「暴れん坊将軍」を練習してる場面です。
春の日差しが強さを増し始めた3月末。校庭の桜は既に満開間近の様相だった。
「頭が微妙に揃わないねぇ・・・」
小笠原・臼井・純子の3人が楽器を抱えて集まっている。新入生歓迎兼部員勧誘の為に演奏する「暴れん坊将軍」の合奏を終え、指摘された所をもう一度合わせようという事でバスクラリネットとバリトンサックスの3人は音楽室内に残って練習をしていた。
残りの部員の大半は、合奏が終わるなりそそくさと後片付けを終え帰路に付いていた。低音パートとトランペットパートが何人か別室で練習している他は、音楽室に残っているのは3人とパーカッションの数人のみであった。
「それにしても、あすかは凄いよねぇ」
不意に純子が口を開く。
「あすかは凄すぎるよ。梨香子先生が産休で居なくなってから指揮全曲こなしてるし、部活運営もあすか中心に動いてるし、なのになんで私なんかが部長やってるんだろう・・・」
小笠原は深くため息をついた。
「晴香ったらまたそのモード?去年色々あったけど、今こうして吹部が存続してるのは晴香が頑張ったからでしょ?自信持ちなよ~」
「それだって、私より何倍も香織や葵が頑張ってくれたからで、私そこまで何もしてないし・・・」
純子のフォローも小笠原には焼け石に水のようだった。
「そ、そんな事ないよ!晴香部長は本当に頑張ってると思うよ!」
臼井が意を決したように声を掛ける。
「え?あ、ありがとう・・・。何か臼井君に言われると素直に喜べるね」
「えー!それじゃあ私の褒め言葉は嘘っぽいって事~?」
「え?あ、いや、そういう意味じゃないって!」
拗ねるように口を尖らせる純子を小笠原は何とかなだめる。
(だって・・・、晴香部長は本当に頑張ってたから・・・)
臼井の思いは口から発せられる事は無かった。
後ろで話を聞いていたパーカッションの田邊名来と加山沙希も話に加わってきた。
「でも、実際あの時は晴香部長含めてその3人のお陰でどうにか空中分解免れた感じだもんなぁ」
「私たちは自分のパートをどうにかするので精一杯で、晴香のサポート出来なかったから・・・」
「そんな!沙希だって頑張ってたじゃん!気にしないで」
そう、去年のコンクール前、一年生が多数退部する騒ぎがあったのだった。
ある日、一年生が三年生に意見を付けたのが事の発端だった。
当時から北高吹奏楽部の空気は緩み切っていて、パート練習の時間にお菓子を開けながら談笑するような事がまかり通っていた。そんな状況に業を煮やした複数の一年生が、真面目に練習するように言い寄った。しかし、緩んだ雰囲気に浸かりきっていた三年生は聞く耳を持たない。挙句の果てに「部活の秩序を乱してるのはアンタ達だ」と言い放ち、一年生と三年生の対立は決定的なものになった。間で板挟みになる二年生。そのような状況の中、3年生優先でコンクールメンバーが選出された事をきっかけに、一年生が次々と退部していった。
一歩間違えれば部活崩壊に突き進む可能性さえあったが、現部長の小笠原を始め、トランペットの中世古香織やサックスの斎藤葵等の二年生の尽力もあり、なんとか平穏を取り戻したのだった。
この騒動により、クラリネット・パーカッション共に一年生が1人ずつしか残らなかった。特にクラリネットは二年生が8人に対して一年生が1人という極めて歪な人数構成となった。純子は、パートリーダの鳥塚ヒロネと共に一年生のフォローをしようとしたものの、先輩である三年生に相対するのは困難だった。
沙希が口にしたように純子やヒロネもまた、この時フォローしきれず退部してしまった後輩や、パートに一年生でただ一人残った島りえ、そして自分がパートの事ばかりに気を向けたために全く力添えが出来なかった小笠原に対して自責の念を抱いていた。
対して臼井はというと、この件に関して善処したとは言い難かった。女子が大半を占める吹奏楽部において、特に女子同士のいざこざが発生すると男子部員は完全にではないにしろ蚊帳の外に置かれる事が多い。臼井もその御多分に漏れず、その渦中に足を踏み入れる事が出来なかった。時折、純子やヒロネから「相談」という名目で愚痴を聞いたり、他のパートの男子部員と情報交換をする程度の事しか出来なかった。臼井もまた、後輩や小笠原に対して後ろめたさを感じていた。
臼井は、小笠原が部長に就任すると聞いた時
「あぁ、田中さんじゃないんだ」
という程度の感想だった。ユーフォニアムの田中あすかは、楽器の技量や音楽の知識に於いて他の部員と比べて抜きん出ており、統率力も兼ね備えているので、あすかが部長をやるのだと誰もが思っていた。ところが、あすかが部長就任を断ったため、小笠原にその役職が回ったのだった。一年生の退部騒動の時も、香織や葵の陰に隠れがちだったため、臼井はその時点での小笠原の印象はあまり強くはなかった。
しかし臼井は、その後小笠原が部長として苦悩の連続でここまできたのを見ていた。部長就任直後から、退部した後輩を引き留められなかった自責の念や、部活運営でもうまくできない自分を尻目に何でもそつなくこなすあすかに対して抱くコンプレックスを、香織などの親しい二年生に吐露する姿を何度も目撃してきた。
常にあすかと比較され、「もし部長があすかなら」という目に常に晒されながら、それでも必死に部長としての職務を全うしようとする小笠原の姿勢に敬意を感じるようになったのはいつ頃からだったのだろうか。練習熱心で、部員みんなに優しく接し、後輩の面倒見も良く、その柔らかい物腰で、極めて険悪だった部活の雰囲気を今の状態まで押し上げた彼女が、報われて欲しいと願うようになったのはいつ頃からだったのだろうか。
臼井は確かに小笠原に対して尊敬の念を覚えるようになっていた。それと同時に、自分が香織のように近くで彼女を支える事が出来ないでいる自分にもどかしさも感じていた。自分は支えるどころか話を聞いてあげる事すらできない。自分はなんて無力なのだろうか。バスクラとバリサク、同じ木低仲間だというのに。
「今年は一年生沢山入れて、もう後輩たちに嫌な思いさせないように頑張ろうね」
小笠原は自戒を込めるように告げた。沙希は柔らかい笑みを浮かべながら答える。
「そのためにも、新歓演奏バッチリ決める為に練習しなきゃね」
「純子聞いた?パー練の時弓菜と遊んでばっかじゃダメだよ」
臼井は少し困ったような笑顔を作りつつ、刺々しくならないよう配慮しながら純子を咎めた。
「いやぁ、ついつい雰囲気に飲まれちゃうんだよねぇ。でもこうやって木低で練習する時は真面目にやってるからいいじゃん」
「パー練でもヒロネやまいなはちゃんと練習してるんだから、そんなんじゃ一年生に笑われるよ」
「あーはいはい、臼井さんの忠告はしっかり胸に刻みますよー。じゃ、笑われないように練習しましょうかねー。さ、晴香さっきの所からもっかいやろ」
純子は口うるさい親をあしらうかのように手をひらひらさせ、小笠原の方を向き直って練習の続きを催促した。
午後四時。空はごく僅かに夕焼けの様相を呈しているが、もうずいぶんと日も長くなり外の明るさは昼間のそれとほとんど差異を感じる事ができない。
音楽室に残って練習していた吹奏楽部員も、楽器を片付け終わり何となしに全員が纏まって下校していた。通学路の途中にある三叉路までは木管低音の3人とパーカッションの2人は同じ道のりで、今後の部活についての話をしながら歩を進めていた。
「新しい顧問の先生って、どういう人なんだろうねぇ」
「え?晴香は新しい顧問の先生について何にも聞いてないの?」
純子は少し目を丸くしながら小笠原に問うた。部長なのに新しい部長についての情報が彼女に与えられないという事に驚いたようだった。
「いや、ある程度の事は松本先生から聞いてるけど、人となりとか、どういう指導方針かとか、そういうのは分からないからさ」
「あーそうかぁ、あんまり厳しくない人だといいなぁ」
「でも、梨香子先生みたいにユルユル過ぎて纏め切れないような人だと困るじゃん」
沙希が口を挟んた。小笠原は少し困惑した表情を浮かべた。
「それもそうなんだけどさ。嫌な人じゃない事を祈っておこうかな。これ以上面倒事は勘弁して欲しいよ」
臼井は田邊との雑談に相槌を打ちつつ、女子3人の会話をぼんやり耳に入れていた。この時、なぜか小笠原の声ばかりがやけに耳に入ってくる事に臼井の意識が向けられる事はなかった。
あと数日で最終学年になる5人は、この新顧問就任によって北宇治高校吹奏楽部に劇的な変化が起こる事を、この時まだ知る由もなかった。