ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

44 / 165
第四十四話 リオネッセ 聖王暦二一五年八月上  レオニア/ターラ

 女王リオネッセは、居城の屋上から、一面に広がる聖都の景色を見ていた。城の周りは湖に囲まれ、その外にターラの街並みが広がっている。その先には平原が広がり、はるか彼方には、人が立ち入ることを拒むような高い山々がそびえ立っている。

 

 女王に就任した直後から、リオネッセはよくこの屋上に来ていた。ここは、彼女の心が安らぐ数少ない場所。故郷の村が恋しいときや、女王の責務に押し潰されそうなときなど、何か悩みがあるときは、決まって、ここからの景色を眺める。一人で眺めることもあるが、そばにキルーフがいたことの方が多かったように思う。悩み事はなんでも話した。彼は嫌がることなく、いつも聞いてくれて、そして、励ましてくれた。もっとも、具体的に役立つ助言をしてくれたことは一度も無い。「ガンバレ」とか「負けるな」とか、そんな言葉だけだ。でも、それで良かった。なんでも話せる人がいる――それだけで、リオネッセの心の負担は軽くなるのだ。

 

 だが、いまリオネッセのそばにキルーフはいない。たとえいたとしても、いま彼女が抱えている問題は、決してキルーフには解決できない。話すことさえできないから。

 

 リオネッセは平原の向こうにそびえ立つ山々を見つめた。あの向こうは、今回の戦乱の発端となった国・エストレガレス帝国だ。女王に就任した頃は、こんな大きないくさが始まるなど、思ってもみなかった。

 

「――人は、なぜ戦うのでしょう」

 

 つぶやくように言う。独り言ではない。神への問いかけ。あるいは、自分自身への問いかけだった。

 

 レオニアが戦うのは、この国を敵国から護るためだ。戦わなければ、この国は他国に制圧され、滅亡してしまう。民は、土地や財産を奪われ、占領国の奴隷とされるか、あるいは殺される。この国を護るためには、戦うしかない。

 

 だが、はたして本当にそうなのだろうか? 半年前、ノルガルドのヴェイナード王と会合を行った時、属国となることを迫ったヴェイナードはこう言った。属国となればレオニアはノルガルドの民も同然、理由もなく虐げたりはしない、と。この言葉を信じてよいものかは判らない。だが、彼の言うことが本当ならば、民は、土地や財産、地位や命を奪われるようなことは、決してないであろう。レオニアという国の名前は無くなるが、民は残る。それは決して滅亡ではない。護るべきは国の民であって、国の名前ではない。ならば、ノルガルドとの戦いは無意味ではないのか。

 

 ノルガルドはなぜ戦うのか――リオネッセは、その理由がずっと判らなかった。ただ他国を支配するために戦う、そう思っていた。何のために他国を支配するのか、その理由までは、深く考えることは無かった。己の欲望のため、そう思っていたのだ。だが、先ほどリオネッセは、ノルガルドが戦う理由が判ったような気がした。彼等もまた、国を――民を護るために戦っているのかもしれない。

 

 戦いそのものに意味はない――リオネッセはそう思っている。何かのため、誰かのために戦って、初めて意味を持つのだ。

 

 ならば、エストレガレスやイスカリオ、他の国にも、それぞれ戦う理由があるのだろうか。戦う以外に道はないのだろうか。

 

「――人は、なぜ戦うのでしょう」

 

 もう一度問う。答える者はいない――はずだった。

 

 だが。

 

「――答えは簡単だ、女王。人は、戦うのが好きなのだよ。どのような理由を付けようとも、それは言い訳にすぎぬ」

 

 誰もいなかったはずの屋上に、低く、しわがれた声がした。地の底から聞こえてくるような禍々しい響きだった。

 

 振り返ると、いつからそこにいたのか、老人のような姿をした男が立っていた。()()()()()()――老人ではない。ひと目見て、なぜだかそう感じた。顔は皺だらけで、頬の肉は落ち痩せこけているが、それでも老人のように見えないのは、その姿があまりにも異様だからだ。男は首をわずかに斜めにし、じっとこちらを見ている。その目からは生気を感じなかった。墨を溶かしたような黒目が怪しげな光沢を放っている。まるで、眼球の代わりに黒曜石を埋め込んでいるかのようだ。頭に毛髪は無く、代わりに目と同じ色をした水晶のような球がいくつも埋め込まれていた。闇よりも黒い法服を着て、血のように深い紅色の外套を羽織り、古代のルーン文字をかたどった杖を手にしている。

 

「誰です!」

 

 叫ぶように言うリオネッセ。城の者ではない。外部からの侵入者だ。だが、当然この城の警備は万全で、外部の者が簡単に侵入できるはずがない。一体、どこから現れたのか。

 

 男は、ゆっくりとした口調で言う。「――我が名はブロノイル、求め続ける者。女王リオネッセ、そなたの命を貰いに来た」

 

「なにを……!?」

 

「そなたはこの戦乱の世の君主にふさわしくない。いくさに消極的な王など必要ないのだ。よって排除する。案ずるな。代わりは用意する。ゼメキスやヴェイナードのように、大陸全土を欲する者をな」

 

 男が、一歩近づいた。

 

 ――逃げなきゃ。

 

 直感的にそう思った。

 

 リオネッセは女王であると同時に騎士でもある。就任以来騎士としての修業も欠かさず行ってきた。今では上級魔法を含む多くの白魔法を修得している。白魔法は、傷を癒したり祝福したりといったものだけでなく、不死のモンスターを葬る魔法の言葉や、神の光といった攻撃魔法もある。しかし、恐らくこの男には通用しないだろう。戦わずともそれが判る。向かい合っているだけで、全身を小さな針で刺されているような痛みを感じる。それは、この男の内に秘めた禍々しき力を肌で感じているからだ。男の魔力はリオネッセとは比べ物にならない。戦っても勝ち目はない。逃げるしかない。だが、ここは屋上だ。城内へ戻る階段は男によって阻まれており、後ろは二十メートル近い高さだ。飛行の魔法があれば飛び降りることも可能だが、残念ながらリオネッセは使えない。身を乗り出して下を見た。何人かの衛兵の姿が確認できる。

 

「助けを呼んだところで無駄だぞ、女王」リオネッセの意図を察したかのように、男が薄く笑う。「護衛がここに来るまでに全て終わる」

 

 男が右手をかざした。掌から炎が噴き出し、巨大な塊となる。それを、リオネッセに向けた。

 

「死ね」

 

 男の掌から炎の塊が放たれる瞬間。

 

「――させるかよ!!」

 

 階段を駆け上がってきたキルーフが、斧を振り上げて男の背後から斬りかかる。男の注意が逸れ、炎が小さくなった。キルーフは斧を振り下ろした。その刃が男の脳天に触れる瞬間、男の全身を幾筋もの青い稲妻がほとばしった。斧はとてつもなく硬いものを叩いたかのように、男の数センチ手前で火花を散らして弾き返された。

 

「ふん、邪魔だ」

 

 男は振り返り、キルーフに向け炎の塊を放った。キルーフの乱入で精神集中を妨げられた為さきほどよりも小さな炎だが、それでも、キルーフの胸に直撃し、大きな爆発を起こす。その勢いでキルーフの身体は大きく吹き飛ばされた。

 

「キルーフ!!」

 

 叫ぶリオネッセ。

 

 その声に反応するかのように、キルーフはすぐに起き上った。「大丈夫だ! これくらいなんてことねぇ!!」

 

 だが、キルーフの身に着けていた胸当ては焼け焦げ、大きく歪んでいた。強い衝撃だったことが伺える。

 

「邪魔をするなら貴様から始末するぞ」

 

 男は杖を振りかざした。杖の先の空間が歪み、漆黒の闇が生じた。その闇から、呪いの魔力が溢れ出す。

 

 だが、その前に。

 

「――キルーフ! 伏せて!!」

 

 リオネッセが、祈りの力を天へ向けた。次の瞬間、天から純白の光の柱が降り注ぐ。神の光――最上位の白魔法だ。

 

 神の光が男を襲う。轟音と共に、城全体を揺らすほどの強い衝撃。神の光は、男の身体を燃やし――いや、男の周りを、またも幾筋の青い稲妻がほとばしった。男の身体は全くの無傷だ。

 

「無駄だ。その程度の魔法では、我が結界を破ることはできぬ」

 

 結界――そのような魔法、リオネッセは知らない。物理的な攻撃から身を護る魔法や、魔法への耐性を上げる魔法はあるが、それらは完全に攻撃を防げるわけではないのだ。男が使っているのは、リオネッセが知るいかなる魔法とも違う。

 

「――そうかよ!」

 

 再びキルーフが斧を振るった。結界がそれを受け止める。キルーフは攻撃の手を緩めず、二発、三発とさらに斧を振るう。

 

「無駄だと言っているのが判らぬのか」

 

 男が杖を振りかざした。

 

 それを見たキルーフは、急に動きを変える。身を屈めると、男の横をすり抜け、リオネッセの元へ走った。

 

「逃げるぞリオネッセ! コイツには勝てねぇ!」走りながら叫ぶ。

 

「逃げるって、どこへ!?」

 

「こっちだ!」

 

 キルーフは斧を捨ててリオネッセの手を取り、階段とは逆の方へ走った。その先には腰の高さほどの石壁があり、その向こうは二十メートル下へ真っ逆さまだ。

 

「俺の身体がどうなろうと、お前だけは絶対に護ってみせるからな!」

 

 キルーフは両手でリオネッセを抱え上げると、石壁を乗り越え、外に飛び出した。

 

 一瞬の浮遊感の後、内臓がひっくり返るような感覚。二人の身体が地面に吸い寄せられる。この高さでは、いかにキルーフと言えどただでは済まない。リオネッセは目を閉じ、キルーフにギュッと抱きついた。

 

 ――お願い! キルーフを護って!

 

 神に祈る。

 

 その瞬間。

 

 ふわり、と、空に舞い上がるような感覚。

 

 ゆっくりと目を開けると、落下の速度が落ちている。

 

 二人の身体は、ゆっくり、ゆっくりと、地面へと近づく。

 

「……何が起きてるの?」リオネッセはキルーフを見た。

 

「いや……判らん」キルーフも首をひねる。

 

 やがて二人の身体は、静かに着地した。

 

 キルーフがリオネッセを下ろす。

 

 と、キルーフの懐から、大きな白い羽が落ちた。

 

 羽は薄いブルーの光を放っていたが、やがて消えた。 

 

 キルーフが羽を拾う。「これ、さっきバーリンから貰ったんだ。これのおかげか?」

 

「うん。なんだか魔法の力を感じるわ」

 

 強い衝撃があり、地面が揺れた。二人のすぐそばに男が立っていた。

 

「無駄だ。逃れられはせん」

 

 二人を見て恐ろしげな笑みを浮かべる。あの高さから飛び降りたのに、何のダメージも受けていない。

 

 キルーフはリオネッセをかばうように立った。「俺が時間を稼ぐから、お前は逃げろ」

 

「でも、それじゃキルーフが――」

 

「早く行け!」

 

 男が杖を振りかざした。途端に、天に黒雲が集まってくる。稲妻の魔法。それも、かなり広範囲を襲うものだ。逃れるのは難しい。

 

「――曲者だ! 皆すぐに集まれ!!」

 

 アスミットの声が響いた。同時に、緊急事態を告げる鐘が乱打される。それに呼応するかのように、パテルヌスやシャントゥールら騎士と、城の守備に就いている兵が集まってくる。

 

「気付かれたか」男は口の端に不敵な笑みを浮かべ、杖を下ろした。頭上の黒雲は霧散する。「まあ良い。ここは退いてやる。すでに他の手は打ってあるのでな」

 

 男の周囲の空間が歪み、闇が生じた。闇が広がり男の全身を飲み込むと同時に、空間の歪みも消える。男の姿は無くなっていた。

 

「女王! 無事ですか!」アスミット達が駆け寄ってきた。

 

「はい。大丈夫です」リオネッセが答える。「でも、キルーフが」

 

「俺は何ともねぇよ」

 

 キルーフは強がって言うが、あの炎を喰らって大丈夫とは思えない。

 

「すぐに治療するわ」

 

 リオネッセはキルーフの胸当てをはずし、怪我の状態を確認する。爆発の衝撃と高熱により、キルーフの胸は赤黒く変色している。酷い怪我だ。リオネッセは手をかざし、祈りの言葉と共に円を描くように動かした。手のひらから優しい光が溢れ出て、キルーフの傷が治って行く。治療の魔法だ。

 

「……もう。こんな状態で屋上から飛び降りるなんて、無茶するんだから」呆れ声で言うリオネッセ。

 

「はは……お前を護らなきゃ、って、必死だったんだ」キルーフは苦笑いを浮かべて屋上を見上げた。「確かに、ちょっと高すぎたな。バーリンに感謝しなきゃだぜ」

 

「そうね」リオネッセは微笑んだ後、顔を傾けた。「でもキルーフ、どうして、あたしが襲われてるって判ったの?」

 

「そりゃあ、お前、あれだよ。お前のピンチは、どこにいたって判るんだよ、俺は」

 

 胸を張って言うキルーフ。だが、どこかしどろもどろになっている。リオネッセは、目を細めてじっと見る。

 

「……と言うのは冗談で」キルーフは観念したような顔になり、バツが悪そうに頭を掻いた。「ホントは、お前に謝ろうと思ってたんだけど、なかなかタイミングがつかめなくてな。ずっと、様子を伺ってたんだ」

 

「フフ。そんなことだろうと思った」

 

 キルーフは表情を引き締めた。「リオネッセ。今朝のことは、すまなった」

 

「――うん」

 

「俺は焦ってたんだ。お前が、女王としても、騎士としても、どんどん成長していくのに、俺は村にいた頃と同じ、ガキのまんまだ。俺は、お前に置いて行かれるんじゃないかって思ったんだ。だから、無性に自分に腹が立って、悔しくて、お前に八つ当たりしちまった。本当に、すまない」

 

「ううん。大丈夫だよ。キルーフなら、きっと気付いてくれるって、信じてたから」

 

「俺、今はこんなんだけどよ、これから修行して、絶対に、お前を護れる騎士に――お前に似合う男になってみせるから」

 

「うん。判った」リオネッセは笑顔で頷いた後、続けた。「でも、あたしは、キルーフを置いて行ったりしないよ? あたし、女王になってからもずっと、キルーフに支えられてるから」

 

「――俺が?」

 

「うん。あたし、このお城に来て、みんなに『女王陛下』って呼ばれて、苦しかったの。あたしには女王の資質なんて無いのに、みんなから期待されて……女王って名前に、押し潰されそうだった。でも、そんな時、キルーフだけが、あたしを『リオネッセ』って、呼んでくれたの」

 

「……ああ」

 

「だからあたし、気づいたんだ。あたしは女王になったけど、リオネッセのままでもいいんだ、あたしはあたしのまま頑張ればいいんだ、って。キルーフがいなかったら、あたし、何もできずにただ泣いてばかりだったと思う。本当に、感謝してる。これからもずっと、あたしを支えてほしいの」

 

「もちろんだ」

 

 キルーフは力強く答え、リオネッセの手を取った。

 

 じっと、見つめあう二人。

 

 そして――。

 

「うえっふぉん」ワザとらしい咳払いがした。「我々のことをお忘れではないですか?」

 

 最高司祭のパテルヌスがすました顔で言った。二人はすぐに手を放し、跳んで離れる。そう言えば、すぐ側にパテルヌスとアスミットがいたのに、すっかり二人だけの世界に入り込んでしまった。

 

 パテルヌスが表情を引き締めた。「――女王。あれは、何者です」

 

 リオネッセは首を振る。「判りません。ブロノイル、と名乗ってましたが」

 

「ブロノイル……聞いたことありませんな」パテルヌスはアスミットを見た。

 

 アスミットも首を振る。「私も初めて聞く名です。ですが、無名の魔術師などではありえませぬ」

 

「赤魔法だけでなく、黒魔法や、緑魔法も使えるようでした」リオネッセが言った。「それだけでなく、結界や、突然現れ、突然消えるような、未知の魔法も……」

 

 アスミットが顎に手を当てた。「失われた古代魔法に、そのようなものがあります。私も、古い文献で読んだだけですが」

 

「じゃが――」と、パテルヌス。「古代魔法など、もう二百年以上も前の話じゃぞ。そのような魔法を使いこなす者とは、いったい……」

 

「戦乱の世に、あたしのようないくさに消極的な君主は必要ない、と言っていました」リオネッセの顔色が悪くなる。「だから、あたしを排除すると」

 

「アスミット!」と、キルーフが声を上げた。「てめぇは、ちゃんとリオネッセの護衛をしてんのか!」

 

 リオネッセが睨む。「キルーフ。あなたが謝らなきゃいけないのは、あたしだけじゃないでしょう?」

 

「――――っ!」

 

 キルーフは悔しそうに奥歯を噛んでいたが、やがて姿勢を正すと、頭を下げた。「――さっきはすまなかったな、アスミット」

 

 言葉は悪いが、彼なりの精一杯の謝罪なのだろう。

 

「過ぎたことはもう良い。それに、此度の件は、そなたの言う通りだ」

 

「え――?」

 

 キルーフが頭を上げると、今度はアスミットが頭を下げた。

 

「女王。今回あなたを危険にさらしたのは、私の責任です。どうぞ、罰して下さい」

 

「罰するなんて、そんな……」困惑するリオネッセ。「アスミットさんは、良くしてくれてます」

 

「なんだよ……調子狂うな」キルーフは頭を掻いた。「わーったよ。頭を上げろよ」

 

「私が頭を下げているのはキルーフではない、女王だ」アスミットは冷静な声で言った。

 

「ケッ! 口の減らないヤツだぜ。まあいいや。とにかく、リオネッセのことは任せたぞ。じゃあ、俺はそろそろハドリアンに戻るぜ」

 

「待て、キルーフ」アスミットが止めた。「そなたは私の部隊から外れてもらう。北のダマスへ向かい、イスファスの部隊に入れ。そなたの育成は、イスファスに任せることにした」

 

「なんだと!? てめぇまさか、俺を厄介払いしようってのか!?」

 

「そうではない。そなたは、私の元にいても成長できぬ」

 

「――――?」

 

 言っている意味が判らず、目を白黒させるキルーフ。

 

「ほっほ。確かにそうかもしれんのう」と、パテルヌスが笑った。「アスミットは何事も理論で片づけてしまうパーフェクトマンじゃからな。キルーフとは、相性が悪すぎるであろうな。それに比べ、イスファスの部隊は武闘派ぞろいじゃ」

 

「その分、修業は私とは比べ物にならぬほど苛酷だぞ」アスミットが小さく笑う。「加えて、キルーフには一切容赦するなと頼んでおいた。はたしてそなたに耐えられるかな?」

 

「へん! 上等だ! 俺は、そういうのを待ってたんだよ!」キルーフは、右の拳を左の掌に打ち付けた。「見てろ! 俺は、すぐにこの国で一番強い騎士に……いや、この大陸で一番強い騎士になってやるぜ!!」

 

「フッ、楽しみにしているぞ」

 

「キルーフ、頑張ってね」リオネッセは両手で拳を握って胸の前で振った。

 

「ああ、任せとけ!」

 

 キルーフは、北のダマスへ向かおうとした。

 

 だが――。

 

 兵が一人駆けて来て、アスミットの前に跪いた。「緊急事態です! 南のハドリアン砦が陥落したとの知らせが!!」

 

「なんだと!?」声を上げるアスミット。

 

 ハドリアンは、先日イスカリオの侵攻を受け大きな被害が出た。主力モンスターのロックは戦力を失い、切り札のフェニックスが何者かに暗殺されたのだ。それでも、新たな兵やモンスターを補充し、戦力の補強を行っている。首都防衛を想定した訓練のためアスミットとキルーフは守備隊から離れたが、代わりに信頼できる部下を派遣した。何より、南北を切り立った崖に挟まれた地形上に建つあの砦は、そう簡単に落ちるものではない。

 

「敵将は誰だ!? 狂王か!?」パテルヌスも声を上げて訊く。

 

「いえ、敵はイスカリオではなく、エストレガレス帝国です!」

 

「――――!!」

 

 伝者の報告に、誰もが言葉を失った。この戦乱を巻き起こしたゼメキスの国が、ついに、レオニアへと侵攻してきた。

 

 伝者は続ける。「帝国軍はカドール・ギッシュ・エスクラドスの三将からなる混成部隊です。カーナボンから南のイスカリオ領アスティンへ侵攻し、これを制圧。そこから東へ進軍したものと思われます。ハドリアンの兵や民は、虐殺されたとの報告も……」

 

 虐殺――その言葉に、リオネッセは小さく悲鳴を上げた。

 

「すぐに対策を立てなければ」アスミットは女王たちを見た。「女王、パテルヌス司祭、部屋に戻りましょう。キルーフ、すまぬが、ダマス行きは一旦中止だ。待機し、指示を待て」

 

「お……おう……」

 

 リオネッセはアスミットとパテルヌスと一緒に政務室に戻った。

 

 アスミットは事務机の上に地図を広げた。帝国軍がアスティンからハドリアンへ侵攻したということは、そのまま北上してくる可能性が高い。ハドリアンの北にあるのはグルームという城だ。川の北側に建つ城だが、川幅は決して広くはなく、ハドリアンを落とした軍相手に長く耐えられるとは思えない。グルームが落とされれば、その北はもう聖都ターラだ。

 

 ノックも無しに扉が開き、伝者が飛び込んできた。「急報です! グルームの城が、エストレガレスの襲撃を受けていると!!」

 

「くそうっ!」

 

 拳を机に打ち付けるアスミット。普段の完璧主義者の姿からは想像もつかないほど感情が乱れていた。

 

「侵攻が早いな」パテルヌスが落ち着いた口調で言った。だが、その顔色は良くない。「敵は、一気にこのターラまで攻め入るつもりやもしれぬ」

 

「間違いないでしょう」アスミットは落ち着きを取り戻し、静かな口調で言った。

 

「じゃが、解せぬな。帝国は、なぜ我が国を攻める。今の帝国にとって重要なのは、ソールズベリーの奪還だと思っておったが」

 

 エストレガレス帝国は、六月下旬に魔導国家カーレオンに攻められ、ソールズベリーという城を占領されている。ソールズベリーは帝国南部の極めて重要な都市であり、いち早く奪還しなければならない城のはずだ。

 

「確かに、意図を汲みかねる動きです」アスミットが言った。「攻められている我が国にとっては脅威ですが、帝国にしてみれば、この動きは戦線を無駄に拡大しているだけでにすぎません。もし、イスカリオにアスティンを落とされでもすれば、レオニアを攻めている帝国兵は退路を失い孤立します。帝国にとっては大きな損害。そのような危険を冒してまで、なぜ我が国を攻めるのか……」

 

 リオネッセは、不意に、ブロノイルと名乗った男の去り際の言葉を思い出した。

 

 アスミットが女王の表情の変化に気付いた。「……女王、どうかされましたか?」

 

「さっき、私を排除しようとしたブロノイルに言われた言葉を思い出したのです。『すでに他の手は打ってある』、と……」

 

「他の手……それが、この帝国の侵攻であると?」

 

「判りません。思い過ごしかも……」

 

「いえ、それは十分考慮すべきでしょう」パテルヌスが言った。「女王の命が目的なら、この不可解な動きも納得できます」

 

 リオネッセは息を飲んだ。「では、あのブロノイルという男は、エストレガレスと繋がっていると……?」

 

「いずれにしても、まずは女王の安全が最優先です」アスミットは地図の北部を指さした。「女王、北のケリーラウンズへ避難してください」

 

「何を言うのです! 国の一大事に、あたしだけ避難するなんて、できません!」

 

「あなたを失えばこの国は終わりなのです! ご理解ください女王!」

 

「でも――!」

 

「アスミットの言う通りです、女王」パテルヌスが女王の言葉を制した。「議論をしている時間は無いのです。それに、これは単純な避難ではありませぬぞ。女王は、女王のなすべきことがあるのです」

 

「あたしの……成すべきこと……?」

 

 リオネッセには、パテルヌスが何を言っているのか判らなかった。

 

「パテルヌス司祭は、女王にご同行を」アスミットが言った。「敵は、我らがここで喰い止めます」

 

「判った。女王のことは任せておけ」

 

「では、我らは戦闘の準備に入ります」

 

 アスミットは政務室を出て行った。

 

「――では女王。我らも、避難の準備を」パテルヌスも部屋を出ようとする。

 

「待ってくださいパテルヌス司祭。私のなすべきこととは、もしや――」

 

 パテルヌスは目を閉じ、首を振った。「私の口からは何も申し上げられません。しかし、我らは、女王の決断を尊重いたします」

 

「――――」

 

 リオネッセの胸が、ドクンと鳴った。

 

 歴史上、レオニアは南の国境ハドリアンを抜かれた例はない。侵攻する敵は、全てあの砦で跳ね返して来たのだ。そこを突破された以上、この国の命運は、風前の灯だ。

 

 女王は、決断を迫られた。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。