ノルガルドとレオニアの国境を護るハンバー城の前で、レオニア女王リオネッセは、ノルガルド王ヴェイナードと対峙していた。戦闘の前に両軍の代表者が言葉を交わす儀式・戦義だ。リオネッセの側には最高司祭パテルヌス、ヴェイナードの側には前王ドレミディッヅの娘ブランガーネが控えている。半年ほど前にダマス城で行った会見と同じような状況だ。
ヴェイナードが口を開いた。「――やはり戦場での再会となったな、女王。先日もこの城をめぐる攻防があったばかりであるし、神に仕える国も、なかなか好戦的であるな」
リオネッセは首を振った。「これはいくさではありません。緊急を要する話ですので、仕方なく戦義という形を取ったまでです。我々に、戦う意思はありません」
「それはこれからの話次第だな。それで、どのような話だ?」
リオネッセは、一度目を伏せた。胸の内に大切な人たちを思い浮かべる。アスミット、パテルヌス、バーリン、ガロンワンド、レオニアの騎士たち、そして――キルーフ。
リオネッセはヴェイナードを見据え、決意と共に続けた。「白狼王。あなた方の国の食糧事情に関する資料を読みました。それで、先日の会見の時、あなたが去り際に言った言葉の意味が判りました」
「ほほう?」
ヴェイナードは顎を上げた。
半年前のダマス城での会見で、ヴェイナードはレオニアに属国となることを迫り、リオネッセはそれを拒否した。その際、リオネッセが言った「私たちはただ静かに暮らしていたいだけ。三食きちんと食事をして、夜は静かに眠る……そんなささやかな生活を武力で奪おうと言うのならば、私たちは戦います」という言葉に対し、ヴェイナードは、「貴様らが言うささやかな生活を、どんなに望んでも手に入れることができぬ者たちが数多くいるのだ。その生活が当たり前にあるものだと思うな」という言葉を返した。
「あなたの言った通りでした」リオネッセは続ける。「私たちの国では当たり前のことが、あなた方の国では当たり前ではない。ノルガルドは、他国と比べて、『栄養充足値』が極めて低い」
栄養充足値とは、人が生きていくのに最低限必要な栄養を得ている状態を一〇〇とし、各国や地域でどれだけ栄養の過不足があるかを数値化したものである。この数値が一〇〇を上回れば十分な食事が得られており、逆に一〇〇を下回れば飢えているということである。
リオネッセはさらに言葉を継ぐ。「フォルセナ大陸全土での充足値は一二〇。十分な数値です。私たちレオニアは一一五。イスカリオ、カーレオン、旧パドストーは、おおむね一二五前後、旧アルメキアは一五五と、群を抜いて高いです。それに比べてノルガルドは七〇。他国と比べて明らかに低い。寒冷地であるノルガルドは、食糧生産率が極めて低いからです」
リオネッセの言葉を、ヴェイナードは鼻で笑った。「その数値は、あくまでもそなたらの国が勝手に調べて出したものであろう? 実際の我が国の食糧事情は、その数値以上に深刻だ」
「そうかもしれません。ならばなぜ、助けを求めぬのです? なぜ、あなた方は戦いで奪おうとするのです。援助を求めて頂ければ、我が国は応じたのに。戦い傷つけあうことがどんなに無意味なことか、あなたがお判りにならぬはずがないでしょうに」
「これは異なこと。我ノルガルドは何十年――いや、何百年も前の聖王の時代から、他国に援助を求めてきた。だが、アルメキアとパドストーは一切応じることはなかった。そなたらの国レオニアにいたっては、自治を名目に話し合いにすら応じなかったのだ。誰も我が国を助けてはくれぬ。ならば、戦って奪うしかなかろう」
「――――」
言葉を失うリオネッセ。女王になる以前の国情を、彼女はあまり知らない。だが、レオニアはアルメキア全盛期であっても自治を護ってきたのは事実だ。それはつまり、他国に一切干渉しなかったとも言える。
「お判りか、女王」ヴェイナードが続けた。「我がノルガルドは、戦わねば生きて行けぬのだ。食糧を得るには戦うしかない。生きるということ、それ自体が、不断の戦いなのだ」
「……これまでのレオニア王が援助要請に応じなかったことは、深くお詫びいたします」リオネッセは頭を下げた。「私は、誰もが等しく幸せになれる世界を目指しています。飢えている人々を、他国だからと言って、決して放置はしません。これからは、できる限りの援助をさせていただきます」
「ありがたい申し出だが、ただという訳ではないのであろう? 回りくどい話はいい。そちらの望みを言え」
「現在レオニアは、南からエストレガレス帝国に侵攻されています。ハドリアンとグルームの城は落とされ、民は虐殺されました。帝国軍は首都ターラに迫っています。このままでは、我が国は滅びてしまう。白狼王。どうか、お力をお貸しください」
「フン。前回の会合では属国になることを断わっておいて、滅亡の危機に瀕した今になって助けを求めるとは、随分と都合がよいな」
「気に入らなければ私の首を差し上げます。その代わり、どうか、レオニアを……我が国の民を、お救い下さい」
リオネッセは、深く……深く、頭を下げた。
「良い覚悟だな、女王」
「ヴェイナード――」と、ブランガーネが鋭い目で睨む。「言っておくが、女王に手出しはさせぬぞ」
ヴェイナードは小さく笑う。「ほう? どうされたのですか、姫。姫は、この者が気に入らなかったのでは? まさか、情が移りましたか」
「なんとでも言え。とにかく、女王を処刑することは許さぬ。これは、前のような芝居ではないぞ? もし従えぬのであれば、妾は決してそなたを許しはしない」
「安心なさいませ。我らはこの先、レオニアの民も統べねばなりませぬ。女王を処刑するのは得策ではありません。それよりも、もっと良い方法があります」
「何だそれは」
「まあ、それは後程。今は急を要します。一刻も早く、エストレガレスの侵攻を止めませんと」
「ふん。まあ、女王に手出しせぬのならば良い」
ヴェイナードはリオネッセを見た。「女王。今の話は、レオニアが、我がノルガルドの属国になるという風に解釈するが、よろしいか?」
「はい。レオニアを……いえ、この国の民を救って頂けるのであれば、それで構いません」
リオネッセは力の無い声で――しかし、はっきりと聞こえる声で、そう言った。
ヴェイナードは大きく頷いた。「女王の願いは承った。併合の準備は後で行うゆえ、我らはすぐに南へ向かう」
「――感謝します」
リオネッセは、もう一度、深く頭を下げた。
そして。
――さよなら、キルーフ。
胸の奥で、最愛の人に別れを告げた。