エストレガレス領リドニー要塞内は、兵達の噂話でもちきりだった。
「――おい。今日から、新しい指揮官が入るんだってな」
「ああ。南部での戦闘が激しくなってるから、四鬼将をはじめ、主要な騎士様は、みんなそっちに送られたらしい」
「陛下は……ゼメキス皇帝はどうしてるんだ?」
「陛下はオークニー奪還へ向かったそうだ。西方面も、予断を許さない戦況だからな」
「おいおい、大丈夫なのか、この城は? 対岸のジュークス城には、十万のノルガルド兵が集まってるって話じゃないか。いま攻められたら、ひとたまりもないぞ」
「仕方ないだろう。ゼメキス陛下の部隊だって、十分な兵力とは言えないんだ。七万の兵で護ってるオークニーを、五万の兵で落としに行ったんだぞ? しかも、同行したのは新米騎士二人だ」
「本当か? オークニーの兵を指揮しているのは、アルメキア時代の軍師モルホルト様らしいじゃないか」
「モルホルトはノルガルドに寝返ったんだ。様なんてつけなくていい」
「ああ、すまん」
「結局、どこの部隊も人手不足なんだな、この国は」
「よその心配はいい。いま俺たちにとって重要なのは、このリドニーの護りだ」
「新しい指揮官、チラッと見たが、なんか暗そうな女だったぜ? 大丈夫か? あんな人が指揮官で」
「バカ! 誰だと思ってるんだ。ゼメキス陛下の奥様、つまり、この国の王妃様だぞ」
「げ? じゃあ、あれがエスメレー様。もっと勇ましい人だと思ってた」
「まあ、エスメレー様なら安心だ」
「なぜだ? ああ見えて、結構強いのか?」
「強いのかどうかは判らんが、エスメレー様はノルガルド王ヴェイナードの実姉だ。簡単には攻めてこれんだろう」
「なるほど。まさか陛下は、それを狙って?」
「間違いないだろうな。自分の妻さえも、戦いの道具としか思ってないんだろう。まあ、陛下らしいと言えば陛下らしいが」
「でも、大丈夫なのか? もしエスメレー様がノルガルドに寝返ったりしたら……」
「判らんが、陛下の決断だからな。大丈夫なんじゃないのか?」
「なぜそう思う?」
「エスメレー様は、前年のノルガルドとの講和の際に差し出された、いわば人質だ。エスメレー様にしてみれば祖国に裏切られたようなものだろう。案外、白狼王を恨んでいるのかもしれん」
「なるほど。確かに、陛下がクーデターを起こした日、混乱に乗じて逃げることは可能だったのに、全く逃げようとしなかったからな」
「祖国には人質として差し出され、陛下からは戦いの道具として使われるってわけか。エスメレー様も、可哀相だな」
☆
エスメレーは城の屋上から川の向こう岸を見ていた。川の先は、祖国ノルガルドだ。
前年のいくさで旧アルメキアに敗れたノルガルドは、戦死した前王ドレミディッヅに代わってヴェイナードが新たな王となった。そして、講和の際、王の親族を人質として差し出すという条件を突きつけられた。ヴェイナードはこれに応じ、姉のエスメレーを差し出した。
エスメレーは今、エストレガレスの騎士として――そして、皇帝ゼメキスの妻として、祖国と対峙している。
兵達の噂話は聞こえてくる。ノルガルドの情勢も耳に入っている。対岸のジュークス城には多くの兵が集まっており、このリドニーに侵攻してくるのは時間の問題だ。その軍を指揮するのはヴェイナードだろう。ノルガルドにとって、リドニーは帝国の王都ログレスへ侵攻するための大きな足掛かりとなる。絶対に避けては通れない戦いだ。そんな重要な戦いを、ヴェイナードが部下に任せるはずはない。リドニーに姉がいたとしても、容赦なく攻めて来るだろう。姉と弟が再会するのは、間違いなく戦場だ。
だが、それも。
ノルガルドを出た時から、覚悟していたことだった。
エスメレーも。そして、ヴェイナードも。
その覚悟は、今も変わらない。
エスメレーは、
――これも、
胸の奥で呟いた。
北から風が吹き渡った。冷たい風だ。夏は終わり、エストレガレスで最も北に位置するこの地域では、すでに木々の葉が色づき始めている。
間もなくこの国は、冬を迎える。
(第二部 終わり)