ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

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第九十七話 シュレッド 聖王暦二一六年三月下 エストレガレス帝国/王都ログレス

 旧アルメキアの王都ログレスの王宮は贅の限りを尽くした造りになっていた。愚王ヘンギストやその佞臣どもが己の権力を誇示するため、いたるところに金を費やしていたのである。謁見の間の王座やシャンデリアには煌びやかな宝石が散りばめられ、その部屋へと続く廊下には大陸中に名が知られた芸術家の絵や彫刻が並び、王や重臣の私室には一流の家具職人があつらえた机やベッドなどが置かれ、その窓からは何百人もの造園家が数年かけて作り上げたという広大な緑の庭園が広がっていた。

 

 だが、それも一年ほど前までの話だ。それらのものはすべて、ゼメキスのクーデターの夜に焼き払われた。現在のログレス王宮は、だだっ広い部屋に円卓と椅子を並べただけの質素な会議室や、同じく簡素な机やベッドなどの最低限の調度品しかない王や重臣の私室、無駄な装飾品や芸術品などは無い廊下や謁見の間など、およそ王宮と呼ぶには程遠い、いくさの最前線に建つ砦のような造りになっていた。ただ、庭園を潰して新たに造られた騎士や兵達の訓練場は、訓練用の模擬剣・槍、剣や弓の撃ちこみ台などを数多く揃え、あらゆる戦場での模擬戦を行えるよう、山や水辺・市街地・城・砦など、様々な地形を庭内の各所に再現するなど、ここだけは王の意向で多くの金がかけられている。

 

 クーデターの前後で大きく姿を変えたログレス王宮だが、ある一角だけは、クーデター後も変わらぬ姿で存在していた。地下牢である。囚人を収容する施設なので、王や重臣が住まう居住区からはかなり離れた場所にある。そのため、戦火を逃れたのだ。

 

 もっとも、施設こそ変わらぬ姿だが、そこに収容されている囚人はクーデター前後で大きく変わった。以前は、王宮内の謀略にはまりあらぬ罪をかぶせられた忠臣や、王や重臣の機嫌を損ねた使用人などで溢れていたが、彼らはクーデター後に解放され、逆に王の重臣やアルメキア側に就いて戦った騎士や兵が投獄されたのだった。

 

 その地下牢の最も奥まった場所にある独房に、かつてゼメキスの腹心であった騎士・シュレッドが囚われていた。彼はゼメキスの陣営にあってただ一人クーデターに反対し、デスナイト・カドールによって囚われ、投獄されたのである。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い独房の中で瞑想をしていたシュレッドは、地下に生じたわずかな気配を察知し、静かに目を開けた。地下牢の最も奥まった場所にあるこの牢は、囚人の中でも特に罪の重い者を収容するためのものだ。一般牢からは完全に隔離されてあり、他の囚人の顔を見ることはおろか、声を聞くことすらできない。この独房で他人と接する機会は、看守が一日に二度食事を届けに来るときだけだが、そのときでさえ、言葉を交わすどころか姿を見ることもできない。この牢の扉は一般的な鉄格子のものではなく分厚い鉄の扉だ。看守は、その扉に取り付けられた開閉式の小窓に、無言でトレーを置くだけである。この独房の一日で何か変化があるとすればそれだけだった。

 

 そんな場所に一年以上閉じ込められていたシュレッドは、聴覚や嗅覚などが鋭敏になっていた。だから、遠く離れた地上と地下を繋ぐ階段に生じたわずかな気配も敏感に察知することができる。看守が食事を届けに来る時間ではない。生じた気配はひとつだけであり、新たな囚人が収容されるわけでもない。逆に、誰かが牢から出されることもまず無いだろう。クーデター直後は多くの囚人で溢れていたこの地下牢も、ほとんどの者が処刑や国外追放され、今はがら空きだ。残っているのはシュレッドと同じく、処刑も解放もされることのない特殊な事情を持った囚人だけである。

 

 気配は、まっすぐシュレッドの房へと近づいてくる。常人には決して聞くことのできないわずかな足音を聞くシュレッド。その音は小さく、歩幅は短い。女だな――と判断した。さらに、薄暗く不気味な地下牢を迷いなく歩く様子から、かなり心の強い女、恐らくは騎士であろう。

 

 そして、今この国の女騎士で、この地下牢に足を運ぶ可能性があるのは、一人しかいない。

 

 近づく足音は、シュレッドの房の前で止まった。がちゃり、と、錠前を外す音がする。そして、金属がきしむ耳障りな音と共に、シュレッドを閉じ込めていた扉が開いた。そこには、ゼメキスの妻・エスメレーが立っていた。

 

「……奥方殿……いや、今は(きさき)様と呼ぶべきかな?」シュレッドはわずかに頬を緩ませて言った。

 

 対するエスメレーは、わずかな表情の乱れもなく、静かに口を開いた。「あなたを解放します、シュレッド」

 

「どういうことでしょう?」

 

「ゼメキスのクーデターは成功し、カドールは去りました。もう、あなたを囚えておく理由はありません」

 

 エスメレーが事の経緯を話す。ゼメキスのクーデターが成功した裏には、魔導士ブロノイルの暗躍があったこと、ブロノイルとカドールは繋がっていたこと、ブロノイルはカドールを使ってゼメキスを暗殺しようとしたこと。驚きはしなかった。この一年の間、考える時間は多大にあった。ゼメキスのクーデターが成功したのは裏で大きな力が働いたことは明白であり、その大きな力とはクーデターを提案したカドール以外に考えられなかった。また、クーデターの数年前からゼメキスの周りにはブロノイルという得体のしれない魔導士の姿があった。このふたつを結びつければ、おのずと答えは導き出される。

 

「――そうか。やはり、ブロノイルとカドールが……」シュレッドは忌々しい思いと共に言う。「初めから胡散臭い男だとは思っていた。ゼメキスも信用していた訳ではないのだろうが……カドールは、武の力だけは計り知れないものがあった。それゆえ、この国の武力という面では大きな損失ではあるな」

 

 その心根はともかく、カドールは旧アルメキア時代よりゼメキスと共に戦い、多くの戦果を挙げてきた。クーデター後のこの国においても同様であっただろう。カドールの裏切りで、ゼメキスを支える大きな柱がひとつ失われたことは、変えようがない事実である。

 

「今こそあなたの力が必要です、シュレッド」

 

 エスメレーのこの言葉に、シュレッドは自嘲気味な笑みを浮かべた。「一年も牢にいた男に、何ができる」

 

「今のこの国に足りないものが何か、あなたには判っているはずです」

 

「…………」

 

 牢に囚われている間も、シュレッドは外の状況を把握していた。囚われの身であっても、かつてはゼメキスの腹心として多くの兵を指揮した騎士だ。食事を届けに来る看守の中に、忠実な部下を一人紛れ込ませるくらいのことはできる。その部下から一節に二度の割合で各国の情勢に関する報告を受けていた。この国――エストレガレス帝国は、開戦当初こそ領土を拡大するも、その後は少しずつ他国に侵略されている。ゼメキスやカドール、剣聖エスクラドスに魔術師ギッシュなど、大陸でも上位の実力を持つ強力な騎士を持ちながらも、敵国の侵攻を止めることができていない。理由は明白だ。大陸中央にあるこの国は全方位敵国に囲まれており、全ての国と同時に戦わなければならない。それになのに、騎士の数はあまりにも少ない。ゼメキスやエスクラドスなどの強力な騎士は戦場においてはほぼ負け無しだ。しかし、全ての敵に彼等だけで対応はできない。必ずどこか手薄な場所ができ、そこから侵略されているのだ。

 

 そして何より、この国は、ゼメキスら強力な戦力を上手く使いこなしていない。

 

「今のこの国は、防衛のために戦っている」シュレッドは冷静な口調で言う。「拠点を奪われたら奪い返し、敵拠点を奪っても防衛のためなら放棄する。今のままでは、半年も持たぬであろう。いま軍総帥の座に就いているのは魔術師のギッシュだと聞いているが……あの男には、今のこの国の軍総帥の座は荷が重すぎるであろう。アルメキア時代ならばこの戦い方でも良かったのだろうが、今は違う。ゼメキスの目的は大陸制覇だ。国土の防衛ではない。例え十の城を奪われようと二十の城を奪う。それが、今のこの国に必要な戦い方だ」

 

「あなたは誰よりも長くゼメキスの側で戦ってきました。あの人のことは、あなたが一番判っているでしょう」

 

「それはどうかな? 今はあなたの方が判っていると思うが」

 

 シュレッドはもう一度頬を緩めたが、エスメレーの表情は変わらなかった。

 

 シュレッドは続ける。「――だが、あいつが俺を許すだろうか。俺はあいつのクーデターに反対した。あいつに、戦うことを放棄させようとしたのだ」

 

「あなたのような人こそ、今のあの人には必要なのです。ゼメキスに引き合わせます。しかし、もう一人、牢から解放せねばなりません」

 

 もう一人――この一年の間、この地下牢の囚人のほとんどは処刑、あるいは国外へ追放された。今も残っているのは、シュレッドと、もう一人しかいない。

 

「ソレイユの母親か……」シュレッドはつぶやくように言った。「しかし、それではソレイユが……」

 

 ソレイユは、かつて神官騎士団に属していた男である。個の力は極めて凡庸な騎士だが、獣と心を通わす特殊な力を持ち、魔物を統べる力・統魔力に優れていた。旧アルメキアに対し愛国心を持ち、クーデターに加担しようとしなかったのだが、その力を利用しようとしたカドールに母親を囚われ、この国の騎士として戦うことを強要されたのである。その母親を解放すれば、恐らくソレイユはこの国を去るだろう。ソレイユの統魔力は鍛えればゼメキスすらも上回る可能性がある。カドールが去り、その上ソレイユまでも去れば、この国の戦力がさらに低下するのは明白だ。

 

 それでも、エスメレーは迷いなく言う。「ソレイユの件をゼメキスは知りません。親を人質にとっていたなど、あの人のプライドが許さないでしょう。それに、何かを決める時、自分の意思で決めることができない人生ほど、辛いものはありませんから」

 

「そうか……では、好きにされるが良かろう」

 

 自分の意思で決めることができない人生ほど辛いものはない――今の言葉がソレイユだけでなくエスメレー自身のことを言っていることに、シュレッドは気が付いた。エスメレーは、二年前の旧アルメキアとノルガルドの講和の際、人質として差し出された。エスメレー自身はそれを運命と受け入れているように振る舞っていたが、今の言葉を聞く限り、本心は違うところにあるのかもしれない。

 

「リドニーにて、あなたが白狼の部隊を退けた話は聞いた」シュレッドは、エスメレーの本心を探るように言う。「俺は、あなたが弟君と戦いを決意するほど、ゼメキスのことを愛しているとは思わなかった」

 

 エスメレーは。

 

「――愛してなどいません」

 

 即座に否定し、そして続けた。「ただ、私は運命に流されるまま生きてきただけ。あの人は、運命に抗おうとしている。私は、運命に抗う強さを持ったあの人に、憧れているのかもしれません」

 

 シュレッドは目を伏せた。

 

 ――王妃……それを、愛と呼ぶのだ。

 

 だが、その言葉は、胸の奥にしまい込んだ。

 

 代わりに。

 

「俺は一刻も早くこの戦乱を終わらせるために戦おう。あいつと、あなたのために」

 

 そう告げた。

 

「――感謝します」

 

 エスメレーは短く言い終えると、牢を出た。

 

 その後に続くシュレッド。

 

 一年間牢に閉じ込められていたシュレッドだが、牢の中でさらに拘束されたりしなかったのは幸いだった。狭い牢だが、身体を自由に動かすことはできた。身体を動かすことができるのならば、鍛えることもできる。

 

 シュレッドは右の拳を左の掌に打ち付けた。

 

 その拳は、今も鈍ってはいない。

 

 

 

 

 

 

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