ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

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第二十三話 グイングライン 聖王暦二一五年六月下 ノルガルド/オークニー

 オークニー城の個室にて、ノルガルドの軍師・グイングラインは、テーブルの上に地図を広げ、その上に配置した多数の駒を見ながら、頭の中で策を巡らせていた。昼の会議にて、ひと月以内にエストレガレス帝国領のリドニー要塞を攻めることが決まった。地図は、リドニー付近のものである。リドニーは、アルメキア大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川の中央の島にある天然の要塞だ。ここを落とすため、グイングラインは開戦当初から準備を進めていた。船を用意し、水兵や高空兵の部隊も編制している。リドニーに駐屯している敵兵の情報も可能な限り集めている。地図上に配置した人や船の形をした駒は、自軍と敵軍の兵力を模したものだ。自軍の駒を動かすたびに、敵軍の動きを予想し、次の手を考える。自軍と敵軍の駒がぶつかれば、兵力を分析し結果を導き出す。そして、次の手を打つ。そこにあるのはただの地図と駒だが、グインの頭の中で、それは、実際の戦場を、はるかな空の上から見下ろした光景となる。多くの兵が戦い、倒れて行く。自軍の被害も少なくはないが、それでも少しずつ侵攻し、やがて、リドニーを陥落させる。

 

 グインはこれまでも、リドニー攻略の模擬戦を数えきれないほど繰り返して来た。勝率はすでに九割を超えているが、こういった模擬戦は、事前に何十回、何百回、何千回行おうとも、実戦でその通りに運ぶことはまず無い。どれほど万全を期そうとも、不測の事態というものは必ず起こるものなのだ。だが、そういった不測の事態に対応するためにも、さらに模擬戦を重ねる必要がある。グインは駒を元の場所に戻し、もう一度動かし始めた。

 

 ノックの音がし、続いて、「ノイエです。モルホルト様よりお預かりした報告書をお持ちしました」と、透き通るような声がした。グインが入るように促すと、扉が開き、小柄な少女が部屋に入った。一見すると従者のようだが、彼女もノルガルドに仕える騎士である。

 

 ノイエは報告書を差し出した。「オークニー城の守備に関する報告書とのことです」

 

 昼の会議にて、モルホルトはオークニー城の守備に就くことが決まった。騎士の誰を駐屯させるか、どのように兵を配置するか、などをまとめたものだ。

 

「ありがとう」

 

 グインが礼を言って報告書を受け取ろうとしたとき、ノイエが小さく咳をした。

 

「も……申し訳ありません」ノイエは口元を手で押さえた。

 

「いえ、お気になさらずに」グインは小さく笑いながら言った。「オークニーはノルガルドと違い温暖な気候ですが、急激な気温の変化は逆に体調を崩しやすいですからな。今日は早めに休まれるのがよろしかろう」

 

「はい、そうさせていただきます。では、失礼し――」

 

 ノイエの言葉は咳に変わった。手のひらで口を押さえ、こらえようとしているが、咳は止まらない。

 

「ノイエ殿? 大丈夫か?」

 

 駆け寄ろうとするグインを、ノイエは手のひらを向けて止める。「大丈夫……です……すぐに……治まりますから……」

 

 その言葉も、咳に埋もれて聞き取れるかどうかというものだった。とても大丈夫とは思えない。咳はさらにひどくなり、ノイエは、膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込む。

 

「ノイエ殿――!?」

 

 駆け寄ったグインは一瞬言葉を失った。床に、大きく血が広がっていた。咳と共にノイエが吐き出したようだ。

 

「すみません……お部屋を……汚してしまいました……すぐに……掃除をしますので……」咳き込みながら立ち上がろうとするノイエ。

 

「そんなことはいい! それより、こちらへ!」

 

 グインはノイエをベッドまで運ぶため、抱きかかえた。衣服の上からでもはっきりと判るほどの高熱だった。通常ならば意識が混濁してくるほどの熱だろう。このような状態で、今日一日仕事をしていたのか。グインは、ノイエをベッドまで運んだ。

 

「今、医者を呼んできます」

 

 そう言って部屋から出ようとしたグインだったが。

 

「待ってください! お医者様は、呼ばないで!」

 

 叫ぶノイエ。激しい咳で喋ることも難しいはずなのに、強い意志が感じられるほどに、はっきりとした声だった。

 

「しかし、その様子では……」

 

「大丈夫……です……いつもの……発作です……薬がありますので……それを飲めば……すぐに治まります……」

 

 ノイエは携えていた布袋から丸薬を取り出し、口に含んだ。そして、虚ろな目でグインを見る。「このまま……しばらく……横になっていても……よろしいでしょうか……?」

 

「ああ、それは構いませんが……本当に、医者を呼ばなくて大丈夫ですか?」

 

「はい……大丈夫です……それに……お医者様を呼んでも……無駄なんです……」

 

「それは、一体――」と、訊きかけて、やめた。今は、休ませた方がいいだろう。

 

 グインは、大丈夫だというノイエの言葉を信じ、医者を呼ばず、そのまま見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 ノイエは、ヴェイナードが王に即位した後登用された騎士の一人だ。ノルガルドの騎士の中では、重臣ロードブルの娘・エライネに次ぐ若さの十九歳。騎士になる前は、舞台で歌っていたという、少々変わった経歴を持っている。

 

 ノイエの両親は、かつて宮廷楽師隊に属していた。宮廷楽士とは、王宮専属の音楽家のことで、パーティーや式典等で音楽を奏でるのが仕事だ。ノイエは、生まれながらに透き通るような声と天性の音感を持ち合わせていた。子供の頃から両親と共に楽士隊に属しおり、その歌声は多くの者を魅了し、『天使の歌声を持つ少女』として、国中に知れ渡る存在だった。

 

 しかし、この宮廷楽士隊は、当時王位にあったドレミディッヅの命により解散させられた。ドレミディッヅは何よりもいくさを好み、音楽などの芸術には興味が無く、音楽家よりも兵士を求めていたのだ。

 

 ノイエの両親は城から去ることになったが、ルーンの加護を受けていたノイエは、ヴェイナードの即位と共に仕官した。もちろん、あくまでも騎士としての仕官であり、楽士隊は、現在も存在しない。ヴェイナードはドレミディッヅと違い芸術の分野にも理解があるが、王位ついた彼は何よりも国力の回復を急務としたのだ。楽士隊の再編については、現時点では正式に言及していない。ノイエは現在、ヴェイナードやグインの元で雑務をしながら、騎士の修業をしている。傷の治療や祝福といった白魔法の取得に高い適性があるとの報告を受けており、今後が期待される騎士の一人であったのだが。

 

 

 

 

 

 

 ベッドに横になっているノイエ。額に弾のような汗をいくつも浮かべ、短い呼吸を繰り返している。ただ、激しい咳は治まりつつあるようだ。先ほど服んだ薬が効いてきたようだ。やがて、呼吸も穏やかになる。グインは、安堵の息を洩らした。

 

「……ありがとうございます。もう、大丈夫です」

 

 そう言って身体を起こそうとするノイエを、グインは制した。「まだ横になっていた方がいい」

 

「しかし、ご迷惑では……」

 

「それは構わないから」

 

 グインはノイエの肩に手を添えると、ゆっくりと寝かせた。

 

「申し訳ありません」

 

「気にしないでいい。それより――」グインは、一瞬ためらったが、思い切って訊くことにした。「医者を呼んでも無駄、というのは、どういうことなのですか?」

 

「そ……それは」と、言い淀んだ後、目を逸らすノイエ。「何でもありません。忘れてください」

 

「そういう訳にはいきません。私はノルガルドの軍師。騎士の健康状態は、正確に把握しておく義務があります」

 

「…………」

 

 小さな拳を胸の前で握り、目を逸らしたままのノイエ。やがて、ためらいながらも話し始めた。

 

 不治の病に侵されている、という。

 

 発症したのは二年前だった。国中の医者に診てもらったが、有効な治療法はなく、できることは、時折起こる発作を、薬で抑えることだけだという。

 

「――余命は、あと二年と言われました」ノイエは、静かな口調で言った。

 

「二年――」

 

 グインは、その言葉の意味を噛みしめるようにつぶやいた。

 

 ノイエは、いま十九歳。二十一まで生きられるかどうか、ということになる。ノルガルド国民の平均寿命は、他国と比べてかなり低い。寒冷地で食料生産に乏しく、また、いくさが多く若者が戦場に駆り立てられることが多いのが理由だ。それでも、二十一歳はあまりにも早すぎる。

 

「そのことを、陛下はご存じなのですか?」と、グインは訊いた。

 

 ノイエは、小さく首を振った。「陛下にはお伝えしておりません。他の騎士の誰にも……両親にさえ、話していません」

 

「御両親にも?」

 

「はい。話せば、絶対に連れ戻そうとするでしょうから」ノイエは、小さく笑った。「騎士として仕官することにさえ、猛反対されましたからね」

 

 両親が反対するのも当然と言えた。ノルガルドでは、男尊女卑の風習が根深く残っている。騎士や軍人は男の仕事であり、女は家庭に入るもの、と考える者は、決して珍しくない。最近では女性の騎士も増えてきたが、ノイエの両親のような世代は、女が騎士になることを認めない者が多いだろう。そもそも、可愛い娘が戦場に立つことを喜ぶ親などまずいない。

 

 ずっと目を伏せていたノイエだったが、ふいに、まっすぐな視線をグインに向けた。「グイン様。病のことを隠して仕官したことは、本当に申し訳なく思います。しかし、どうかこのまま、病のことは誰にも伝えず、騎士として、陛下にお仕えすることをお許しください」

 

「いや……しかし……」と、言葉に窮するグイン。「ノイエ殿は、それで良いのですか? このまま軍に属していれば、遠からず、戦場に立つことになります。残り少ない命を戦場で過ごすことはありません。御両親と共に過ごしたり、夢や、やりたいことをされた方が良いのではありませんか?」

 

「残り少ない命だからこそ、陛下に捧げたいのです!」

 

 それは、普段物静かなノイエからは想像もつかないほどの声だった。瞳からも、強い意志を感じる。それはまぎれもなく、ノイエの覚悟の表れだった。

 

 だが、判らない。なぜそこまでして、戦場に身を置きたいのだろう? 女性としての幸せを求めた方が良いのではないのか? あるいは、歌い手として舞台に立つ道もある。二年という時間はあまりにも短いが、それでも、できることは多いはずだ。

 

 そんなグインの考えを察したのか、ノイエは、静かに語り始めた。「――十年近く前の話ですが、宮廷楽師隊にいた頃、宮中の晩餐会で、一度だけ、ヴェイナード陛下の御前で歌ったことがあるのです。まだ子供で未熟だった私の歌ですが、陛下から、大変なお褒めの言葉を頂きました。陛下の御前で歌ったのはその一度きりで、もしかしたら、陛下はもう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私には、決して忘れることのできない思い出です」

 

 ノイエは小さく笑みを浮かべた後、思い出を噛みしめるように続ける。

 

「その後、前王ドレミディッヅ様の命により、楽士隊は解散させられました。でも、その時、宮中でただ一人反対されたのが、ヴェイナード陛下だったのです」

 

 そのことは、グインもよく覚えていた。三年ほど前の話だ。前王ドレミディッヅは何よりもいくさを好み、また、ちょうど旧アルメキアとの戦争が激化し始めた頃である。前王にとっては、楽士隊など無用の長物であったのだ。楽士隊を解散させ、浮いた費用をいくさに回すと考えるのは当然であろう。

 

 ヴェイナードはただ一人、この楽士隊の解散に反対した。しかし、当時のヴェイナードは、王の傍系とはいえ宮中内での発言権は低く、なにより、前王はいくさに関わることは誰の意見であろうと耳を貸すことは無い男だった。結局、ヴェイナードに楽士隊の解散を止めることはできず、彼がそのことを悔やんでいたのを、グインはよく覚えている。

 

「ヴェイナード陛下は、楽士隊の解散を止められなかったことを、わざわざ私に謝りに来てくれたのです。こんなことを言うのは大変おこがましいのですが、陛下は私のためにドレミディッヅ様に反対してくれたのではないかと、嬉しく思いました。そして、いつか必ず、楽士隊を再編して見せる、と、お約束いただいたのです」

 

 ノイエは希望に満ちた瞳で語った。

 

「しかし……それは……」と、言い淀むグイン。はたしてヴェイナードに、その意志があるだろうか。

 

 旧アルメキアとの戦争で、前王ドレミディッヅは戦死し、ヴェイナードが王位に就いた。今の彼ならば、楽士隊を再編するのは簡単だろう。だがヴェイナードは、公式にはもちろん、側近であるグインにさえ、楽士隊のことは何も話していない。恐らく、現時点で再編の意思は無いであろう。ヴェイナードはドレミディッヅのようないくさ好きではないが、今回のいくさには国の未来を賭けている。決して負けるわけにはいかない。そんな状態で、楽士隊の再編に気を回す余裕はないだろう。

 

「――いいんです」グインの気持ちを察したかのように、ノイエは笑った。「陛下がこのいくさに国の行く末を賭けていることは判っています。楽士隊の再編なんて、考えている余裕はないでしょう。それ以前に、陛下は私との約束なんて、もう覚えていないかもしれません」

 

「いや、恐らくそんなことは……」

 

「それでもいいんです。陛下は、私や楽士隊のために尽くしてくれた。だったら、今度は私が、陛下のために尽くす番です」

 

 ノイエは身体を起こすと、決意のこもった瞳でグインを見た。「グイン様。どうか、このまま騎士として身を置くことをお許しください! 私の力ではが陛下のお役になど立てないかもしれません。それでも、何もせずただ死ぬのを待っているのはイヤなんです! 病に侵されているとはいえ、普段は何も問題ありません。ときどき今のような発作が表れますが、薬ですぐに抑えることができます。決して、病が原因でご迷惑をおかけすることはありません。ですからどうか、このまま最後まで騎士としてお仕えすることをお許しください!」

 

「――――」

 

 グインは、無言でノイエを見つめる。

 

 さきほど、「残り短い命ならば、女としての幸せを求めた方が良いのではないか?」と思った自分を恥じた。男尊女卑の考えが根深いノルガルドにおいて、自分は、女性が社会進出することに理解を示しているつもりでいた。ノルガルド軍内でも、女性騎士の登用を積極的に行っている。だが、心の中では、まだまだ古い考えに縛られていたようだ。命尽きるまで陛下に仕える――それは騎士ならば当然の思いであり、そこに、男も女も関係ない。

 

 無論、病を隠して仕官したことは重大な軍法違反であり、除隊処分の対象になりうる。病でいつ命を落とすかも判らぬ者を、作戦に組み込むことはできない。ノルガルド軍の全てを預かる軍師であるならば、ノイエには直ちに除隊を命じるべきであろう。

 

 だが、グインは。

 

「判りました。そこまでおっしゃるのであれば、今夜のことは見なかったことにしましょう」

 

 そう言った。

 

「ありがとうございます。必ずや、陛下のためにお役にたって見せます。」

 

 ノイエは、何度も何度も頭を下げた。

 

「ですが、ノイエ殿、決して、無理はされぬよう」

 

「――はい」

 

 ノイエは、決意を込めた瞳で頷いた。

 

 

 

 

 

 

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