大陸西部から勢力を伸ばしてきた西アルメキアに対し、よせばいいのにちょっかいを出す命令を下したイスカリオの王ドリスト。イスカリオ軍は、数少ない良識派の騎士であるミゲルを総大将に、キラードール・イリアと万年金欠剣士のダーフィーを主攻とし、ソールズベリーの北西オルトルートを攻めた。対する西アルメキア軍は、君主ランスを総大将とし、エストレガレス帝国の皇帝ゼメキスやデスナイト・カドールらと互角以上の戦いを繰り広げた放浪の騎士ハレーと、リゲルという新米弓騎士の三部隊で迎え撃つ形となった。
イスカリオ軍は、誰がどの部隊と戦うかを事前に決めていた。イリアは王から直々に戦って来いと命令を受けていたハレーと、ダーフィーは高い報酬に目がくらんで君主であるランスと戦う手筈となっている。必然的に、ミゲルはリゲルと当たることになった。
戦いが始まると、西アルメキア軍は防衛側にもかかわらず突撃してきた。時間を要する籠城戦よりも短期決戦を選んだのだろう。
イスカリオ軍のミゲルは、総大将でありながら自分の部隊を進めるのをためらっていた。イリアとダーフィーの部隊は、それぞれの敵とすでに戦いを始めている。ミゲルの戦う相手であるリゲルの部隊はもう目の前だ。突撃を命じれば、数刻とかからず両軍の兵が刃を交えるだろう。だが、ためらわずにはいられない。戦えば、自分か、相手か、どちらかが倒れる。痛み分けは無い。もう何年も前に、そう誓い合ったから。
「――ついにこの日が来てしまったか、リゲル」
ミゲルは、妹の名をつぶやいた。
ミゲルは、ランド家という貴族の長男として生まれた。ランド家は、イスカリオでは古くから続く由緒正しい家系だったが、十年ほど前、狂王ドリストは気まぐれな思い付きでこの国の貴族制度を廃止してしまった。さらに、父親の病死という不運も重なり、ランド家は没落してしまった。
ランド家には、ミゲルの他に二人の
だが、当時のフォルセナ大陸は大きな戦争も無く平和だった。まさか、三人が別れた後、大陸全土を巻き込む戦乱の時代になるなど、夢にも思っていなかった。
二人の弟妹の内、二男のカストールはエストレガレス帝国へ、末っ子のリゲルはパドストー――現在の西アルメキアへ仕官した。
今、ミゲルの目の前にいる部隊を率いているのは、まぎれもなく彼の妹リゲルだった。
実の妹が率いる部隊を前に、攻撃の決心がつかないミゲル。大陸全土を巻き込んだこの戦乱が幕を開けたとき、ミゲルは、たとえ兄妹であろうと戦場で出会えばためらいなく斬る覚悟だった。ランド家の復興という大願成就のためには、三兄妹の内誰か一人が生き残り、出世すれば良いのだから。だが、覚悟は決めても心の奥底では迷いがあった。ミゲルは、その迷いを断ち切るため、昨年の四月、今は誰も住んでいない実家へと戻った。父の肖像に現状を報告し、家名復興のために兄妹で戦うことを許してもらうためだ。それで迷いを断ち切るはずだったのだが、ミゲルは、そこで思わぬものを目にする。妹リゲルからの手紙だった。リゲルは次男カストールと共に父の命日に帰郷しており、ミゲルのことを案じてその手紙を残したようだった。手紙を読み、ミゲルは兄妹の絆を確信した。迷いを断ち切るための帰郷は、逆に彼の迷いを強めてしまったのだ。本音を言えば、兄妹三人別れて暮らしたのは間違いであったと思っている。だが、今さら二人にイスカリオへ戻って来いなどと言えるはずもない。二人はすでに他国の騎士であり、イスカリオに戻ることは、彼らが仕える国を裏切ることになるのだから。
「……隊長……ミゲル隊長!」
部下の呼び声で、ミゲルは我に返った。
「どうされたのですか? 何か、気になることでも?」部下がミゲルの顔を覗き込む。
「……いや、なんでもない」
「そうですか……ならば、早く御命令を。敵部隊は、動きを見せません。情報によると、あの隊を率いているリゲルという騎士は、これが初陣だそうです。恐らく、どう戦闘を進めて良いか判らないのでしょう。ここは総攻撃を仕掛け、早めにケリをつけるのが上策かと思いますが?」
部下の言葉は策を提案しているようではあるが、その表情は命令を下さない上官に苛立っているように見えた。それも当然だろう。事情を知らない者は、この状況で攻撃をためらうような将はよほどの臆病者と思うだろう。これ以上動かないわけにはいかない。
ならば、残された道はただひとつ。
ミゲルは覚悟を決め、大きく頷いた後。
「――総員、私の後に続け!!」
自ら先頭に立って、リゲルの部隊へ突撃した。
妹リゲルが率いている兵の数は五千。西アルメキアでは、中堅クラスの将が率いる数である。彼女が初陣という点を考えれば、これは破格の数だった。恐らく、君主であるランスと共に出陣するという点が考慮されたのだろう。ミゲルが率いている兵も五千。兵の数は同等だが、騎士としての経験は彼の方が上だ。分は圧倒的にこちらにある。
リゲルの部隊とぶつかるミゲル。予想通り、手応えは軽い。ミゲルは敵兵を蹴散らしながら真っ直ぐに敵本陣へと進んで行った。大きな反撃は無い。恐らく、将の命令が上手く伝わっていないのだ。それも当然だ。どんなに多くの兵を率いようとも、所詮妹リゲルは初陣。兵の数は多ければ良いというものではない。将の戦闘経験が乏しい場合、むしろ数が多いほどうまく機能しなくなる。ミゲルの突撃は、その隙を突いたものだった。
こうして、ミゲルとリゲルは、半時ほどで対峙することになった。
「――ミゲル兄さん……やっぱり、ミゲル兄さんだったのね……」
兄と対峙した妹リゲルは、弓を構えることも忘れ、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「リゲル……ついにこの時が来てしまったな」ミゲルは自嘲するように小さく笑うと、剣を構えた。「さあ、私と戦え、リゲル」
「そんな……あたしたち、血を分けた兄妹なのよ? なのに、なんで戦わなければならないの?」
「我らはあの日誓ったはずだ。ランド家の家名復興のため、それぞれの国で全力を尽くすと」
「でも、それは戦争が起こる前の話でしょ!? こんな戦争が始まると知っていたら、あたし、
「だが、戦争は始まってしまった。こうなった以上、我らは戦うしかない。この戦乱の時代では、いくさに勝つことが全てだ。さあ、戦うぞ! リゲル!」
ミゲルがそう促しても、リゲルは動かない。嫌がるように首を振った。「そんな……兄さんは平気なの? 実の兄弟と戦って、なんとも思わないの?」
ミゲルは、ふっと破顔した。「安心しろリゲル。私は、お前を傷つけることは無い。お前が、その矢で私を射ればいいだけだ」
「兄さん……何を言って……」
「あの日言った通りだ。我ら兄妹の内、一人でも出世すれば、それが家名の復興に繋がる。だから、我らは
ミゲルは、両手を広げて立ち尽くす。
「バカなこと言わないで! そんなこと、できるわけないでしょ!?」
「だが、それをせねばランド家の復興は叶わぬ!」
ランド家の家名――それは、ミゲルの父、祖父、さらにその前の先祖が、代々守ってきた由緒正しき名だ。家系図によると、少なくとも百年以上も続いている。それを、父の病死と貴族制度の廃止という不幸が重なったとはいえ、自分の代で没落させてしまった。そのことを、ミゲルはずっと悔いていた。まだ成人さえしていなかったミゲルにどうにかできるような問題ではなかったが、それでも大きな責任を感じずにはいられなかった。このままでは、代々家名を守ってきたご先祖様に顔向けできない。だからこそ、命を賭けて家名の復興に臨むつもりだった。自分の命ごときで家名復興の道が開かれるのなら安いものだ。これは、家名を守れなかった自分の、せめてもの罪滅ぼしだ。ミゲルは、そう信じていた。
「さあリゲル! その弓で私を殺せ! ランド家の栄光のために!!」
ミゲルは、目を閉じた。
これに対し、リゲルは。
「――いい加減にして!!」
これまで兄が聞いたことも無いような大声で、叫んだ。
はっとして目を開けるミゲル。
そこには、涙をいっぱいに浮かべた妹の姿があった。しかし、涙の奥には、ゆるぎない決意がみなぎっていた。
「あたし、ずっと思ってたことがあるの。あの日から……兄妹別れて暮らすと決めたあの日から、ずっと思ってたこと。でも言えなかった。これは末っ子のわがままなんだって思って……あたしのわがままで兄さんたちを困らせちゃいけないと思って、ずっと言えなかった! でも! 今日は言わせてもらう!!」
父が教育に厳しかったせいで、リゲルはおとなしい娘に育った。リゲルが五歳のとき、父は病で亡くなり、その後は母親が一人で三兄妹を育てることになった。父の死から二年後、貴族制度が廃止されると、母親も働きに出ざるを得なくなった。当然母は働いた経験など無く、かなり苦労していた。昼は外で働き、夜は家で家事をする。まさに、女手一つで三兄妹を育てていた。そんな状態だったからだろう。リゲルは、おとなしい性格にさらに拍車がかかり、わがままひとつ言わない真面目な娘に育った。母親はもちろん、兄たちにさえ、口答えひとつしたことがない。
そんな妹が。
「ランド家の家名って、そんなに大事!? 兄妹が別れて暮らして……まして、兄妹で戦って、殺し合って、そんなにまでして取り戻さなきゃいけないほど大事なものなの!? そんなの絶対違う!! あたしは、家名なんてどうでもいいから、また兄さんたちと一緒に暮らしたい!!」
初めて、兄に反発している。
「あたしに弓を引け? あたしに兄さんを殺せ? それが手柄になる? そんな手柄いらないわよ!! そんなんで出世して、あたしが喜ぶと思うの!? 家名を取り戻すために兄さんを殺して、いったい誰が喜ぶのよ!! そんなの、父さんも母さんも、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、ひいお祖父ちゃんもひいお祖母ちゃんも……ご先祖様みんな、喜ぶわけない!!」
あのおとなしかった妹が、恐らく人生で初めて、心の底から叫んでいる。
「兄さんはバカだよ! ずっと思ってた! 父さんの花瓶を割って、黙ってればバレないのにわざわざ名乗り出た時も、イスカリオに残って狂王に仕えると言った時も、兄妹三人別れると言った時も! 兄さんはバカだと、ずっと思ってた!! その上あたしに兄さんを殺せなんて、そこまでバカだなんて思わなかったわよ!! もう兄さんなんて大っキライ! もう顔も見たくない! もう死んじゃえ!!」
この、妹の心からの叫びに、ミゲルは。
「……まったく、また一緒に暮らしたいと言ったかと思えば顔も見たくないと言い、殺せないと言ったかと思えば死ねと言い、どっちなんだ」
呆れた口調で言って、そして、笑った。
ミゲルの笑い声を聞いて、リゲルははっとした表情になり、そして、恥ずかしそうに目を伏せた。「ごめんなさい、兄さん。あたし、かっとなって、つい……」
ミゲルは首を振った。「いいんだ。お前は末っ子で、私は長男。わがままのひとつくらい言うだろうし、ケンカくらいして当然だ。まあ、あれほどおとなしかったお前が、あんなに感情を乱すとは思わなかったがな」
「兄さん……」
「お前の言う通りだ……私は間違っていた。我ら兄妹は、決して離れ離れになってはいけなかったのだ」
ミゲルは空を見上げた。胸の内に、家族みんなで暮らしていた頃のことが浮かぶ。厳格で厳しかった父。優しかった母。やんちゃで両親の手を焼かせたカストール。おとなしい性格が逆に心配だったリゲル。みんな、いつも笑って過ごしていた。毎日が幸せだった。両親が早くにこの世を去ったとはいえ、兄妹三人でもあの幸せは変わらなかったであろう。それを、なぜ自ら手放してしまったのか。今となっては、愚かな選択だったとしか思えない。
だからミゲルは。
「リゲル。また一緒に暮らそう」
真っ直ぐにリゲルを見つめ、決意と共に言った。
リゲルは、顔いっぱいに笑顔を浮かべると、「うん!」と、どこか子供っぽさが残る声で返事をした。
その笑顔に、ミゲルは満足げに頷く。だが、すぐに表情を引き締めた。「しかし、お前は西アルメキアの騎士。いま国を離れるわけにはいくまい。だから、私がイスカリオを捨てて――」
「それはダメ!」
ミゲルの言葉を、リゲルは制した。「兄さんは、
「しかし、それでは……」
「また三人で暮らせるのなら、それだけでも十分だけど……でも、できるなら、あたしはあの家で暮らしたい。あたしたちが育った家。あの家には、父さんと母さんとの思い出が詰まってる……あの家には、父さんと母さんがいるもの」
リゲルは、「だから……」と言った後、胸の前で手を組み、続けた。「コール老公……ランス様……みんな……申し訳ありません。あたしは、故郷へ帰ります」
そして――。
ミゲルの――兄の胸に飛び込む。
ミゲルはリゲルを抱きしめ。
もう二度とこの手を離さないと、誓った。
「……あの、隊長。大いなる茶番のところ、失礼します。ご報告が」
兄妹の愛を確かめ合っている所に、先ほどの部下が恐る恐る声をかけてきた。「ダーフィー様が、敵総大将ランスの前に敗れたそうです」
「なに、ダーフィー殿が!?」
予想外の報告だった。ダーフィーは、見た目こそ冴えない中年男だが剣の腕は一流だ。ランスは西アルメキアの君主とは言えまだ十五歳の子供。ダーフィーが遅れを取るなど、思ってもみなかった。
「ランスは、火竜サラマンダーを従えているとの情報も入っております」と、部下が続けた。
火竜サラマンダー――最上級のドラゴンだ。一般的なドラゴンよりもさらに巨体ながら背中の羽根で空を飛び、口から吐く炎は全ての物を焼きつくし、その爪は岩をも斬り裂き、その表皮は並の武器ではかすり傷さえつかない、と言われている。並の騎士に扱えるモンスターではないが、ランスはまだ子供とは言え王族。高い統魔力を持っていても何らおかしくは無い。それに対し、ダーフィーは剣の腕こそ確かだが統魔力にはかなり問題があった。統魔力とは魔物を統べる力。ダーフィーのように個の戦いに優れている者は、往々にして統魔力に問題があることが多い。恐らくそれが敗因だろう。
部下はさらに報告を続ける。「幸い、ダーフィー様は怪我こそされましたが、脱出し、命に別状はないとのことです。部隊も撤退を始めております。対するランスの部隊は、撤退するダーフィー様の部隊を追うことはなく、我が部隊へ向かって来ております。いかがいたしましょう?」
西アルメキアの君主・ランス。その首を獲れば、いかに真面目な者が虐げられるイスカリオでも大きな手柄となり、家名復興へと繋がるだろう。ダーフィーの部隊が撤退したとはいえ、敵側もリゲルが寝返ったことで彼女の部隊が撤退を始めている。状況は、まだ五分と言えるかもしれない。
だが。
「全軍撤退! ソールズベリーまで下がるぞ!」
ミゲルはためらうことなく命令した。敵は火竜サラマンダーを従えた部隊だ。自分一人ならまだ戦いを挑んでみようと思えるが、今は無理だ。妹を危険にさらしたくはないし、なにより、いま国を捨てたばかりの彼女に、かつての主君や仲間と戦わせる真似など、できるはずもない。
「し、しかし、イリア様の部隊は、まだ交戦中です」部下が言う。「はたして、撤退の指令に従うでしょうか?」
イリアは王にきわめて忠実な騎士だ。今回のオルトルート攻めは、ドリストが直々にイリアに命令したものらしい。恐らく、ミゲルの命令など聞く耳を持たないだろう。
それでもミゲルは言う。「私は総大将だ。私の指令にイリア殿が従わぬのであれば、それはイリア殿の方に問題がある」
「確かに、そうかもしれませんが……」
「とにかく撤退だ。すぐにイリア殿の部隊にも伝令を送れ!」
「はっ、はい!」
部下は頭を下げた後、下がった。
ミゲルは自嘲気味に笑う。私は騎士失格だ。まだ戦える状況であるにもかかわらず、妹を護るという私情で撤退命令を出した。恐らくイリア殿は従わないだろうし、私は陛下から罰せられるだろう。もう、この国での出世は望めないかもしれない。だが、それでもかまわない。今は家名の復興よりも、兄妹の絆を護りたいのだから。
ミゲルは、愛する妹と共に、戦場を去った。
不思議なことに。
ミゲルの撤退命令など従わないだろうと思われたイリアだったが、伝令を送ると、すぐに撤退を始めた。
さらに、今回の私情での撤退に関して、生真面目なミゲルは包み隠さず報告したのだが、それに対して王ドリストから受けた罰は、一節の謹慎という、きわめて軽いものだった。