河の対岸に建つハンバー城を見つめ、レオニアの騎士・シャーリンは不敵に笑った。彼女の後ろには五万のレオニア兵が控えている。これより、ノルガルドの国境を護るハンバーを攻める。機会は、今をおいて、無い。
ハンバー城には、今月上旬まで兵五万が駐屯していた。シャーリンが率いている兵と同数であるが、同じ数でぶつかったところで勝ち目は薄い。城をめぐる攻防は防御側が圧倒的に有利だ。加えて、ハンバー城は極めて攻めにくい地形にある。城の前にはフォルセナ大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川が流れており、レオニア側から攻めるには橋を渡らなければならない。大軍での侵攻は極めて困難で、進軍中、城からは矢や魔法、空中や水上からはモンスター、と、激しい攻撃にさらされる。ハンバー城は、同じアルヴァラード川の中州に建つ帝国領リドニー要塞にも並ぶ難攻不落の城だ。このハンバーを落とすには、少なくとも敵防衛部隊の倍以上の兵が必要だろう。だが、今のレオニアにそんな余裕はない。先月、レオニアは南からイスカリオの侵攻を受けた。国境を護るハドリアン砦の攻防でなんとか撃退はしたものの、今も緊張状態が続いている。そのため、レオニア軍は南に兵を集めざるを得ない状態なのだ。北の国境を護るシャーリンが受けている命令はダマス城にて待機。開戦以降ノルガルドから侵攻してくる気配もなく、ずっと睨み合いの状態が続いていたのだが。
ここに来て、大きな動きがあった。
発端は数日前だ。ハンバーに駐屯していた兵五千が、西にあるジュークス城へ移動したのだ。詳細は定かではないが、ジュークスには多くの兵が集まっているとの情報もあり、恐らく帝国領のリドニー要塞を攻める準備をしているものと思われる。ハンバーを護る兵は少なくなったが、五千では大きな影響はない。事態が急転したのは昨日のことだ。ノルガルド前王ドレミディッヅの娘ブランガーネが、兵三万を率いてハンバー城を出撃した。しかし、兵の足は南のレオニアではなく、北のノルガルドの首都フログエルへ向いたのである。これにより、ハンバーを護る兵は一万五千となり、ダマスに駐屯する兵五万でも十分落とせる状態となった。この機を逃す手はない。シャーリンは、同じくダマス城の護りを命じられていた神官騎士・イスファスと共に出撃したのである。
川岸でハンバー城を見つめるシャーリンの元に、イスファスがやって来た。シャーリンの隣に立つ。シャーリンは女性にしては背が高く一七〇を超えているが、イスファスは頭ふたつ分以上高く、遠くから見ると大人と子供のようである。
「シャーリン、本当に、ハンバーを攻めるのだな?」イスファスは対岸の城を見つめたまま訊いた。
「無論だ。このような好機、そうそうあるものではない。今なら、簡単に落とせる」
淀みない口調で答えたシャーリンに、イスファスは「そうだな」と言い、そして続けた。「それにしても解せんな。なぜ奴らは兵三万も首都へ移動させたのか。難攻不落のハンバーとはいえ、兵一万五千では護りきれまい」
「兵を動かしたのは前王の娘・ブランガーネであろう。開戦前の女王陛下と白狼の会談の際、あの娘も同席していたが、女王に対してただならぬ嫉妬心を持ち、白狼に対しても強い敵対心を持っているようだった。大方、内部分裂でもあったのだろう。私情で兵を動かすなどあってはならぬこと。騎士には向かぬということだ」
「勝手に動いているのは我々も同じであろう。我らの任務は国境を護ること。ハンバーを攻める許可は出ておらぬ。女王にお叱りを受けるかもしれぬぞ」
「許可が出るのを待っていては機を逃す。これはハンバーを落とす千載一遇のチャンスだ。この機を逃す騎士がいるものか。それに、これも任務の範疇だ。ハンバーを落とせば国境の護りは格段に楽になる。女王も理解してくれるだろうよ」
「だといいがな……」
不敵に笑うシャーリンに対し、イスファスは肩をすくめた。
シャーリンは、神官が多いレオニア騎士団の中では数少ない槍を武器に戦う騎士である。極めて合理的な性格をしており、今回のような敵のミスは決して見逃さない。神官騎士団長アスミットからの信頼も厚く、任務に私情を一切はさむことなく冷静に遂行するため、『レオニアの氷の華』と呼ばれていた。
イスファスは、最高司祭パテルヌスの部下である。僧侶ではあるが、女王や高位の司祭を護衛する役割を与えられている。そのため、精神的な修行はもちろん肉体も鍛えており、
シャーリンの意思が固いことを悟ったイスファスは、判った、と頷いた。勝手に動いたことを女王がどう思うかは判らぬが、シャーリンの言う通り、これはハンバーを落とす絶好の機会であるし、ハンバーを落とせば国境の護りは格段に楽になる。攻める利は大きい。イスファスは手のひらに拳を打ち付けると、「――では、陣形はいつもと同じで構わんな」と、訊いた。
「ああ。私が前衛で、お前が後衛。もう何度も行っているが、この陣形が、我々の力を最も引き出せる」
「すまんな、いつも前線で血を流す役ばかりやらせて」イスファスは、少し頭を下げた。
「気にするな。敵を倒す最も効率的な方法を取っているだけだ。それに、お前が後ろにいると心強い。私の背後を任せられるのは、お前しかいない。これからも、ずっとそばにいてくれ」
シャーリンの言葉に、苦笑いをするイスファス。場合によっては愛の告白と取れなくもないが、シャーリンに限ってそんなことはないだろう。敵を倒す最も効率的な方法を取る――彼女にとってはそれが全てであり、それ以上でも、それ以下でもない。
二人はレオニア騎士団の中でも優れた腕を持ち、年齢も近いことから、共に行動することが多かった。女王や司祭の護衛、城の警備、山賊や海賊の討伐、野生化したモンスターの捕縛や退治など、必ず、シャーリンが前で戦い、イスファスが後ろを護る。二人で出撃したのはもう数えきれないほどだが、この陣形を変えたことはない。彼女の言う通り、これが最も二人の力を引き出せるのだ。だから、これからも続けて行くつもりだ。
「では、行くか」
シャーリンの言葉で、イスファスも配置につく。シャーリンは槍を掲げ、五万の兵に号令をかけた。兵たちは喚声を上げ、河の向こうの城を目指し、橋を渡り始めた。