ランド家の長男ミゲルは生家へと戻っていた。今はもう誰も住んでいない屋敷は、庭は雑草が生い茂り、外壁や窓は薄汚れ、荒れ放題だ。それでも、手入れさえすればなんとか住めそうではある。家を出て四年、これが初めての帰郷だ。すでに何もかもが懐かしい。
だが、自分はなぜここにいるのだろう? この家を出る時、家名を復興するまで戻らないと誓ったはずだ。現在ミゲルは騎士としてイスカリオに仕えているが、城内での地位は決して高くなく、家名復興の道はまだ遠い。なのに、自然と足がこの家へ向いてしまった。なぜだ?
いや――。
答えはすでに判っている――迷いを断ち切るためだ。
ミゲルは、誰も迎えてくれることのない屋敷の扉を開けた。
ミゲルは、イスカリオで古くから続く貴族の家系・ランド家の長男だ。ランド家は三兄妹であり、二男にカストール、末っ子に長女のリゲルがいるのだが、現在は訳あって離れ離れに暮らしている。
ランド家の家長であった父は、ミゲルが十二歳のときに病で亡くなった。当時のイスカリオの法律では貴族の爵位や財産を妻が相続することができなかった為、ミゲルの叔父が全ての財産を相続した。その二年後、後に狂王と呼ばれるドリストが王位に就き、彼の気まぐれな思い付きでこの国の貴族制度は廃止される。叔父は事業を始めたが失敗し、財産を食いつぶしたあげく逃亡した。母がうまくやりくりしたおかげでなんとか屋敷だけは残ったものの、その母も末っ子のリゲルが十五歳になるのを見届けたかのように病で亡くなった。
三兄妹にはルーンの加護があったため、騎士となって名を上げればランド家の家名を復興させることも可能だった。しかし、狂王ドリストの支配するイスカリオでは、出世は王の気分次第。むしろ、真面目にやればやるほど虐げられるという話だったので、長男のミゲルのみがこの国に残り、カストールとリゲルはイスカリオを出て別の国へ仕官することにした。誰か一人でも出世すれば、ランド家の家名を取り戻すことができるはずだった。
「――家名復興の道が開けるまで、この家には戻らない」
四年前、兄妹全員でそう誓った。そして、それぞれこの家から旅立って行ったのだ。
屋敷に入ったミゲルは、まっすぐに父の書斎へと向かった。書斎には父の遺影が飾られている。まずは何を置いても父への報告が先だった。書斎に来たミゲルは、壁に掛けられた遺影の前に跪いた。
「父上。家名復興まで戻らぬという決意を破ったことをお許しください」
顔を上げたミゲルは、父の遺影を真っ直ぐに見つめた。「しかし、今日はどうしても、父上にご報告しなければならぬことがあるのです。今、我ら兄妹は別々の国に仕えております。もし、戦場で兄妹と出会うことがあっても、家名復興のために戦う覚悟です。どうか、そのことをご理解ください」
ミゲルは、もう一度、深く頭を下げた。
四年前、兄妹離れ離れになると決めた時、フォルセナ大陸は平和だった。アルメキアとノルガルドの間に小競り合いはあったものの、大きないくさなど十年以上起こっていなかった。この先も、平和な時代が続くものと思っていた。だが、大陸の情勢は大きく変わった。ゼメキスの反乱に端を発した戦乱は全土に広がり、全ての国が、大陸制覇のため、あるいは祖国を護るため、いくさを繰り広げている。
このままでは、いつかカストールやリゲルと戦場で会うかもしれない。
その時、自分は弟たちに剣を向けることができるのか。弟たちは自分剣を向けることができるのか。
迷いがあった。だが、家名復興のためには、避けては通れぬ道だ。
ミゲルは、父への報告をもって、その迷いを断ち切るつもりでいたのだ。
顔を上げ、立ち上がったミゲルは、そばにあったテーブルの上の手紙に気が付いた。ミゲル兄さんへ、と書いてある。
「私宛……リゲルからか!?」
彼のことを『ミゲル兄さん』と呼ぶのは末っ子のリゲルしかいない。ミゲルは手紙を手に取った。こんな手紙がここにあるということは、リゲルも家に帰っていたということだろうか。ミゲルは、手紙を開いた。
『ミゲル兄さんへ。
お元気ですか? ミゲル兄さんは、自分の体調を考えず無理をしてしまうことがあるので、ちょっと心配です。
今日は、お父さんの命日なので帰ってきました。本当は、家名復興の道が開けるまで戻らない約束でしたが、破ってしまってごめんなさい。でも、おかげでカストール兄さんと会いました。カストール兄さんは仕官先が決まり、お父さんとお母さんへの報告のために戻ってきたようです。二人で昔の話をして盛り上がってしまいました。ミゲル兄さんもいれば、もっと楽しかったのに。でも、ミゲル兄さんは意志の強い人だから、帰ってこないと判っていました。あれ? じゃあ、なんで手紙なんて書いてるんだろう? まあ、いいよね。
あたしも、カストール兄さんも、元気でやっています。出世はまだ遠いかもしれないけれど、いつかきっと、家名を復興できると信じて、これからも頑張って行こうと思います。
ミゲル兄さんも、どうかお体に気を付けてください。
また会える日を楽しみにしています。
リゲル』
ミゲルは手紙を閉じ、小さく笑った。結局は、カストールとリゲルも約束を破っていたということか。
だが、会わなくて良かった――そう思う。会っていれば、ミゲルはきっと、言ってはいけないことを言っていただろう。イスカリオに戻って来い、と。
四年前、兄妹が離れ離れになることを決め、二人を他国へ仕官させたのはミゲルだ。それなのに、今さらそんなことが言えるはずもない。
だが、本心を言うと。
――兄妹が別れたことは間違いだったかもしれない。
ミゲルは、そう思い始めていた。
狂王ドリストの元では、どんなに優秀な騎士であっても出世は望めない――そう思っていた。実際、そういう面はある。だが、ドリストは噂ほど悪い王ではないと、最近になって思い始めていた。気まぐれに貴族制度を廃止したことを恨んだ時期もあったが、ミゲルは大人になって真実を知った。当時のイスカリオは貴族や王族に権力が集中し、庶民は苦しい生活を余儀なくされていたのだ。ドリストが貴族制度を廃止したおかげで、貴族たちは権力を失い、庶民の生活は一気に楽になった。もちろん、その影響でランド家は存続の危機にあるのだが、それは父の死という不運と、ランド家の遺産を預かった叔父に商才が無かったというだけの話で、王を恨むことではない。ドリストは、一見滅茶苦茶と思える行動の中にも深い思慮があるのかもしれない。そう思えて仕方がないのだ。ドリストを暗君と思い、カストールとリゲルを国から出したが、それは大きな間違いであったのかもしれない。
だが、すでに二人とも他国の騎士だ。イスカリオに戻って来いということは、国を裏切れということになる。そのようなこと、言えるはずがない。言えるはずないが、このままではいずれ戦場で会うことになる。
四年前の自分ならば、家名復興のためならたとえ肉親であろうと斬る、と、迷わず言ったであろう。
しかし、こんな手紙を読んでしまった後では……無理だ。
ミゲルは自嘲気味に笑った。迷いを断ち切るために家に帰ってきたのだが、家に帰っても迷いは消えることはない。
いや。
それは、最初から判っていたことなのかもしれない。
ならば、やるべきことは決まっている。
――帰ろう。我が君の元へ。
ミゲルは屋敷を後にした。