イスカリオとの国境を護るレオニアの砦・ハドリアン。その一角にある騎士の宿舎から出てきたキルーフは、空を見上げ、大きく伸びをした。空は雲ひとつ無く晴れ渡り、夏を間近に控えて強さを増す陽射しも、山から吹き降ろすさわやかな風が和らげてくれる。気持ちのいい朝だ。先日、イスカリオ軍との激しいいくさがあったのが嘘のようである。
「こんな日は、
残念ながら、アイツ――女王リオネッセは、現在首都ターラにいる。キルーフはこのハドリアン防衛の任についており、離れることはできない。しょうがない。どこか陽当たりのいい場所で昼寝でもするか……などと考えていたら。
「――今ごろ起きてきた上に大あくびとは、随分と呑気なものだな」
鼻につく言い方に、すがすがしい気分も一瞬で吹き飛んでしまう。声がした方を見ると、神官騎士団長のアスミットが腕組みをして睨んでいた。
キルーフは舌打ちをした。「……朝からアスミットの顔見るとは、最悪な気分だぜ」
「そなた気分などどうでもいい。そなたの任務はこの砦の防衛のはずだが、そうのんきに構えて大丈夫なのか?」
「あん? 問題ねぇよ。イスカリオが攻めてくる気配はない。静かなモンだぜ」
十日ほど前、このハドリアン砦は隣国イスカリオの侵攻を受けた。一時は城壁の上まで敵兵に押し込まれるほどの苦戦を強いられたが、政務補佐官のパテルヌスが指揮を取り、なんとか敵の撃退に成功した。以来、イスカリオ軍に大きな動きはない。
キルーフは頭の後ろに手を回した。「連中、この前のいくさに負けて、ビビってんじゃねぇのか?」
「ほほう――」と、アスミットが顎を上げた。「イスカリオの騎士が委縮していると、なぜ言えるのだ? そう考える根拠を説明してもらおう」
「うるせぇな。そんなもんねぇよ。相変わらず理屈っぽいヤツだぜ」
アスミットは大きくため息をついた。「イスカリオ軍は、いつまた攻めて来るやもしれぬ。警戒を怠るな」
「判ってるよ! ちゃんと見張りをしてればいいんだろ!」
キルーフはイスカリオ領を見渡せる西側の城壁へ向かおうとしたが。
「砦の外を見張っていればいいというものではないぞ」アスミットがクギを刺すように言う。「砦の中の警戒も、決して怠るな。先日のいくさ、イスカリオ軍が撤退したことで我らが勝利した形にはなったが、事実上、あのいくさは我らの敗北と言っていい」
「くどいな。その話なら、もう何度も聞いたよ」
「何度言っても理解していないようだから、また説明しているのだ」
アスミットは、これまで何度も聞いた話を、また最初からくどくどと説明し始めた。
先日のイスカリオとのいくさにて、イスカリオ軍が行った作戦は、事前にハドリアン砦内に工作員を潜り込ませ、守備の要とも言える怪鳥ロックの爪を切り落とし、嘴をロープで結ぶ、というものである。さらに、混乱状態にあるレオニア兵に対し、闇の飛竜と呼ばれ恐れられている強力なモンスター・バハムートを使い、攻撃してきたのだった。
「――この作戦、一見すると馬鹿げているように思えるが、そうではない。我々とて、間者や斥候の潜入には常に目を光らせている。その隙を突き、飼育係としてイスカリオの息のかかった者を潜り込ませ、その上、一晩ですべてのロックの爪を切り嘴をロープで結ぶなど、並の斥候にできることではない。さらに、混乱状態のところへ切り札とも言えるバハムートを投入するなど、極めて効果的だ。此度のイスカリオが行った作戦は、最初から最後まで理にかなっている。深い計算がなければできるものではない」
「そんなの、お前の考えすぎだよ」キルーフはひらひらと手を振った。「いくさの時、アイツらの軍師ってヤツと戦ったが、インチキ臭い詐欺師みたいなヤツで、とても頭が良さそうには見えなかったぜ? それに、どの道ヤツらは逃げ出したんだから、勝ったことには変わりないだろ?」
「その撤退の仕方も不自然だった。奴らは、こちらの作戦に気が付いていたのかもしれん」
「…………」
このハドリアンには、城壁を突破された時のために、ひとつの大きな作戦を用意していた。砦内には、フェニックスを配置していたのである。
フェニックスは、怪鳥ロックが進化したモンスターである。鉤爪に炎を宿し、鳴き声で傷を癒す強力なモンスターだ。バハムートがイスカリオの切り札なら、フェニックスはレオニアの切り札と言える。
敵が城壁を越え、砦内に侵入してきた場合、レオニア軍はこのフェニックスを解き放ち、イスカリオ兵を一網打尽にする作戦だったのだ。
だが。
イスカリオ兵が城壁を越え、いよいよ作戦を実行に移そうとした時、敵の総大将であるドリストは、なぜか兵を下がらせたのだ。そのため、作戦は空振りに終わった。結果的にレオニアはハドリアンを防衛する形になったが、序盤のバハムートの攻撃が大きく、被害はイスカリオよりもレオニアの方が大きかった。また、爪を切られたロック部隊は、今だ再編の目処が立っていない。
さらに、先日、大きな事件があった。防衛の切り札であるフェニックスが、何者かによって殺害されたのである。
フェニックスは、騎士宿舎のすぐ隣の小屋で飼育されている。二日前の朝、飼育係が小屋を開けたら、首のないフェニックスの遺体が発見された。夜中、何者かが小屋に侵入し、殺害。首を持ち去ったものと見られている。
だが、言うまでもなくフェニックスは極めて強力なモンスターだ。襲われたのに何の反撃もしないことはあり得ない。なのに、すぐ隣に宿舎があるにもかかわらず、騒ぎはおろか物音ひとつ聞いた者さえいないのだ。
「――何者の仕業か不明だが、これがもしイスカリオの手によるものであったなら恐ろしいことだ。厳しい警備の目を盗んで砦内に忍び込み、痕跡のひとつも残さずフェニックスを暗殺するなど、相当な腕前の刺客でないと不可能だ。そなたの言う通り、全ては考え過ぎなのかもしれぬ。だが、だからと言って軽視するわけにはいかんのだ。私の考え過ぎであるのならばそれで構わない。ただ無駄な労力を使ったというだけの話だ。だが、考え過ぎでなかった場合――」
「判った判った。ちゃんと見回りするから、お前は早く城に帰れ」
キルーフはアスミットの言葉を遮り、追い払うように右手を振った。
しかし、アスミットの話は終わらない。
「ただ見回りすればいいというものではない。時間がある時は、兵法のひとつでも勉強しておくんだな」
「本当にしつこいな、お前は。判ったって言ってんだろ」
「先日教えた、首都ターラでの戦い方は、もう覚えたか? きちんと復習をしておかないと、いざという時に実行できんぞ」
レオニアの本拠地であるターラは、湖中央の島に城を構えるという特殊な地形をしている。防衛に強い反面、退路がない、兵糧攻めに弱い、などの欠点も併せ持つ。そのため、レオニア領内でも特殊な戦い方が必要な城だった。
「お前がいろいろごちゃごちゃ言うから、忘れちまったぜ」
「まったく……そんな心構えで、国が護れるのか」
「ターラでの戦い方なんて必要ねぇよ。要は、ここで敵の侵攻を食い止めればいいだけの話だろ」
「無論、それが最善だ。だが、我らはいかなる場合にも備えておかねばならん」
「ごちゃごちゃ面倒なこと考えても仕方ないだろ。戦いは力だ! 相手を倒せばそれで終わり。簡単なことだろうが。小賢しい策なんか、俺には必要ねぇ!」
キルーフは拳を突き上げて言った。戦いは力――子供の頃から頭を使うのが苦手で、腕っ節の強さだけが自慢だったキルーフには、当然の理論だった。
アスミットは深くため息をついたが。
「……まあ、そなたの言うことは間違いではない」
意外にも、否定はしなかった。
「お? どうした急に?」
「戦場において、力が策を凌駕するのは決して珍しいことではない。あのゼメキスの戦い方などはまさにそれだ。まったくの無策という訳ではないが、最終的には力でねじ伏せる戦い方を得意としている。私には理解しがたいことだがな」
「フン、ゼメキスと比べられるのは気に入らねぇが、ようやくお前も、俺の言うことを聞く気になったか」
「仕方あるまい。事実は事実として認めねばならぬ。それに、そなたのように学が無い者に兵法を学べと言うのも、無理がある話だ」
「学が無いは余計だろ!」
「そなたが兵法よりも力に頼った戦い方をするのであれば、それは構わぬ。それも戦法のひとつだ。適さぬ戦い方を強要しても戦果には繋がらぬであろうし、私もこれからは、そなたは力に頼った戦いをするという前提で戦略を練ることにしよう」
「そうしてもらえるとありがたいぜ」
「だが、これだけは心しておけ。そなたの敗北が、即、国の滅亡につながる可能性もある。その時後悔しても遅いのだぞ」
「判った判った。しっかりと肝に銘じておくよ」
「……判っていないようなので言い方を変えよう。そなたの敗北は、女王の命を危険にさらすことになる」
「…………っ!」
それまで適当に話を聞き流していたキルーフの表情が変わる。
レオニアの騎士は決して十分な人数ではない。一人失うだけでも大きな損失だ。国土もそう広くはない。砦をいくつか落とされるだけで、すぐにターラまで手が届く。常々、アスミットから言われていることだった。
アスミットは、キルーフの目を真っ直ぐに見て言った。
「いま一度問う。力だけで、女王を護れるのだな?」
キルーフは、答えることができなかった。
「……私の話は以上だ。早く持ち場につけ」
アスミットはそう言い残し、去って行った。
キルーフはアスミットの背中に何か言おうとしたが、やはり、何も言えなかった。先日のイスカリオとの戦いを思い出す。あの時、軍師を名乗る男に「誰もが平等な世界など成り立たない」と言われたが、何も言い返せなかった。
力だけで女王――リオネッセを護ることができるのか? もちろんだ、と言いたいが、今のキルーフでは、そんなのは口だけに過ぎない。腕っ節には自信がある。だが、それも騎士になる前までの話だ。これまでいかに自分の力を過信していたか、騎士になって嫌というほど判った。この国の騎士だけで、キルーフよりも力の強い者は何人もいる。決して大きくはない国の、しかも、どちらかといえば神官や魔術師が多いこのレオニアでさえこのザマだ。他国には、もっと力の強い騎士はいるだろう。
――力だけで、女王を護れるのだな?
アスミットの最後の問いが、何度も頭をよぎる。
「……うっせぇな……判ってんだよ……ちくしょう!」
キルーフは、腹立ちまぎれに足元の小石を蹴っ飛ばした。