レオニアの女王リオネッセは、聖都ターラの執務室に騎士シャーリンを呼び出していた。シャーリンはレオニアの氷の華と呼ばれる手練れの女性騎士だ。騎士団長アスミットからの信頼も厚く、開戦以前から、北のノルガルドとの国境を護る城・ダマスの警備を任せていたのだが、先月下旬、命令もないのに兵を率いてノルガルドへ侵攻した。この一報を受けたリオネッセとアスミットは直ちに退却の指令を出したのだ。
「シャーリンさん。なぜ、命令もないのにノルガルドを攻めたのです。あなたの任務は、ノルガルドとの国境を護ることだったはず」
普段のおしとやかな姿からは想像もできないほど厳しい口調のリオネッセ。だが、シャーリンは意に介した様子もなく。
「敵が隙を見せたがゆえに行ったこと。あのような好機、そうそうあるものではありません」
淡々とした口調で答えた。
シャーリンの話によると、ノルガルドの国境を護るハンバー城には、開戦以降、常に五万の兵が駐屯していた。それが、先月に入って大きな動きがあった。西のジュークス城へ兵五千、北のフログエルに兵三万が移動したのである。ハンバーを護る兵は一万五千となり、攻めるには絶好の機会だった。
シャーリンは続ける。「ハンバー城は、極めて攻めにくい地形にあります。あの城を落とすには、敵の倍以上の兵を集めなければいけません。それを、敵のミスにより簡単に落とす機会を得たのです。これを逃す騎士がどこにいましょうか」
もちろん、女王は譲らない。「我々は侵略者ではありません。今回のいくさは、他国の侵略からレオニアの民を護るために行っているのです。隙を見せたからといって侵攻していては、ノルガルドやエストレガレスと何ら変わりありません」
「女王。そのような甘い考えで国を護れるとお思いか? 攻めてくる敵をどれだけ撃退しようと、元を断たねばいつまでも終わりませぬ。敵から国を護るには、敵を滅ぼす以外に道は無いのです」
アスミットが鋭い視線を向けた。「口を慎め、シャーリン!」
「いえ、言わせて頂きます。ハンバー攻めは、我らに分があったとはいえ、こちらの被害も決して少なくはありませんでした。撤退命令は、それらの被害を無にしてしまった。お判りか、女王。あなたの無思慮な判断が、国を危険にさらしているのです」
「――――」
国を危険にさらしている――それが、リオネッセに言葉を失わせた。
それを察したアスミットが、代わりに言った。「そなたの言い分は判った。シャーリン、そなたには、無期限の謹慎を命じる」
何事にも動じなかったシャーリンが、初めて顔色を変えた。「な……なにを……!?」
リオネッセも動揺している。「アスミットさん、それは……」
「女王の命令は絶対である。従えぬのであれば、もはやそなたは騎士ではない。しばらく頭を冷やすのだな」
「バカな!? このような時に謹慎など、何を考えて――」
アスミットは、シャーリンの言葉を一喝した。「もう良い、下がれシャーリン!! 無礼であるぞ!!」
「――――っ!」
シャーリンはしばらく怒りに肩を震わせていたが、やがて踵を返し、執務室を出て行った。頭を下げることも無かった。
「女王、部下が、大変失礼をいたしました」代わりに、アスミットが頭を下げた。
「いえ、それは構いません。それより、シャーリンさんを謹慎させて、大丈夫なのでしょうか?」
「致し方ありません。いかに敵が隙を見せたとはいえ、命令も無いのに勝手な判断で動かれては、全体の作戦に大きな影響が出ます。結果として、シャーリンの行動こそが国を危険にさらすのです。軍とは秩序あってのもの。秩序が無くなれば、軍は機能しません」
「そう……ですね……」リオネッセはしばらく考えた後、続けた。「アスミットさん。あたしの考えは、甘いのでしょうか? あたしたちは侵略者ではない。あたしたちが戦うのは、自分たちの国、人々の生活を護るため――それは、単なる理想にすぎないのでしょうか?」
フォルスは戦火を消すことを認める――これは、レオニアの聖典に記されている言葉だ。いくさを仕掛けられた場合、レオニアの神フォルスは戦うことをお許しになる、ということである。
聖典のこの部分は、読み手によって解釈が異なる。『戦火を消す』とは、攻めて来るものを迎え撃つだけなのか、戦いを終わらせるために他国を滅ぼしても良いのか――リオネッセは、後者だけは絶対に許されないと考えている。この考え方は、この先も決して変えないつもりだ。
だが、現実は、シャーリンの言う通り、敵を滅ぼさなければいくさは終わらないのだろうか?
開戦以降、ずっと悩み続けている。この国の王が自分などで良いのか? 他の者に任せた方が、うまくかじ取りをできるのではないか。いや、むしろその悩みはずっと以前から――女王になった時から続いている。
アスミットは。
「シャーリンのいう方法が最も効率が良いのは事実でしょう。ですが、女王の仰る通り、我々は侵略者ではありません。レオニアは、エストレガレスやノルガルド、イスカリオとは違うのです。護るだけでこの戦乱の世を生き残るのは難しいかもしれませぬが、他国を滅ぼしてまで生き残ることには、私も同意できません。女王。あなたはあなたの考えを貫くべきです」
迷うことなく、そう答えた。
「――ありがとうございます」
礼を言うリオネッセ。自分の考えを支持してくれる人がいる。これほど心強いことはない。
「――ところで、女王」アスミットが書類の束を取り出した。「今後のことについて、ひとつ、目を通していただきたい資料があるのですが」
「今後のこと? どのようなことでしょうか」
リオネッセは差し出された資料を受け取った。読もうとしたとき、ドアがノックされ、返事をするよりも早くキルーフが入って来た。
「よう! リオネッセ! 居るか?」
キルーフは机に向かって座るリオネッセを見て笑顔になったが、そのそばに立つアスミットに気付き、すぐに不機嫌な顔になった。「……なんだよ。アスミットも一緒かよ」
「どうしたの? キルーフ。何かあった?」一旦書類を置き、笑顔で応えるリオネッセ。
「あ、いや、別に何も無いけどよ。天気がいいから、一緒に散歩でも行こうかと思ってな」
「キルーフよ――」と、アスミットが口を挟む。「女王は多忙だ。そなたの散歩などに付き合っている暇はない」
キルーフがアスミットを睨んだ。「あん? てめぇには訊いてねぇよ! 俺は、リオネッセと話してるんだ!」
「そもそも、そなたのターラでの任務は終わったはずだ。ハドリアンに戻るよう命じたはずだが?」アスミットはキルーフのペースに飲まれることなく、淡々と言う。
キルーフが首都ターラに戻ってきたのは、先日行われた首都攻防を想定した訓練に参加するためである。この訓練は数日に渡って念入りに行われ、昨日終わったばかりだ。アスミットの言う通り、今日ハドリアンへ戻る手はずである。
「判ってるよ!!」キルーフが声を荒らげる。「昼過ぎには立つよ! その前に、ちょっとリオネッセと話をしようと思っただけだろうが!!」
何か言おうとしたアスミットを、リオネッセが制した。「ごめんなさいキルーフ。いま、アスミットさんと大事な話をしているから、散歩は、また今度ね」
「なんだよリオネッセ……お前、俺よりアスミットを選ぶっていうのか……」
「そんな話はしていないでしょう? お仕事の話をしているの」
「んなこたぁ関係ねぇ! まさかお前、コイツのことが好きなのか!?」
「キルーフ、何を言って――」
「答えろリオネッセ! アスミットのことが好きなのか!?」
「…………」
リオネッセが困っていると、アスミットが間に入った。「……公私混同も甚だしい。そなたには、騎士の自覚が無いようだな」
「あん? なんだと!?」
「これ以上女王を煩わせるな。今すぐハドリアンへ戻れ」
キルーフは、拳を握りしめ肩を震わせた。「……いつもいつも偉そうに命令しやがって……もう我慢できねぇ! 来いよアスミット! 相手になってやる!」
キルーフは、拳を前に出して構えた。
「やめてキルーフ! 何をやってるの!」と、リオネッセ。
「お前は黙ってろ! こういうヤツは、一度叩きのめさなきゃわかんねぇんだよ!」
アスミットは、拳を構えるキルーフを冷めた目で見ていた。「……くだらんな。そのような争い、無駄でしかない」
「へん! 怖気づきやがったか! なら、こっちから行くぞ!!」
振りかぶり、前へ踏み込むキルーフ。
「やめて!」
リオネッセが席を立ち、キルーフとアスミットの間に割って入った。
「邪魔だ! どけ! そのスカしたヤロウをぶちのめして、二度と偉そうな口を利けないようにしてやるぜ!」
さらに踏み込もうとするキルーフ。
「やめなさい!!」
リオネッセが、頬を
よろめくキルーフ。突然のことに、目を白黒する。
リオネッセは、まっすぐにキルーフを見る。「キルーフ……あなたは、いつまでそんな子供みたいなことを言っているの? 今の国の状況が判ってるの!? 国の一大事なのに、くだらないことでケンカするなんて……あなたはこの国騎士なのよ? この国を護る義務があるの。もう村にいた頃とは違うの!! それが判らないようなら、今すぐ騎士をやめて村に帰って!!」
キルーフは叩かれた頬を押さえ、呆然とした表情だったが、やがて。
「……ちくしょう! やってられっかよ!!」
吐き捨てるように言って、執務室から出て行った。
リオネッセは小さくため息をつくと、アスミットを振り返り、頭を下げた。「申し訳ありません、アスミットさん。キルーフが、失礼なことを」
「女王が謝ることではありませんよ。しかし、よろしいのですか? 本当にキルーフが村に帰るようなことになったら――」
リオネッセは目を閉じ、首を振った。「いいんです。悪いのはキルーフですから。いつまでも騎士の自覚が持てないままだと、彼のためにならないですからね。それに……」
「それに?」
「彼は、自分が悪い時には、必ず自分から謝って来ますから」
リオネッセは、笑顔でそう言った。
アスミットは小さく笑う。「キルーフを信じているのですね」
「はい。なんだかんだで、長い付き合いですから」
「では、この件は、私からはこれ以上何も申し上げないことにします。仕事に戻りましょう」
「はい」
リオネッセは席に戻り、先ほどアスミットから受け取った資料を見た。
『ノルガルドの食糧事情』と書かれていた。