ノルガルドで白狼王ヴェイナードに仕える騎士ノイエは、首都フログエルの大通りを歩いていた。今日は一日お休みをもらい、行きつけの病院へ行っていたのだ。その帰りである。治療ではない。ノイエは不治の病に侵されており、もはや治療できる段階ではない。経過を診てもらい、発作を抑える薬を処方してもらうだけである。その薬も、少しずつ効きが悪くなっている。この薬が効かなくなれば、更に強い薬を処方してもらわなければならない。薬の効き目が強くなれば、その分副作用も強くなる。病が進行すれば発作が起こる頻度も高くなる。そうなると、もはや戦うどころではない。
――時間が……無い。
ノイエの心は切迫していた。医者に宣告された余命は、すでに二年を切っている。しかもそれは命の尽きる時間であり、戦場に立てる時間はさらに短いかもしれない。それまでに、なんとしてもこのいくさを終わらせなければ。陛下との
城への道を急ぐノイエ。今日は丸一日お休みだが、とても休んでなどいられない。城へ戻って訓練をしよう。現在ノイエは、治療や祝福といった初級白魔法の修得を終え、氷の魔法や魔法への耐性を上げるといった初級青魔法の修得に励んでいる。それが終われば中級白魔法の修得へ移行するつもりだが、思い切って弓や槍などの武術の訓練も受けてみるべきだろうか? いや、自分の細腕では成果は望めないかもしれない。中途半端に武術を習うくらいなら、今のまま魔法の修得に励むべきだろう。ならば、稲妻や物理防御を上げる緑魔法、毒や次元を歪める黒魔法の修得も目指してみるか、あるいは、あまり多くは望まず、このまま白魔法と青魔法を極めるべきか……城に戻ったら、グイン様に相談してみよう。
道の途中、大きな広場の前を通りかかった。普段は何も無い場所なのだが、いつの間にか大きなテントが建てられていた。『ウベド・エベクス一座公演、間もなく開催!!』との看板が掲げられている。どうやら旅芸人の一座が公演の準備をしているようだ。今この国はいくさで大変だというのに不謹慎ね――と、一瞬思ったが、そんな自分を恥じた。彼らには彼らの人生がある。国の事情を一方的に押し付けることなどできない。それに、こんな時だからこそ、娯楽で人々の心を癒すことが必要なのかもしれない。ノイエは小さくため息をつく。最近、心に余裕が無くなってきているように思う。残された時間は少ない。考えないようにしても、どうしても考えてしまう。早く戦争を終わらせなければ――その気持ちが強くなればなるほど、焦ってしまう。
ノイエは、城へ戻ろうとした。すると。
「それじゃ、あたいは今日でクビだってこと!? そんなのヒドイよ!!」
広場から大きな声が聞こえてきた。見ると、テントの前で少女と中年の男が何やら言い合いをしている。少女は、ツインテールの髪型にリボンを付け、フリフリのたくさんついたピンクの服を着ている。もう一人は眼鏡をかけ、立派な口髭をはやした大柄の男だ。恐らく、この一座の踊り子と座長だろう。
「いや、コルチナ……さん。クビだなんて言ってないだろ?」男の方が少女をなだめるように言う。「私は、ルーンの騎士様を舞台に立たせるなんて恐れ多くてできない、と言ってるだけじゃないか」
――ルーンの騎士? あの娘が?
少女を見るノイエ。顔にはまだ子供の幼さが残り、恐らくノイエよりも年下――十五歳前後だろう。本当に騎士だとしたら貴重な存在だ。ルーンの加護を受ける年齢は人それぞれで、子供や若い頃に授かる者もいれば、歳を重ねてから授かる者もいる。優秀な騎士となるためには、やはり早く加護を受けた方が良い。無論、本人の才能も大きいが、早めに騎士の修業に打ち込めた方が有利であることは間違いない。
「あたいは騎士じゃなくて踊り子なの。ほら見て。毎日ちゃんと練習してるんだから!」
少女は座長の前でくるっとターンし、足を上げた。だが、そのターンにはキレがなく、足もあまり上がっていない。踊りに関しては素人のノイエが見ても、まだまだ練習が足りないように思う。
だが、少女は自信満々に言う。「ね? こんないい踊り子、クビにするなんてもったいないよ! あたいはまだまだ練習して、フォルセナ1の踊り子になるんだから。ねぇ、座長さん。お願いだから、クビなんて言わないで……ここを追い出されたら……あたい…行くところなんて無いんだよ……」
少女は嗚咽を漏らし始めた。
だが、座長は頑として譲らない。「泣いたってダメなものはダメだ! 騎士様の踊り子なんて、見てる方が緊張しちまう。お客が寄り付かなくなったらどうすんだ! さあ! さっさと出って行ってくれ!」
座長は少女を両手で押した。軽く押したように見えたが、少女はよろけ、尻餅をついて倒れた。
「いったーい! なにすんのよ!! 訴えるわよ!」
座長は少女の言葉を無視してテントの中へ入った。
「あったまきた! いいわよもう! こんなちっぽけな旅芸人の一座なんて、こっちから願い下げよ! ふーんだ! あたいが売れっ子になってから後悔しても知らないからね! 土下座したって、あんたの舞台には出てやんないよ!!」
拳を振り上げて抗議する少女。
ノイエは広場に入り、倒れている少女に手を差し出した。「大丈夫? ケガはない?」
「え? あ、うん。平気」
少女はノイエの手を取って立ち上がり、おしりの土埃をはらった。
ノイエはハンカチを取り出す。「さ、これで涙を拭いて」
「ありがと。でも大丈夫。これ、ウソ泣きなの。倒れたのも、ワザとなんだ」
「そうなの?」
「うん。上手でしょ? 踊り子には、演技力も必要だからね」
へへ、と、無邪気に笑う少女。つられてノイエも笑う。
「ところで、いまの話聞いてた?」と言って、少女は前のめりになった。「あたい、踊り子の卵なんだけど、少し前にルーンの加護を受けちゃったんだ。でも、騎士なんてガラじゃないから、ずっと黙ってたんだけど、今日、座長にバレちゃってね。そしたら、今まで威張り散らしてた座長の態度が一変! 急に『コルチナさん』なんて呼び始めて、気持ち悪いったらありゃしない。まあ、それだけならいいんだけど、『ルーンの騎士様を舞台で踊らせるなんて恐れ多くてできない』なんて言われちゃって、追い出されちゃった。あーあ、困ったなぁ。ねえ、あなた、この街の人でしょ? どこか、雇ってくれる劇団とか知らない? ううん。劇団じゃなくても、酒場とかの小さな舞台でもいい。とにかく、踊れればなんだって構わないの」
「うーん。いまこの国は戦争中だから、そういうのは無いんじゃないかな」
「そうなんだ……参ったなぁ。あたい、今日泊まる所も無いんだよ。貯金もあんまりないし……」コルチナは、途方に暮れた顔になった。
ノイエは、少し迷ったが、思いきって言ってみることにした。「だったら、お城に来てみる?」
「え? お城に? お城で、踊り子を募集してるの?」
「違う違う。踊り子じゃなくて、騎士になってみるのはどうかな? って」
「あたいが騎士に!?」
「うん。いまお城では、在野の騎士――誰にも仕官していない騎士を、広く募集しているの。あたしでもなれるくらいだから、たぶん、あなたでも大丈夫」
「え? あなた騎士なの?」コルチナは、ノイエの姿を頭から足元まで見た。「とてもそうは見えないけど」
「ふふ。そうね。実は、ずっと昔だけど、あたしも舞台に立ってたことがあるの。両親が宮廷楽師でね。その関係で、子供の頃に何度か歌を歌ったわ」
「え? ノルガルドの宮廷楽士隊で歌ってた子供って……まさかあんた、ノイエ!?」
「あ、うん。そうだけど、あたしのこと、知ってるの?」
「そりゃ知ってるわよ! 舞台に立つ人で、『天使の歌声を持つ少女』のことを知らない人なんていないよ!」
「そんなたいしたものじゃないけど……まあ、そんなふうに呼んでくれた人もいたかな」
「すっごーい! ねえねえ、いまも宮廷楽士隊にいるの? どんな歌を歌ってるの?」
目を輝かすコルチナ。なんだかその視線がまぶしく思えて、ノイエは視線を落とし、小さく首を振った。「ごめんなさい。いまは歌ってないのよ」
「えー!? 何で歌わないの!? もったいないよ!」
「ありがとう。でも、楽士隊は、前の王様の命令で解散させられたの。この国は、ずっと戦争をしているから」
「そうなんだ。あたいたち踊り子も同じだよ。戦争が始まってから、街の劇団は客がいなくなったり、お国の命令とかで、次々と店をたたんでる。あたいもこれまでいろんな劇団を転々として、なんとかあの旅芸人一座に雇ってもらえたんだけどね」
静かな口調で話すコルチナだが、ノイエは彼女の言葉の裏に憤りが潜んでいるのを感じた。その気持ちは、ノイエにも痛いほど判る。ノイエも、楽士隊が解散させられたときは前王を恨んだ。戦争などという国の勝手な都合で、なぜ両親らが職を失わなければならないのか、なぜ夢を諦めなければならないのか、と。
だがノイエは、大人になってから知った。この国は、戦わなければならない理由があるのだ。戦わなければ未来はないのだ。
だから。
「――あたしね。いまは騎士をしているけど、歌うのを諦めたわけじゃないの。いまは戦争中だから楽士隊を組む余裕がないだけで、戦争が終われば、また楽士隊は再編されるって信じてる。陛下は、そう約束してくれたから……」
「ん? 陛下?」
「ううん。なんでもない――だから、あたしは、一日でも早くこの戦争を終わらせるために、騎士になったの。戦争を終わらせて、平和な時代になって、みんなが安心して歌や音楽を楽しむことができるように」
「そう……なんだ」
「うん」
コルチナは、腕を組んで何か考えていたが、やがて顔を上げた。「よし。決めた。あたいも騎士になる!」
「え? ホント?」
「うん。いまはどこの劇団も苦しいし、このままだと、どこに行っても、ちゃんと踊ることはできないと思う。だったら、あなたと同じく、一日も早くこの戦争を終わらせるのが一番。あたいも、踊り子みんなが安心して踊れる世界をつくってみせる」
「ええ。一緒にがんばりましょう」
「あ、でも、その代わり、ふたつ、約束してくれる?」
「なに?」
顔を傾けたノイエに、コルチナは人差し指を立てた。
「ひとつ目は、騎士は夢への通過点ってこと。あたいの夢は、あくまでもフォルセナ1の踊り子になること。『大陸に平和をもたらした奇跡の踊り子』とかなんとか、そんなキャッチコピーで売り出すためにやるの。だから、戦争が終わったら、ぜぇーったいに、踊り子に戻してもらう」
「うん。もちろんだよ」
コルチナは、もう一本指を立てる。「ふたつ目は、戦争が終わったら、あたいと一緒に、舞台に立ってほしいの」
「え? あたしと?」
「そう。あなたが歌って、あたしが踊るの。あたい、あなたの歌を聞いてみたいのはもちろんだけど、それよりもずっと、天使の歌声に合わせて踊ってみたい」
「それは……」
言い淀むノイエ。ひとつ目は約束できる。だが、ふたつ目の約束は、できるかどうか判らない。
ノイエが黙り込んだのを誤解したのか、コルチナは。「あ、もちろん、正直言って今のあたしの踊りじゃ、あなたの歌のレベルに合わないと思う。でも、今から練習して、戦争が終わるまでには、必ず、あなたの歌で踊るのにふさわしい踊り子になってみせるから。お願い!」
「ううん。そういうことじゃないの。あなたの踊りに不満がある訳じゃなくて……なんと言ったらいいか……」
ノイエは小さく頷いた。「判った。約束する」
「ありがと!」
二人は、固く手を握り合った。
「ようし! じゃあ、早速お城に案内してちょうだい! 『旅の踊り子コルチナ・鮮烈の騎士デビュー』って、ハデに宣伝してね!」
屈託のない笑顔で言うコルチナ。つられて、ノイエも笑う。そう言えば、さっきからずっと笑ってばかりだ。こんなに笑うのは、ずいぶん久しぶりな気がする。いくさが始まってから――いや、余命を宣告されてから、心から笑ったことなんて無いように思う。
「――ありがとう」
ノイエは、心からの笑顔で言った。