早朝、旧パドストーの騎士グラウゼは訓練場へと向かっていた。まだ多くの騎士や兵が眠っている時間だが、とてもゆっくりしてなどいられなかった。先日、西アルメキア軍は奪われたキャメルフォードを奪還するため、兵十万でエストレガレス帝国を攻めた。グラウゼもその戦いに参加したのだが、あまり良い戦果を挙げることができなかった。当然かもしれない。三月下旬の開戦以降、グラウゼは城を去りずっと自宅に引きこもっていたのだから。その間、戦場に立つことはおろか、訓練さえほとんど行っていない。戦いの勘が鈍るのも仕方のない話だった。いくさ自体はコール老公の息子メレアガントやパドストー時代にキャメルフォードの防衛隊長を務めていた女騎士アデリシアらの活躍により勝利したのだが、グラウゼが足を引っ張ったことは否めなかった。このままではコール老公、ひいては国へ忠義を果たすことができない。危機感を抱いたグラウゼは、以来、朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも遅くまで残り、訓練に励む日々を送っていた。
足早に訓練場へと向かうグラウゼ。その背中に、「――グラウゼさん」と、声を掛けられた。こんな時間に誰だ? 振り返ると。
「ランス様?」
旧アルメキアの王太子にして現在はこの国の君主であるランスが、にこやかな表情でこちらを見ていた。キャメルフォード奪還後、王都カルメリーからこの城へ移動し、身を置いている。
「おはようございます、グラウゼさん。こんな朝早くから、訓練ですか?」
「あ……はい。そうですが、ランス様は何を?」
「私も同じです。良かったら、一緒にどうですか?」
「は、はあ」
思いもよらぬ人物に思いもよらぬ誘いを受け、薄い反応しか返せなかったグラウゼ。それを気にする風もなく、ランスは「では、行きましょう」と、さわやかに笑って歩きはじめた。
小さくため息をつくグラウゼ。正直に言えば、一緒に訓練などしたくなかった。一刻も早くかつての戦いの勘を取り戻さなければならないのだ。十五歳の子供のお遊びに付き合っている暇など無い。しかし、騎士としてこの誘いを断るわけにはいかなかった。認めたくはないが、ランスはこの国の王。グラウゼの主君にあたるのだから。グラウゼは仕方なくランスの後を追った。
グラウゼは旧パドストーに仕えていた騎士であったが、元々はアルメキアの出身だ。彼の父ハンバルはアルメキア軍の戦術指南役を務めていた騎士で、かつては戦場で多くの手柄を立てた。特に防衛戦において優れた戦績を残し、『アルメキアの盾』との二つ名で知れ渡った名将だ。国に数多くの栄光をもたらした男であったが、ある日、ハンバルは王の暗殺を企てたというあらぬ罪を着せられ、国外へ追放された。全く身に覚えのない話であり、ハンバルは無実を訴えたが、それが聞き入れられることはなかった。ハンバルはアルメキアと同盟国だったパドストーに身を置き、生涯無実を訴え続けたが、主張が認められることはなく、二年程前にこの世を去った。
グラウゼは父の跡を継いでパドストーの騎士となり、都落ちした父を受け入れてくれた老王コールの恩に報いるため、生涯忠誠を誓ったつもりだった。
しかし。
今年二月。アルメキアでゼメキスのクーデターが発生し、アルメキアは滅亡。王太子ランスは何とか逃げ延び、パドストーに援助を求めた。老王コールはランスの求めに対し、あろうことか国の全権を任せるというあり得ない形で応えたのである。
あらぬ罪で父を追放した国の王子に王位を譲る――この話に納得できなかったグラウゼは城を去り、自宅に引きこもっていたのだ。だが、心配して訪ねてきたコール老公に説得され、再び騎士として戦うことを決意したのである。
無論、それはコール老公や旧パドストーのためであり、決してランスやアルメキア復興のためなどではない。
だから、騎士として戦う決意はしたものの、グラウゼはランスに対して、決して良い感情を持ってはいなかったのである。
訓練場に入ったランスは、軽い準備運動を終えると、木剣を取り、人を模した打ちこみ台に向かって黙々と剣を振るい始めた。その様子を少々意外な思いで見つめるグラウゼ。共に訓練しようと誘われた時は「剣技を教えろ」だの「組手の相手をしろ」だの、王族の子供特有のワガママに付き合わされるものと思ったのだが、そんな様子は一切ない。これなら自分の訓練に集中できる。グラウゼも訓練用の剣と盾を持つと、自身の訓練を始めた。
数時が経った。その間、二人は黙々と剣を振るい続けている。グラウゼは自分の訓練に集中したいと思いつつも、どうしてもランスのことが気になってしまい、横目で様子を伺っていた。
ランスは打ちこみ台の前で剣を構えたまま動かない。目を閉じ、敵のイメージを膨らませているのだろう。やがて目を開けると、撃ちこみ台に木剣を振るう。ランスの剣はアルメキア王国に古くから伝わる二刀流の剣技だ。右と左、それぞれの剣を次々と打ちこんでゆく。その一撃一撃をしっかりと見定めるグラウゼ。まだまだ荒削りではあるものの、十五歳にしてはなかなかの剣筋だった。パドストーの若い騎士よりよほど腕が立ちそうだ。しかし、何度か剣を打ち込んだところで、ランスは悔しそうな表情で剣を止めた。そして何かをつぶやいた後、初めの位置に戻り、目を閉じ、もう一度イメージを膨らませる所から始めた。剣を振るい、しかし納得がいかず、もう一度初めから。それを、何度も繰り返している。早朝から始めてもうすぐ昼になる時間だが、その間、一度も休憩を取っていない。当然、主君が休まず訓練しているのに家臣が一人で休むわけにもいかず、グラウゼもずっと剣を振るっている。だが、さすがにそろそろ休んだ方がいいだろう。
「ランス様――」頃合いを見て、グラウゼはランスに声をかけた。「そろそろお昼になります。少し休まれてはいかがですか?」
「え? もうお昼ですか?」ランスは驚いた顔で空を見た。陽はすでに中天に差し掛かっている。「本当だ。全然気が付きませんでした」
「かなり熱心にされてましたからね。しかし、あまり無理をしても効率は上がりませんよ」
「そうですね。ゲライントにもよく言われます。しかし、どうしても自分の技に納得できないのです。もう少しだけ続けさせてください」
グラウゼは首をかしげた。「失礼ながら、ランス様は年齢のわりにはかなりの剣技を身に着けていると思います。今のままでも十分なのでは?」
「ありがとうございます。でも、これでは駄目なんです。まだまだゼメキスの足元にも及ばない」
「は? ゼメキスですか?」驚くグラウゼ。訓練の様子からランスが誰かをイメージしているのではないかと思っていたが、まさかゼメキスを相手にしているとは思わなかった。
グラウゼは胸の内で苦笑した。ゼメキスとは大きく出たものだ。ゼメキスはアルメキア軍の総帥を務めた男で、しかもその座にありながら常にいくさの最前線で戦い続けた猛将だ。王宮内でぬくぬくと育ってきた子供には、その強さの欠片も想像できないであろう。もう少し身の丈にあった敵を想定した方が良いのではないだろうか?
そんなグラウゼの気持ちが顔に出たわけでもないだろうが、ランスは。
「私などには、大きすぎる相手ですよね」
自嘲気味に笑いながら言った。「あのクーデターの夜もそうでした。私の剣は、ゼメキスには全く通用しませんでした」
「え!? ランス様は、ゼメキスと剣を交えたことがあるのですか!?」
驚くグラウゼ。クーデターの夜、ランスがどのように城を脱出したのか、詳しい話は聞いていない。ただ、何も判らぬまま部下に連れられ逃げ出したのであろうと、なんとなく考えていた。
ランスは首を振った。「剣を交えたというほどのものでも無いです。ゼメキスにしてみれば、羽虫を振り払ったようなものでしょう」
それは確かにそうかもしれない。グラウゼはゼメキスには会ったことすらないが、少なくともいま見た限りのランスの剣技では戦いにすらならないだろう。しかし、ゼメキスの強さを話に聞いただけと、わずかであろうと実際に戦ったことがあるのでは、まるで話は違う。
ランスは続ける。「私もあの時と比べると少しは腕を上げていると思うのですが、まだまだヤツの足元にも及びません。ですが、アルメキアを再興するためには、避けては通れぬ相手です」
「しかし、ランス様はこの国の君主。前線で戦うことはないでしょうから、ゼメキスを相手にする機会は無いのでは?」
「いいえ。むしろ君主だからこそ、前線で戦わなければならないと思っています。そして、ゼメキスも戦場に出れば、必ず最前線にいるはず。ならば、遠からず戦うことになるでしょう」
ランスは真っ直ぐな目で言った。
いい目をしている――グラウゼはそう思った。愚王の息子だからとんでもなく世間知らずのお坊ちゃんだと思っていたが、誤解だったかもしれない。いや、自分が勝手に歪んだ見方をしていたというべきか。ひたむきに訓練に励む姿と、自分と相手の力量を見定める力。今の段階で結論を出すにはまだ早いが、少なくともこれまでの考え方は改めなければならない。
そして、真の力を見定める必要がある。この男が、この国の君主にふさわしいかどうかを。
「ランス様、よろしければ、お願いがあります」グラウゼは言った。
「お願い? 何でしょう?」
「次にランス様が戦場に出られる際は、ぜひともわたくしもお供させてください。ランス様の戦いぶりを、この目で見届けたいのです」
「グラウゼさんが一緒に戦ってくれるのならば心強い。ぜひお願いします」
「ありがとうございます」グラウゼは一度頭を下げた後、さらに続けた。「それと、もうひとつ。私に組み手の相手を務めさせていただけないでしょうか?」
「え? グラウゼさんが、ですか?」驚いた顔のランス。
「はい。仮想ゼメキスとしては、かなり力不足かと思いますが」
「とんでもない。お相手していただけるなら嬉しいです。しかし、グラウゼさんにはグラウゼさんの訓練があるでしょうから、ご迷惑では?」
「それこそとんでもないことです。ぜひ、ランス様の訓練にお付き合いさせてください」
「そうですか? それでは、お言葉に甘えることにします」
「ただし、遠慮はしませんよ?」
グラウゼは剣を構えた。
「もちろんです!」
ランスも剣を構える。
「では、行きます!」
二人の木剣がぶつかる。
グラウゼの、ランスの器を図る戦いが始まった。