ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

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第八話 アスミット 聖王暦二一五年三月下 レオニア/聖都ターラ

 北の大国ノルガルドの王・ヴェイナードが、女王リオネッセとの会見を望んでいる。

 

 ノルガルドの使者から書状を受け取ったアスミットは、どう対応すべきか考えていた。書状に会見を望む理由は書かれていない。しかし、現在のノルガルドの国情を考えれば、好ましいものとは思えなかった。

 

 ノルガルドは、周辺各国へ宣戦布告したエストレガレス帝国と徹底抗戦する構えを見せており、一年前の講和によって明け渡していたジュークス城を奪還したばかりだ。エストレガレスだけでなく、大陸全土の制覇を目指しているは明らかだった。もちろんそこには、このレオニアも含まれている。会見は、間違いなく今回の戦争に関することだろう。一方的に宣戦布告され、攻め込まれなかったのは幸いであるが、だからと言って、侵略の意思が無いとは限らない。女王の目の前で宣戦布告することもあり得るし、降伏を要求し、属国となることを迫ることも考えられる。

 

 レオニアの女王は王位に就いてまだ一年で、しかも即位するまでは政治や戦争などの経験も知識も無い平凡な娘だった。他国の要人との面会すら初めてなのに、相手があの白狼と呼ばれるヴェイナードでは、あまりにも荷が重いだろう。それはまさに、狼を前にした子兎だ。簡単に飲み込まれてしまう。

 

 女王とヴェイナード王を会わせるべきではない。会見は、政務補佐官のパテルヌスと自分の二人で行うべきだ――そう思うが、それはあくまでも、ヴェイナード王が好戦的な態度で臨んできた場合だ。会見は、同盟を求めるものである可能性もある。ヴェイナード王は慎重な男だ。エストレガレス帝国との戦いに集中するため、レオニアから攻められる可能性を無くしておきたいと考えても、おかしくはないだろう。もちろん、同盟をしたとしても、それは一時的なものである可能性が高い。ノルガルドが大陸制覇を目指しているのであれば、いずれは攻めてくるはずだ。しかし、たとえ一時的なものであっても、ノルガルドと同盟を結ぶのは、レオニアにとっても悪くないことだ。レオニアと国境を接しているもうひとつの国である南のイスカリオは、決して他国と同盟など結ばない。北から攻められる心配が無くなれば、当面、イスカリオとの戦闘に集中できる。

 

 女王をヴェイナード王と会見させるべきか、させない方がいいのか、それとも、そもそも会見自体拒否すべきなのか……アスミットは、己の知識や経験を全て使い、正しい選択を導き出そうとする。判断ミスは許されない。決して。

 

 アスミットは、神官騎士団の長であり、レオニア一の智将と称される男だ。完璧主義者であり、自分はもちろん他人のミスさえ許せない性格だ。あまりにも融通の利かない性格であるがゆえに、周囲からは『パーフェクトマン』と陰口をたたかれ、煙たがられている。しかし、完璧主義であるからこそ、レオニアの重臣からの信頼は厚く、女王リオネッセや政務補佐官パテルヌスからは全幅の信頼を寄せられていた。

 

 ノルガルドからの使者はアスミットの返事を待っている。会見を求める書状には『至急』と書かれており、一旦返事を保留することはできそうにない。もし保留すれば、ヴェイナード王を刺激することになりかねない。少なくとも、会見をするかしないかの返答は、すぐにでも行うべきだろう。

 

 さまざまな可能性を考えた結果、会見自体は行うべきだとの結論に達した。会見自体を拒否してヴェイナード王を怒らせるのは得策ではない。問題は、会見の場に女王を同席させるかである。同席させたところで、女王がヴェイナード王と対等に渡り合えるとは思えない。この国の政務は、事実上パテルヌスが行っているのだ。ならば、女王を出席させることに意味は無いだろう。しかし、女王が会見をしないことを今ヴェイナード王に伝えても、やはり怒らせることになりかねない。この場は一旦、会見には応じると答え、当日は、急病等適当な理由を付ければ良いだろう。ヴェイナード王は不快感を表すかもしれないが、会見さえ始まってしまえば、後は自分とパテルヌスでなんとかする――アスミットは、そう考えた。

 

 しかし、当然のことながら、それらのことを自分だけで決定することはできない。少なくとも、パテルヌスには相談すべきであろう。

 

「書状は承った。女王と相談するゆえ、別室にてしばらく待たれよ」

 

 アスミットは護衛兵に使者を別室まで案内するように命じた。

 

 アスミットは書状を持ち、城の礼拝室へと向かった。女王は今、そこで神へ祈りを捧げている時間である。

 

 礼拝室には、女王リオネッセと政務補佐官アスミット、そして――面倒なことに――新人の神官騎士で女王の幼馴染のキルーフの姿があった。

 

 キルーフは、女王と時期を同じくしてレオニアに仕官した男だ。それまで戦いの経験や王宮との繋がりも無く、本来ならばいきなり城や女王の警護を任せるべき人物ではないのだが、城や政務に不慣れな女王の心のよりどころとなるべき者は必要であろうとの判断から、特別に置いているのである。

 

 アスミットがキルーフのことを面倒だと思ったのは、キルーフは極めて感情的な人間で、騎士としての自覚に乏しいからである。国の事よりも女王のことを優先して考える。それ自体は騎士としては間違いではないのかもしれないが、残念ながらその考えは、騎士ではなく幼馴染としての感情が強い。今回のヴェイナード王との会見の件を話せば、国の行く末など考慮しない意見を言うだろう。「危険だからやめておけ」と言うか、「俺がいるから安心しろ」と言うかは判らないが、どちらにしても、そこにはなんの根拠も無いのだ。そもそも、立場上はいち護衛兵でしかないキルーフに、政務に関する発言権などありはしないのだが、それを理解するような男ではない。だからと言って、席を外せと言っても素直に聞くことはないだろうし、使者を待たせているので時間も無い。だから、面倒なのである。

 

「アスミットさん――」礼拝室の奥で祈りを捧げていたリオネッセが、アスミットに気付いた。「どうかされましたか?」

 

 女王の声に、パテルヌスとキルーフもこちらを見た。仕方がない。アスミットは女王の所へ行き、これまでのいきさつを説明した。

 

「……ノルガルド王が、あたしに会見を……」不安げな表情になる女王。彼女も、白狼王の噂は知っている。

 

 キルーフが腕を組んだ。「怪しいな……なんかのワナかもしれないぜ」

 

 心の中で舌打ちをするアスミット。キルーフの言う通り、ヴェイナード王が何らかの罠を仕掛けて来る可能性は否定できないが、それを今女王の前で言っても、より不安にさせるだけだ。案の定、女王は青ざめた顔になる。

 

「会見自体を断るのは得策ではないでしょうな」パテルヌスが、アスミットと同じ考えを言う。「私とアスミットが対応しますゆえ、女王は出席なさらずとも良いでしょう」

 

「いえ……あたし、ヴェイナード王に会います」女王が、決意と不安が入り混じった声で言った。「同盟の申し出である可能性もありますし、もしそうなら、あたしが出ないのは失礼でしょうから」

 

「……よろしいのですか?」

 

 アスミットの問いに、女王は無理に作ったような笑顔で「はい」と答えた。続いてパテルヌスを見る。パテルヌスは小さく頷いた。

 

「安心しな!」キルーフが女王に向かって言う。「向こうが何を仕掛けて来たって、俺が何とかしてやるからよ!」

 

 アスミットが予想した通り、何の根拠も無いことを言うキルーフ。時間があれば、向こうが何を仕掛けて来るつもりで、それに対してどう対応するつもりなのかを問い詰める所だ。アスミットにしてみれば、このような無思慮な言葉は無意味でしかない。

 

 もっとも、キルーフの言葉により、女王の不安そうな顔が少し和らいだことを考えれば、完全に無意味とも言い切れない。

 

 アスミットは女王に頭を下げた。「では、会見は一週間後、ダマスの城にて行う旨を伝えます」

 

 ダマスはノルガルドとの国境付近の城である。ゼメキスのクーデター以降、防衛のために兵を集めているので、何かあった時も十分対応できるはずだ。

 

 アスミットは礼拝堂を出て、ノルガルドの使者にその旨を伝えた。

 

 

 

 

 

 

 一週間後、ダマス城の会議室にて、アスミット達はヴェイナード王を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 会議室には、女王リオネッセと補佐官パテルヌス、騎士団長アスミット、そして、アスミットの部下のシャーリンという女騎士が同席した。シャーリンは、神官騎士団の中でアスミットが最も信頼を寄せている騎士だ。ノルガルドとの国境に最も近い位置にある城、つまり、ノルガルドと開戦した場合、真っ先に攻められる城であるこのダマス城の警護を任せている。キルーフの姿は無い。直前まで自分も同席させろと散々騒ぎ立てたが、女王とアスミットの説得により、どうにか別室で待機させることができた。

 

 一方のノルガルド側は、白狼王ヴェイナードの他に、女王と同年代の女騎士、そして、やや年配の騎士が二人だ。アスミットは、事前に調査して得た情報から、女騎士はノルガルドの前王ドレミディッヅの娘・ブランガーネ、年配の騎士は、ドレミディッヅ時代の重臣達であると推測した。

 

 女王は胸の前で手を組み、祈りを捧げるように目を閉じた。レオニアで相手に敬意を表す時の仕草である。

 

「レオニアへようこそ、ヴェイナード王。リオネッセと申します。ノルガルドの国情は伺っております。一年前の前王の崩御は、我らも大変遺憾に思っております。我がレオニアといたしましては、このたびのエストレガレス帝国への挙兵に対し、一定の理解を示して――」

 

「堅苦しい挨拶は結構だ。予は、茶飲み話をしに来たのではない」

 

 女王の言葉を高圧的な口調で遮るヴェイナード王。本来ならば即刻会見を中止にしてもよいほどの無礼なふるまいであるが、女王は身体を強張らせ、小さな声で「申し訳ありません……」と言った。

 

「なんだ? 白狼ごときが少し吠えただけでもう泣き出すとは、レオニアの女王は、随分と臆病者のようだな」

 

 そう言って、ヴェイナード王の後ろに控えていた若い女が前に出た。

 

「場をわきまえよ、ブランガーネ姫」ヴェイナード王が女に向かって言う。「これは、予とレオニア女王との会見の場であるぞ」

 

 だが、ブランガーネは王の言葉を無視して続ける。「女王。聞けばそなた、政治や戦の経験など何も無いのに、神託などという訳の判らぬもので王に選ばれたそうだな?」

 

「は……はい……申し訳ございません」飢えた獣を前にした小動物のように震える女王。

 

「随分とふざけた国だな、レオニアというのは。素質の無い者が国を治めるとは。もっとも、素質の無い者が国を治めているという点では、我が国もたいして変わらぬがな」

 

 ブランガーネはちらりとヴェイナード王を見て、さらに続けた。

 

「そなたらも知っておろうが、我が父・ドレミディッヅは、我が国一……いや、フォルセナ一の武将であった。(わらわ)は女として産まれたが、父を尊敬し、父のような武将になりたいと思い、幼き頃から、剣や弓の技術、そして、戦術や用兵術を学んだ。戦場に出れば、誰よりも多くの武功を挙げる自信がある。無論、(まつりごと)についても学んだ。全ては父のような偉大な王になりたいがため。なのに! 我が国には女は王位を継げぬというふざけた決まりがある! 故に、白狼などが王位に就いたのだ。なぜだ!? なぜ、女であるというだけで王位を諦めねばならぬ! 女は家を護るのが役目と言うか? ふざけるな!! 妾は子を産む道具ではない!!」

 

 感情を乱し、声を荒らげるブランガーネ。その目は女王に向けられてはいるが、言葉はヴェイナード王……いや、ノルガルドという国そのものに向けられているようにも思える。

 

「女王。妾はそなたが許せぬ。王としての素質など無いそなたのような女が、何の苦労も無く王位に就き、何もせぬのに女王などと崇められているそなたがな!」

 

「――姫」と、ヴェイナード王が前に出る。「くだらぬ嫉妬は国に帰ってから伺うゆえ、この場は控えてくださいませぬか」

 

 ブランガーネが鋭い目でヴェイナード王を睨む。「くだらぬ嫉妬と申すか。まあ、そうかもしれぬ。だがな、己の望む生き方を見せつけられて、平静でいられる者などおらぬ!」

 

 ブランガーネの鋭い目が、再び女王に向けられた。「女王。白狼が何の目的でこの会見を望んだのかは知らぬが、妾はそなたの器をはかりにここに来た。先ほどのような軟弱な態度を続けるならば、即座に叩き斬ってやるからそう思え!!」

 

 ひときわ大きな声でそう言うと、ブランガーネはもう一度ヴェイナード王を睨み、後ろに下がった。

 

「……姫が失礼をした。代わって詫びさせていただく」言葉とは裏腹に、高圧的な口調は変わらないヴェイナード。

 

「……いえ……大丈夫です」女王も、言葉とは裏腹に声が震えている。

 

「それでは本題に入ろう。ふたつにひとつ、選んでいただきたい」

 

「ふたつにひとつ……?」

 

 戸惑いの表情を浮かべる女王に、ヴェイナード王は容赦なく言葉を継いだ。「ひとつ。レオニアを予に差し出し、ノルガルドの属国となるか。ふたつ。ノルガルドと戦をし、滅ぼされるか、だ」

 

「――――」

 

 ヴェイナード王の申し出に、言葉を失う女王。政務補佐官のパテルヌスも、驚きの表情を隠せない。

 

 アスミットは、表情を変えずヴェイナードを見ていた。これまでの彼らの態度から、こうなる可能性は高いとすでに判断していた。

 

「ノルガルドは随分と礼儀をわきまえぬ国と見えるな」アスミットは女王をかばうように前に出て、ヴェイナードを睨みつけた。

 

「予は女王と話をしている。誰だか知らぬが、引っ込んでいてもらおう」

 

 ヴェイナードの言葉を無視し、アスミットは女王を振り返った。「会見は終了です。後は、私とパテルヌス殿で対応しますので、女王はお下がりください」

 

「逃げるのであれば、開戦の返答と受け取りますぞ、女王」ヴェイナードが言った。

 

「まって! 待ってください」女王が再び前に出る。「ヴェイナード王。レオニアは、古くから自治を守ってきました。アルメキアの全盛期も、他国に支配されることなく営んできたのです。私たちは、争いは好みません。しかし、ノルガルドの国情は理解しているつもりです。ヴェイナード王。レオニアは、決してノルガルドを攻撃しません。約束します。ですから、どうか私たちを、そっとしておいてください」

 

 いまにも擦り切れてしまいそうな小さな声ではあるが、女王はしっかりとヴェイナード王を見据え、最後まで言い切った。

 

 だが、白狼王は女王の言葉を鼻で笑う。「予はふたつの内どちらかを選べと言ったのだ。他の解答は無い」

 

「そんな……お願いします、ヴェイナード王。どうか……お願いします」

 

 女王は、泣きそうな声と共に、深く頭を下げる。

 

「判った。では、開戦ということでよろしいか」容赦のない言葉を浴びせるヴェイナード。「手始めに、この城を貰い受けるぞ」

 

 パテルヌスが顔を真っ赤にして言う。「ふざけるな! 我が国の領地を、貴様らなどに好きにさせるものか!!」

 

 アスミットは女王を後ろに下げた。「後は我らが対応しますゆえ、女王はどうか、お下がりください」

 

「逃げられはせぬぞ、女王」ヴェイナードが不敵な笑みを浮かべた。

 

「どういう意味だ?」

 

 アスミットが眉をひそめた時。

 

 バタン! と、勢いよくドアが開いて、キルーフが入って来た。「おい、アスミット! ノルガルドの大軍が、この城に向かってきているぞ!」

 

「なに!?」

 

 慌てて会議室の窓を開けるアスミット。北の方角、城壁の数百メートル向こう側に、ノルガルドの旗を掲げた軍隊が並んでいた。こちらに向かって来る。その数、ざっと見ても五万。

 

 ――ばかな!? これほどの兵、いつの間に動かした!?

 

 アスミットは今回の会見に備え、徹底的に情報の収集と備えを行っていた。ノルガルドに密偵を忍ばせ、国境からの道中にも監視兵を配置している。ノルガルドが兵を動かせば、すぐに知らせが来るはずだ。

 

 アスミットは、ヴェイナードを睨みつけた。

 

 不敵に笑う白狼王。「ネズミどもなら、全て始末したぞ」

 

 心の中で舌打ちをするアスミット。どうやら私も、まだまだ詰めが甘かったようだ。

 

 だが、これで終わりではない。

 

 アスミットは、部下の女騎士・シャーリンを呼んだ。白狼王に聞こえぬよう、小声で話す。「シャーリン。あの程度の兵なら、任せて大丈夫だな?」

 

「もちろんです」

 

 静かだが自信に満ちた声で答えるシャーリン。現在この城には三万の兵が駐屯している。ノルガルドの兵と倍近い差があるが、国境近くであるこのダマス城の護りは堅い。二万程度の兵力差ならば、十分対応できるだろう。

 

 問題は、女王である。

 

 女王は窓の外に集うノルガルドの兵を見て、口元を押さえて絶句している。その身体は恐怖に震え、顔はみるみる血の気を失って行く。このままではまずい。

 

「女王。特別に、もう一度返答を訊こう」ヴェイナードがとどめを刺そうとしていた。「我が国の属国となるか、このまま戦をするか。さあ、どちらを選ぶ?」

 

「てめぇ……」

 

 キルーフが殺気を放つ。それに呼応するかのように、ヴェイナードの後ろに控えていた騎士も殺気を放った。

 

 肌を斬り裂かれるような空気が、部屋を包む。

 

「安心しろ、女王」ヴェイナードが、思いがけない優しい声を出した。「属国となることを選べば、この城にいる全員の命は保障しよう。予に従うなら、レオニアは予の国も同然。そなたらはノルガルドの民だ。予は、理由もなく民を虐げたりはしない」

 

「ふざけるな! てめぇなんかの好きにさせるかよ!!」キルーフが声を上げる。

 

 ヴェイナードは無視して女王を睨みつけた。「しかし、属国を拒めばそなたらは予の敵だ。予は、敵には容赦せぬぞ」

 

 アスミットは、冷静に状況を判断しようとていた。この場で戦いになったとしても、女王を護ることは可能だ。王同士の会見である故、どちらも武器は持っていない。それは、事前に厳重に確認をしている。素手でも侮れぬ相手ではあるが、こちらとて、武力で負けるつもりはない。

 

 だが、問題は、女王がヴェイナード王の問いに、どう答えるかである。

 

 形ばかりの女王にすぎないが、それでも、この国の全ての決定権は女王にある。彼女が脅しに屈し、降伏すれば、女王に仕える身としては従わぬわけにはいかないのだ。この場は一刻も早く女王を安全な場所に避難させなければ。アスミットは、キルーフに女王を避難させるよう命令しようとした。

 

 しかし、その前に。

 

「……判りました」

 

 女王が、蚊の鳴くような声を出した。まずい。降伏するつもりだ。

 

「女王! お待ちを!」

 

 アスミットが止めるよりも早く。

 

「……レオニアは、ノルガルドと戦います!!」

 

 女王の表情は一変し、その華奢な身体からは想像もつかないほどのしっかりとした声で、言い切った。

 

 その場にいる誰もが、驚きで言葉を失う。キルーフも、パテルヌスも、ヴェイナードさえも。

 

 アスミットも驚きを隠せない。あらゆる状況を想定して今回の会見に挑んだが、女王がそのような決断を下し、ヴェイナードの前ではっきりと宣言するなど、夢にも思わなかった。

 

 女王は、力強い目でヴェイナードを見て、そして、力強い口調で続ける。「ヴェイナード王。私たちは、ただ静かに暮らしていたいだけ。朝は日の出とともに目を覚まし、子供たちは陽が暮れるまで元気に遊び、大人たちは笑顔で働き、三食きちんと食事をして、夜は静かに眠る……そんなささやかな生活を、私たちは続けてきました。これからも、ずっと続けていたいのです。それ以上のことは何も望んでいません。今のささやか生活が、何にも勝る幸せだと、国民の全てが知っているからです。それを! あなたが武力で奪おうと言うのならば、私たちは戦います! 私たちのささやかな幸せを踏みにじると言うのならば、私たちは戦います!! ですが、ヴェイナード王。決して忘れないでください。私は、あなたを決して許しません。我が国を戦に巻き込んだあなたを。私たちから幸せを奪おうとするあなたを! 私は決して許しません!!」

 

 ヴェイナードは挑発するように顎を挙げた。「ほほう。女王は、命が惜しくないと見える。ならば、遠慮なくいただくとしよう」

 

 一歩前に出た。

 

 女王をかばうように立つキルーフとアスミット。

 

 だが、女王は二人を押しのけ、ヴェイナードの前に立った。

 

 女王の声は震えている。目には涙をいっぱいに溜めている。言葉とは違い、恐怖は隠せていない。

 

 しかし、それでも。

 

 震える身体を鼓舞し、涙を溜めた目で白狼を見据え。

 

「私を殺したいならそうすればいい! 私が死んでもレオニアは生き続けます! あなたの思い通りにはさせません!!」

 

 決意を込めて、言った。

 

 室内を、静寂が包む。

 

 女王の決意の言葉に、誰も声を発することができない。

 

 だが、やがて。

 

「……良い覚悟だ、女王。だが、言葉だけで国を護れぬぞ!」

 

 白狼の殺気が強くなった。さらに前に出る。いかん! アスミットとキルーフが白狼に襲い掛かろうとした。

 

 しかし。

 

「待て! ヴェイナード!!」

 

 後ろでじっとヴェイナードと女王のやり取りを聞いていたブランガーネが叫んだ。

 

 ヴェイナードの足が止まる。それを見て、アスミット達も止まった。

 

 ヴェイナードが振り返った。「……何でしょうか、姫」

 

 だが、ブランガーネはヴェイナードを無視するかのように、会議室の窓に向かって歩く。

 

 そして、窓の外の兵に向かって。

 

「全軍!! すみやかにハンバー城まで撤退せよ!!」

 

 空の彼方まで届くかのような声で命令した。

 

 常に冷静な態度で臨んでいたヴェイナードの表情が、初めて歪んだ。「姫! 何を!」

 

「あれはハンバー城に駐屯させていた妾の兵だ。妾が何を命令しようが、勝手であろう」

 

 窓の外を見るアスミット。ブランガーネの命令を受けた兵は、北へと下がっていく。本当に撤退するようである。

 

「姫……何をしたか判っているのか!?」

 

 ヴェイナードの言葉を無視し、ブランガーネは女王を見た。「リオネッセであったな。なかなか面白いものを見せてもらったぞ。白狼の脅しに屈せぬ姿、見事であった。その勇気に免じて、此度は兵を退いてやる。撤退中も、レオニアの民には決して手出しさせぬゆえ、安心せよ」

 

「ブランガーネ様……」

 

「だが、勘違いするなよ。そなたがノルガルドからの宣戦を受け入れたことに変わりは無い。このまま城を落としても構わぬのだが、妾は、このような騙し討ちのような真似は好まぬ。いずれ戦場で会えば、正々堂々戦い、妾自らそなたの首を取って見せるゆえ、覚悟しておれ」

 

「…………」

 

「帰るぞ!」

 

 護衛の騎士に言って、ブランガーネは部屋を出た。騎士たちは顔を見合わせた後、ヴェイナードの視線を避けるようにして、ブランガーネの後を追った。

 

「ふん……困った姫だ。まあよい」

 

 一人残されたヴェイナードだが、その表情にはまだ余裕があった。「姫の我がままに助けられたな、女王。此度は予も退こう」

 

 ヴェイナードは踵を返し、部屋から出ようとした。

 

 しかし、その前にキルーフが立つ。「待てよ。てめぇ、このまま黙って帰すと思ってるのか?」

 

 強烈な殺気と共にヴェイナード王を睨むが、白狼は涼しい顔だ。

 

「よせ、キルーフ」アスミットが止めた。「無駄な騒ぎは起こすな。今は、女王の安全だけを考えろ」

 

「――――」

 

 キルーフはしばらくヴェイナード王の前に立ち塞がっていたが、やがて身を引いた。

 

 ヴェイナードが扉を開けた。

 

 だが、部屋からは出ず、女王を振り返る。

 

「ひとつ、忠告をしておこう」

 

 それまで自信に満ち溢れて、常にこちらを見下していたヴェイナード王の目が変わった。闘争心に溢れる獣のような目。戦に臨む者の目。その目の奥に、わずかな陰りが混じったことに、アスミットは気付いた。その理由までは判らない。

 

 ヴェイナードは続けた。「先ほどは見事な演説を聞かせてもらった。だが女王。これだけは忘れるな。貴様らがずっと続けていたというささやかな生活を、どんなに望んでも手に入れることができぬ者たちが、このフォルセナ大陸には数多くいるのだ。貴様らの生活が当たり前にあるものだと思わぬことだな」

 

「――――」

 

「では女王。次は戦場で会おう」

 

 ヴェイナードは、靴音を響かせながら去って行った。

 

「……くああぁぁ!! 腹立つ!!」キルーフが、怒りに溢れる声を上げる。「あんにゃろう、次会った時は、絶対にぶん殴ってやる! なあ! リオネッセ」

 

 パチン、と拳を手のひらに叩きつけ、女王を見るキルーフ。

 

 だが、女王の目はキルーフではなく、ヴェイナードが去った扉に向けられたままだ。

 

「……あたしたちの生活は……当たり前ではない……」

 

 うわ言のようにつぶやく。

 

「……リオネッセ?」キルーフが、女王の顔を覗き込んだ。

 

「え? あ、ううん。なんでもない」女王は首を振った。

 

 キルーフは笑顔になった。「しっかし、さっきは驚いたぜ。まさかお前が、あんな啖呵を切るなんてよ。よっぽど腹が立ったんだな?」

 

「……えっと……あたし、なんだか夢中で……あ……」

 

 女王が膝から崩れ落ちた。

 

 床に倒れそうなところを、なんとかキルーフが支えた。「おい、大丈夫か!?」

 

「ごめんなさい……あたし……あんなこと言ったの……初めてだったから……」

 

「……村でもケンカなんかしたことなかったもんな、お前」

 

 アスミットも女王を支えた。「キルーフ。女王を寝室へ」

 

「おう」

 

 キルーフは女王を背負った。

 

「シャーリン。お前も、女王に付き添っていろ」

 

 アスミットの言葉に頷くと、シャーリンとキルーフは女王と共に部屋を出た。

 

「ほっほっほ。なんとも驚かされたのう」政務補佐官のパテルヌスが、嬉しそうに笑った。「まさか女王が、あの白狼相手に一歩も引かぬとは」

 

「全くです」アスミットも同意する。「女王の代わりに我らで対応しようと考えておりましたが、その必要はありませんでしたな。何もできず、恥ずかしい限りです」

 

「ほほう。『パーフェクトマン』のそなたにも、今日の女王は想定外であったか」

 

「はい。ですが、嬉しい誤算です。正直私は、リオネッセ様がレオニアの王で大丈夫なのか、今のフォルセナの戦乱を乗り切れるのか、不安でありました。しかし、あの様子ならば、大丈夫でしょう。もちろん、我らがしっかりと支える必要がありますが」

 

「ほっほ。これからも気が抜けぬぞい」

 

 二人はしばらく笑い合った。

 

「――しかし」パテルヌスの顔から笑顔が消える。「ノルガルドの内部は、我らの予想以上に混乱しているのかもしれぬな」

 

 アスミットも表情を引き締める。「はい。まさか、あの場でヴェイナード王の命令を無視して、ブランガーネ姫が兵を退くとは、思いませんでした」

 

 ヴェイナードの即位後、新王や軍師グイングラインを中心とした新興勢力のヴェイナード派と、前王の娘や重臣たちを中心としたドレミディッヅ派に分かれ、激しく対立しているという話は、アスミット達の耳にも入っていた。しかし、打倒エストレガレス、そして、大陸制覇の野望の元に、それなりに足並みを揃えるものと見ていた。あの様子では、対立はアスミットの予想以上に深刻で、ともすれば、致命的な内部分裂に発展する可能性もある。

 

「……どうやら、我らにも十分勝ち目がありそうじゃな」

 

 勝利を確信したかのような表情のパテルヌス。

 

「そう考えるのはまだ早計でしょうが、まあ、負けるつもりはありませぬ」

 

 アスミットも、今回の会見で確かな自信を得ていた。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年三月下。

 

 

 

 

 

 

 レオニア領ダマスにて、レオニア女王リオネッセとノルガルド王ヴェイナードが会見。ヴェイナード王は、レオニアにノルガルドの属国となることを要求するも、女王はこれを拒否。結果的に、ノルガルドの宣戦布告をレオニアが受け入れる形となった。

 

 

 

 

 

 

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