ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

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第二十六話 リゲル 聖王暦二一五年四月上 イスカリオ/ランド家

 旧パドストーから故郷イスカリオの生家に帰って来たリゲルは、以前とほとんど変わらぬ屋敷の様子を見て、ほっと安堵の息を洩らした。家を出て四年。庭は雑草が生い茂り、外壁や窓には汚れが目立つ。荒れ放題ではあるが、手入れさえすれば問題なく住めそうだ。今日は一日限りの帰郷で、またここに住む予定は今のところないが、いつかこの家でもう一度暮らしたい。四年間、その思いを胸にパドストーで頑張って来たのだ。

 

 玄関を開けたリゲルは、思わず、「ただいま」と、言いそうになり、口元を手で押さえた。

 

 ――そんなこと言っても、誰もいないのに。

 

 胸の内でため息をつく。今、この家には誰も住んでいない。だから、「ただいま」と言っても、返事があるはずもない。

 

 ――ううん、そんなこと、ないよね。

 

 首を振るリゲル。確かに、今は誰も住んでいない。でも、きっと居る。今日は、父の命日なのだから。父が天国から帰ってきているかもしれない。そして、母も。

 

 だから。

 

「ただいまぁ!」

 

 リゲルは、屋敷中に聞こえるほどの大声で言った。

 

 すると。

 

「――リゲル? リゲルか?」

 

 奥の部屋から、懐かしい声がする。

 

 ――え? まさか?

 

 リゲルは声のした方に走った。奥の部屋――父の書斎だ。扉を開けると。

 

「カストール兄さん!」

 

 壁に掛けた父の遺影の前に、リゲルの兄・カストールがいた。

 

 カストールはリゲルを見て驚いた表情になり、そして、笑顔になった。「リゲル! お前も帰ってきたのか!」

 

「カストール兄さんこそ! まさか、帰って来てるなんて思わなかった!」

 

 父の遺影の前で、二人は手を取り合い、思わぬ再会を喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 リゲルは、イスカリオのランド家という貴族の家に生まれた娘だ。現在は故郷を離れ、西アルメキアに騎士として仕えている。故郷を出て四年、騎士になってまだ二年の駆け出しだ。

 

 ランド家は、イスカリオで古くから続く貴族の家系だ。長男のミゲル、二男のカストール、末っ子のリゲルという三兄妹だが、とある事情により、現在は離れ離れに暮らしている。

 

 ランド家の家長であった父は、リゲルが五歳のときに病で亡くなった。当時のイスカリオの法律では、貴族の爵位や財産を妻が相続することはできず、長男のミゲルもまだ成人していなかった為、父の弟でリゲルたちには叔父にあたる人物が全ての財産を相続した。叔父は、ミゲルが成人したら爵位と財産をすべて相続させるつもりだったのだが、父が亡くなった二年後、後に狂王と呼ばれることになるドリストが王位に就き、彼の気まぐれな思い付きでこの国の貴族制度は廃止されたのである。これにより、貴族も働かなければ食えなくなった。叔父は事業を始めたものの、世間知らずの貴族だった彼に商才があるはずもない。事業はことごとく失敗し、たちまち財産を食いつぶした叔父は、夜逃げ同然に姿を消した。母がうまくやりくりしたおかげでなんとかこの屋敷だけは残ったが、ランドの家名は地に落ちてしまった。

 

 そして、父亡き後女手ひとつで三兄妹を育てた母も、リゲルが十五歳になると同時に病で亡くなった。

 

 母の死後、三兄妹は失われたランドの家名を取り戻すことを誓い合った。幸い、三兄妹には幼い頃からルーンの加護があったため、騎士に仕官することができた。三人ともイスカリオに仕官することもできたのだが、狂王の元では、どんなに優秀な騎士であっても出世は王の気分次第であり、確実性は無い。そこで、長男のミゲルのみがイスカリオに残り、カストールとリゲルは故郷を離れ、それぞれ別の国に仕官することにしたのだ。兄妹の中から一人でも出世すれば、ランドの家名を復活させることができる、という訳だ。

 

「――家名復興の道が開けるまで、この家には戻らない」

 

 四年前、兄弟全員でそう誓った。そして、それぞれこの家から旅立って行ったのだが……。

 

 リゲルだけは、毎年父の命日に、こっそり帰郷していたのだった。

 

 

 

 

 

 

「――それにしても、まさかカストール兄さんまで帰って来てるなんて、思わなかったわ」

 

 キッチンのかまどでお湯を沸かし、お茶を淹れながら、リゲルは嬉しそうに言う。毎年帰郷しているリゲルだが、兄と会うのは初めてだ。四年ぶりの再会ということになる。

 

「俺も、本当は父さんや母さんの命日には帰って来たかったんだが、家名復興どころか、仕官する国さえ決まらなかったからな」

 

 カストールは、決まりが悪そうな顔で答えた。

 

 ミゲルは国に残ると決め、リゲルも家を出て早々に旧パドストーへの仕官を決めたのだが、カストールだけは、なかなか仕官する国を決められずにいた。いや、仕官こそしていたのだが、半年と経たず辞めてしまうことが多かった。

 

 二男のカストールは、家名の復興には騎士として手柄を立て、出世するのが近道だと考えていた。だから、一刻も早く騎士になり、戦場に出たいと思っていたのだが、ゼメキスのクーデターによって動乱の時代を迎えた現在ならともかく、それ以前の平和なフォルセナ大陸においては、手柄を立てる機会などそうそうない。そもそも、ルーンの加護があるとは言え騎士になることさえ簡単なことではなかったのだ。例えば、パドストーやカーレオン、アルメキアでは、騎士になるまでには一年から四年の間、専門の騎士訓練学校に通う必要がある。ノルガルドやレオニアには訓練学校のような制度はないが、ノルガルドで騎士になるには過去の実績やそれなりの才能が、レオニアでは神のお告げが必要であり、どちらもカストールは持っていない。イスカリオだけは誰でもすぐに騎士になれるが(もっともそれは、この国の騎士は騎士ではなく王の奴隷だからなのだが)、すでにミゲルが仕官している。

 

 そのような理由があり、カストールはなかなか仕官先が定まらず、早い出世を望むあまり仕官先が決められないという本末転倒な状態で四年間を過ごした。リゲルも心配していたのだが。

 

 先日、エストレガレス帝国への仕官が決まったとの手紙が届いた。帝国は新興国ですぐに騎士になることができ、いくさで手柄を立てれば誰でも出世できる。カストールにとっては、まさに理想の国だったのだ。

 

 ようやくカストールの仕官先が決まったのは嬉しかったが、仕官先がエストレガレス帝国であったことに、リゲルは心を痛めた。エストレガレスは、リゲルが仕えている西アルメキアと敵対している。それはつまり、戦場で会う可能性が高いことを意味していた。幸いと言うべきか、リゲルは騎士となってまだ間がないため、戦闘の最前線に配備される可能性は少ない。恐らくカストールも同様だろう。だが、この先戦争が激化すれば、どうなるかは判らない。

 

 ――ううん、きっと、大丈夫。

 

 不安を払拭するため、リゲルは精一杯笑う。淹れたてのお茶をテーブルに置き、カストールの前の席に座った。

 

「ミゲル兄さんも、戻って来ないかしら」お茶をすすりながら、リゲルはこの場にいない長男のことを思った。

 

「どうかな? 誓いを守って、出世するまで本当に戻って来ないかもな」

 

「家名復興の道が開けるまで、この家には戻らない――ミゲル兄さん、家を出る時に、はっきりと言ってたものね」

 

「親の命日くらい帰って来てもいいと思うんだが……兄貴は真面目だからな。いつだったか。親父の花瓶を割ったことがあっただろ?」

 

「ええ、父さん、趣味でたくさん集めてたね」

 

「あんなの、山ほどあるうちのひとつだから、黙ってりゃバレやしないのに、兄貴は、わざわざ自分から謝りに行ってたからなぁ」

 

「でも、その正直さのおかげで、怒られなかったんだけどね」

 

「そうか? ただ親父が、その花瓶を大して気に入ってなかっただけだろ?」

 

「もう、ヒドイこと言うんだから」

 

 二人は笑い合い、しばらく兄の昔話をして懐かしんだ。

 

「……ミゲル兄さん、お城で苦労してなければいいけど」リゲルは、湯呑を見つめながらポツリと言った。

 

 狂王ドリスト噂は、遠く離れた西アルメキアにも聞こえてくる。身勝手で独善的な性格は、リゲルがイスカリオにいた頃よりさらに拍車がかかっているらしい。仕えている騎士も、インチキ臭い詐欺師のような魔術師や山賊風の大男、旅芸人に浪費癖の強い騎士と、ひと癖もふた癖もある者ばかり、数少ないまともな人間である政務補佐官は日々虐げられていると聞いている。あの真面目人間の兄がお城でどういう扱いを受けているのか……リゲルは心配でたまらない。

 

「あたし、ちょっとミゲル兄さんの様子を見てこようかしら……」

 

「やめとけよ。兄貴は、そんなことしても喜ばないよ」

 

「そうかもね……」

 

 ミゲルは真面目であるがゆえに、長男としての高い意識を持っている。妹が心配して様子を見に来たなどと知ったら、大きくプライドが傷つくだろう。

 

 リゲルは少し考えた後、ぱん、と手を叩いた。「そうだ! あたし、手紙を書くわ!」

 

「手紙か……そうだな。手紙なら、迷惑にもなるまい」

 

「うん!」

 

 リゲルは笑顔で頷くと、時間をかけて兄宛の手紙を書いた。

 

 そして、それを父の遺影がある書斎のテーブルの上に置いた。ミゲルが帰ってくれば、まずこの部屋に来るはずだ。ここならば目につきやすいだろう。

 

 カストールが首を傾けた。「手紙、出さないのか?」

 

「うん。ここに置いておくことにする」

 

「しかし、兄貴が帰って来るとは限らないぜ?」

 

「だからこそ、ここに置いておきたいの。ミゲル兄さんが帰って来るのって、本当につらい時だけだと思うから、そんな時、少しでも励ましになればと思って」

 

「……そうか」

 

「うん」

 

 陽が、大きく西に傾いている。帰郷の時間も、そろそろ終わりだ。

 

「リゲル、お前は先に帰れ」カストールが言う。「家を出れば、俺たちは敵同士だ。お前を傷つけるような真似は、したくない」

 

「……うん」

 

 リゲルは帰り支度を整えた。

 

「リゲル……西アルメキアは、厳しいか?」

 

 不意に真面目な顔になって訊くカストール。

 

「そんなことないけど……どうして?」

 

「いや、お前、少しやせたと思ってな……もし、つらいことがあれば、エストレガレスに来いよ。たぶん、お前が思っているような悪い国じゃない。そりゃあ、厳しい所はあるけど、比較的自由にやらせてもらえる。何より、経験や実績に関係なく、手柄を立てれば誰でも出世できるんだ。あそこは、新しい風に満ちている」

 

 だが、リゲルは兄の誘いを断るように首を振った。「大丈夫。西アルメキアの人は、みんないい人ばかりよ。つらいことなんて無いわ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「ううん。なんでもない。じゃあ、あたし、そろそろ行くね」

 

「ああ……じゃあ、また会おうな」

 

「うん」

 

 リゲルは、屋敷を後にした。

 

 

 

 

 

 

 帰り道。

 

 ――ただ……兄さんたちと離れて暮らすのが、寂しいだけ。

 

 先ほど、喉まで出かかった言葉を、胸の内で呟いた。

 

 失われた家名を取り戻すため、三人離れ離れになる――四年前、兄妹で決めたことだ。

 

 だが、本音を言えば、リゲルは家名など途絶えても構わないと思っている。

 

 それよりも、ずっと、三人で一緒に暮らしたい。

 

 四年前に言えなかった言葉だ。今も言えなかった。言ってしまうと、兄たちの心を支える大事な部分を折ってしまうような気がするから。二人の兄の決意を、末っ子の我がままで揺るがしたくはない。

 

 だが、これは我がままなのだろうか? ランド家という家名は、家族一緒に暮らすことよりも大事なのだろうか? リゲルには判らない。

 

 このままいくさが続けば、いずれ、兄たちと戦場で会うことになるだろう。

 

 その時、兄たちはあたしに剣を向けるのだろうか? あたしは、兄たちに弓を引けるのだろうか?

 

 ランド家の家名は、兄妹が争ってまで取り戻さなければならないのだろうか?

 

 リゲルには――判らない。

 

 陽が落ち、すっかり闇に包まれた街道を、リゲルは闇よりも暗い気持ちで歩いた。

 

 

 

 

 

 

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