ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

75 / 165
第七十五話 メルトレファス 聖王暦二一五年十二月上 エストレガレス帝国/オークニー

 オークニーの城門をくぐって外に出ると、肌を刺すような冷たい風が吹き付けた。帝国内でも比較的に北部にあるオークニーは南部と比べて気温が低い上に、山間部に位置するためこの時期は常に北から冷たい風が吹いている。遮るものが何も無い壁の外はいっそう寒く感じられ、メルトレファスは身を震わせた。

 

 兵力補充のためデスナイト・カドールと共にオークニーの守りに就いていたメルトレファスだったが、北のノルガルドに大きな動きが見られないため、南のエオルジアへの移動を命じられた。彼とカドールの他に、ミラ・ミレという双子の騎士も一緒だ。これにより、オークニーにはゼメキスとエニーデの二人が残ることとなった。少々守りが手薄なようにも思うが、上層部にも考えがあってのことだろう。オークニーと比べエオルジアの兵力が格段に高く、エオルジアの西は西アルメキアの重要拠点キャメルフォードだ。恐らくこの部隊はキャメルフォードへ侵攻することになるだろう、と、メルトレファスは考えていた。そうなれば、五月に次いで二度目ということになる。

 

 五月の西アルメキア侵攻の際、メルトレファスは西アルメキアの君主であるランスと対峙するも、その首を獲るまでには至らなかった。思えばあの時以降ずっと敗北続きだ。レオニア侵攻時はノルガルド君主ヴェイナードに敗れ、アスティン防衛時にはイスカリオ君主ドリストに相手にもされなかった。カドールのような圧倒的な力を求めているメルトレファスにとっては屈辱的なことであったが、不思議と心は穏やかだった。以前は何が何でも手柄を立て力を得ようと思う気持ちが強かったが、最近はそうでもない。もちろん、力を追い求める気持ちが無くなったわけではないが、以前のような焦る気持ちは無かった。決して無理はせず、自分にできる範囲で戦う。それが、力を得るための近道だと、なんとなく思っていた。心に余裕ができていたのだ。

 

 その心境の変化がもたらした結果なのかは判らないが、今回の移動で、メルトレファスが率いる兵の数はこれまでの一千から一気に五千まで増員された。レオニア侵攻やアスティン防衛時の働きが評価された結果だという。メルトレファスにしてみれば評価されるような働きはしていないのだが、五千の兵を率いる将になれたことは素直に嬉しかった。兵が増えれば戦い方はがらりと変わり、手柄を立てやすくもなる。手柄を立てればまた兵が増員される。これを繰り返せば、いずれランスやヴェイナードらに借りを返すことができるだろう。そう信じていた。

 

 五千の兵を引き連れエオルジアを目指すメルトレファス。その前方に、騎馬が一騎、こちらへ走って来るのが見えた。彼の隊の前にはカドール及びミラ・ミレの隊が先行している。何か伝令だろうか? そう思ったが、すぐにただ事ではないと気付いた。その騎馬に乗っているのは身の丈を超える大斧を持ち悪魔の骨面を着けていたからだ。デスナイト・カドールだ。十万規模の兵を率いることもあるカドールが、なぜ単騎で引き返してきたのだろう?

 

 カドールはメルトレファスの側で馬を止めた。「これよりオークニーへ戻る。メルトレファス、ついて来い」

 

「オークニーへ? エオルジア行きは中止になったのですか?」

 

「いや。兵達はこのままミラ・ミレに預け、エオルジアへ向かわせる。戻るのは我々だけだ」

 

 兵をエオルジアへ移動させ、将のみ戻る――やはり、ただ事ではなさそうだ。メルトレファスは兵達にそのままエオルジアを目指すよう命じると、カドールと共に隊を離れた。

 

「何かあったのですか?」オークニーへと馬を走らせながら、メルトレファスは訊いた。

 

「ネズミ狩りだ」

 

「ネズミ……?」

 

「陛下のお命を狙う者がいる」

 

 陛下の命を狙う者――その言葉に、メルトレファスは息を飲んだ。「……暗殺者、ですか?」

 

「そうだ。今回の隊の移動は。ネズミをあぶり出すための罠だ」

 

「……どういうことでしょうか?」

 

「いま、オークニー城の守りは手薄だ。ネズミは、この機会を逃すまい」

 

 現在オークニー城を守る騎士はゼメキスとエニーデの二人だけだ。オークニーはノルガルドだけでなく西アルメキアとも国境を接している重要拠点である。いかにゼメキスといえど騎士二人だけで守るのは少々厳しいのではないかと思っていたが、そういうことだったのか。

 

 メルトレファスとカドールは目立たぬよう裏門からオークニー城へ戻った。

 

「ゼメキス陛下は今、謁見の間におられる」城の廊下を足音も立てず歩くカドール。「護衛は全て控えさせた」

 

「ネズミをおびき出し、狩るわけですね」

 

「そうだ。できるな?」

 

「はい!」

 

 謁見の間に入る二人。部屋の奥の一段高くなった所に金色の王座が据えられてある。天井のシャンデリアや窓のカーテン、壁に掛けられた絵画などの調度品も高価な物ばかりだ。オークニーは防衛に特化した城ではあるが、旧アルメキア時代の同盟国パドストーと国境を接した場所にある為、二国の王族や首脳が会する場として利用されることが多く、この謁見の間や会談室など、必要以上に豪華な造りになっていた。権力を誇示したい愚王ヘンギストのやりそうなことである。

 

 王座にはすでにゼメキスが座っていた。手の届く場所に剣を置いているが、メルトレファスらが部屋内に入って来ても全く動かず、目を閉じ、じっとしたままだった。少し前のメルトレファスなら人形でも置いてあるのかと思うところだったが、今の彼は違う。ゼメキスの内から溢れ出す闘気を感じる。ただ座っている状態でも、一分の隙もないことが判った。少しでも刃を向ければ、たちどころに返り討ちにされるだろう。

 

 カドールは右の拳を左胸に当てる仕草で簡単に挨拶を済ますと、メルトレファスを見た。「俺は外を見張る。そなたは室内に身を潜め、ネズミの襲撃に備えよ。陛下に近づく者があれば全て斬れ。良いな」

 

「はっ!」

 

 拳を胸に当てて応えるメルトレファス。カドールが外に出た後、窓のカーテンに身を隠した。

 

 数時が経った。陽は落ち、窓の外は闇に覆われている。この間、ゼメキスは身動きひとつすることなく王座に座っていた。室内で動くものは、天井のシャンデリアに灯された炎だけだ。

 

 カーテンの影から警戒しつつ、メルトレファスは『ネズミ』について考える。ゼメキスの命を狙う者とはいったい何者だろう? 最も可能性が高いのはノルガルドからの刺客だが、西アルメキアの可能性もある。カーレオンやイスカリオはオークニーから離れているが、それでも可能性が無いわけではない。いずれにしても暗殺など姑息な手段であり、力のない者がする行為だ。許すわけにはいかない。

 

 さらに時間が流れた。日付は変わり、シャンデリアの炎も尽きかけている。ネズミは今日は動かないのか? あるいは、本当はネズミなんていなかったのか。そんなことを考え始めたとき。

 

 コツコツという足音が、扉の外から聞こえてきた。こちらに近づいて来る。来たか? 剣に手をかけるメルトレファス。足音は扉の前で止まった。ゼメキスは目を閉じたままだが、発する闘気は格段に大きくなった。扉の向こうの者もゼメキスの闘気を感じたのだろうか、そのまま動きを見せない。無論、それで諦めて帰ることはないだろう。

 

 しばらくして、扉が開いた。

 

 ――うん?

 

 その姿を見て、メルトレファスは剣から手を放した。栗色の髪を束ね、弓と矢を持つ女。ゼメキスと共にオークニーを守っているエニーデだった。こんな時間に戦術の相談でもしに来たのだろうか? 相変わらずマジメだな。などと考えた。

 

 不意に。

 

 ――陛下に近づく者があれば全て斬れ。

 

 今回の任に就いた時のカドールの言葉を思い出した。

 

 ――まさか、な。

 

 エニーデは帝国の騎士だ。何度か話し、その人柄もよく判っている。ネズミであるはずがない。

 

 そう思う反面。

 

 エニーデは弓と矢を持って現れた。オークニーは国境を守る城なので騎士が常に武器を携帯するのは別段不思議なことではないが、王のいる謁見の間ではさすがに控えるべきであろう。それこそ、今のメルトレファスのように特殊な事情でもない限りは。

 

 特殊な事情――悪い予感がした。以前、彼女が抱える特殊な事情を聞いたことがある。その内容をメルトレファスが思い出す前に、エニーデがゼメキスに向かって弓を構えた。だが、その姿を見てもなお、メルトレファスは状況を理解できない。

 

「あなたを殺しに来たわ、ゼメキス」エニーデは静かだが意思の強い声で言った。

 

 それまでじっとして動かなかったゼメキスが、ようやく目を開けた。剣のように鋭い視線をエニーデに向ける。「……誰に雇われた」

 

「誰にも雇われてなどいない。あたしは、あたしの意思であなたを殺すの。父の無念を晴らすために」

 

「父の無念……?」ゼメキスは小さく眉をひそめた。そして、探るようにエニーデを見た後、言った。「そうか。貴様は、ウォーレンの娘か」

 

「父のことを覚えていたとは意外ね。あたし、そんなに父に似ているかしら?」

 

「顔など覚えておらぬ。ただ、その弓に見覚えがあっただけだ」

 

「フフ……あなたらしい理由ね。そう。あたしは、かつてあなたの部下だったウォーレンの娘・エニーデ。父はアルメキア屈指の弓使いとして、あなたとアルメキアに尽くした。でも、あなたは父を失脚させ、アルメキアから追放した。父は失意の果てに自ら命を絶った。この弓と矢は、父の無念そのもの! 覚悟しなさいゼメキス! この距離なら、外さないわ!」

 

 エニーデはさらに弓を引き絞った。

 

 対するゼメキスは相変わらず動かなかった。すぐ手の届く場所にある剣を取ろうともしない。だからと言って覚悟をしているわけでもない。鋭い視線と闘気をエニーデに向けたままだ。それでエニーデの攻撃を防ごうとしているかのように。並の騎士ならばそれで防げたかもしれない。ゼメキスの発する闘気と眼力にはそれほどの力がある。強い意志が無ければ、身体がすくんで動けなくなるだろう。だが、エニーデは違う。彼女は並外れた騎士であり、何より父の仇を討つという強い意志がある。闘気と眼力で追い払える相手ではない。

 

「――やめろ! エニーデ!!」

 

 己の任務を思い出したメルトレファスは、剣を抜いて飛び出し、エニーデとゼメキスの間に立った。

 

「メルトレファス……どうしてここに? エオルジアへ行ったはずじゃ……?」エニーデは目を丸くして驚いた後、はっとした表情になった。「……罠だったのね?」

 

「そうだ! 逃げ場はないぞエニーデ!」

 

「構わないわ。どの道、ゼメキスを討って逃げられるとは思っていない」エニーデは矢をメルトレファスに向けた。「どきなさいメルトレファス! 邪魔するのなら、容赦しないわよ」

 

 もちろん、そんな言葉でどくわけにはいかない。主君を守らなければならないという思いはもちろんあるが、それ以上に、エニーデに弓を引かせてはいけないという思いが強かった。

 

「どかないのなら――」

 

 エニーデの弓から、矢が放たれた。

 

 それは、お世辞にも鋭い攻撃とは言えなかった。以前訓練場で見たときの矢よりも、はるかに鈍い矢だ。新米騎士のメルトレファスでも容易にかわせるほどの速さでしかない。だが、かわすことはできない。背後にはゼメキスがいる。メルトレファスがかわした矢をゼメキスがかわせないなどあり得ないことだが、それでもどくわけにはいかなかった。

 

「――――っ!!」

 

 矢はメルトレファスの左手を貫いた。焼け付くような痛みに思わず剣を手放してしまう。

 

「それで戦えないわ。おとなしくしてて」

 

 エニーデは次の矢をつがえると、再びゼメキスに向けた。「さあゼメキス。今度はあなたの番よ」

 

 メルトレファスはそれでもエニーデの前に立ちはだかった。「やめろ……やめるんだエニーデ。お前の父親は、復讐なんて望んでいないんだろ?」

 

「まだそんなことを言うの? 前に言ったでしょ? たとえ父さんが望んでいなくても、あたしは復讐せずにはいられないのよ! これ以上邪魔をするのなら、次は心臓を撃ち抜くわよ!?」

 

「俺の心臓くらい、いくらでも撃てばいい。だが、陛下に弓を引けば、お前は終わりだぞ」

 

「その覚悟はできているのよ! これだけ言ってもどかないのなら――」

 

 エニーデは、さらに矢を引き絞った。

 

「やめろ!!」

 

 叫ぶメルトレファス。

 

 だが、その言葉はエニーデに向けたものではなく、彼女の背後に立つ者に対する言葉だった。

 

 エニーデも、自分の背後に立つ存在に気が付いた。

 

 しかし、振り返り矢を放つよりも早く、背後に立つ骨面の男が剣を振り下ろした。

 

 デスナイト・カドールの剣は、父の弓と矢と共に、エニーデの身体を斬り裂いた。

 

「――――」

 

 エニーデは、静かに倒れた。

 

「フン……たわいもない」

 

 カドールは、足元に伏したエニーデに対し、ゴミでも見るかのような視線を向けた。

 

「エニーデ!!」

 

 メルトレファスの声にも、エニーデは動かない。

 

 ゼメキスが動いた。王座から立ち上がり、剣を携え、ゆっくりとした足取りでメルトレファスの側を通り抜け、エニーデのそばに立った。

 

「……ゼメ……キス……!」

 

 メルトレファスの声にも反応しなかったエニーデが、矢のように鋭い視線をゼメキスに向けた。そして、真っ二つに斬られた弓と矢に手を伸ばそうとする。

 

「まだ息があるか」止めを刺そうとカドールが剣を振り上げる。

 

 やめろ、と、メルトレファスが叫ぶ前に、意外にもゼメキスがカドールを制した。

 

 エニーデを見下ろすゼメキス。その目にはカドールのような蔑んだ色は無い。だからと言って、同情や憐みの目でもない。ゼメキスの目は、先ほど弓を構えたエニーデと対峙した時の鋭さのままだ。

 

「エニーデよ。お前は、父親が権力争いの果てに追放された、などと思っているのではあるまいな?」

 

「……違うとでも言うの……?」

 

「フン、この俺を愚王などと一緒にするな」

 

 旧アルメキア時代、王宮内では忠誠心厚き者にあらぬ罪を着せて処刑や国外追放させるという事態が頻発した。己の地位と権勢を盤石にしようとする者の陰謀によるものだ。それらは全て、愚王ヘンギストとその愚臣共の仕業だと言われている。ゼメキスは、そのような姑息な策を弄する男では、決してない。

 

「よかろう。真実を教えてやる」ゼメキスは、足元のエニーデを真っ直ぐに見つめたまま続ける。「貴様の父親は密かにノルガルドと通じ、我が軍の情報を流していたのだ」

 

「……な……何を言って……」

 

「間者だったということだ」カドールが言った。

 

「間者……スパイだったと言うの……?」

 

 カドールは「そうだ」と言って、剣の代わりに言葉でとどめを刺さんばかりに続けた。「二年前、陛下はノルガルドの侵攻を阻止するため、リドニー要塞の守りに就いた。だが、その際愚王から許された兵の数はたったの二万だった。いかに陛下といえど、そんなわずかな兵でノルガルドを止めるのは困難だ。陛下は兵力が敵に知られぬよう細心の注意を払い兵の増強を試みた。だが、貴様の父親がノルガルドに情報を流し、結果、ノルガルド王ドレミディッヅは十万の兵を従えリドニーへ攻めて来たのだ」

 

 二年前のノルガルド侵攻の話だ。このいくさでゼメキスの部隊は窮地に陥ったものの、ゼメキスはリドニーでの守りを捨て敵軍へ突撃。ドレミディッヅとの一騎打ちへ持ち込み、これを制したのだ。

 

「あのいくさは、それまで俺が経験した戦いの中でも最も危険なものだった」ゼメキスが話を引き取るように続ける。「ドレミディッヅが俺の挑発に乗り一騎打ちに応じなければ、我が軍は敗れていただろう。そうなれば、ノルガルドの侵攻は止められなかったはずだ」

 

「判るか? 小娘」カドールがさらに言う。「貴様の父親が流した情報が、陛下と、陛下の部隊と、そして、アルメキアという国を危険にさらしたのだ! 本来ならば死罪でも生ぬるい!」

 

「そんな……父さんが……そんな……」

 

 エニーデの視線が宙をさまよう。国に裏切られたと思っていた父親こそが裏切り者であった――ゼメキスやカドールの言葉だけでは真偽のほどは定かではないが、今のエニーデを動揺させるには十分すぎる話だった。

 

「もっとも……いまとなってはウォーレンがアルメキアを裏切った心情も、判らぬではないがな」

 

 ゼメキスが独り言のように言った。その目からはさっきまでの鋭さが消え、メルトレファスが今まで見たことのないような優しさが宿っているように見えた。

 

 だが、すぐに鋭さを取り戻し、エニーデを見下ろす。「俺はこの大陸の覇王となる。つまらぬことに構っている暇はない。だがエニーデよ、お前の名は覚えておいてやろう」

 

 ゼメキスはエニーデに背を向けると「行くぞ」と、カドールに告げた。

 

「ははっ!」カドールは拳を胸に当てる仕草で応じた後、メルトレファスを見た。「メルトレファス、ネズミの死骸は処分しておけ」

 

 そして、二人は謁見の間から出て行った。

 

 メルトレファスはエニーデに駆け寄り、怪我をしていない右手で抱き上げた。「しっかりしろエニーデ。すぐに治療をする」

 

 だが、エニーデは首を振った。「……いいのよ、メルトレファス。どの道あたしは、ここで死ぬつもりだった。たとえゼメキスを討てたとしても、ね」

 

「なにを言うんだ」

 

「あたしは復讐のために生きてきた。復讐を果たしたら、もう何も残ってないもの」

 

「そんな悲しいことを言うな」

 

「それに、あたしだってバカじゃない。あたしの腕で、ゼメキスを討てるなんて思ってなかった。こうなることは、最初から判っていたのよ。結局、あなたの言う通りだったわね」

 

「――なにが」

 

「復讐なんてくだらない――その通りだったわ」

 

 エニーデの目に涙が浮かんだ。

 

「父さんの無念を晴らそうなんて考えなければ、真実を知ることも無かったのに……」

 

 涙が、頬を伝って流れ落ちた。

 

「……まさか……父さんが国を裏切ってたなんて……知りたくなかったなぁ……」

 

 エニーデの言葉が、嗚咽の中に消える。

 

「忘れろエニーデ! あの話が真実だという証拠はどこにもない! お前の父さんは、立派だったんだろ!?」

 

 叫ぶように言うメルトレファスの頬に、エニーデが右手を添えた。「ありがとう、メルトレファス。あたしのために泣いてくれて」

 

「……誰が……お前のために」

 

 メルトレファスは否定したが、自分の頬にも涙が伝っているのは、もう隠しようも無かった。

 

「笑って、メルトレファス、この前の、訓練場のときみたいに。あなた、笑ってる方が、いい男よ」

 

「バカやろう……こんなときに、なに言ってやがる」メルトレファスは泣きながらも、あまりにも場違いなエニーデの言葉に、思わず笑みを浮かべた。

 

 エニーデは満足そうに微笑むと。

 

「――さようなら、メルトレファス」

 

 目を閉じた。

 

 エニーデの身体が不意に軽くなった。まるで、彼女の身体からなにかが抜け落ちたようだった。

 

 頬に添えられていたエニーデ手が、滑るように落ちた。

 

 

 

 

 

 

 メルトレファスの絶叫が、謁見の間に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。