西アルメキアの三都市同時侵攻作戦のひとつであるオークニー侵攻は、西アルメキア側の作戦通り順調に進んでいた。
コール老公の嫡男メレアガントを総大将とし、流星のハレーと百戦のゲライントを副将とする西アルメキア。帝国は、皇帝ゼメキスを総大将とし副将に剣聖エスクラドスを配置した。このいくさにおいて帝国は防衛側であるが、ゼメキスとエスクラドスが将として戦うなら、素直に防衛に専念するはずはない――事前の読み通り、二人の部隊は開戦前から城の外に布陣しており、開戦と同時に突撃してきたのだ。
これに対し西アルメキア側は、ゼメキスにハレーの部隊を、エスクラドスにはゲライントの部隊をぶつけ、正面から受けて立つ手はずになっていた。ただし、戦力を正確に分析すると、両者ともやや分が悪いと言わざるを得ない。
ハレーは個の力はゼメキスにも決して劣らないが、長年どの国にも仕えず旅を続けていたため、大軍での戦闘に慣れていない。一方のゼメキスは常に戦場に身を置いていた生粋の武人だ。反乱の夜はゼメキスと互角の戦いを繰り広げたハレーも、今回はそうはいかないかもしれない。
ゲライントは、その二つ名が示す通りかつては多くの戦場を渡り歩いたものの、ランスの親衛隊長の座に就いてからは戦場から遠ざかっていた。昔のいくさの勘を取り戻すにはまだまだ時間がかかる。ただ、この条件は相対するエスクラドスも同じだ。彼もかつては多くの戦場を渡り歩いたが、老いを感じて一線から身を引き、軍の剣術指南役として後進の育成に努めていた。エスクラドスもゲライント同様、昔のいくさの勘を取り戻していないはずだ。ただし、この二人の間には元々の実力に圧倒的な差がある。剣術もいくさの経験も、エスクラドスの方が上回っているのだ。エスクラドスの老いを考慮しても、まだまだゲライントが不利という分析結果になってしまう。
以上のようにハレーもゲライントも分が悪いと予想されているが、所詮はいくさ前の分析であり、絶対ではない。なにより、このオークニー侵攻における西アルメキアの本命はこの二部隊ではなく、メレアガントの部隊にあった。メレアガントは、ハレーとゲライントがゼメキスとエスクラドスを引きつけている間に、オークニー城を攻め落とす手はずになっていた。オークニー城を守る騎士はゼメキスやエスクラドスと比べると大きく劣る中堅の騎士だ。分析でもメレアガント側が圧倒的に有利となっている。全てがうまく行けばオークニーは半日で落とせる――はずだったのだが。
西アルメキアの騎士ゲライントは、エスクラドスの部隊を前に歯がゆい思いをしていた。半日でオークニーを落とす――それは、こちらの作戦がうまく行けばの話だ。残念ながら、実際の戦場で事前に思い描いたように事が運ぶことはまず無い。ハレーの部隊はすでにゼメキスの部隊とぶつかっている。ここから見る限り、やや押され気味ではあるもののよく耐えており、敵を引きつけるという役割は十分に果たしているだろう。うまく行っていないのはこちらの方だった。ゲライントの部隊は、今だエスクラドスの部隊と剣を交えていない。開戦早々突撃してきたエスクラドスの部隊は、ゲライントの部隊を前にし、突然その足を止めたのだ。そして、しばらく睨み合った後、オークニー城へ兵を後退させはじめたのである。戦術としては何ら不思議ではない。敵を引きつけるというこちらの意図を読み、守りを固める戦法に転じたのだろう。だが、ゼメキス同様圧倒的な力をもって敵を蹴散らす戦法を得意とするエスクラドスには、あまりにも似つかわしくない戦い方だった。
――師よ。なぜ私を避けるのです。
ゲライントはもどかしさに震える手で剣を握りしめた。
剣聖エスクラドスはゲライントにとって師に当たる人物である。十五年ほど前、旧アルメキアに仕官したばかりのゲライントが配属されたのがエスクラドスの部隊だった。当時のエスクラドスは名将ハンバルと並ぶほど名のある将軍であり、仕官したばかりのゲライントにとっては雲の上の存在だった。もちろん、この時点でゲライントはエスクラドスの数多い部下の一人に過ぎなかったのだが、彼の下で戦場を渡り歩くうち、いつの間にか直々に剣術を学ぶようになっていた。ゲライントはエスクラドスを師と仰ぎ、エスクラドスもゲライントを弟子として鍛えた。その後十年近くエスクラドスの下で剣術や戦術を学びつつ戦場を渡り歩いたゲライントは、その功績が認められ、王太子ランスの親衛隊長へ任命された。時を同じくして、エスクラドスも前線を離れ王宮で若い兵士へ剣術を指南する役へ就くことになった。
この際、エスクラドスは長年愛用していた剣をゲライントへ授けた。
師が弟子に剣を授ける――これは免許皆伝を意味するが、ゲライントはそう捉えていない。
――我が剣は今だ師に遠く及ばず。
ゲライントは常にその心構えを持って今なお精進している。エスクラドスはゲライントにとって永遠の目標であった。
そんなエスクラドスが、反乱の夜、ゼメキスの陣営についたことは、ゲライントに大きな衝撃を与えた。
アルメキアの騎士として国に忠義を奉げ、道義を重んじ、国を問わず多くの騎士から信望を集めた人格者であった師が、なにゆえゼメキスに組したのか――ゲライントには判らなかった。反乱の夜、エスクラドスはその剣で多くの騎士や兵を斬ったという。剣聖は人を斬る魅力に憑りつかれた、などというくだらぬ噂も耳にする。
ゲライントは、師の胸の内を知るべく、今回のいくさの前に戦義を申し出た。戦義は必ずしも総大将同士で行う必要は無く、副将や、将でない騎士が行っても何ら問題はない。しかしそれは、一方が望み、もう一方も応じればの話だ。ゲライントの戦義申し入れに、エスクラドスは応じなかった。ならば直接会って話すのみ、と、エスクラドスの部隊の突撃を受けて立とうとしたのだが、相手は剣を交えることも無く後退し始めたのだ。
ゲライントには、師が自分を避けているとしか思えなかった。
「……隊長……隊長!!」
部下の声で我に返るゲライント。今はいくさの最中。個人的な事情に捕らわれている場合ではない。作戦を遂行しなければ。ゲライントは一度大きく頭を振ると、状況を整理する。敵は部隊を後退させた。エスクラドスには似つかわしくない戦い方だが、戦術としては十分有効である。元々戦力的に分が悪いのはゲライントの方だ。このまま敵が後方で守りを固めたら、ますます不利になるかもしれない。
しかし、いかに相手の戦力が勝っていようとも、退却する部隊の背後を叩くのは容易だ。ここで敵部隊を弱体化させておけば、防衛に回られても五分以上の戦いにもって行けるだろう。
「――全軍突撃! 敵の背後を叩け!!」
ゲライントの号令で、兵たちはいっせいに駆け出した。
数時が経過した。ゲライントの部隊は退却するエスクラドスの部隊の背を叩き、大いに敵戦力を削いでいた。エスクラドスの部隊はオークニー城を守る部隊と合流し、城内での防衛に入った。
いくさは、平地戦から攻城戦へと切り替わる。
オークニー城はエストレガレス帝国の重要拠点であり、極めて守りの固い城だ。立てこもられるとうかつに手が出せない。落とすには、相手を大きく上回る戦力が必要だ。ゲライントは、さらに慎重に状況を分析する。
報告によると、城に立てこもっている兵は、エスクラドスともう一人の騎士の部隊合わせて約四万。これに対し、こちらは合流したメレアガントの部隊と合わせて約七万。十分な兵力である。さらに、ここまでの戦いで味方側の士気はかなり向上している。ゲライントとしては決して満足のいく戦いではなかったが、事情を知らない兵からすれば、あの剣聖エスクラドスの部隊を退けたのだから、当然と言えた。
兵力も士気も相手を大きく上回っている。これならオークニーを落とせるはずだ。ゲライントは、メレアガントの部隊と共にオークニー城を攻めた。
そして、さらに数時。
快進撃を続けるゲライントは、ついに、師・エスクラドスと会いまみえたのだった。
「――このわしがここまで追い込まれるとはな。強くなったなゲライントよ。師として、これほど嬉しいことはない」
オークニー城内の本陣にて、ゲライントを前にしたエスクラドスは小さく笑った。もっとも、その笑みは言葉通りの嬉しさから浮かぶものではないだろう。ゲライントの目には、己を自嘲する笑みに映った。
「戯れを言うのはやめて頂こう、エスクラドス師」ゲライントはにこりともせずに言う。「此度の戦い方、まるであなたらしくない。なぜそこまで私を避けるのです?」
「別に深い意味はない。ただ、そなたと戦うのは気が引けただけだ」
「ならばなぜゼメキスなどに味方するのです! 祖国を裏切り、このような戦乱を引き起こすなど、私はいまだに信じられない! あなたは誰よりもアルメキアに忠義を奉げてきたはずだ!」
ゲライントが叫ぶように言うと、不意に、エスクラドスの表情が曇った。
「……アルメキアに忠義を奉げてきた、か……確かにその通りだ。もっとも、『誰よりも』という点は間違っているがな」
「――――?」
言葉の意味が判らず、ゲライントはエスクラドスの表情を窺う。その顔からはすっかり笑みが消えていた。
そして、まっすぐな視線をゲライントに向けた。「そなたには判らぬであろうが、わしは答えが欲しかったのだ」
「答え、ですと?」
「そうだ。なんのために剣の道を歩んだのか。なんのために剣聖と呼ばれるまでに剣を極めたのか……わしは、それが判らなくなったのだ。答えはいまだ見えぬ。だが、これだけは言える」
エスクラドスは、鞘に収めた剣を強く握りしめ、目の前につき出した。「我が剣は、断じてあの愚王などに奉げるためのものではない!!」
愚王――アルメキア王ヘンギストのことである。ヘンギストは金と権力を求める愚臣の忠告に惑わされ、名将ハンバルを追放するなどの愚行を繰り返し、アルメキアの政治を大いに腐敗させた暗君だ。
「だからゼメキスについたというのですか……」ゲライントは悔しさをにじませてつぶやいた。
「そうだ。残念ながら、我が剣で愚王を斬るには至らなかったがな。まあ、それは構わぬ。誰が斬ろうと同じこと。あの愚か者を王座に据えたままでは、国の未来は闇に包まれていたであろう」
「その結果がこの戦乱ですか? この、大陸全土を巻き込む大戦なのですか!? あなたはフォルセナの歴史上最大の汚点となるかもしれぬ戦いに手を貸したのですぞ!?」
「理想を得るためにはやむを得ぬ。このような戦乱の世であろうとも、愚王の時代よりはましであろう」
「――――!」
込み上げる怒りの言葉を、ゲライントは何とか飲み込んだ。師は、自分を挑発しているのかもしれない。怒りは剣を鈍らせる。常に平常心であれ――ことあるたびに師が口にした言葉だ。エスクラドスの教える剣は、特に心の修業を重視していた。
ゲライントは大きく深呼吸をし、そして言った。「師よ。あなたのお気持ちは判らぬではありません。確かに、ヘンギスト王の言動は目に余るものがありました。あのお方が王座にある限り国の未来は闇に包まれているというのは、私も同意見です。しかし、それもランス様が即位するまでの辛抱であったのに」
「愚王の
「ランス様はヘンギスト王とは違います。ランス様が王位につけばアルメキアは変わった。ランス様こそアルメキアの希望。あと十年……五年待てば……アルメキアに光が差したのに」
エスクラドスは目を伏せた。「この老体に五年待てなど、無理を言う」
そしてまた、自嘲気味に笑った。
エスクラドスは齢五十二を数える。多くの騎士がすでに引退している年齢だ。いかに剣聖といえども、さらに五年は、確かに難しいかもしれない。
無論、だからといって反乱を起こすなど、騎士としてあってはならないことだ。
エスクラドスは顔を上げ、ゲライントに鋭い目を向けた。「そなたが愚王の倅を信じるのであればそれは構わぬ。だがそれは、このわしと戦うことを意味しておるぞ?」
「無論、心得ております」力強く答えるゲライント。「こんな形であなたと戦いたくはなかった。しかし、我が主君のため、私はあなたを斬る!」
ゲライントは腰の剣に手をかけ、わずかに腰を落とした。
「そうか……弟子が師を超えていくのは何よりの喜びではあるが……わしはまだそなたに斬られるわけにはいかぬ。わしにはまだ、やらねばならぬことがあるからな」
ゲライントは大きく目を見開いた。「師が、やらねばならぬこと?」
エスクラドスもゲライント同様、剣に手をかけ、腰を落とした。「行くぞゲライント! わしはわしの目指すもののために、そなたを斬る!!」
――師が目指すものとはなんだ?
考える間もなく、エスクラドスが一気に間合いを詰めてきた。疾風のごとき速さで剣を抜く。ゲライントも剣を抜き、受け止めた。
若くしてエスクラドスの下につき、剣や戦術の修業をしたゲライント。当然、誰よりもエスクラドスの剣を見てきた。
目指すもののために戦うと言ったエスクラドスの剣は、今までゲライントが見てきた剣よりもはるかに速く、鋭く、重い一閃だった。