「お疲れ様でした、司令官! ゆっくりとお休みください!」
「ああ。 おやすみ、吹雪」
大きな艤装を背負った少女の後ろ姿を見送る。去り際の笑顔を見るだけで、今日の疲れが少し癒された気がした。しかしいつも思うことだが、あの艤装は重くはないのだろうか。彼女は元気溌剌だが、時折……というかところどころ抜けているところがある。心配になってしまうのは提督心というものなのか?
吹雪が退室したことを確認し、息を吐いて提督椅子に座った。
一気に力が抜ける。知らずの内にこれほど肩が強ばっていたなんて、やはり緊張しすぎなのだろうか。
七月二十日。夏も暑くなってきた頃。
俺は専門教育を修了し、少佐に昇格して、先日この真新しい鎮守府に司令官として着任した。
夢にまで見た海軍司令官。しかし何故かその実感が湧かなくて、引越しを終えても渡された辞令書が現実みを帯びることはなかった。
自分はこの鎮守府の司令官なのだ。それを自覚しようと躍起になり、いつもと違うことをしようとして夜の港へ散歩に出た。
海を見ながら夜風に当たっていると、珍しい人と会った。
「よっ、新米少佐。 似合ってるじゃないか、その腕章」
「先輩……」
気さくに声をかけてきたのは俺と同じ白い軍装の男性だった。その人とは軍学校時代からの知り合いで、二年程の付き合いだったが、俺にとっては尊敬できる先輩だった。今は中佐となり、佐世保にいると聞いていた。
わざわざこんな辺境までやってきたということは、俺に会いに来てくれたのだろう。
なんだかんだと背中を押し、昇格祝いだ、と中佐は俺を執務室に案内させ、持ってきた酒の栓を抜いた。
二人でとりとめもない世間話を始め、かつての学友のことや、故郷のことを語り合っていた。
中佐はあの頃と全く変わりなく――いや、どことなく雰囲気が変わって見えた。気のせいかとも思ったが、今までの頼れる男のような威厳が少し欠けているように感じられたのだ。
「お前も鎮守府の司令官か。 出世したな」
「先輩こそ、佐世保で活躍してると噂を聞きますよ」
「ああ、お前と同じ――艦隊司令官をやっている」
「先輩もですか! それはどうかご鞭撻願いたいものです」
ははは、と何故か少し寂しそうな乾いた笑いをして、中佐は冷えた水を飲んだ。
少しの間沈黙が続いた。それから少し目を伏せ、彼は語り出す。
「……いいだろう、教えてやるさ。 というかさ、そのために来たんだよ」
「……?」
俺は中佐の纏う空気が少し変わったように感じ、椅子に座り直した。
中佐も同じように座り直し、窓の外の黒い海を見つめる。
「艦娘たちとは……うまくやってるか?」
「ええ、まあ。 みんな個性的ですが、いい子たちですし……」
「……それはいいさ。 でもな、覚えておけよ。 彼女たちはあくまで兵器だ。 ただの女の子じゃない」
「それは……理解しています」
先ほど見送った吹雪の背中を思い出す。大きな艤装を背負う姿は、確かに普通の少女と言うには異質すぎる。
だがそれはあくまで艤装をしているからであって、艤装を外せば彼女たちはただの少女にしか見えない。
仕草、言葉、性格。機械的に感じることはあまりない。むしろ陸の女子よりも生き生きしていると感じることもある。
兵器――と言い切るには、彼女たちは人間らしすぎる。俺はたった数日だが艦娘たちを間近で見てきた。司令官としてそれは言える。
「……そうだな。 俺もそう思うよ」
中佐は困ったように苦笑いする。
その表情の曖昧さが俺を混乱させた。
「すぐ傍であいつらを見ている俺たちは分かる。 けどな、“上”はそうじゃないんだよ」
「上……ですか」
……その一言で、俺は中佐が何を言いたいのかが分かった。
ああ、そうか。俺たちは艦娘の人間性も、兵器としての姿も知っている。
だが更に上から司令を出す上層部は、艦娘たちを“艦隊”としか見ていない。ただの兵器として、便利な戦力として見ている。
つまりそれは――捨て駒としても見るということだ。
「まあでもな、そんなのは戦争じゃよくあることさ。 トカゲってーのかな……。 ま、末端なんていつの時代もそんなんなんだよ。 必要があればいつでも切り離すし、特に気にもしない。 損得感情が俺たちとは違うんだよ」
「……………………」
俺は黙った。……黙るしかなかった。
そうだ、聞いていた。知っていたとも。数ヶ月前、鹿児島沖で起こった海戦。そこで劣勢になっていた小さな艦隊が囮として切り離され、味方の空母に“処理”された。
中佐はそこで指揮を執っていたのだろう。見ると、彼の手はわなわなと震えていた。
「……先輩。 その……」
「言わなくていい。 あいつらは立派に戦って散った。 それでいいんだ」
「っ、よくないです!」
その言葉が急に頭に来て、思わず机を叩いて立ち上がった。
「なに納得しようとしてるんですか!? 提督であるあなたなら、艦隊の価値も知っているはずだ! その手の震えはなんなんですか?!」
はた、と中佐はその言葉で手の震えに気付き、手を握ってそれを抑えた。
額には汗が浮かんでいる。何か様子がおかしい。
「……これは、ただの禁断症状だ。 気にすんな」
「禁断症状って、まさか……」
「情けねぇ話だろ。 罪悪感と自己嫌悪で精神崩壊寸前だったんだ。 これでもマシになったんだぜ」
目を伏せて苦しげに笑う中佐の姿は、とても弱々しく見えた。
中佐は酒をあおり、乱暴にグラスを机に置いた。
「軍人は人を殺す職業だ。 そりゃ頭もイカれちまう。 そんな奴らのためにさ、軍から出回ってるクスリがあるんだよ」
「――――――」
聞いたことは、あった。かつての航空機のパイロットは、何時間飛行しても集中力が切れないよう、アップ系の薬剤が投与されたのだと言う。
……大きなストレスがかかる司令官にも、精神安定剤のようなものが支給されるのだろうか。
「情けねぇ……情けねぇよなぁ……。 クスリで騙し騙しやってても、まだあいつらの顔思い出すんだよ。 夢にまで出てきてよ、ニコニコしてるんだ」
「――――――」
言葉が出ない。変わり果てた中佐の姿は、かつての生き生きとしていた先輩のものとは全く違う。
……兵器であり、人である。艦娘たちと向き合う仕事。その壮絶さ、惨さを彼は物語っていた。
「なあ……お前は、俺みたいになるなよ」
「先輩…………」
その言葉が全ての悲しみを含んでいた。
俺はどう声をかけたらいいのか分からず、ただ何故か無性に悔しくて、拳を握り締めた。
「艦娘は兵器だ。 感情移入しすぎるな。 ……家畜を飼うのと同じだよ。 いずれは沈んだり、肉になったりする。 分かっていれば、割り切ってしまえば楽だ。 みんなそうさ」
話している中佐の声は、今にも泣き出しそうで……酷く悲しく感じた。
割り切る。その言葉の意味を噛み締める度に、歯が砕けそうだった。
「……おかしいですよ、そんなの。 俺は……俺は、絶対に彼女たちを見捨てません!!」
そう大声で言い放った。握った拳が痛い。感情が渦巻いて、自分でも何を言いたいのかが分からなかったが、けれど、これだけは口にしなければと思った。
それを聞くと中佐は満足そうに微笑み、俺を小突いた。
「ま、がんばれよ新米提督。 流転の先にどうなろうと、それはお前の選択だ。期待してるぞ」
そう言うと最後の酒を一気して、中佐は立ち上がった。軍服を羽織り、帽子を被り直す。
「もう帰るよ。 可愛い艦娘たちが待ってるからな。 ……もう少し明るい話にしたかったんだが、話下手でな。 すまん」
「…………その、先輩」
「ん?」
執務室を去ろうとする中佐に声をかける。何を言うべきか一瞬迷ったが、浮かんでいる言葉は結局一つしかなかった。
「せ、先輩の夢に沈んだ子たちが出てくるのは、怨んでいないから前を向けと言っているのではないでしょうか!」
自分でもおかしいことを言っている自覚はあった。しかし、言わずにこのままあの男を去らせるわけにはいかないと、体が勝手に動いたのだ。
「……はは、ははははは!」
中佐はそれを聞いて高笑いし、もう一度窓の方へ目を遣った。
暗い空を仰ぎ、暖かな微笑みを浮かべたその眼には、涙が浮かんでいた。
「……そうだったらいいな。 ああ、そうだったのかもな」
袖で涙を拭い、中佐はこちらに向き直って今日一番の笑顔を見せた。
「じゃあな、新米提督。 ……なんか俺の方が励まされてちまったみたいだ。 次に会うのは、凱旋パレードだぜ?」
「はは……それはいいですね。 また一杯やりましょう!」
二人で手を取り合って、固く握手を交わした。彼の手は力強く、もう手の震えもなかった。
中佐は部屋を去って、俺はまた一人となった。提督椅子に座ると、静かな夜が降りてくる。さざ波の音を聞き、一人の味を吟味する。
ふと、吹雪の天真爛漫な笑顔を思い出した。あどけない幼い少女の笑み。それはちゃんとそこに在って、俺は確かに彼女と触れ合った。それだけは真実であり、俺はそれを信じていられる。
「――――もし、彼女たちが沈んだら…………」
そんな考えが脳裏の浮かんでしまち、ぶんぶんと頭を振ってかき消した。虚像に過ぎない。けれど、きっと未来のこと。
いつかはその時がやってくる。
俺は、受け入れることができるだろうか――――?