エストレガレス帝国の王都ログレスの会議室には、皇帝ゼメキス、総帥ギッシュ、神官騎士団長ローコッドなど帝国の主だった騎士が集まり緊急の戦略会議が行われていた。この半年の間で、帝国は多くの領土を失った。二月、南の国イスカリオにアスティンとカーナボンを奪われ、西アルメキアにオークニー・エオルジア・オルトルートを奪われた。北からのノルガルド侵攻は何とかリドニー要塞にて食い止めたものの、再び侵攻してくるのも時間の問題だ。カーレオンこそ開戦直後にソールズベリーを奪って以降は大きな動きを見せていないが、防衛に専念しつつ兵力を高めているという情報は掴んでいる。いつまでも大人しくはしていないだろう。
これらの四国を相手にどう戦うか――それが、今回の会議の主題だった。しかし、円卓を囲む騎士たちは誰もが口をつぐんでいた。長い沈黙が続いている。誰もが、他の誰かの発言を待っている状態だ。それはつまり、有効な策が無いということに他ならない。
かつて大陸最強を誇った旧アルメキア軍をほぼそのまま引き継いでいるエストレガレス軍。しかし、いまやかつての栄光は見る影もないほどに疲弊してしまった。理由は明白だ。新たに仕官する騎士がいないのだ。今回のいくさをきっかけに、他国では新たな騎士が多く仕官し、次々と戦場に出ている。ルーンの加護を持たない一般兵も多く集まり、戦力を充実させている。
それらが、エストレガレス帝国では行えていないのだ。
フォルセナ大陸全土を巻き込んだ今回の戦乱。その発端となったこの国を、周辺国家の騎士や民が敵視するのは当然と言えた。そんな国に仕官する騎士などいるはずがない。いま新たに仕官する騎士は、皆帝国を倒すために立ち上がっているのだ。この国は騎士の登用がうまく行っていない。それどころか、エニーデやメルトレファス、ソレイユといった若く有望な騎士が次々と国を去っている有様である。そこに追い打ちをかけるかのごとく、長年ゼメキスの腹心を務めてきたデスナイト・カドールの裏切り。エストレガレス軍の士気は大きく低下していた。もはやこの国には、周辺四国を相手に戦う力は残っていない。誰もが、そう考えていた。
重苦しい沈黙が続く。それを破ったのは、魔導の名門カールセン家の当主・ランギヌスだった。ログレスの南にある都市・トリアの領主であり、エストレガレス軍では剣聖エスクラドスに次ぐ年長者でもある。
「誰も言い出せぬようなのでわしが言わせていただきますが――降伏、という手もありますな」
総司令ギッシュが、椅子を倒さんばかりに立ち上がった。「貴様、ゼメキス陛下に負けを認めろと言うのか!?」
「それもひとつの方法だと申し上げているのです。もちろん、降伏となれば陛下やクーデターに加担した者がただではすまないことは理解しております」
降伏をすれば、クーデターを起こしたゼメキスはもちろん、アルメキア軍に強い影響力があった剣聖エスクラドス、魔術師団を率いたギッシュ、神官騎士団を率いたローコッド。これらの者の処刑は免れないであろう。無論、やむなくゼメキス側に付いた騎士も、今までの地位は剥奪される。
「無論、降伏の提案をしたわしも首を差し出させていただきます」ランギヌスはそう言った後、隣に座るミラとミレの双子の騎士を見た。「それで民や若い騎士が助かるのであれば、無駄ではありませぬからな」
「……そんな……ランギヌス様が……」
動揺した様子の二人。ミレはランギヌスの養女として十七年もの間カールセン家で育った。『双子は呪われた存在』という根拠のない言い伝えで家を失ったミレにとって――もちろん、双子の姉であるミラにとっても――ランギヌスは恩人である。それが、降伏することによって処刑されるともなれば、動揺するのも無理はない。
「フン! 降伏など、断じて認めるわけにはいかぬ!」ギッシュは机に拳を叩きつけた。
「では、総帥殿には良案がおありなのですか?」ランギヌスは落ち着いた様子で訊いた。
「――――っ」
言葉を失うギッシュ。この戦局を打開する案など、簡単に出るはずもない。ギッシュは苦々しげな表情でランギヌスを睨んだまま椅子に座り直した。
またしばらく沈黙が続いた後、皆の視線がゼメキスに注がれた。やはり、最終的な決定権はゼメキスにある。
降伏――ランギヌスからこの提案が出たことは当然とも言えた。ランギヌスはトリアの当主。民を守る方法を最優先に考えてのことだろう。
そして、それはいまやこの国の王となったゼメキスも考えなければならないことだ。
軍隊とは、他国を攻めると同時に、他国の侵略から国を守る役割も持つ。かつてフォルセナ大陸で最強を誇ったアルメキア軍の総帥まで上り詰めたゼメキスは、そのことを十分に理解していた。ゼメキスがノルガルドとの戦闘で常に最前線で戦い続けたのは、アルメキアという国を――すなわちアルメキアの民を守るためである。民を守ることこそが、軍人の最大の使命と言える。クーデターによりアルメキアを乗っ取ったのは、決して理不尽な処刑命令から己の身を守るためだけではない。あのままゼメキスが処刑されていたら、アルメキア軍は大いに弱体化したであろう。そうなると、ノルガルドの侵略を止めることはできなかったはずだ。
このままエストレガレスが最後まで戦い続ければ、騎士や兵だけでなく民にも被害が出る。よもやあのランスが民を虐殺することは無いだろうが、大都市であるログレスやトリアで戦闘が始まれば、民にも被害が及ぶことは避けられない。いま降伏すれば、それは避けられる。現在この国は、多くの騎士が去り、新たな騎士が仕官する当てもなく、軍の士気は低い。このまま戦い続けても、勝ち目がほぼ無いことは明白だ。ならば、降伏という選択肢は十分に考慮すべきものである。あとは、その屈辱を受け入れるかどうかだ。
――と。
ノックも無しに扉が開いた。
円卓を囲む騎士たちの目が一斉に扉に注がれる。そして、部屋に入ってきた者の顔を見て、一斉に驚きの声を上げた。
入ってきたのはゼメキスの妻エスメレーと、クーデターの直前より長く行方をくらませていたゼメキスの側近シュレッドだった。
ゼメキスも驚き、大きく目を見開いた。「シュレッド! 貴様、今までどこにいた!!」
「カドールによって地下牢に囚われていたのだ」シュレッドは静かな口調で言った。
「カドールに……?」
「そうだ。カドールが去ったおりに、后によって解放された」
シュレッドは、ゼメキスの配下にあってただ一人クーデター反対した騎士だ。クーデターはカドールによって下準備がされていたことだ。それはすなわち、ブロノイルが仕向けたということである。恐らく、余計な邪魔をされぬようにシュレッドを捕らえたのだろう。
エスメレーが会議に加わるように円卓のそばに立った。「ゼメキス。わたくしは、魔術師ギッシュに代わり、このシュレッドを軍総帥の座に就かせることを望みます」
「后殿! なにを仰るのです!?」と、ギッシュが声を上げる。
「――そなたの策はゼメキスの力の半分も活かしていない」そう答えたのはシュレッドだった。「そなたは戦場での経験がまだ足りぬ。今のこの国の軍総帥の座は、荷が重かろう」
ギッシュはシュレッドを睨んだ。「そなたにならできるとでも言うのか? フン! 一年も牢にいた男に、何ができる!?」
「俺は誰よりも長くゼメキスと共に戦ってきた。ゼメキスのことは誰よりも判っているつもりだ。戦場での経験も、そなたよりもはるかに上だ」
「ならば試してみるか!?」
法衣をひるがえし、杖を構え、挑発的な視線を向けるギッシュ。
だが、シュレッドは挑発には応じず、静かな口調で続ける。「今のこの国では仲間割れをしている余裕は無い。それに、なにもそなたの実力を疑っているわけではない」
「なに?」
「そなたも総帥の座にあることで己の実力を活かしきれていない。そなたも積極的に戦場の最前線に出て、その魔力を振るうべきだ」
「…………」
沈黙するギッシュ。あるいはギッシュ自身も、そのことには気が付いていたのかもしれない。
エスメレーがゼメキスを見た。「ゼメキス。あなたもギッシュの作戦にはやりにくさを感じていたはずです。自分の戦い方に合わぬと」
「…………」
エスメレーの言う通り、防衛を重視するギッシュの策には、ゼメキスも疑問を抱いていた。アルメキア時代は宮廷魔術師として王に様々な献策をし大きな信頼を得ていたギッシュだが、それは内政に関することばかりだ。シュレッドの言う通り、ギッシュには戦場の経験が足りない。総帥の座は荷が重いということも判っていたのだが、それでもギッシュに任せるしかなかった。旧アルメキア時代は軍総帥の座にあったゼメキスだが、自身は力に頼った戦いを得意としており、策を弄するのは不得手だった。そのため、軍全体の作戦は軍師モルホルトやこのシュレッドに任せていたのだ。しかし、クーデター後、モルホルトはノルガルドへ亡命、シュレッドは姿をくらました。他に適任者もおらず、やむなくギッシュに総帥の座を任せたというのが実情だ。
「ですが、后様」と、ランギヌスが言った。「今、我らは民のために降伏の道もありうる、という話をしていたのです。このまま戦い続けていては被害が広がる一方だと」
ランギヌスの発言に反対の声は上がらない。いまさら総帥が変わったところで劣勢は変わらないであろう。それだけで周辺四国相手に戦い続けることができるようには思えなかった。再び会議室は沈黙する。
それはつまり――諦めを意味していた。
エスメレーは、その場にいる騎士一人一人の顔を見た。
「……あなた方は、何のために戦いを始めたのですか?」
それは、静かだが、内に怒りを秘めた声だった。
「ブロノイルの言う通り、あの者の操り人形にすぎないのですか? 違うでしょう? 愚王を倒すため、王宮に蔓延る佞臣どもを一掃するため、国を正しい方向に導くため、民を守るため、家名復興のため……それぞれ目的は違えど、皆、己の意志で戦いを始めたはずです」
その言葉に、皆、忘れていた何かを思い出したかのように、はっとした表情になった。
ゼメキスも例外ではない。
愚王ヘンギストの処刑命令に背き、アルメキアへクーデターを起こした。新たな国を興し、他国からの報復や侵略行為を退けるためにこの戦争を始めた。
それが、全てブロノイルの企みだったというのか? 己に問う。
答は決まっていた――断じて違う。
俺は俺自身の意思でクーデターを起こし、そして、このフォルセナ大陸全土を巻き込む戦いに身を投じたのだ。ブロノイルなど関係ない。ここで戦うのをやめたら、己の意志を否定することになる。
「――それなのに」と、エスメレーは言葉を継ぐ。「この程度の劣勢で諦めるのですか? まだ領土は残っています。兵も、モンスターも、騎士も、武器も、まだ十分に残っています。あなた方が戦わなければならない理由も、まだ残っているはずです。あなた方は、まだ戦えるはずです。降伏など許されません。
円卓を囲む騎士を見渡していたエスメレーの瞳が、その瞬間、まっすぐにゼメキスに向けられた。
そして――。
「――魂のひとかけらとなるまで戦い続けなさい!!」
エスメレーは、そのはかなげな外見からは想像もつかないほどの力強い声で、叫んだ。
「――――」
会議室内を、再び沈黙が覆う。
だがそれは、さっきまでの諦めによるものではない。張りつめたような沈黙。ほんのわずかな衝撃を加えるだけで何かが爆発してしまうような沈黙だ。
ゼメキスは、胸の奥から笑いがこみあげてくるのを感じていた。今のエスメレーの言葉は、この場にいる者すべてに投げかけているようで、実のところ、ゼメキス一人に対して投げかけている。そのことに気が付いたからだ。今のは、降伏を受け入れようとしたゼメキスへの
そして。
笑うのをやめ、円卓を囲む騎士たちに鋭い目を向けた。「エスメレーの言う通りだ! 俺は初めに言ったはずだ。このいくさ、途中で降りることは、決して許さぬとな! 各々が戦う理由を思い出せ! そして、最期の最期まであがいてみせろ! 騎士の誇りを賭けて戦い続けるのだ!!」
この言葉に。
「もちろんです!!」
双子の騎士の姉・ミラが立ち上がった。「あたしとミレは、没落したベルフェレス家の復興のために仕官しました。その目的は今も変わりませんが、でもそれ以上に、『呪われた双子』と言われ続けたあたしたちを受け入れてくれたゼメキス陛下と皆さんの恩に報いたいです! 陛下! あたしは、どこまでも陛下について行きます!!」
「あたしも戦います!」妹のミレも立ちあがる。「大恩あるゼメキス陛下やランギヌス様を処刑になんてさせません!」
「我らの戦いには、大義があります」神官騎士団長のローコッドが続く。「他国からすれば、我らエストレガレスは大陸全土を戦乱に巻き込んだ許されざる存在かもしれません。しかし、我らが戦い始めたのは決して私利私欲のためではありません。愚王とその愚臣共を一掃し、圧政に苦しむ民を救うために戦い始めたのです! 敵国の者どもにどう思われようと、我が国の民はゼメキス陛下の味方です! ならば、この国を守るために戦い続けましょう!」
「フン、よかろう!」と、ギッシュがシュレッドを睨みつけた。「そなたの言う通り、総帥の座は譲ってやる。あれだけの大口を叩いたのだ。その手腕、見せてもらうぞ!」
「……ならば、仕方あるまいな」ランギヌスも苦笑と共に立ち上がる。「ワシとて、好きで首を差し出したいわけではない。娘たちが戦うというのならば、最後まで見届けよう」
他の騎士たちも立ち上がり、戦う決意を口にする。さっきまでの諦めた空気は、もうどこにもない。
ゼメキスはシュレッドを見た。「シュレッド! 腕は鈍っておらぬだろうな!!」
「無論だ」シュレッドは口の端を上げて答えた。
「ならば総司令としての策を聞こう!」
「今までのような生温い策ではないぞ。王と言えど、存分に血を流してもらう。覚悟は良いな」
「フン! 望むところ!!」
シュレッドは卓上に地図を広げ、作戦の説明を始めた。