——静寂。
俺の話を全て語り合えた時。
訪れたいま、この瞬間を表するのにここまで適切な言葉はないだろう。
記憶を失う。
俺はこのワードをこれまでなんども思い浮かべたり、呟いたりした。でも、口に出してかつての自分を知る者達に語るのは……辛いものがあった。
別に俺の状態を再認識することが辛いんじゃない。
「………」
俺の目の前で目を見開き、肩を震わせ、嗚咽をこぼさぬ様に口を押さえて堪える少女の表情を見る方が辛かった。
——少し前に、同じ光景を見た。
ルーリッドの村でキリト達に『お前達は誰だ?』と尋ねた時、彼らに自分達の関係、何をしてきたのかの思い出を語りかけられている時。彼らの肩も小さく震えていた。
俺は、どうしたらいいのか分からず……立ち尽くすことしか出来なかった。あの時も、そして今も。
どうしたらいいのか分からず、立ち尽くしていると不意に背中を誰かに押された。
「アリ、ス……?」
「まったく……世話がやけるわね」
押された事で数歩、前に歩く。
目の前で泣くのを堪える少女に近づき、振り向くと、そこには・・・どこか、懐かしい……怒った様な、呆れた様な、困った様な……どれとも判断できない笑みを浮かべるアリスが居た。
「あのね、私も深い事は知らないわ。貴方と彼女の学生時代の話も断片的な物しか聞いてないから。——でもね、忘れたから、知らない事だからで済ませて良いものじゃない。貴方と彼女の思い出はその一言で片付けていい物じゃないって、私は思う」
柔らかい笑顔で、彼女は言う。
纏っていた騎士甲冑はいつのまにかいつもの見慣れた服に変わり、懐かしい笑顔を浮かべる。
ただ、自分中で、何かが変わった気がする。
「分かったのなら行きなさい、向かい合うべき相手は目の前にいるでしょう?」
俺は、どんな表情をしていたのだろう。
ただ、アリスは満足そうな笑みを残して天幕を後にする。
ほかのメンバーも各々俺に何かしらメッセージ性のありそうなジェスチャーをして彼女の後を追ってこの場を去った。
残ったのは俺とロニエだけ。
何もかも忘れた側と忘れられた側。
「ロニエ、話し………しないか?」
今はただ、目の前の少女と向き合おう。
それが、今の俺のやるべき事で…やりたい事だ。
▶︎△◀︎▶︎△◀︎
〜三人称視点 〜
「アルス……せん……ぱい……?」
「……まだ、俺の事を『先輩』と呼んでくれるんだな。・・・ロニエ」
ロニエは恐る恐るといった様子でアルスの名を呼び、彼もまた彼女の名を呼ぶ。
ただ、それだけのことなのに、彼女はそれが堪らなく懐かしかった。出会ってからもそんなに時間は経っていなかった。それでも1つ1つの時間がとても濃厚で、何もかもが楽しくて、鮮烈で、新鮮。……そんな時間を彼女は静かに思い返す。
「当たり前です……。私は、忘れてませんから」
「はは、それは耳が痛いな……」
思い出を振り返る中で思わず溢れた彼女の言葉に彼は苦笑する。
「ち、違うんですっ!そんなつもりは無くて……」
「分かってるさ、けれど事実だからね。キミは全て覚えてるんだ。……忘れた者として、どんな言葉でも甘んじて受けるつもりだよ」
とっさにアルスがどう受け取ったのかを理解したロニエは彼が受け取ったであろう言葉の意味を否定するが、彼はそれを理解した上で笑いかけ、そのままの意味で捉え、受け止める。
それこそが自分の役目。
忘れてしまった者として忘れられてしまった者への唯一の贖罪になる。そんな考えをアルスがしているのを彼女は見抜いていた。
「……違う……違いますっ!!!」
彼女は彼の考えそのものを否定する。
「えっと、俺。何かやっちゃったか?」
「・・・先輩の考えてる事くらい解ります……。記憶を無くしてもその辺は変わらないですね……」
かつての専用寮の彼の寝起きする暖かい部屋。
そこでもロニエとアルスは何度も何度も言葉を交わした。
その度に彼女は彼の鈍感さやマイナス方向への勘違い癖に頭を抱えていた。
彼の掛けてくれた言葉が嬉しくて、頭を撫でてくれる彼の手の温もりが堪らなく好きで……つい顔が熱くなってしまった時も、彼はいつも慌てた様にオロオロして彼女の顔色を伺う事があった。
ロニエは何と無く、『もしかして怒らせたのかな?』的な思考をアルスが巡らせている事に勘づいていた。
でも、そんな勘違いをする当たりも彼らしくて。
記憶を失ってもそこが変わらなかったことに同時に安堵もしていた。
けれど、そんな変わらぬ彼を見て、この半年間の間に溜まり続けていた不安。自分達の行動が彼らを死線へと追いやってしまったのではないかと怯え続けたあの2ヶ月間の日々。
戦場に向かえば彼と再会できる。そんな確信にしたがって行動しても確かに存在していた懐疑的な思い。
それらがロニエの中で弾け掛けていた。
「ずっと……お会いしたかった……もう一度、貴方の声が聞きたかったんです……アルス先輩……!」
「……ああ」
アルスは言葉を紡ぐ事を一時的に放棄する。
彼女への罪悪感が消えたとかそんなんじゃない。
ただ、今は彼女の中に燻っている物を全て受け止める。
彼は記憶を失い、キリトやユージオ、セルカとアリスとの関係を教えられてから心の片隅でずっと考えていた。
彼ら以外のかつて友であったり親しい仲であった人々と出会った時。自分は何をするべきなのか。記憶がない自分に何ができるのか。
……果たして、記憶のない自分をかつての自分と同じように向かえてくれるのだろうか、と考えた事もあった。
「先輩……先輩っ、先輩!!」
だが、そんな不安にも似た考えは杞憂であった事を彼は知った。
目の前でとうとうその瞳から涙を零し始めた少女を見て、記憶を無くした自分をかつてと変わらず、『先輩』と呼ぶ。呼んでくれる後輩を見て、アルスは考える。
記憶を無くした
そんな考えを記憶を喪失してから実に半年経った今。思い至ったのだ。
彼は自身を嫌悪した。
寧ろ、その不安は記憶がない自分よりも、記憶を持っている彼ら、彼女らの方が辛かった筈なのだ。
数日前まで一緒に笑い合っていた人がいて、その人物が唐突に記憶を失ったとして、自分を忘れ、すっかり態度が別人の様に変わってしまった時。自分はいつもと変わらず、その人物と接し、日々を過ごせるだろうか?不安や悲しみを見せずに笑えるだろうか?
……無理だ。
アルスは静かに考える。
全てを忘れた自分をこれまでと変わらず友として過ごしてくれたあの4人がいかに強かったのか。どれほど自分を支えてくれていたのか……。
「うっ……うう……」
記憶を無くした自分をかつての自分と同じく先輩と呼ぶ、たった今。そんな残酷な事実を知ってもなお、涙を抑えようと力み、声を堪えようと嗚咽を零す少女がいかに強い心を持っているのかを。
嗚咽を零す少女の手を引き、彼はその頭を撫でる。
「先……輩……?」
「ごめん」
彼はそれ以上の言葉を紡がない。
たった今、アルス自身が出した結論を言葉に乗せて謝罪するのは簡単だ。きっとそれは彼の胸に刺さる罪悪感をきっと綺麗に抜き取ってくれるだろう。
優しい彼女もきっとその結論を否定する。
そんな確信があるから彼は言葉を紡がなかった。
それは甘えだ。
これまで彼の胸に刺さる罪悪感以上に鋭い痛みを孕んだ不安に打ち勝ち、今なお戦い続ける彼ら彼女らへの冒涜だ。
彼はそんな皆に向き合うために、対等であるために胸の痛みに向き合わねばならない。対等であるために、せめてその苦痛の1割にも満たない物であったとしても今、この痛みを受け止めなければ絶対に向き合えない。後生ずっと逃げ続ける事になる。
「もう……逃げない……!」
静かに……静かに、誰の耳にも届かぬほど小さな声で叫ぶ。
その小さな覚悟を、胸に抱く。
彼らと対等であった自分へ戻るために。
せめて彼らの痛みを知るために。
これ以上、逃げる事をしないように。
それ故に、彼は言葉を紡がなかった。
「……っ!」
ボフッと布の中にあった空気を押し出すような音と共に、ロニエがアルスに抱き着く。
きっと、溢れ出した不安が、恐怖が。今ある安堵とその他にも沢山ある様々な思いによって押し出されているのだろう。
「ずっと……ずっと……、怖かったっ!先輩達が死んでしまったらどうしよう、先輩達が……アルス先輩に何かあったらどうしよって……!」
「……ロニエ」
アルスが空いている手を彼女の背中に回し、もう片方の手で彼女の頭を撫でる。
その仕草が、この手の温もりが、体温は。
彼女がこの半年間。ずっと焦がれたもので、失いたくないものだった。あの事件から少しした後。ノーランガルス修剣学院に騎士長のベルクーリが来訪し、義勇兵を募りたいと言う旨と、アルス達が生存している事が告げられた。
いくら生存していると分かっていても、止めどない不安がそこにあった。
だが、それが今。
堰き止められたダムが決壊するかのように涙となって溢れ出す。
一方、彼は思いを馳せる。
目の前の少女にこれだけ慕われていた過去の自分。今なお慕ってくれている自分がいかに幸せ者なのか。
どれだけ周りの友人達を傷つけて来たのかを。
こんな思考をしている時のアルス。これまでの彼ならロニエを抱きとめることをせず、『資格が無いから』と言って何もしなかっただろう。
だが、今回は違う。
アルスは知ったのだ。それこそが甘えなのだ。
資格がない。これを免罪符に逃げているだけだ。
自分のした事。これからしなくてはいけない事。
それらを受け止める事こそ彼がするべき事だと知った。
「約束、しよう」
アルスが口を開く。
それに合わせて、泣き腫らし、赤くなった目を開いて、ロニエが顔を上げる。
「絶対に記憶を取り戻す。キリトも、ユージオも。アリスやセルカ。ベルクーリのおっさん、ティーゼ……カーディナル。そこにアドミニストレータやチュデルキンも入れてもいい……。そして、君を思い出すよ。自分が何をしたのか、誰とどう過ごしたのか、どんな想いを抱いて生きて来たのか……約束する。必ず思い出して見せると」
ロニエはアルスの目を見つめる。
アルスもその目から視線を逸らす事をしなかった。
彼女は思う。感じる。思い出す。
彼と交わしたいくつかの約束と約束した瞬間を。
「……ふふっ」
不意に笑みが溢れた。
半年ぶりの心からの笑み。
見ただけでそんな笑みが溢れるほどにアルスの瞳には覚悟があった。いつかの日々と同じく、心からの約束である事が見て取れた。
いつの間にかロニエの瞳からは涙が消え、代わりに懐かしい笑顔が戻っていた。
「先輩は……やっぱり先輩です」
「ん?押し問答的なアレか?」
「いえ。記憶を無くしてても、私の事が分からなくても……貴方は変わらない。私の知るアルス先輩のままでした」
彼女は彼を見上げたまま笑う。
「約束です。絶対に思い出してください。私……貴方に言いたい言葉が2つもあるんですから」
「・・・分かった」
これまでのアルスならここで空気を読まず、『言いたい言葉なら今聞くぞ?』とか言っただろう。それをしなかったあたり、多少なりとも成長したようだ。
それでも返事をするまでに考えていた時間がおかしかったのか、ロニエは悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「それに、先輩。私とこれとは別に2つも約束してる事があるんですからね?」
「え、マジ?」
「マジです。大マジです」
それを聞いた途端にアルスが冷や汗を流す。
記憶を取り戻す為のハードルがまた上がった気がした。
「ち、ちなみにどんな約束か教えて頂くわけには……」
「いきません♪」
「デスヨネ-」
笑うロニエと同じく笑みを零すアルス。
2人の間にある3つの約束。
それらが果たされる日は……近い。
「それで……その、もう少しだけ、このままでいても良いですか?」
「・・・全く、分かったよ。可愛い後輩の頼みを聞くのも先輩の務めって奴だしな。満足するまでこのままでいるかな」
さらりとそんな事を言うアルス。彼の言葉を聞いて、彼女は実感する。キリト曰く『キザ』な言動が行動や言葉の端々にあるあたり、彼の根本は何も変わってない。
記憶が無くても、変わらない。
再びこうして再開し、触れ合えた事に安心や喜びなどが湧き上がり、自然と溢れる笑みを抑える事が出来ないロニエであった。
後書き
後書きのお時間です。
寒くなって来た今日この頃。最近また、昔やってたゲームを引っ張り出してプレイしています。とあるゲームの謎解きで、『大、中、中、小、中』的なワードがあった気がするんですが、なんのゲームか思い出せず、喉にフライドチキンが引っかかったような違和感に溺れています。
はい、今回はロニエとアルスがやっと再開して、抱えて来た不安や後悔を胸に新たな約束をする。と言う旨の話でした。
序盤のアリスがカッコよすぎないか?と内心で突っ込みを入れて書いてました(笑)。
ロニエとアルス……。
アリスとアルス……。
皆さんはどちらの組み合わせが好みですか?
なんと言いますか、以前に後書きで話した『正史とIF』のアフターストーリー。こちらでやっとアルスとヒロインが結ばれるのを計画しているので、お楽しみに!
……とか言っても、今回の内容のように。去年投稿した『クリスマスのIF』を読んで下さった方々ならご存知かも知れませんが、私。恋愛描写がとてつもなく苦手でござる。
なんで、濃厚なラブシーンは期待しないで下さい……。
それでは閲覧、ありがとうございました!
p.s
キリトとのラブシーンすれすれの話をいずれ書くかもグヘヘヘ