ゼメキスがクーデターを起こし、国王ヘンギストが討たれた翌日――。
☆
――お兄ちゃん! お兄ちゃん!! 大変大変!!
遠くで、妹の騒ぐ声が聞こえる。
カーレオン国王・カイは、自室のベッドで布団にくるまり、その声を聞いた。何やら慌てているようだ。それ自体は珍しいことではない。台所にゴキブリが出ただの、洗濯物が風に飛ばされただの、些細なことで妹が騒ぐのは日常茶飯事だった。
だが、その日の妹の声はいつもと違っていた。声のトーンが少しだけ高いのが、カイには判った。それは、彼女が本当にあせっている時の声であり、つまり、本当に大変なことが起こったことを意味している。
そして、今この時期、本当に大変なことが起こるとしたら、考えられる出来事はひとつだ。
――いよいよ始まったか。これは、面倒なことになるな。
そう思いつつも、カイは布団にくるまったまま動かない。
「お兄ちゃんってば!!」
勢いよくドアが開いて、妹のメリオットが部屋に入って来た。「――また寝てる! いま何時だと思ってるの? お城で起きてないの、もう、お兄ちゃんだけだよ?」
メリオットがカーテンを開ける。陽射しが勢いよくさしこみ、部屋の中は一気に明るくなる。部屋の全てのカーテンを開けたメリオットは、続いて、カイの布団をはぎ取った。「いつまで寝てるの? 早く起きなさい!」
布団を奪われたカイは、仕方なくベッドの上に上半身を起こし、大きくあくびをした。「寝てた訳じゃないよ。ただ、横になって脳を休ませていたんだ」
「それを寝てたって言うんでしょ? そんな言い訳したって、騙されませんからね」メリオットは両手を腰に当てた。
苦笑いをするカイ。言い訳をしているつもりはない。カイにしてみれば、眠ることと脳を休めることは全く違うのだが、それを説明しても妹が理解できるとは思えない。
「それより、何を騒いでたんだい? アルメキアで、クーデターでも起こったのかな?」
カイがそう言うと、メリオットは、ぽんっと手を叩いた。「そうなの! ゼメキスって将軍が、ログレスのお城に火を点けて! ……って、なんでお兄ちゃん、知ってるの? さっきまで寝てたのに?」
「簡単な推理だよ。まあ、それは後で説明するとして、みんなはどうしてる?」
「もうとっくに会議室に集まってるわよ。来てないのはお兄ちゃんだけ。みんな待ってるんだから、早くしないと。さあ、顔を洗って、歯を磨いて、ちゃんと着替えて、髪も整えなさい」
まるで母親のように口やかましい妹に苦笑いしながら、カイはベッドから降り、洗面所へ向かう。
「――それにしても、ビックリだよね」メリオットはクローゼットから着替えを取り出しながら言う。「まさかあのアルメキアが、一晩で滅びちゃうなんて」
その言葉に、カイは足を止め、妹を振り返った。
「ん? どうしたの? お兄ちゃん」メリオットは首を傾ける。
「ゴメン、メリオット。今、なんて言った?」
「何って、アルメキアが一晩で滅びるなんて、ビックリだよね、って言ったんだけど」
「アルメキアが滅びるって……まさか、ゼメキスのクーデターは、成功したのかい?」
「そうよ? 今じゃゼメキスが王様になって『エストレガレス』という国名にするって宣言してる。……って、お兄ちゃん、クーデターのことは、知ってるんじゃないの?」
「え……あ、いや、まあ、そうだけどね」カイは大きく咳ばらいをした。「メリオット。会議室のみんなには、すぐに行くから、って伝えておいてくれるかな?」
「そんなこと言って、あたしがいなくなったら、また寝るんじゃないの?」
「大丈夫だよ。ほら、早く」
カイが促すと、メリオットは「ホントにちゃんと準備するのよ?」と何度もクギを刺し、しぶしぶといった表情で部屋を出ていった。
メリオットが出て行ったのを見て、カイはベッドに横になり、目を閉じた。
そのまま、じっと動かない。
眠るわけではない。脳を休めるわけでもない。むしろ、今、カイの脳は、最大限に活動していた。
膨大な記憶量の中から、過去十年間のアルメキアや周辺諸国の情報を引き出し、ひとつひとつ精査する。常人には数ヶ月はかかる作業であり、そもそも常人には全ての情報を完全に記憶しておくことなど不可能だが、カイはそれを、一瞬にして行う。
全ての必要な情報を精査した結果、ゼメキスがクーデターを起こす可能性は九十五パーセント以上。しかし、成功する確率は限りなくゼロである、との結論となった。この計算は、この一年の間、新たな情報が入るたびに繰り返し行ってきた。何度情報を精査し、何度計算しても、小数点以下の数値が多少変動するくらいで、答えはほぼ変わらない。
だが、メリオットが言うには、ゼメキスのクーデターは成功した。
メリオットが得た情報が間違っている可能性は十分にある。しかし、そうでないとしたら。
――いったい、アルメキアで何が起こったんだ。
どんなに脳を働かせても、答えは出てこない。
バタン! と、ドアが開いた。
「ほら! やっぱり寝てる! もう! いい加減にしなさい!!」
メリオットの怒鳴り声に、カイは考えを中断し、身体を起こした。「いや、メリオット。これは寝てたんじゃなくて、考え事をしてたんだよ」
「そんなウソ言ってもダメ。お兄ちゃんが支度するまで、テコでも動きませんからね!」メリオットは腕を組み、どっしりと構えた。
やれやれ、と、ため息をつくカイ。考え事をしていたというのはウソではない。脳を最大限に動かすには、体中のエネルギーが必要だ。そのため、とても立ってなどいられないのである。今のわずかな時間で体重が一キロは減っているはずだ。脳を動かすというのは、本来それほどのエネルギーを消費するのだが、それを妹に説明したところで理解してもらえるとは思えなかった。
――まあいい。今は、アルメキアで何が起こったか把握することが第一だ。
カイはメリオットに促されるまま、のろのろと身支度を整え始めた。
カーレオン王国は、フォルセナ大陸の南西、パドストー公国の南に位置する国である。他国からは『魔導国家』と呼ばれるほど魔法技術が発達した国であり、王国が抱える騎士団も、半数が魔術師で編成されている。
ルーンの神々が創ったとされるこのフォルセナ大陸では、大地から『マナ』と呼ばれる魔法の力が湧き出している。このマナの力を利用することで、通常より身体能力を高めたり、魔法を使ったり、時には異世界から魔物を召喚したりすることができる。人々はこのマナの力を使って暮らし、文明を発展させ、そして、戦を繰り返して来たのだ。
大陸の南には肥沃な大地が広がっており、特にこのカーレオンの領地内ではマナの湧き出す量が豊富だ。故に、昔からこの国では魔法技術が栄えてきたのである。
カイは、魔導国家カーレオンの国王である。見た目は物静かな二十五歳の青年だが、フォルセナで最も優れた魔術師であると噂されている。その知識は魔法だけに及ばず、政治学、経済学、戦略にも精通し、記憶力や計算力にも優れ、それでいて、それらに驕り高ぶるわけでもなく、人々からは、『カーレオンの静かなる賢王』と呼ばれていた。
しかし、そんな賢王も、妹のメリオットに言わせれば、『カーレオンの三年寝太郎』であるのだが……。
会議室にはカーレオンの主な重鎮が集まっていた。縦に長いテーブルの最も奥の席にカイが座り、その右手側にメリオット、メリオットの向かい側に騎士団長のディナダンと、政務の補佐役を務める宰相のボアルテが座っていた。
「――では、陛下は今回のゼメキスの反乱をあらかじめ予見していた、と」
メリオットの話を聞いたボアルテは、感心した表情で言った。
「予見なんていうほどのものでもないけどね。事前に得られた情報を整理して、導き出した結果だよ。ほら。『
「そんなこと人生で一度も言ったことないけど」当然のような口調で答えるメリオット。
「まあ、メリオットはそうだろうね。要するに、すばしっこいウサギを捕まえられる優秀な猟犬も、ウサギがいなくなったら用が無くなって、猟師に煮て食われる、ということさ」
「つまり――」騎士団長のディナダンが腕を組んだ。「北の大国ノルガルドとの戦争が終わったアルメキアにとって、ゼメキスは用済みの存在だった、ということですか?」
カイは頷いた。「アルメキアの重臣にとっては、用済みと言うよりは、むしろ邪魔な存在だったんだろうね。戦で数々の武功を挙げたゼメキスが自分たちの地位を脅かすと思ったんだろう。この一年の間に、暗殺部隊を雇って差し向けた、って情報も入ってるし」
「それで、むざむざ殺されるくらいなら、いっそのこと国を乗っ取ってしまおうと」
「ゼメキスの性格からすれば、その可能性が最も高かった。でも、まさかそれが成功するとはね……」
カイの予想では、ゼメキスが反乱を起こしたとしても、それに味方するのはゼメキスの側近の者だけで、兵の数は数千程度であろうと考えていた。うまく行ったとしてもせいぜい王宮に突入するまでで、その後は、王国軍に鎮圧されるはずであった。
しかし、報告によると、クーデターの夜、ログレス王宮に駐屯する兵の九割以上がゼメキス側に付き、国王側に付いたのはほんのわずかであったという。ゼメキスがそこまで王宮の兵から支持されているとの情報は、カイの元には入っていなかった。
騎士団長のディナダンがテーブルに肘をつき、カイを見た。「それで、そのような重要な話を家臣である我々に黙っていた静かなる賢王様としては、この先アルメキアや周辺諸国はどうなるとお考えで?」
ディナダンの態度に苦笑いするカイ。「報告によると、アルメキア国王ヘンギスト様は討たれたとのことけど、王太子のランス様は城から脱出したそうだ。現在は行方不明らしいけど、恐らく、アルメキアと事実上の同盟関係にあるパドストーか我がカーレオン、距離的に考えてパドストーに保護を求めると思う。パドストーのコール王はアルメキアに忠義が厚いから、ランス様を受け入れ、もしかしたら国自体を差し出すかもね」
「パドストーとアルメキア……ゼメキスの言うエストレガレス帝国が、戦争になると?」
「うん。そして、そんな混乱を、北のノルガルドが見逃すはずがない」
カイの言葉に、室内は静まり返った。
北の大国ノルガルドは、一年前のアルメキアとの戦争終結後は沈黙を保っているが、その内では、若王・ヴェイナードを中心に国力の回復を図り、アルメキアとの戦闘に備えている、との情報を、カイは得ていた。ヴェイナードは先の戦争で戦死した国王ドレミディッヅに代わって即位した男で、野心家で知られている。前王時代はノルガルド軍で最も優れた将軍であり、銀髪で白銀の鎧をまとい戦場を駆け回るその姿から『白狼』と呼ばれ、周辺諸国から恐れられていた。
「つまり――」宰相のボアルテが不安そうな表情で言う。「エストレガレス帝国・パドストー・ノルガルドの、三つ巴の戦いになると……」
「いや、事はそれだけでは済まないと思う」カイは続ける。「そんな大きな戦が起これば、南のイスカリオや、東のレオニアも動かざるを得ない。恐らく、フォルセナ大陸全土を巻き込んだ大戦になるだろうね」
ボアルテとメリオットが大きく息を飲んだ。無理もない。一年前にアルメキアとノルガルドの戦争があったとはいえ、それは国境の小競り合い程度の認識だ。大きな戦争は、もう十年以上起こっていない。まして大陸全土を巻き込む大戦となると百年以上も前の話であり、それはもう、歴史上の出来事だ。
ディナダンが大きくため息をついた。「やれやれ。できればそういった賢王様の深いお考えは胸の内にとどめておかず、なるべく早く凡人である我々に教えて欲しいものですな」
ディナダンの言葉に苦笑いを返すしかできないカイ。この騎士団長は、剣の腕は超一流だが、口が悪く皮肉屋なのが玉にキズだ。
ディナダンは、魔導国家カーレオンには数少ない剣を扱う騎士である。『ナイトマスター』という二つ名で呼ばれ、その腕前は、自国内はもちろんフォルセナ大陸全土に響き渡っており、大陸最強と噂される剣士の一人である。口の悪さが災いしてか、王宮の者とはソリが合わず、カイが即位する前は城にいることが滅多にない男だった。しかし、カイが王に即位してからは、城にいることが多くなった。どうやらカイのことを気に入ったようなのだが、口の悪さは相変わらずである。
「そんなことより、これからどうするの?」メリオットが椅子から立ち上がった。「大陸中を巻き込む戦争になったら、大変じゃない。あたし、怖いよ」
「御心配なさいますな、姫」ディナダンも立ち上がる。「美しい姫君を護るのが騎士団の務め。わが剣に誓い、姫様の命、このディナダンが必ず護って見せます」
「美しい姫君だって。いや~ん」メリオットは頬を赤らめて席に座った。ディナダンは口が悪く皮肉屋だが、フェミニストを自称しており、今のようなヘタなお世辞がうまい。
やれやれ、と、ため息をつき、カイは続けた。「今、私が言ったのはあくまでもこれから起こることの予想だ。まだ事は始まったばかりだから、我が国としては、あまり大きな動きを見せて他国を刺激するのは避けたい。今は情報を収集するのが最優先だ。ただし、国境付近の警備は怠らないように。ディナダン、ボアルテ。北のスクエストの護りはあまり気にしなくていいから、東のハーベリーに兵を集めておいてくれ」
スクエストは王都リンニイスの北、パドストーとの国境付近に位置する城だ。パドストーとカーレオンはともにアルメキアに忠誠を誓っており、事実上同盟関係にある。北から攻め込まれる心配は、まず無いだろう。逆に、東のハーベリーはエストレガレス帝国とイスカリオの国境に位置しており、いつ攻め込まれてもおかしくない城だ。
「かしこまりました。では、直ちに」
ディナダン達は頷き、それで、会議は終了となった。
――それにしても、解せないな。
皆が会議室を出るのを見て、カイは椅子にもたれかかり、目を閉じた。
いったいなぜ、ゼメキスのクーデターはこんなにもうまく行ったのか?
ゼメキスはアルメキアでも最強を誇った将軍だ。武力だけでなく戦略にも優れている。もし、ゼメキス軍とログレス王宮の護衛兵がまともに戦闘をすれば、ゼメキス軍が勝った可能性は高い。
しかし、一夜のクーデターとなると、話は全く違ってくる。ゼメキス配下の中にも反対する者はいるだろうから、それらを説得するのは簡単なことではない。まして、王宮を護衛する兵のほとんどを味方につけるには、事前の根回しが重要になってくる。それは武力や戦略とは全く異なる力――謀略だ。ゼメキスは、そのような裏の駆け引きに長けた男ではない。
――今回の出来事には、私が把握できていない大きな力が動いているのかもしれないな。
それがどんな力であるのか、今のカイには想像もつかなかった。
バタン! と、会議室のドアが開いた。
「ああ! やっぱり寝てる! もう! 国の一大事なのに、王様がそんなことでどうするの!!」
妹ののんきな怒鳴り声に、賢王は心の中でため息をついた。