イスカリオがカーレオンから奪い取った城ソールズベリーの執務室で、イスカリオの死刑囚アルスターは、机上に戦略地図を広げ、頭を抱えていた。イスカリオは、この数ヶ月の間で大きく勢力を伸ばした。このソールズベリー奪取から始まり、帝国に奪われていたアスティンを奪還、さらに帝国領カーナボンの制圧にも成功した。このまま勢いに乗ってエストレガレス帝国を攻め滅ぼそうとさえしていたのだが、二月、首都カエルセントで『第五百四十九回全国美味いもの大食い選手権』が開催されると、王ドリストや狂戦士バイデマギスなど、イスカリオの主戦力と言える騎士のほとんどが帰還してしまったのだ。せっかくイスカリオが大きく勢力を伸ばす機会がふいになったばかりか、帝国は反撃のため皇帝ゼメキスや剣聖エスクラドスら名だたる将をイスカリオとの国境に集めているので、一転して大ピンチである。アルスターは当然王達を止めたのだが、このイベントはイスカリオ王家が代々行っている重要な国事ということで、王は聞く耳を持たなかった。その結果、せっかく奪い取ったカーナボンの城が帝国に奪い返されてしまった。このままでは、ソールズベリーに攻めてくるのも時間の問題だろう。
さらに、もうひとつ懸念すべきことがある。これまで大陸西部で帝国と激しい戦いを繰り広げていた西アルメキアが、ゼメキスらが西部の戦場から撤退したのを機にオークニーとエオルジアの二城を制圧。さらに勢いに乗って南東へと進軍し、このソールズベリーのすぐ北西にあるオルトルートまで制圧したのである。これにより、イスカリオはフォルセナ大陸の全ての国と国境を接したことになる。西アルメキアが今後どう動くかは判らない。君主であるランスはゼメキスに奪われた祖国の奪還を目的に掲げているため、このまま帝国王都ログレスまで攻め上がる可能性は高い。しかし、だからと言ってイスカリオに攻めてこないとも限らない。とりあえず背後の憂いを無くすため、このソールズベリーに攻めてくる可能性も十分にある。
この事態にイスカリオはどう対応すべきか。一人では到底決められることではないので、アルスターは王都カエルセントへ伝令を送り指示を仰いだ。しかし、一節近く経った今も返事は無い。王都では例の大食い大会がまだ続いている。ドリストが前線へ戻って来ることは恐らくないだろう。アルスターは大きくため息をついた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
いつの間にか、すぐとなりに槍を携えた女騎士が立っていた。
「うおぁ!!」
驚いて椅子から転げ落ちるアルスター。立っていたのはキラードール・イリアだった。ドアは閉めていたはずなのに、入ってきたことに全く気付かなかった。
「イリアさん。そういう登場の仕方は、心臓に悪いのでやめてください」アルスターは椅子を戻して座り直した。「しかし、戻られて助かりました。それで、ドリスト陛下は?」
「陛下は王都で戦いを続けている」
イリアは無感情で答えた。王都での戦い――大食い大会のことだろう。ドリストは前大会の優勝者だから、恐らく今回も決勝まで残っているのだ。やはり、ドリストの戦線復帰は見込めない。とはいえ、イリアが王の元を離れて戻ってきただけでもマシかもしれない。
「陛下からの伝言だ」相変わらず感情の無い声で言うイリア。「カーナボン防衛失敗の罪でアルスター殿は死刑、ヴィクトリア殿は一節の間化粧禁止の刑、ユーラ殿は陛下が戦線に戻るまでにソールズベリーに陛下専用の昼寝部屋を作っておけの刑、とのことだ」
大きくため息をつくアルスター。自分やユーラの刑はともかく、ヴィクトリアの化粧を禁止したら、部屋に閉じこもったまま出てこなくなるだろう。この緊急事態にまた貴重な戦力が一人減ってしまった。もっとも、ヴィクトリアは一日のほとんどを鏡の前で過ごすため、開戦後も戦闘で役に立ったことはないのだが。
「……では、私はオルトルートへ向かう」そのまま部屋を出て行こうとするイリア。
「え? ちょっと待ってください、イリアさん」慌てて止めるアルスター。「オルトルートへ、なにしに向かわれるのです?」
「陛下からの命令だ。西アルメキアの連中にあいさつして来い、と」
「そんな! 西アルメキアは帝国との戦いを重視していて、イスカリオに攻めて来るとは限りません。なのに、わざわざこちらから攻めて、敵を作るようなマネをしなくても!」
「関係ない。陛下の命令は、絶対だ」
相変わらずドリストにはきわめて忠実なイリア。アルスターの命令など聞く耳も持たない。これは、恐らく止めてもムダだろう。
「判りました。しかし、さすがにイリアさん一人では危険です。誰か同行させますので、少しだけ待っていてください」
「…………」
イリアは無言のままその場にとどまった。今のうちに誰かヒマそうな人を見つけて出撃させなければ。アルスターは部屋の外に出た。ちょうど、廊下の向こうから万年金欠剣士のダーフィーが歩いて来るのが見えた。
「おお、ダーフィー殿。戻って来られたのですね」さっそく声をかけるアルスター。
「んあ? ああ、まあな」と、ダーフィーは眠そうな目を向けた。「大食い大会の予選が終わったからな。こっちにいた方が、まだ稼げるってもんだ」
ダーフィーは『穴の開いた財布』と称されるほどの浪費家だ。大食い大会への出場も、優勝目的ではなく、タダでご飯と酒にありつけるから出場したのだった。ドリストやバイデマギスと違い特別大食いというワケではないから、予選であっさり敗退したのだろう。それ以上タダ飯タダ酒にはありつけないので戻ってきたわけだ。そのセコい性格とチョビ髭の冴えない外見から並以下の騎士に見られがちだが、実は剣の腕は一流である。
「ちょうど良かった。陛下の命令で、今からイリアさんが西アルメキアのオルトルートを攻めるのですが、ダーフィー殿、一緒に出撃してもらってもよろしいでしょうか?」
「あん? 西アルメキアぁ?」ダーフィーはめんどくさそうな顔で頭を掻いた。「たいした金になりそうもねぇなぁ。帝国の城にはゼメキスや四鬼将が集まってるんだろ? そっちの方がよっぽど儲かりそうだ。帝国と戦う予定は無いのか?」
「今のところ無いですね。攻めようにも、陛下やバイデマギス殿たちがいらっしゃいませんので、明らかに戦力不足です。今は防衛に専念したいのですが、なにぶん西アルメキア攻めは陛下の御命令ですから、イリアさんも出撃すると聞かなくて。ダーフィー殿、どうかお願いします」
「あーダメダメ。帝国を攻める予定がなくても、ここにいれば向こうから攻めてくることもあるだろ? 同じ戦うなら、少しでも金になる方を選ばなけりゃな。儲からない仕事は、パスだパス」
「そんなことはないですよ。ええっと――」アルスターは報告書を取り出してめくった。ドリストら主戦力がいないとは言え、各国の情報収集は怠っていない。「現在オルトルートを守っているのは、流星のハレーという流れ者の騎士と、リゲルという新米騎士、そして、ランス王子の三部隊ですね」
「ケッ! 王子だろうと乞食だろうと、儲からない仕事は――」と、言いかけて、ダーフィーは大きく目を見開いた。「ランス……ランスだってぇ!?」
「はい。現在は西アルメキアの君主であるランス殿です」
「西アルメキアの君主……ひょっとして、そいつの首を獲れば、たんまり褒美が出るのか……?」
「もちろんです。敵国の君主の首を獲れば勝利は確定的ですからね。君主と言っても所詮まだ子供ですから、ゼメキスの首を獲るよりよっぽどたやすいでしょう。悪い話ではないと思いますが?」
「悪い話じゃないどころじゃねぇ! こんなおいしい話は滅多にないじゃねぇか! どうやら、俺にもツキが回って来たようだなぁ」やる気が無かったダーフィーの目が、みるみる燃え上がってきた。「ようし! その話、引き受けた。俺に任せておけ」
「そう言ってくれると思いました。よろしくお願いします」
アルスターが頼むと、ダーフィーはさっそく出撃の準備を始めた。
とは言え、イリアとダーフィーの二人ではまだまだ心細い。二人とも戦いの腕は確かだが、どちらも個人プレーでの戦いを得意とする騎士だ。別にそれは悪い事ではないのだが、やはり、全体の指揮を執る人は必要だろう。他に誰かいないだろうか? アルスターがもう一人ヒマそうな人を探し始めたら、今度はミゲルがやって来た。大食い大会に参加せず防衛のため戦線に留まった、イスカリオでは数少ない常識を持った騎士である。
「ああ、ミゲルさん。ちょうど良かった。陛下の御命令で、今から西アルメキアのオルトルートを攻めることになったんですが、ミゲルさん、総大将として出撃してくれませんか?」
「わ……私が総大将ですか? それは構いませんが、西アルメキアですか……」なにやら表情が曇るミゲル。
「はい。何か都合が悪いですか?」
「いえ、そのようなことはありませんが……敵将についての情報はありますか?」
「はい。調べてあります。こちらです」アルスターは先ほどの報告書をミゲルに見せた。
ミゲルは報告書をパラパラとめくると、とあるページで目を大きく見開き、驚いた表情になった。
「……どうかしましたか?」ミゲルの顔を覗き込むアルスター。
「い……いえ……別に……」
と、答えたものの、ミゲルは明らかに動揺している。ひょっとしたら、流星のハレーの名前にビビったのかもしれない。ハレーは長い間どこの国にも仕えなかった騎士でありながら広く名が知られており、西アルメキア仕官後は、オークニー戦で皇帝ゼメキスと互角の戦いを繰り広げ、エオルジア戦ではデスナイト・カドールを退けるなど、わずか二戦で噂以上の活躍ぶりを見せている。
「まあ、そう緊張することはないですよ」アルスターはミゲルを落ち着かせるために言う。「ハレー殿には、イリアさんに当たってもらいましょう。流星などという異名を持っていても、所詮は仕官したばかりの騎士ですから、イリアさんの敵ではないと思います。ダーフィー殿はランス王子の首を獲ると張り切ってますので、ミゲルさんは、もう一人の、誰だかよく判らない新米騎士さんのお相手をしてくださるだけで大丈夫です」
「わ……私が……リゲルの……?」
「はい。あとは他の二人に任せておくだけです。それで勝利すれば、ミゲルさんの手柄にもなり、出世にも繋がりますよ?」
「…………!」
はっとした顔のミゲル。アルスターの予想通り、手柄と出世という言葉に反応したようだ。
ミゲルは、ランド家という貴族の家の生まれだ。イスカリオでは古くから続く由緒正しい家柄だったそうだが、この国の貴族制度は、十年ほど前にドリストが気まぐれに廃止してしまった。それが原因でランド家は没落。両親は病で亡くなっており、二人の
「……しかし……私が……西アルメキアと……」
なにやらまだ渋っている様子だ。一体、何をそんなに迷っているのだろう?
「どうしたんですかミゲルさん。手柄ですよ? 出世ですよ? 総大将ですよ?」アルスターは畳み掛ける。
「総大将……それは、陛下からの御命令でしょうか……?」
「そうです。ドリスト陛下からのご指名です」と、アルスターは答えた。ホントはそんな指名は無いが、こう言っておけば、ミゲルは受けるだろう。なにせ、王の気まぐれで家が没落したのに、それでもこの国に仕えているくらいなのだから。よほど忠誠心が強いか、よほど虐げられるのが好きな変態かのどちらかだろう。
「……判りました……陛下からの指名とあれば……仕方ありません……」
どうにも歯切れが悪いが、一応引き受けてくれたので、アルスターはミゲルの気が変わらないうちに「では、お願いします」と言って、その場を離れた。