西アルメキアの女騎士アデリシアは、川の対岸を見つめ、携えた槍の柄でぽんぽんと肩を叩いた。対岸には高い城壁に囲まれた巨大な街がある。城塞都市キャメルフォード。かつてアデリシアが防衛部隊の隊長を務めていた都市だ。エストレガレス帝国とのいくさが始まり、別の城の配属になったのが五月。約五ヶ月ぶりに帰って来たことになる。あの頃は青々と生い茂っていた山の木々も、間もなく訪れる冬に備えて赤く色づき始めていた。
アデリシアは鋭い目でキャメルフォードを見つめる。かつての駐屯地に五ヶ月ぶりの帰還……という訳ではない。門は堅く閉ざされ、城壁の上には剣や弓を携えた兵士が大勢待機している。そこに掲げられている旗は西アルメキアでもパドストーでもなく、エストレガレス帝国のものだった。現在のキャメルフォードは西アルメキアの領地ではない。帰還するためには、城を奪い返さなければならない。
アデリシアの後ろには十万の兵が控えている。これから、キャメルフォードを奪還する戦いが始まる。
「――さてと。ウデが鳴るねぇ。ひと暴れしようか」
アデリシアは槍をくるくると回した後、穂先をキャメルフォード城に向けた。
城塞都市キャメルフォードは交通の要となる都市だ。北にゴルレ、東にオークニーとエオルジア、南はファザード、南西はカルメリーと、多くの城や街へ通じている重要拠点である。特に南西のカルメリーは西アルメキアの首都であり、馬を飛ばせば二日、徒歩でも一週間でたどり着ける距離だ。
そんなキャメルフォードがエストレガレス帝国に奪われたのは、五月下旬のことだった。
エストレガレス軍はデスナイト・カドールを総大将とする十万の部隊で侵攻。対する西アルメキアは、コール老王に代わって君主となったランスを総大将とした十万の部隊で迎え撃った。しかし、大陸最凶と名高いカドールと、それが初陣だったとランスとでは、実力に差がありすぎた。西アルメキア軍は半日ともたず撤退することになった。
最重要拠点であるキャメルフォードを奪われた西アルメキアは、開戦直後にもかかわらず大きな危機に陥った。そのまま勢いに乗ったカドールがさらに侵攻して来れば、西アルメキアは壊滅的な打撃を受けていただろう。
だが、同五月下旬、カドールのキャメルフォード侵攻によって手薄となった帝国領オークニーに、北のノルガルド軍が侵攻し、これを制圧。背後を取られたカドールの部隊は動きが取れなくなり、西アルメキア侵攻の足が止まる。さらに翌六月上旬、西アルメキアの同盟国カーレオンが帝国南部の城ソールズベリーを制圧。これを皮切りに帝国南部での戦闘が激化し、カドールの部隊は南部へ移動することになった。
西アルメキアにとっては、劣勢を覆すまたとないチャンスだった。
「……フン。くだらんな。なぜこの俺があのガキの尻拭いをせねばならんのだ」
アデリシアの横に立った男が忌々しげな口調で言った。漆黒の鎧に身を包み、背にパドストーの紋章を刺繍したマントを羽織っている。携えた剣や盾にも同じ紋章があしらわれていた。旧パドストーのコール老王の息子メレアガントだ。今回のいくさでは、西アルメキア軍の総大将を務めている。
アデリシアは横目でメレアガントを見た。「尻拭いがイヤなら、大将の座をランス様に譲ればいいじゃないか。なんなら、今からでも代わればいい」
「バカな。そもそもヤツのせいでキャメルフォードを奪われたのだ。これ以上あのガキに任せていたら、この国は滅びてしまう」
今回のキャメルフォード奪還作戦に、ランスの部隊は含まれていない。この奪還作戦は失敗が許されない。まだまだ未熟なランスはカルメリー城で待機し、西アルメキアの騎士の中でも特出した剣の腕を持つメレアガントと、キャメルフォードの構造を知り尽くしたアデリシアを中心に組んだ部隊で作戦を行うと、事前の会議で決まったのだった。
「確かに五月の戦いでランス様は敗れたけど、だからって除け者にしようっていうのは気に入らないね」アデリシアは王族であるメレアガントに対してもかしこまることもなく、平然と軽口を叩く。「挽回のチャンスくらいあげてもいいだろうに。あんたは昔からそうだよ。心が狭いというか、器が小さいというか、ケツのあ――」
後ろからものすごい勢いでエフィーリアが走ってきて、アデリシアの後頭部をひっぱたいた。勢いで前につんのめり、アデリシアは川へ落ちそうになった。
「痛ったー。何すんだよ!」
抗議の声を上げるアデリシアを無視し、エフィーリアはメレアガントに向かって頭を下げた。「申し訳ありませんメレアガント様! この娘が失礼なことを!!」
「いや、エフィーリア。君が謝ることではない」アデリシアへの高圧的な態度とは一転、メレアガントは急に優しい声になった。「悪いのはそのじゃじゃ馬だ」
「なーにが、『いや、エフィーリア。君が謝ることではない。キリッ』だよ、気持ち悪い」アデリシアは頭をさすりながら言った。「相変わらず、エフィーには恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく言うよな。ひょっとして、嫁にもらおうとか思ってるのか?」
頭を上げたエフィーリアが、振り向きざまに左の裏拳を放ってきた。アデリシアは上体を逸らしてかわすが、エフィーリアは身体を逆回転して右の裏拳を打ち、さらに逆回転して今度は右のストレートを打ってきた。一流の拳闘士にも匹敵する音速の連続技だ。普段はおしとやかなエフィーリアだが、ときどきこういった凶暴な面が顔を出す。アデリシアはこれを『パドストーの
アデリシアとメレアガントとエフィーリアは、カルメリーにある騎士訓練学校からの付き合いだ。アデリシアとメレアガントの二人は成績優秀で、在籍時代は常にトップを争っていたのだが、二人とも異常なまでの負けず嫌いで、事あるごとに対立し、ケンカしていた。そんなとき二人を仲裁するのがエフィーリアの役目だった。
「なにが仲裁だ。暴力で黙らせてるだけだろ」
エフィーリアの音速の拳を受け止めた瞬間、アデリシアは地面に引き倒され、そのまま上から押さえ込まれていた。いつの間にか寝技へ移行する術まで取得している。
メレアガントが冷たい目で見おろし、鼻を鳴らした。「そんなんじゃ、先が思いやられるな。アデリシア、お前は足手まといだ、引っ込んでろ!」
「なにぃ?」アデリシアはエフィーリアの押さえ込みからするりと抜け出すと、あごを上げて挑発し返す。「はん! そっちこそ、いつもみたいに熱くなって、足を引っ張らないでほしいものだね。それとも、まさかあたしに気でも使ってるつもりかい?」
「ふん、ばかばかしい。いくぞ!」
メレアガントは振り返り、剣を掲げた。後方に控える兵十万の内、七万が彼の部隊だ。
「兵ども!! 俺に続け!! エストレガレスの盗人どもから、我が領地を取り戻すぞ!!」
檄を飛ばすメレアガント。「おおっ!!」と応えた兵たちは、メレアガントを先頭に、キャメルフォード城へ突撃していく。
「くそ、負けてられるか! エフィー! あたしたちも行くよ!!」
エフィーリアを見ると。
「――神よ。戦うことをお許しください」
さっきの凶暴な面はどこへやら。胸の前で手を組み、祈りを奉げていた。
「エフィー……」
その手が、小さく震えているように見えた。
エフィーリアは訓練学校卒業後カルメリー城でコール王に仕えていたが、二年ほど前に退団し、故郷の村で修道女として働いていた。ゆえに、実戦の経験はない。戦場に出るのは、これが初めてだろう。訓練学校ではエフィーリアも優秀な成績だったが、訓練と実戦はまるで違う。不安になるのも仕方がない。
アデリシアはエフィーリアの肩に手を置いた。「大丈夫。なにがあっても、あたしが護ってあげるから」
顔を上げたエフィーリアは笑みを浮かべる。「ええ。頼りにしてますわ」
アデリシアも微笑み返した。訓練学校時代、校外での探索活動で、アデリシアとエフィーリアはよく一緒に行動した。モンスターや盗賊と遭遇した時は、アデリシアが戦い、エフィーリアは治療の魔法などで援護する。それが、いつもの戦い方だった。今回のいくさでも、それは変わらないだろう。
アデリシアは表情を引き締める。
そして、大きく息を吸い込み、槍を高く掲げ、部隊へ突撃を命じた。メレアガントの部隊に続き、アデリシアとエフィーリアの部隊も、キャメルフォードへ向かって進む。
西アルメキアの反撃が、始まった。