵の大将を叩けば勝ちだろ!!
キルーフは正面から斬りかかってきた敵兵を二人まとめて斬り捨てると、その場を離れ、城壁のへりの五十センチほどの柵の上に上がり、周囲を見渡した。敵の大将が城壁の上にいるという情報は聞いている。どんなヤツかは知らないが、偉そうにしているヤツがそうだろう。目を凝らして探す。いた。ここから少し離れた場所。キルーフと同じように一段高い場所に立ち、口元のちょび髭を自慢げに指で撫でながら、余裕の表情で戦況を見下ろす魔術師風の男。時折兵たちに指示を出しているので、間違いなさそうだ。キルーフは柵から飛び降りると、戦斧を振り回して走った。
「おらおらどけどけ! 怪我しても知らねぇぞ!」
危険を察知した味方兵は道を譲り、敵兵は切り捨てる。キルーフは、ちょび髭の男の元まで一直線に進んだ。
「おい! てめぇ! そこのちょび髭ヤロウ!!」
キルーフが叫ぶと、ちょび髭の男は不愉快そうな目を向けた。「なんですか、このガキは? 私をちょび髭ヤロウ呼ばわりとは無礼な」
「ケッ! 知るかよ! おいてめぇ! この俺と勝負しやがれ!!」
ちょび髭男は呆れたような表情になり、「バカなガキを相手するほど私はヒマではありません」と言った後、部下に「さっさと片付けてしまいなさい」と命じた。命令に応じた兵士五人が剣や槍を振りかざし、一斉にキルーフに襲い掛かる。
しかし、キルーフは斧を振り回し、兵士たちを一掃した。
ちょび髭男は、少し感心したような顔になった。「――ほう? ガキにしては、やりますね」
「当たり前だ! このキルーフ様を舐めんじゃねぇ!」
「キルーフ? はて、聞いたことがあるような、ないような……」ちょび髭男は懐から手帳を取り出すと、パラパラとめくった。「えーっと……ああ、ありました。女王リオネッセと同郷の幼馴染にして護衛騎士……なんと。こんなガキが、ルーンの騎士なのですか」
「そうだ! 少しは驚いたか!!」
キルーフは誇らしげに胸を張る。
しかし、ちょび髭男は驚いた様子もなく、すました顔で手帳を懐にしまう。「……まあ、どうせ縁故採用なのでしょう。リオネッセ様は女王になる前は政務とは無縁だった村娘。いきなり一人で王宮に連れて来られては、寂しいでしょうからな」
「うるせぇ! それより、てめぇがこの軍の大将か!?」
ちょび髭男は一瞬目を丸くした後、髭を人差し指に絡めながら笑った。「まあ、私の高貴な姿を見ればそう勘違いするのも仕方ありませんが、残念ながら違います。この軍を率いるのは偉大なるイスカリオの王・ドリスト陛下。私は、ドリスト陛下の右腕にしてイスカリオの頭脳、宮廷魔術師のキャムデン様です」
「クソ! 違うのかよ」舌打ちし、一瞬落胆したキルーフだったが、すぐにはっとなる。「……軍を率いているのが、イスカリオの王だと?」
「そうです。まあ、私はドリスト陛下の参謀でありイスカリオ1の軍師でもありますから、実質この軍を率いているのは私と言って良いでしょう」
「王が来てるなら話は早い。そいつを叩きのめせば、このいくさは俺たちの勝ちじゃねぇか!」
「このハドリアンも、なかなか守備の堅い城でしたが、我らイスカリオ軍の前では一日ももちませんでしょうな。まあ、私がちょっと本気を出せば、こんなものですよ」
「いや、このいくさだけじゃねぇ。王をやっつければ、イスカリオという国そのものが終わりだ。こんなチャンス、そうそうあるもんじゃねぇぞ」
「そんな偉大な私がガキを相手に本気になるのも大人気ないですからな。今日の所は見逃してあげましょう。その代わり、聖都に帰ったら、ドリスト陛下の右腕にしてイスカリオの頭脳、宮廷魔術師キャムデン様の恐ろしさを女王たちに語り、降伏を勧めてあげなさい」
「……待ってろよ、リオネッセ。すぐにイスカリオ王を倒してやるからな。このいくさ、俺が終わらせてやる!」
「……人の話を聞いているのですかね、このガキは」
「邪魔したなちょび髭! てめぇんとこの大将の首、この俺が貰うぜ!」
キルーフはイスカリオ王を探すため、その場を走り去ろうとした。
だが次の瞬間、目の前に炎の柱が燃え上がる。
「うお! なんだ!?」驚いて後方へ跳ぶキルーフ。
「……あなたみたいながガキが、ドリスト陛下の相手になるワケがないでしょう」ちょび髭男キャムデンが、杖をキルーフに向けて言った。どうやら、今の火柱はこの男の魔法らしい。
キルーフはキャムデンを睨む。「てめぇの仕業か! 邪魔するなら、てめぇからたたき斬るぞ!」
キャムデンは大袈裟にため息をついた。「やれやれ。身の程を知らぬというのは、恐ろしいですな。まあ、あなたみたいなガキを見逃して、その結果ドリスト陛下の手を煩わせた、なんてことがバレたら、後で大変な目に遭わされますからな。仕方ありません。この私が、お相手してさしあげましょう」
「へっ! 王様が怖いってか? そういや、聞くところによると、てめぇらの王は、ずいぶんと変わり者らしいな。自分勝手好き放題やって、国の中はメチャクチャらしいじゃねぇか? よくそんなヤツに仕えてるな」
「フン。私が誰に仕えようが、私の勝手です」
「まあ、確かにそうだがな。だが、仕える相手はよく考えた方がいいぞ? うちのリオネッセは、全ての人々が平等な国を造ろうとしているんだ。その理想を実現するために、俺たちは騎士となって、あいつに仕えている。てめぇんとこの王はどうだ? 全ての人々が平等な世界をつくれるか?」
「全ての人々に平等な世界を、うちの陛下が?」キャムデンは目を丸くした後、手のひらを振って応えた。「ムリムリ。うちの陛下に、そんなことできるわけがありません」
「……なに?」予想外の返答に、驚くキルーフ。
「ドリスト陛下は、とにかく自分が楽しければそれでいいというお方。平等な世界を造ろうなんて、そもそも考えもしないでしょう。それに比べて、そちらの女王は高い理想をお持ちようで。いやはや、羨ましい限りです」
「……お前。見た目はインチキ臭い詐欺師みたいだが、実はイイ奴なのか?」
「誰がインチキ臭い詐欺師ですか。まったく、失礼なガキです」
「ああ、すまんすまん。それより、そう思うんなら、レオニアに来いよ。仲間は大歓迎だ。一緒に、誰もが平等な世界をつくろうぜ」
「御免ですな」キャムデンは、きっぱりと言った。
「なに?」
「全ての人々が平等な世界なんて、まっぴら御免です。私は、私のように努力をした者が報われる世界をつくりたいのですよ。努力は必ず報われる……ああ、なんと素晴らしい言葉でしょう」
キャムデンは、己の言葉に陶酔したような表情になり、天に向かって祈るような仕草をした。
しばらく天を仰いだキャムデンは、キッ! と、キルーフを睨む。「そもそも、誰もが平等な世界なんて、成り立つわけがないでしょう? 少し考えれば、判りそうなモノですけどね」
「なんだと!?」
「努力した者としない者が同じに扱われて、それが良い世界なのですか? 一生懸命働いた者と、サボってばかりの者、どちらも賃金が同じなら、誰も働かなくなります。それで、国としてやっていけると思いますか? 誰もが平等な世界……いかにもインチキ臭い宗教家が言いそうなセリフですな」
「てめぇ! リオネッセの理想をバカにするのか!?」
「バカにしているワケじゃありません。真実を述べているだけです。違うというのなら、反論してみなさい」
「それは……」と言ったまま、次の言葉が出てこないキルーフ。
これまで、リオネッセの言う『誰もが平等な国』を、理想の国だと信じて疑わなかった。しかし、誰もが平等というからには、あの男の言う通り、働き者も怠け者も同じように扱うということだ。働こうが働くまいが賃金が同じなら、誰も働かなくなる。はたしてそれが、理想の国と言えるのだろうか?
キャムデンはバカにしたように笑う。「ほらごらんなさい。何も言い返せないではありませんか」
「うるせぇ! ごちゃごちゃと理屈ばかり並べやがって。俺が一番嫌いなタイプの人間だぜ。その曲がった根性、俺が叩き直してやる!」
キルーフは斧を構えた。
キャムデンは髭を人差し指にくるくると巻きつけ、弾いた。「ほほう。奇遇ですな。私も、理屈でかなわないから暴力に訴えるあなたのような人間が、一番嫌いなのですよ。よろしい。このキャムデン様の恐ろしさ、思い知らせてあげます」
キャムデンも杖を構える。
「面白れぇ! やってみやがれ!」
キルーフは斧を振り上げ走る。迎え撃つべく、キャムデンも腰を落とし、魔法を使うための精神集中を始めた。
と、その時。
鼓膜に針が刺さるような高く細い笛の音が、周囲に響き渡った。
「むむっ! あの音は!!」
精神集中をやめ、くるっと身をひるがえし、音のした方を見るキャムデン。
「うおっ!」
突然相手が身をひるがえしたため、キルーフの斧は大きく空振りし、そのまま勢い余って城壁の外に落ちそうになる。高さは十メートル以上。落ちたら命が危うい。なんとか踏みとどまるキルーフ。「おいてめぇ! いきなり避けんな!!」
キャムデンはキルーフの言葉を無視し、独り言のようにつぶやく。「撤退の笛の音? ここまで攻め込んでおきながら、一体なぜ……」
しばらく考えた後、キャムデンはっとした表情になり、懐から時計を取り出した。「おお! 陛下がお昼寝をされる時間ではありませんか!」
「あん? 昼寝だと?」
「仕方ありません。皆の者! 撤退! 撤退です!!」
キャムデンが叫ぶと、それまで戦っていた兵士は皆戦いを放棄し、我先にと城壁の下へと下り始めた。
「……おいおい。ホントに昼寝のために撤退するつもりか?」
「陛下のお昼寝の時間は絶対です。残念ですが、あなたをこんがりジューシー焼肉にするのは、また今度にしましょう」
「ケッ! 逃がすワケないだろ!」
再び斧を振り上げるキルーフ。
キャムデンはキルーフに背を向け、走り出した。
「待ちやがれ!」
追いかけるキルーフ。足の速さには自信があるが、追いつけない。差がどんどん開いて行く。どうやら、動きが早くなる魔法を使ったようだ。キャムデンはものすごいスピードで城壁の上を走り、梯子を下りると、あっという間に西へと走り去っていった。
キルーフは周囲を見渡した。城壁の上から、敵兵はすべて消えている。下を見ると、大勢の兵が、西へ向かって走っていた。突然のことにレオニア兵はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて、砦の防衛に成功したことが判ると、一斉に歓声を上げた。
「……ちっ!」
舌打ちするキルーフ。砦の防衛に成功したことは喜ばしいが、敵将を討ち損ねたこと、そして何より、リオネッセの理想とする世界を否定され、それに反論できなかったことが忌々しかった。
――リオネッセの理想が間違っているワケがねぇ! 誰が何と言おうと、俺はあいつの理想を実現して見せる!
キルーフは、迷いを振り払うように自分に言い聞かせ、改めてリオネッセを護ると心に誓った。