エストレガレス帝国軍は、レオニアの首都ターラの王城に迫りつつあった。
七月の上旬、エストレガレス帝国は南の城カーナボンに約八万の兵を集めていた。それを指揮するのはデスナイト・カドール、さらに、剣聖エスクラドスや帝国軍総帥ギッシュも入城し、城内は物々しい雰囲気だった。帝国四鬼将の内三人が集まっている。これは、六月の下旬に魔導国家カーレオンに奪われた重要拠点ソールズベリーを奪還するための軍編成だと、誰もが思った。
だが、この軍は予想外の動きを見せる。カドールらが率いた軍はソールズベリーではなくイスカリオ領アスティンを攻め、これを制圧。そのまま軍は北東のレオニアへ向かって進軍し、ハドリアン、グルームといったレオニアの城を次々と落とし、ついに、首都ターラへと迫ったのである。
帝国の新米騎士メルトレファスは、エストレガレス軍の最前列で剣を振るっていた。この戦いはターラの王城を落とすことが目的だ。メルトレファスの目には王城が見えているが、まだ手は届きそうもない。ターラの王城は、大きな湖の真ん中に浮かぶ島に建っている。たどり着くには一本しかない橋を渡るか、空を飛ぶモンスターや泳ぎの得意なモンスターに襲撃させるかだが、残念ながら現在メルトレファスが従えているモンスターにはどちらもいない。橋を渡るしかないが、当然レオニアの騎士や兵が総力を挙げて守っており、簡単には近づけない状況だ。
――焦ることはない。このいくさはすでに勝ったも同然だ。無理に突撃せず、目の前の敵を倒していけばいい。
メルトレファスは胸の内で自分に言い聞かせ、更に剣を振るった。斥候が得た情報によると、レオニア女王リオネッセはすでに王城を脱出したらしい。多くの騎士が女王の護衛に就いたため、このターラに名のある騎士はほとんど残っていないそうだ。兵力では圧倒的に帝国側が勝っているため、このまま戦いを続ければいずれ勝てるはずだ。もっとも、メルトレファスにとっては、己の力を試したり名を上げるための強敵がいないのが残念なことだった。
戦いを続けるメルトレファス。敵軍は疲弊し、そのまま帝国の勝利となるはずであったが。
「――援軍だ! 北から、援軍が到着したぞ!!」
レオニア兵が声を上げた。ほぼ同時に、北から駆け付けた大軍が帝国軍とぶつかる。その軍は、レオニアの兵とは明らかに違う恰好をしていた。全員が鎧の上に厚手の毛皮の外套をまとっており、掲げている旗も、レオニアのものではない。
――これは、ノルガルド軍か!?
間違いのない所だった。恐らくレオニア女王が援軍を要請したのだろう。力の無い者がやりそうなことだ。
だが、ちょうど、僧侶ばかり相手にして退屈していたところだ。相手がノルガルド軍なら不足は無い。メルトレファスは援軍に向かって剣を振るう。
と――。
「――相手は四鬼将だ。油断するなよ」
威厳に満ちた声がした。そちらを見るメルトレファス。銀の鎧に身を包んだ銀髪の男が見えた。腰に剣を携え、右手に身の丈を超える
――あれはもしや、白狼か!?
メルトレファスは体の奥底から震える思いだった。白狼ヴェイナード。言うまでもなく、ノルガルドの君主である。メルトレファスは、先日のキャメルフォード戦に続き、二度も続けて敵国の君主と対峙したことになる。強敵のいないつまらぬいくさが一転、大きく名を上げるチャンスとなった。
「おい! お前は白狼だな!!」
メルトレファスは
「……なんだ、貴様は」ヴェイナードはつまらなさそうな目でメルトレファスを見た。
「エストレガレス帝国騎士、メルトレファスだ! 白狼! この俺の力を試すのにちょうどいい相手だ!」
ヴェイナードはメルトレファスの言葉を鼻で笑った。「ちょうどいい? 面白いことを言う。どうやら、身の程を知らぬと見えるな」
「そんな口を叩けるのも今の内だ!」剣を構えるメルトレファス。
ヴェイナードの護衛兵が主君を護ろうと前に出たが、ヴェイナードが「下がっていろ」と言って、それを制した。「予も戦場に出るのは久しぶりだ。なまった体を慣らすには、ちょうどいい相手かもしれぬ」
「バカにしやがって。行くぞ!」
メルトレファスは剣を構えてヴェイナードに突撃した。一気に間合いを詰め、剣を振るう。ヴェイナードの剣は鞘に納められた状態で腰に提げられている。武器は身の丈を超える大きさの槍斧のみだ。距離を取った相手には有効な武器だが、長さと重量がある分、細かい動作は難しい。間合いを詰めれば、その長さと重さが
しかし、ヴェイナードの槍斧が信じられない速さで動き、メルトレファスの剣を受け止めた。
「――軽いな。エストレガレスの騎士の力とやらは、こんなものなのか?」
馬鹿にするようなヴェイナードの言葉。メルトレファスは一度剣を引き、今度は反対側から剣を振るった。渾身の一撃だったが、これも、ヴェイナードの槍斧によって受け止められる。
「くそ!」
メルトレファスは一度間合いを取ると、部下のヘルハウンドに攻撃を命じた。メルトレファスの両脇を二体のヘルハウンドが走り抜け、ヴェイナードに飛びかかった。二体同時の攻撃だったが、ヴェイナードはこれも簡単に受け止めた。ヘルハウンドは一度間合いを取り、また間合いを詰めて攻撃する得意戦法を数回繰り返した後。
「今だ!」
メルトレファスの合図で、二匹同時に口から炎の息を吐いた。灼熱の炎がヴェイナードを包む。ヴェイナードは、羽織っていた毛皮の外套に身を隠した。そんなものでヘルハウンドの炎を防げるはずはない――メルトレファスはそう思い、勝利を確信したのだが。
――バカな!?
炎が消えた後も、ヴェイナードは不敵な笑みを浮かべて立っていた。外套の表面がわずかに焦げている程度で、ほぼ無傷である。
ヴェイナードが槍斧から左手を離し、素早い動きで印を結んだ。口元もわずかに動いている。魔法を使う気だ! メルトレファスが気付いた時には遅かった。ヴェイナードの全身から氷の刃が飛び出し、メルトレファスとヘルハウンドに襲いかかった。氷の刃は皮膚を裂き、肉を切り、そして、傷口を凍らせる。メルトレファスはなんとか氷の刃の攻撃に耐えたものの、二体のヘルハウンドは身体中を斬り刻まれ、絶命した。
「よくも!!」
部下のモンスターを殺された怒りを込め、再び剣を振るうメルトレファス。だが、相手の動きの方が速かった。槍斧の柄の部分が突き出され、メルトレファスのみぞおちを捕えた。戦士であるメルトレファスは鎧を身に着けている。当然腹も守られているが、鎧の上からでも強い衝撃を受け、前のめりになった。メルトレファスの頭部ががら空きになる。
そこを、反転した槍斧の刃が襲う。
がしん!
なんとか剣を構えて受け止めたものの、全身の骨が砕けるかと思うほどの衝撃と共に、メルトレファスは地面に叩きつけられるように倒れた。
「先ほどは大層な口を叩いていたようだが、貴様の力はこの程度なのか?」見下すようなヴェイナードの言葉。
メルトレファスは立ち上がろうとしたが、地面がぐにゃりと揺れるような感覚に膝をついて倒れた。先ほどの強烈な一撃に脳震とうを起こしたようだ。
「フッ、口ほどにも無い、とは、まさにこのことだな」ヴェイナードは嘲るように笑った。
屈辱だった。メルトレファスは相手が白狼であろうと負けるつもりは無かったのだが、この有様だ。騎士になってまだ一年にも満たないが、これまで訓練を怠ったことは無い。この戦いで油断をしたつもりはない。つまり、これが今の自分の力なのだ。それを認めるしかなかった。
「……くそ……力が……もっと力があれば……」
思わずつぶやくメルトレファス。
ヴェイナードが眉をひそめた。「貴様、先ほどから、力、力、と言っているが、何ゆえそれほど力を求めるのだ? 力を得た先に、何を見ている」
ヴェイナードのその問いに。
――力を得て、何をしたいの?
以前エニーデという女騎士に言われた言葉を思い出した。
あの時は何も答えられなかった。メルトレファスはとにかく力を得ることばかりを考えていて、力を得て何をするかは考えていなかったのだ。あの時も、そして今も。
「……答えられぬようだな」ヴェイナードが言った。「ひとつ助言をくれてやろう。我らノルガルドの騎士は、大陸統一という目的の元に集っている。我が軍の中には予を王と認めておらぬ者も少なからずいるが、大陸統一という目的は皆同じだ。そのために日々訓練を行い、力をつけてきた。今ではそなたら帝国の軍にも負けぬほどの力を持っていると確信している。判るか小僧? 力とは目的があってこそ追い求めるものだ。力を追い求めることが目的では虚しいだけであろう。それでは、決して大きな力を得ることはできぬ」
エニーデと同じことを言う。
メルトレファスは、自分の考えが間違っているとは思えなかった。しかし、ヴェイナードの言うことは正しいと認めざるを得ない。『力があれば何でもできる』というのがメルトレファスの信念だ。その信念に従うならば、正しいのは力のある者だ。そして、いまこの場でどちらに力があるのかは言うまでも無い。
「もっとも、助言など無意味であったな」ヴェイナードはさらに続ける。「ここは学校でも家でもないし、予は貴様の教師でも親でもない。ここは戦場であり、予はそなたの敵だ。助言を活かす次の戦いなど無いのだからな」
ヴェイナードが槍斧を振り上げた。
剣を構えようとするメルトレファス。だが、まだ意識はもうろうとしていて、身体が思うように動かず、立ち上がることもままならない。周囲に味方はおらず、助けてくれる者もいない。これで終わりなのか……そう思った。
メルトレファスの横を、鋭い風が吹き抜けた。
風は刃となり、ヴェイナードを襲う。刃はヴェイナードの振り上げた槍斧を捉えた。大きな衝撃音と共に、槍斧が弾き飛ばされる。
味方の攻撃か? メルトレファスはまだもうろうとしている意識の中で周囲を見回したが、やはり、近くに味方らしき姿は無い。ならば、離れた場所からの攻撃だろう。魔法のようにも見えたが、風の刃のような魔法は、少なくともメルトレファスは知らない。
ならば。
――今のは、レンキザンか。
レンキザンとは、東方の小さな島国より伝わる剣技のひとつで、体内の闘気を練り、それを刃に転移させて発する技だ。要するに、剣が届かないような離れた相手でも斬ることができるのである。この東方の剣技を使う騎士は『剣士』と呼ばれ、フォルセナ大陸にも多く存在する。一般的な剣士ならその射程距離はせいぜい五メートル程度で、それ以上離れた相手を斬ることができるのはかなり手練れである。メルトレファスの周囲には、少なくとも半径十メートル以内に誰もいない。それほど離れた相手を斬ることができる剣士は、現在このフォルセナ大陸に一人しかいない。
二人に近づいて来る影が見えた。腰に東方の細身の剣・カタナを携えた剣士だ。その背後には、多くのノルガルド兵、レオニア兵、そしてモンスターたちが倒れている。
「――下がれ小僧。貴様ごときの剣でその男を倒そうなど十年早い。出直してくるのだな」剣士はメルトレファスに向かって静かな口調で言った。
ヴェイナードが剣士を睨んだ。「ほほう。では、貴公が予の相手をしていただけると? これは光栄の極み」
鋭い目を向けているものの、その口調は、明らかにメルトレファスに対するものと違っていた。敵ではあるが、敬意が込められている。
剣士は静かな足取りでヴェイナードの前に立った。
「白狼……我が剣の大成のため、貴様を斬る……!」
帝国四鬼将の一人・剣聖エスクラドスは、腰に携えたカタナを握り、わずかに腰を落として構えた。