フログエル城の執務室で、白狼王ヴェイナードは、山積みにされた報告書に目を通していた。先月の開戦以降、各地から次々と戦に関する報告が入っている。そのすべてに目を通すヴェイナード。戦争において情報の収集は非常に重要だ。どんなに兵を鍛え、ち密な戦略を立てようとも、事前の情報を見誤れば、それが敗北につながることになる。どんな小さな情報も見逃すわけにはいかない。
ドアがノックされた。ヴェイナードは、「入れ」と、短く言った。
「失礼します」軍師のグイングラインが部屋に入り、頭を下げた。「新たな報告が入りました」
「うむ」ヴェイナードは今まで読んでいた報告書を脇に置いた。
「まず、ジュークス城の制圧に成功しました。敵は戦わず撤退しましたので、我が軍に被害はありません」
報告と同時に書類を差し出すグイン。ヴェイナードは受け取った書類に目を通す。「……戦わず逃げ出したか……賢明な判断だな。まあ、ただ臆病なだけかもしれんが」
ジュークス城はノルガルドとエストレガレス帝国の国境付近にあり、ノルガルドにとって防衛の最重要拠点だ。一年前の講和によりアルメキアに明け渡しており、今回の戦においては、まず何をおいてもこれを奪い返すことが重要であった。幸い、事前の情報通り護りは手薄で、簡単に奪還することができたようである。
グインはさらに報告を続ける。「現在はイヴァインとパロミデスの部隊を中心に兵を集めております。しかし、ジュークス城南のリドニー要塞の護りは堅く、いま攻めるのは得策ではないかと」
ジュークス城がノルガルドの重要拠点なら、リドニー要塞はエストレガレス帝国の重要拠点である。旧アルメキアがノルガルドからの侵攻に備えて建設したこの要塞は、アルメキア大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川中央の島にある。この島へ渡るため橋は、千の兵が通るのがやっとというほどの頼りない物であり、いざというときには簡単に落とすこともできる。リドニー要塞を攻略するためには、多くの船を準備するか、水兵隊や高空部隊等、専用の軍を編成する必要があるのだ。
ヴェイナードはグイングラインを見た。「リドニー要塞攻略に必要な兵を揃えるのに、どれだけ時間がかかる?」
「開戦前の予想では二ヶ月ほどでありましたが、少々予定が乱れておりますので、今のところ、めどは立っておりませぬ」
開戦前のヴェイナード達の予想では、ゼメキスはクーデターに失敗し、処刑されるはずであった。アルメキアは最大の軍隊を失うため、リドニー要塞攻略も容易に行えると読んでいたのである。
しかし、ゼメキスのクーデターは成功し、現エストレガレス帝国の軍の弱体化はほとんど無かった。ジュークス城の攻略はうまく行ったが、元々ジューク城はノルガルドの領地であるため北からは攻めやすく、さらに、クーデターの混乱に乗じた奇襲であったため、うまく行ったのだ。リドニー要塞の攻略は、同じようにはいかないだろう。
「では、オークニーの方はどうなっている?」ヴェイナードはさらに訊いた。
オークニーは、リドニー要塞と並ぶエストレガレスの防衛拠点のひとつだ。エストレガレス領内の西に位置し、ノルガルドからは、ジュークス城の西にあるリスティノイスという城から侵攻することになる。オークニーは平地に存在し、リドニーのような天然の要塞ではないが、ここはノルガルドと同時に西のパドストーとも国境を接しているため、常に多くの兵が駐屯し、護りを固めている。
「残念ながら、こちらも思わしくありません」グインは答える。「報告によると、現在オークニー城にはゼメキスの腹心・カドールを中心とする部隊が入っております。その数は十万を超え、さらに集まっているとも」
「十万以上か……護りに徹するにしては多すぎるな」
「はい。恐らく、パドストーに逃げ込んだランス王子を仕留めるためではないかと」
「なるほど……そうなると、ゼメキスの軍も入る可能性はあるな」
「はい」
ゼメキスとその腹心カドール。かつてアルメキアで最強を誇った二人の将軍は、現エストレガレスでもその脅威は健在だ。エストレガレスを叩き、フォルセナ大陸制覇を目論むノルガルドとしては避けては通れぬ相手だが、今はまだその時ではない。
「もうひとつ、良くない報告が」グインが新しい報告書を提出した。「ランス王子を保護したパドストーのコール王は、王位をランスに譲りました。パドストーは、新生アルメキア王国『西アルメキア』の樹立を宣言しております」
「ふん、あの老いぼれも、歳に似合わず思い切ったことをする」
「さらに、西アルメキアは南のカーレオンと同盟を結びました。ともに協力して帝国と戦うことを宣言しております」
「賢王カイか……コール王と同じく旧アルメキアに忠誠を誓っていたから、当然の流れではあるな」
「はい。これで西アルメキアは背後の護りを気にしなくて良くなりました。現在は、エストレガレスとの国境付近の城キャメルフォード、そして、我が国との国境付近の城ゴルレに兵を集めております」
ヴェイナードは、報告書を机に置いた。「これは、西アルメキア方面も、しばらく動きが取れそうにないな」
そのまま天井を見上げるヴェイナード。パドストーとカーレオンの同盟は想定していたことであるので、今の所大きな問題ではない。やはり、問題なのはエストレガレス帝国である。ゼメキスのクーデターが成功したのは大きな誤算だった。当初の予定では、ジュークス城奪還を足掛かりにリドニー要塞、そして、オークニーへと進軍していくはずであったが、作戦を変更せざるを得ない。
「エストレガレスも西アルメキアも進軍が難しいとなると、残るは南東方面……レオニアか」
ヴェイナードは独り言のようにつぶやいた。
レオニアは、フォルセナ大陸の東、ノルガルドの南東に位置する国である。千メートル級の高地にあるこの国は、フォルセナ大陸でも特殊な政治体制の国だ。国王をはじめとする国民のほぼすべてが一つの宗教を信仰しており、神の教えに従って国を治めている。いわゆる宗教国家である。
神の教えが国の根本にあるため、一般的には考えられないような政治を数々行っている。中でも最も特徴的なのが、国王を神託によって選ぶことである。
神託とは、神のお告げである。レオニアでは、国王が亡くなると『セイント』と呼ばれる巫女が神の啓示を受け、それに従って次の王が決まるのだ。それがどんな人物であっても、誰にも拒否することはできない。実際、レオニアの前王は一年前に亡くなったが、そのとき神託によって選ばれたのは、それまで王宮や政治とは全く関係の無い、首都から遠く離れた小さな村に住むごく平凡な十六歳の娘だった。血筋も能力も本人の意思さえも関係なく国の行く末をゆだねる者を決めるなど、ヴェイナード達には到底理解できないことであった。
レオニアは高地にあり、特に、西方面のエストレガレス側は、人が足を踏み入れることが不可能なほどの険しい山々が連なっている。そのため、国境を接するのは、北のノルガルドと、南のイスカリオの二国だ。つまり、ノルガルドがレオニアの領地を押さえれば、エストレガレスの南側から攻めることへの足掛かりになるのである。
だが、当然それは容易なことではない。
レオニアの歴史は古く、旧アルメキア設立以前より存在したとされている。宗教国家であるがゆえか独立の意識が高く、アルメキア全盛期においても属国になることを拒み、周辺国の中で唯一支配を受けなかった国である。当然、長い歴史の中ではアルメキアからの武力による圧力もあっただろうが、独立を守ってきたということは、それらをはねのけて来たということでもある。
「陛下――」グイングラインが、神妙な面持ちで言う。「レオニアは神の教えに忠実な国です。争いは好まないでしょう。こちらから手を出さなければ、向こうから攻めて来る可能性は低いと思われます。今、むやみに敵を増やすのは、避けた方がよろしいかと」
「そうだな。だが、悠長に構えていられないのも事実だ」
この一年の間、ノルガルドは戦に備え国力を蓄えてきた。優秀な人材を集め、兵を鍛え、武器を揃えた。単純な武力においては他国に劣るものではないが、一つだけ、懸念すべきことがある。
食糧である。
一年の半分を雪に覆われるノルガルドでは、食糧生産力に乏しい。今回の戦に備え兵糧を蓄えてはいるが、そう長く持つものではない。このまま何もせず戦が長引けば、やがて食糧は底を突き、兵は疲弊していくだろう。ノルガルドがこの戦に勝利するためには、短期間に決着をつけるか、早々に南の肥沃な地、および、食糧を押さえる必要があるのだ。そのためには、攻められる所から攻めて行くしかない。
「心配するな、グイン」ヴェイナードは小さく笑った。「所詮は神にすがるしかできない国だ。しかも、女王は政治も戦争も経験の無い小娘と聞く。案外、戦などせずとも、軽く脅しをかけるだけで我らに屈服するかもしれんぞ」
「それならば良いのですが……」
「レオニアに使いを送れ。予、自らが赴くゆえ、会合の席を用意しろ、とな」
「かしこまりました」
グインは右拳を左手のひらで包んで頭を下げると、執務室から出て行こうとした。
しかし、扉を開けたところでヴェイナードを振り返った。「ひとつ、気になることが」
「なんだ?」
「レオニアとの国境付近にあるハンバー城には、現在ブランガーネ姫が駐屯しております。陛下がレオニア女王と会うことを知れば、自分も連れて行けとおっしゃるのではないかと」
「フン、あのじゃじゃ馬ならあり得るな」ヴェイナードは苦笑した。
前王ドレミディッヅの子供でありながら、女子であるがゆえに王位を継げなかったブランガーネは、神託などによって王に選ばれたレオニア女王の事を不愉快に思っているはずだ。グインの言う通り、連れて行けとうるさく騒ぐのは目に見えていた。
「――まあ良い。戦いに行くわけではない。好きにさせるさ」ヴェイナードは答えた。
「判りました」
グインはもう一度頭を下げると、執務室を出て行った。