ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

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第九十五話 ゼメキス 聖王暦二一六年三月上 エストレガレス帝国/王都ログレス

 エストレガレス帝国の王都ログレスの私室にて、皇帝ゼメキスはいくさの準備をしていた。愛用の鎧と長剣、そして、大型のクロスボウの状態を確認する。長く酷使してきた武具だが、手入れを欠かしたことは無く、次の戦闘も問題なく使えるだろう。次の戦場は南部。イスカリオ領となったソールズベリーの奪還戦だ。守備に就いている敵騎士についての情報は無い――というよりは、今回ゼメキスはあえて敵に関する情報を得ようとしていなかった。イスカリオの君主ドリストは狂王と仇名されるだけのことはあり行動が読みづらい。そして、一見すると奇行としか思えない行動を繰り返しつつも、国が傾くことはなく、むしろ、開戦以降は徐々に勢力を伸ばしている。ドリストが道化の仮面をかぶった名君・名将である可能性は否定できない。このような相手に対し情報を得ようという行為が危険であることを、ゼメキスは長い戦闘の経験で知っていた。相手の行動の真意を探ろうとすればするほど、相手に翻弄されるだけである。情報など必要ない。ソールズベリーを守る将が誰であろうと、ゼメキスはただ目の前の敵を叩くだけだ。

 

 準備を終え、部屋を出るゼメキス。廊下は静まり返っていた。王の私室であるにもかかわらず、警備する兵一人いない。ゼメキスは王である前に武人であるゆえ、己の身は己自身で守ることができる。大きないくさの前などは精神統一のため護衛を控えさせることもあるが、今回はそのような指令は出していない。にもかかわらず、廊下はまるで人の気配が無かった。ログレス城の最も奥まった区画にあるこの場所は陽の光が届かない。壁に取り付けられた蝋燭の炎がぼんやりと照らすだけである。炎の明かりが届かぬ場所には薄暗い闇が淀んでいた。

 

 その、人気(ひとけ)が無い廊下の薄闇の中に、わずかな気配が生じた。

 

 気配が生じた場所を見るゼメキス。薄闇が広がるばかりで、何者の姿も見えない。だが、気配は少しずつ強くなる。見えない何者かが、そこにいる。近づいて来る。

 

 やがて。

 

 まるで闇が人の形を成したかのように、いつの間にか、その場に一人の男が立っていた。老人のような姿をし、漆黒の法衣を身にまとった男。生気の無い黒曜石のような目をゼメキスに向け、口元に見る者を不快にさせる笑みを浮かべた。

 

「――久しぶりだな、ゼメキス」

 

 ゼメキスは鋭い目で男を睨みつけた。「貴様はブロノイル……まだログレスをうろついていたのか。目障りだ、消えろ!」

 

「挨拶だな」ブロノイルと呼ばれた男は、肩をゆすって笑った。「クーデターの手助けをしてやった恩を忘れたか?」

 

「貴様の助けなど受けた覚えはない」

 

「フン、よもや貴様、自分の力だけでクーデターを成功させたなどと思っておらぬだろうな?」

 

「…………」

 

 ゼメキスはブロノイルの言葉に応えず、無言のまま睨み続けた。

 

 一年前、ゼメキスのクーデターが成功した最大の理由は、彼の陣営に、アルメキア軍、魔術師団、神官騎士団の三つの勢力が就いたからだ。当時のアルメキアの兵力の九割がゼメキスに味方したことになる。敵対したのは王ヘンギストの近衛兵と王太子ランスの親衛隊のみであり、その圧倒的兵力差がゼメキスを勝利へと導いたのだ。これらは、ゼメキスが事前に手を回していた訳ではない。魔術師団長のギッシュや神官騎士団長のローコッドなど、それぞれの部隊長が自らの意思でゼメキスに味方したのだ。無論、何もせずにこれほどのお膳立てがされるわけがない。そこに何者かの暗躍があったのは、疑いようのないことだった。

 

 ブロノイルは「まあ良い」と言ってゼメキスから視線を外すと、さらに続けた。「今日は頼みごとがあって来たのだ……カドール」

 

 その声に応じ、背後の闇からもうひとつの人影が現れた。悪魔の骨面に、身の丈を超える戦斧を持っている。ゼメキスの腹心・カドールだった。

 

 ゼメキスは眉をひそめた。カドールは現在トリアの守備に就いているはずである。それがなぜ、この王都ログレスにいるのだろう? それも、ブロノイルに付き従うような形で。

 

 カドールは前に出ると、王の前で戦斧を構えた。「ゼメキス、命を貰うぞ」

 

「……どういうことだ?」ゼメキスはカドールではなくブロノイルに言葉を向けた。

 

 ブロノイルは不快な笑みをさらに深めた。「カドールは我が配下の一人。我が命に従って貴様に仕えていたにすぎぬ」

 

「……貴様」

 

 ぎりぎりと奥歯を噛むゼメキス。カドールがゼメキスの配下となったのは六年ほど前だ。素性は一切不明であったが、その圧倒的な武力で瞬く間にゼメキスの腹心へと登り詰めた。古くからゼメキスの配下であった者の中には、得体のしれぬ男をそばに置くことを快く思わぬ者も多かったが、ゼメキスにとっては些細な問題だった。戦場で役立つのであれば、何者であろうと関係なかった。だが、カドールを全面的に信用していた訳ではない。ゼメキスが信用していたのはカドールの武力のみであり、心までは信用していなかった。だから、こうして刃を向けられても驚きはしない。ただ、六年も前から自分の周辺でブロノイルの思惑が働いていたことが、無性に腹立たしかった。

 

「覚悟しろ、ゼメキス!」

 

 カドールが大斧を振り上げて踏み込む。ゼメキスは剣を抜くと、大斧を横に薙ぎ払った。

 

「ブロノイル! 貴様、なにが目的だ!」

 

 叫ぶように問うゼメキス。クーデターが成功した裏で、ブロノイルの暗躍があったのは恐らく間違いのないことだろう。だが、ゼメキスにクーデターを成功させ、今になってそのゼメキスを暗殺しようとする目的が判らない。

 

「貴様はもう十分に働いてくれた」ブロノイルは、相変わらず不快な笑みを浮かべたまま言う。「貴様が(おこ)した戦乱の火は、今や大陸全土に飛び火し、燃え上がった。もう貴様がいなくとも、後は勝手に燃え続ける」

 

「なに?」

 

「判らぬか」と、カドールが引き取るように言う。「貴様は、もう不要なのだ!」

 

 言うと同時に斧を振り下ろす。ゼメキスは剣で受け止めると、反撃に転ずる。互いの刃が交わり、火花が散る。ゼメキスとカドール。現在のフォルセナ大陸の騎士の中でも1・2を争う武を持つ二人の攻防は、決め手のないままただ刃のみが交わり続ける。

 

「……つくづく往生際の悪い男だ。おとなしく運命を受け入れればよいものを」

 

 言うと同時にブロノイルは胸の前で印を結び、呪文の詠唱を始めた。掌から青白い炎が燃え上がり、それをゼメキスに向かって放つ。カドールとの戦いに気を取られていたゼメキスはかわすことができない。炎が全身を包む。多くの戦場を渡り歩き、数えきれないほど敵の魔法を浴びてきたゼメキスだったが、今までのどんな魔術師が放つ魔法よりも強力だった。

 

「……クッ」

 

 ゼメキスは膝をついた。

 

 その姿を満足げに見つめたブロノイルは、「カドール、とどめを刺せ」と命じた。

 

「はっ!」

 

 ゼメキスの前で斧を振り上げるカドール。

 

 それが振り下ろされようとした瞬間、ゼメキスの背後から、白い光の刃が放たれた。

 

「――なに!?」

 

 光の刃は、斧を振り上げ無防備となっていたカドールの胸を貫く。その衝撃で、カドールは数歩後退した。

 

「ゼメキス!」

 

 背後から、はかなげだが凛としてよく通る声。

 

 その声に力を得たかのように、ゼメキスは大きく踏み込み、カドールに向けて剣を突き出した。

 

 切っ先が、カドールの骨面を捉える。

 

 だが、一歩踏み込みが甘かった。ゼメキスの刃は骨面の一部を欠けさせただけだった。

 

 割れた面の部分を手で覆い、後退りするカドール。今の突きは面を欠けさせただけだったが、その前の光の刃は、確実にカドールにダメージを与えている。

 

 光の刃を放った女がゼメキスのそばに立った。薄い緑の修道服の女。か細い身体でおよそ騎士には見えぬ佇まいだが、その目には確かな『強さ』が宿っている。エストレガレスの騎士であり、ゼメキスの妻でもあるエスメレーだった。

 

「邪魔が入ったか。つくづく悪運の強い男だ」ブロノイルは相変わらず不快な笑みを浮かべている。「まあ良い、今日のところは退いてやる。だが忘れるな。所詮貴様は我が操り人形にすぎぬ。いくらあがこうとも、運命からは逃れられぬぞ」

 

 再び呪文を唱えるブロノイル。周囲の薄闇が広がり、ブロノイルとカドールの身体を包み込んだ。やがて、二人の姿は闇の中に溶けるように消えた。

 

(のが)したか……」

 

 再び膝をつくゼメキス。ブロノイルの魔法によるダメージは、思った以上に大きい。

 

「治療をします」

 

 そばに立ったエスメレーが短く言った。そして、治療の魔法を使う。エスメレーの掌から癒しの光が溢れ、光に照らされたゼメキスの傷がふさがってゆく。

 

 ゼメキスは小さく息を吐き出した。「どうやら、お前に助けられたようだな」

 

 エスメレーは表情を乱さず、感情も抑揚も無い口調で言う。「あなたは、ここで倒れることは許されません。あなたの運命は、このフォルセナ大陸と共にあるのです」

 

「フン、お前も運命と言うか……」エスメレーの言葉を、ゼメキスは鼻で笑った。

 

 胸の内に、ブロノイルが去り際に言った言葉が浮かんだ。

 

 

 

 ――所詮貴様は我が操り人形にすぎぬ。いくらあがこうとも、運命からは逃れられぬぞ。

 

 

 

 ブロノイルの思惑通りクーデターを起こし、戦争を始め、そして、用済みとなって消される――それが俺の運命だというのか。くだらぬ。己の赴く先は、己の意志によって決まる。そこに、運命などありはしない。

 

 それを証明するためには、戦い続けるしかない。

 

 ゼメキスは治療を拒むようにその手を払いのけると、立ち上がり、エスメレーを残して歩きはじめた。

 

 戦場へと向かう。

 

「…………」

 

 エスメレーは何も言わず、ただゼメキスを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

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