王都ログレスとオークニーの中間にある山間の城・ディルワース。周囲を比較的低い山に囲まれたこの城は、山間を縫うように張り巡らされた街道のそばに建っている。大軍での進軍が難しいのは防衛側に有利だが、土地自体が狭いため、防衛側も軍を広く展開させづらいという欠点もある。有事以外でも不便な点は多い。とにかく城が狭いため、大軍が入ってしまうと寝る場所にも困るありさまなのだ。平時ならば他国に接していないこの城は最低限の警備兵しか配置されていないのだが、現在西のオークニー城がノルガルドの手に落ち、多くの騎士や兵が駐屯しているため、人が溢れかえるよう状態だった。
早朝。カドール配下の騎士メルトレファスは訓練場へ向かっていた。会議室や寝室などすべてが狭いディルワースは、当然、訓練場も狭い。昼になったら場所の取り合いになるので、早めに来たのである。陽が昇ってまだ間もない時間だ。誰もいるはずがない。そう思っていたのだが、訓練場にはすでに人の姿があった。
――こんな時間に誰だ?
怪訝そうな目を向けるメルトレファス。栗色の髪を後ろで束ねた女騎士だった。弓場で、人を
あれは確か、エニーデという名の騎士だ。現在帝国で弓を使う女騎士は彼女だけだ。エストレガレス帝国樹立後に仕官してきた騎士で、メルトレファスとは所属部隊が違うため、あまり詳しいことは知らない。
しばらくエニーデの弓の腕前に見とれていたメルトレファス。相手がこちらに気付き、ようやく我に返る。メルトレファスは大きく咳払いをすると、大股でエニーデに近づいた。
「おい女! ここは今から俺が使う。すぐに場所を開けろ!」
精一杯凄みを利かせたつもりだったが、エニーデは意に介した様子もなく、冷めた目を向けてきた。「……なぜ? 狭い城だけど、今は二人だけだから他に場所はあるし、そもそも、あなたは剣の稽古をするんでしょ? 仮に場所が埋まっていたとしても、先に訓練している人が終わるのを待つのが作法ってものではないかしら?」
まったく怯んだ様子もなく正論を吐くエニーデ。その態度が、メルトレファスの癇に障った。
「お前、この俺を誰だと思っている! 俺は大陸最凶のデスナイト・カドール閣下直属の部下だぞ」
「直属の部下? 腰巾着の間違いでしょ?」
「なにぃ!?」
「自分の名を名乗らず親玉の名を出すのがいい証拠よ。自分に自信がないから、力のある人の名前を出すんでしょ?」
「……くっ!」
痛いところを突かれ、歯噛みするメルトレファス。
その姿を見たエニーデは小さく笑った。「図星だったようね?」
「違う! 俺は第二遊撃隊所属のメルトレファスだ!」
「メルトレファス……」エニーデは首を傾け、記憶を探るような表情の後、続けた。「ああ、先日のキャメルフォード侵攻で、敵の総大将を目の前にしながら、みすみす取り逃がした新米騎士さんね?」
さらに痛いところを突かれ、メルトレファスは舌打ちする。「……口の減らない女だ」
それを見たエニーデは、少し驚いたような顔になる。「あら? 怒ると思ったのに、意外ね」
「俺の力不足でランスを取り逃がしたのは間違いないからな。そう言われるのは、甘んじて受けるさ」
「それは殊勝な心がけだわ」
「だが見てろ! いずれ俺は、カドール閣下のような力を手に入れて見せる! あれだけの力があれば、ランスの首を取るなどたやすい! それどころか、ゼメキス陛下のように国を興すことだって可能なんだ! 力さえあれば、何でもできるんだからな!」
不意に、エニーデの表情が曇った。「……その結果、多くの人々を不幸にするのね」
「なに?」
「力で他の者を蹴落とし、力で国を乗っ取り、力で他国を従わせようとする。その結果、力の無い人が虐げられるのよ」
「お前、帝国の騎士なのに、ゼメキス陛下のやっていることを否定するのか?」
メルトレファスは鋭い目でエニーデを睨んだ。ゼメキスが愚王ヘンギストを倒し、エストレガレス帝国を樹立したことは、多くの国民が支持しているはずだ。それだけアルメキア時代の政治が酷かったのだ。だが、それがクーデターの結果である以上、アルメキアと同盟国だった旧パドストーやカーレオンは必ず報復行動に出る。敵対国ノルガルドも攻めてくる。帝国が生き残るためには、他国を滅ぼすしかないのだ。エニーデもこの国に仕官したからには、これらゼメキスの行動に賛同しているのではないのか?
エニーデはしばらく真正面からメルトレファスの視線を受け止めていたが。
やがて、目を逸らした。「……いいえ。今のは失言だった。取り消すわ」
「……ならいいが」
「でも、あなたの考えは間違っていると思う。力は、何かの目的があって求めるものよ。力そのものが目的じゃ、虚しいだけじゃない? 力を得て、何をしたいの?」
「それは……」と、言葉に詰まるメルトレファス。力を得て何をしたいか? そう言えば、あまり考えたことは無い。ただ漠然と、力を得ようと思っていただけだった。
エニーデが、どうしたのと言わんばかりの表情で見つめている。答えに窮したメルトレファスは、「それは、力を得てから考える。今はとにかく、力を得ることが先決だ」と、苦し紛れに言った。
エニーデは小さく笑った。「まあ、今の自分の力を過信していないのは、良いことだわ」
「うるさいヤツだ。とにかくそこをどけ! それとも、力づくでどかされたいか!?」
メルトレファスは挑発するように拳を前に出した。
エニーデは首を振った。「やめておくわ。くだらないことで怪我したら、つまらないでしょ?」
「ふん。少しは判ってきたようだな」
「あたしはあなたのことを心配したのよ?」
「なにぃ! だったらやってみるか!?」
再び拳を前に出すメルトレファス。しかし、エニーデは応じず、弓と矢を片付け始めた。それを見て、メルトレファスは拳を下ろした。
荷物を片付け終えたエニーデは、「どうぞ」と、手のひらを向けた。
「ふん。最初から素直に場所を空けていればいいものを」
「じゃあ、あたしは帰るけど、ひとつ、アドバイスしてあげるわ」
「アドバイスだと? そんなものは要らん」
「まあ聞きなさい。あなたにとって、たぶん重要なことよ」
「……なんだ」
「ランス王子を取り逃がしたことを気にしてるみたいだけど、そう落ち込むことは無いと思うわよ? あなたはほぼ初陣にもかかわらず、敵国の大将を追い詰めた。確かに、取り逃がしたのはあなたの力不足が原因なんだと思う。でも、ランス王子は火竜サラマンダーを従えてたんでしょ? いくらなんでも、相手が悪すぎるわよ。むしろ、生き残れたのが奇跡だわ。あなたは確実に成長しているはず。そういうところは、みんなちゃんと評価してるわよ、きっと」
「……フン、同情なんかいらん」
「そんなつもりはないわ。本心よ」
「…………」
「ああ、それと、もうひとつ」
「なんだ? アドバイスはひとつじゃなかったのか?」
「これはオマケよ。そんなたいしたものじゃないわ」
「なんだ」
「訓練している所を誰かに見られたくないっていう気持ちは判らなくはないけど、努力するのは恥ずかしいことじゃないわ。次からは、堂々とやるのね」
「うるさい! さっさと行け!」
「あはは。じゃあ、頑張ってね」
エニーデは悪戯をした子供のような笑顔で言うと、訓練場から去って行った。
「……いけ好かない女だ」
エニーデの背中を見ながらつぶやくメルトレファス。
だが、最後に見せた彼女の笑顔は、妙に心に残った。