エストレガレス帝国のレオニア侵攻は、ノルガルドがレオニアの援軍として参戦したことにより、混沌を極めていた。
七月下旬にイスカリオ領アスティンを制圧したエストレガレス軍は、剣聖エスクラドスを主攻とする部隊をもってレオニア領ハドリアン・グルームの二城を落とし、わずか二ヶ月で聖都ターラに迫っていた。レオニア滅亡を恐れた女王リオネッセは、北の大国ノルガルドに援軍を要請。ノルガルド王ヴェイナードは、ノルガルドとレオニアが併合することを条件にこの要請を受け入れた。
聖都ターラはエストレガレス軍の攻撃により陥落寸前にまで追い込まれていたものの、ノルガルドの援軍が間に合い、なんとか持ちこたえていた。とは言え、戦況を覆すまでには至っていない。ノルガルドの援軍はレオニアからの要請で急遽編成された部隊であり、兵力的に決して十分とは言えない。レオニア軍と合わせても、エストレガレス軍と五分と言ったところだ。
ノルガルドの騎士シュトレイスは最前線でエストレガレス軍と戦っていた。襲い来る敵兵やモンスターの攻撃を左手の盾で受け止め、右手の剣で次々と斬っていく。
戦いながら、シュトレイスは敵部隊に対してある違和感を覚えていた。
いまシュトレイスが対峙している敵部隊は兵の数が少ない。恐らく五千程度だ。エストレガレス軍ではまだまだ下位に位置する将が率いる数である。
それに対し、率いているモンスターの数が圧倒的に多い。
敵部隊が率いているモンスターには、グールやマンドレイクといった下級モンスターから、リザードマンやグリフォンといった中級モンスター、さらに、ドラゴンやエンジェルといった上級モンスターまでいる。これほど多くのモンスターを率いるには、極めて高い統魔力が必要だ。
統魔力とは、マナの力を用いて召喚したモンスターを従わせる力のことをいう。この力が高いほど多くのモンスターを率いることができるのだ。統魔力は、武力・魔力・戦略力と並び、騎士として重要な能力のひとつである。
敵部隊のモンスターを注意深く観察するシュトレイス。数が多いにもかかわらず、きちんと統率がとれている。よほど統魔力が高い騎士でないとできないことだ。各国で上位に位置する将軍でも、ここまで高い統魔力を持つ騎士は稀だろう。エストレガレス帝国でこれほど高い統魔力を持つ騎士……すぐに思いつくのは、皇帝ゼメキスとその腹心カドール、そして、ゼメキスの妻エスメレーだ。しかし、この部隊を率いているのはこの三人ではないだろう。三人とも別の城の守備に就いているという情報が入っているし、なにより、この三人が率いる部隊としては兵の数が圧倒的に少なすぎる。ゼメキスやカドールなら十万前後を率いることもある。エスメレーは将としての力は未知数だが、皇帝の妻という立場を考えるとやはり数万の兵がつくだろう。
極めて高い統魔力を持ちつつも、将としての位は低い……そのようなエストレガレスの騎士に、シュトレイスは心当たりがあった。
「――ソレイユ……お前なのか」
シュトレイスは、義兄弟の名をつぶやいた。
シュトレイスは、旧アルメキアで王ヘンギストの近衛騎士団に属していた男だ。ゼメキスのクーデターの際、王宮側に就いてゼメキスらと戦った数少ない騎士の一人である。だが、ヘンギストはデスナイト・カドールの手によって討ち取られ、ゼメキスのクーデターは成功した。近衛騎士や兵の中には殉死に近い形で戦い続けた者も多かったが、シュトレイスは城から脱出することを選んだ。殉死を忠義の証と考える者もいるが、シュトレイスにはただの無駄死にとしか思えなかった。生き残り、仇を討ってこそ真の忠義と言えるのではないか。シュトレイスはそう考えていた。
アルメキアからの脱出の際深手を負い、数ヶ月の療養を余儀なくされたものの、なんとか生き延びることができたシュトレイスは、その後、北の大国ノルガルドへ仕官した。主君の無念を晴らすことも目的のひとつではあったが、実はそれ以上に大きな目的が、彼にはあった。
シュトレイスには、義兄弟の契りを交わした者がいる。ソレイユという名の男で、神官騎士団に属し、アルメキアでは広く名が知られた男だった。
ソレイユは個の力は極めて凡庸であったが、獣と心を通わすという特殊能力を持っていた。どのような凶暴な獣やモンスターであっても、すぐに心を通わせ、手なずけることができたのだ。その特殊能力から、
だが、ゼメキスのクーデターの夜、ソレイユが属していた神官騎士団はゼメキスの陣営に就いた。ソレイユも神官騎士団の一人として戦い、エストレガレス帝国樹立後は帝国の騎士としてエストレガレスに留まっているという。
シュトレイスがそのことを知ったのは、城を脱出し数ヶ月経った後だった。シュトレイスには信じられなかった。あれほど温厚で優しかった男が、ゼメキスのクーデターに手を貸し、帝国の騎士となったなど。何か事情があるに違いない。そう確信したシュトレイスは、義兄弟を救う決意をし、ノルガルドへ仕官したのである。
襲い来る帝国兵を次々と倒すシュトレイス。いま戦っている部隊を率いているのは本当にソレイユなのか? 確かめなければならない。そして、ゼメキスに組する理由を訊き、戦いをやめさせなければ。だが、果たしてそれが可能だろうか? 敵将の姿は見えない。恐らく後方に控えているのだろう。敵将と相対するためには敵部隊の中に切り込んでいくしかない。ノルガルドに仕官したばかりのシュトレイスが率いている兵は五千。敵部隊と同等だ。これに対し、率いているモンスターは数も質も敵部隊の方が圧倒的に上回っている。かなり不利な状況ではあるが、それでもやるしかない。シュトレイスは自ら先頭に立ち、敵部隊に突撃していった。兵を倒しつつしばらく進むと、シュトレイスの前に植物形のモンスターとトカゲと人間が合わさったモンスターが立ちはだかった。マンドレイクとリザードマンである。マンドレイクは蔓のような手足の先に神経をマヒさせる毒を持ち、リザードマンは片手斧による攻撃と円形の小盾による防御での戦闘を得意とするモンスターだ。侮りがたい相手ではあるが、二体ともどちらかといえば下級のモンスターでありシュトレイスの敵ではない。シュトレイスはひるむことなく突進し、剣を振るおうとした。
しかし。
――この部隊を率いているのがソレイユだとしたら、このモンスターはソレイユの友人や家族と同じ。
そんな考えが頭をよぎった。
無論、戦場でそんなことを考える必要は無い。生きるか死ぬかの戦場においては殺される前に殺すのが鉄則であり、それをためらっていては生き残ることなど不可能だ。
だから、ほんのわずかなためらいであっても、大きな隙を生んでしまう。
ためらいから鈍ったシュトレイスの剣を、リザードマンは盾で受け止めた。そして、反撃の斧を振るって来る。シュトレイスも盾を構え、その攻撃を受け止める。だが、その一撃はシュトレイスが思っていたよりも重かった。盾は斧の刃を防いでも衝撃までは防いでくれない。その重い一撃により、シュトレイスの左手が痺れた。
そこに、横からマンドレイクの蔓が伸びてくる。まずい、と思った。マンドレイクの蔓による攻撃自体に大した威力は無いのだが、その先に仕込まれている神経毒を受けると身体の自由を奪われ、しばらく動けなくなる。受け止めようにも盾を持つ左手は動かない。代わりにシュトレイスは剣を振るい、伸びてくる蔓を斬り落とした。だが、それで安心はできない。マンドレイクは植物のモンスターであるため剣で斬ったり炎で燃やしたりするのは容易だが、痛みを感じないため身体を斬り裂かれようと全身炎に包まれようとしつこく襲ってくる。蔓を二本斬り落とした程度では怯みもしないだろう。シュトレイスは一旦間合いを取り、体勢を整えようとした。
だが、それを邪魔するように別のモンスターが上空から飛来してきた。上半身は鷲、下半身は獅子という奇妙な姿。合成獣・グリフォンだ。グリフォン攻撃は主に鷲の鉤爪による引っ掻きだ。極めて単純な攻撃だが、グリフォンは鷲の羽根によって空を飛ぶことができるため、地上の者には非常に厄介な攻撃となる。シュトレイスの左手はまだ痺れたままだ。剣を振るい、グリフォンを近づけさせないようにしながら回復を待った。やがて左手の感覚が戻る。シュトレイスは盾を構えてグリフォンの攻撃を受け止めると、反撃に剣を振るった。グリフォンは大きく羽ばたくと、上空へ去って行った。
と、シュトレイスは頭上にもう一体の影があることに気が付いた。人の姿をしているが、頭の上に光の輪が浮かび、背中生えた羽根で飛んでいる。最上級モンスターのひとつ、エンジェルだ。エンジェルは口元で何かつぶやいた後、大きく両手を広げた。次の瞬間、天から純白の光の柱が降り注ぐ。最上位の白魔法・神の光だ。完全に不意を突かれた攻撃をシュトレイスはかわすことができず、全身に神の光を浴びた。地面に押し潰されるかのような凄まじい衝撃が襲う。たまらず片膝をつくシュトレイス。なんとか耐えたものの、ダメージは大きい。
シュトレイスは一旦盾を手放すと、印を結び呪文を唱えた。左手がぼんやりとした光を放つ。その光で身体を照らすと、痛みが引いていった。傷を癒し、体力を回復する白魔法だ。かなり楽になったが、全ての傷が塞がり失った体力が戻ったわけではない。無傷の状態まで戻るには時間がかかるが、敵は待ってくれない。顔を上げると、エンジェルはもう一度同じ魔法を使おうとしていた。
それだけではなかった。
地響きとともに近づいて来る巨大な影。シュトレイスの身長の五倍はあろうかという巨大なモンスター・ドラゴンだ。言うまでもなく、上級モンスターの筆頭である。その牙による咬みつき攻撃は恐怖でしかないが、ドラゴンの真の脅威は口から吐き出す炎の息にある。全てを灰にするといわれるその炎を、今のシュトレイスでは耐えられるかどうか判らない。まして、エンジェルが放つ神の光の魔法と同時ともなれば、生き残ることは不可能だろう。かわすしかないが、傷つき、体力も十分でないこの状態でできるだろうか?
ドラゴンが大きく息を吸い込み、エンジェルが呪文の詠唱を終えた。来る! そう思ったとき。
「――やめるんだ」
静かだが意志の強さを感じる声がした。
その声で、ドラゴンとエンジェルの動きが止まった。他のモンスターもぴたりと攻撃をやめる。
その声はシュトレイスが探し求めていた者の声であり、同時に、今は聞きたくない声でもあった。
声の主がこちらに歩いてくる。モンスターが道を譲るように脇にどいた。エンジェルやリザードマンならともかく、知能の低いドラゴンやマンドレイクまでもがここまで従順になるのは、よほど高い統魔力を持たないとできないことだ。
「やはりお前だったか……ソレイユ」
シュトレイスの胸に再会の喜びは無かった。ただ、悔しさだけが湧きあがってきた。
「久しぶりだね、シュトレイス。まさかノルガルドに仕官していたとは……驚いたよ」
「それはこちらの台詞だソレイユ! お前はなぜ帝国の騎士になった!? あれほど争いごとを好まなかったお前が、こんな侵略に手を貸すなんて信じられない! ハドリアンの兵や民は虐殺されたと聞いたぞ!!」
怒りと悔しさが入り混じった声を上げるシュトレイス。ソレイユは何も答えない。ただ、困惑した表情で立ち尽くすのみ。
その顔を見てはっとなった。ソレイユがあの顔をするのは、何か重要なことを隠している時だということを、シュトレイスは知っていた。
シュトレイスは怒りを抑えるために一度大きく息を吐くと、落ち着いた口調で言う。「お前が帝国についたのにはわけがあるはずだ。教えてくれ、ソレイユ」
「…………」
ソレイユは目を逸らし、沈黙を続ける。だが、シュトレイスには判っていた。ソレイユは、必ず話してくれると。それを待った。
やがてソレイユは。
「母が……人質に囚われているのだ……」
それまでとは全く違う、力のない声で言った。
「母親が?」
驚くシュトレイス。義兄弟の母親だから、当然知っている。ソレイユの父親は幼い頃流行り病で亡くなり、母親は女手一つでソレイユを育て上げたのだ。最近は身体が弱くなり家で横になっていることが多くなったと聞いている。人質に囚われているというだけではどういう状況なのかは判らないが、もし牢に閉じ込められているような状態だとしたら、かなり危険であろう。
「すまないシュトレイス」ソレイユの声に力が戻ったように思えた。「私は、お前と戦うしかないんだ」
ソレイユの目に、以前のような優しさは無かった。あるのは、『将』としての強さ。
「私は全力でおまえと戦う。だから、お前も私と全力で戦え」
ソレイユのその言葉で、脇に控えていたモンスターがまたシュトレイスの前に立ち塞がる。
剣と盾を構えるシュトレイス。だが、迷いは消えない。俺は本当にソレイユと戦うのだろうか? ソレイユは本当に俺と戦うのだろうか? シュトレイスは、ノルガルドに仕官した際ヴェイナードと約束した。「義兄弟が誤った道を進むのならば、それを正すのも私の役目。ソレイユが帝国に味方するのであれば、斬ってでも道を正してみせます」と。だが、今のソレイユが誤った道を進んでいると言えるのだろうか?
迷いは、戦場では死を近づける。それでも、ためらわずにはいられない。
だが、それは相手も同じだった。ソレイユもまたためらっている。
どちらも動かず、しばらく睨み合いのような状態が続いた。
――と。
「――全軍集結!! 何としても陛下をお守りしろ!!」
ノルガルドの軍師・グイングラインの声が響き渡った。その声に応じ、周辺のノルガルド兵が一斉に声のもとに駆けつける。上空には二体のシルバードラゴンが飛び、吹雪の息を吐き出している。軍師であるグイングラインが全軍招集を命じるなど、並大抵のことではない。
――まさか、陛下の身に何かあったのか?
そう思った。
その心を読んだかのように、ソレイユが言う。「このレオニア侵攻軍を率いているのはエスクラドス様だ。いかに白狼といえど、まともに戦っては勝ち目はないだろう」
エスクラドス――剣聖の異名を持ち、大陸一の剣士と噂される一人だ。アルメキア時代は王宮で剣術指南役を務めていたが、クーデターの夜、彼もまたゼメキスの陣営に就いた。
「くそ!」
シュトレイスはグイングラインの声の方へ走った。ソレイユから逃げるわけではない。ノルガルドの騎士として主君を守るのだ。と、自分自身に言い聞かせながら。
ソレイユの従えているモンスターは動かなかった。
シュトレイスは足を止め、振り返った。
「俺は諦めない。必ずお前を救ってみせる。必ずだ」
義兄弟の目を真っ直ぐに見つめ、そう言った。