風が吹く。一時停戦状態のこの場に微かに残る枯木を揺らす程度の風だ。しかし、その本当に小さな音は1人の青年を起こすに足りた。
「・・・寝苦しい」
ふと目がさめるには爽やかな環境であるにも関わらず、僅かに疲労を感じさせる声。声の主は静かに体を起こした。
そのままの流れで寝苦しさの元凶を発見すべく彼は周囲を見回すが、原因は自分の半径30cm内にいる2人の少女……。ロニエとアリスである事に気が付き、その行動は苦笑いに終わる。
「全く……、アリスはともかくロニエもか。風邪引くぞ」
自分の布団を体半分に、もう半身を彼の布団へと侵入させていた。長い付き合いの幼馴染であるアリスはある程度予測できても、修剣学院の後輩であるロニエまでもが同じ事するとは思わなかったのだろう。
苦笑いと共に独り言を零しながら、彼女らの布団を掛け直して青年は……アルスは誰も起こさぬように注意を払いながら静かに立ち上がる。
仲間たちが眠る天幕を自らの神器2振りをそれぞれ帯びて後にする。
「夜明け前か……」
歩き出しながら空を見上げて呟く。
彼の見上げる空で瞬く無数の星々。しかし、徐々に夜明けが近づいているのだろう。空の彼方、地平線がほんの僅かに明るい。
そんな中で彼は1つの些細な点に気が付く。
本当に些細で、取るに足らない。月の満ち欠けというある種の摂理がもたらす、いつも変わらぬ夜空にただ1つだけ現れる変化。
・・・月が無い。
いや、実際には確かにそこにある。
ただ、星の位置関係上で見えなくなっているだけ。確か、この状態を新月やら、朔とか言うんだっけ?
彼が戯れにそんな事を考えていると、自分の背中に気配を感じて振り返る。しかし、そこにいる人物はアルスが振り向ききる前に口を開いていた。
「よぉ、アルス。随分と早起きじゃねぇか」
「ベルクーリか。あんたもな」
俺はちぃとばかし寝付きが悪かっただけさ。と語るベルクーリがアルスの隣に並び立つ。彼もまた、アルスと同じように自らの神器を帯びていた。
「あんたも臨戦態勢ってか?」
「へへっ、まぁな。こんなんでも整合騎士長を張ってるもんだからよ、気ぃ抜いた姿を他の連中に見せる訳にはいかねぇってもんだ」
そう言いつつ、腰に差した時穿剣の柄に肘を置いてその形の良い顎に蓄えた無精髭を撫でる。その仕草にアルスは親父クセェな、と口にしないものの感じつつ、また空を見上げた。
それにつられるようにベルクーリも空を見る。
そして、感嘆するような唸り声を出した。
「新月、か……」
「ああ。お陰様で地上は真っ暗、その辺に括り付けられてる松明が無けりゃおっさんの顔を見えないだろうな」
「違いねぇ」
アルスの軽口に同意しつつ、彼は空のそのまた向こうを見据えて再び開口する。
「でも、縁起が良いじゃねぇか」
「・・・そうかぁ?」
力強く頷く整合騎士長を怪訝そうに見つめる公理教会最高司祭候補者。夜明け前の静まり返った戦場で月無き夜空に照らされた2人はきっと側から見ると絵になるだろう。
そんな絵画になりかねない雰囲気を醸し出していたうちの1人が何度も頷きながら少年を見て、空を見た。
「
「えっと……、確か朔日だったか?」
「そうだ。新月ってのは朔とも言ってな、その瞬間を含む日を朔日と言うんだ」
「へぇ。なんか、流石というか意外と言うべきか……。伊達に100年以上生きてないんだな」
「まぁ、この道云百年のベテランとは言ってもずっと四六時中戦いっぱなしじゃねぇからな。嫌でも身につくというか何というか」
まるで旧友と語り明かすように他愛ない口調で、笑みを浮かべながら2人は何気ない雑談を交わす。
「んで、何だって新月が縁起が良いんだ?ぶっちゃけ月が無い=ツキがない。運がないって解釈もできると思うが」
「若けぇなアルス。そう目の前にあるモンをそのまま受け取ってるようじゃな」
「若いさ、まだ19だもの」
「19か……、確かに若いよな。すまねぇ、本来はお前もまだ戦場に出るには……」
「その話はもう止めだ。俺は覚悟をして来た。何度も自問自答やら周りの連中との違いを見せつけられて、考えて、見せつけられた分だけ守ららて、助けられた。だから、俺は自分の覚悟を見せつけるためにここにいる」
「そうか……、分かった。お前を後継にと考えてた癖にまだ弱気な部分がありやがる」
「それだけ俺たちの未来を、命って奴を大切に見てるって事だろ。ほら、そんなことより縁起が良い訳を聞かせてくれよ」
「おう、任せとけ」
少し苦くなっていたベルクーリに笑みが戻る。
彼とアルスの間を風が通り過ぎて行く。
「月の満ち欠けってのは、時代の流れに似てると思わねぇか?」
「・・・いや、考えたこともなかったな」
「どんな時代にも流れがあるのさ。時代の始まり、絶頂期、そして衰退。どんなに栄えた時代にも始まりってのはあるし、もっとも豊かだった瞬間もある。んで、いつかは終わるのさ。俺はそれを実際に見てきた」
俺はそれを実際に見てきた。
この短い言葉の中にどれだけの重みがあるのだろう。未だに央都。延いては人界の歴史に疎いアルスには想像も付かない。
だから、彼は躊躇った。
自身の偉大な先達。彼の言葉にどれほどの重みがあるのかは分からない。けれど、少年がおいそれと口を開くことが出来ない程の重さは伝わっていた。
口にするのは野暮な疑問。それがアルスの中に燻る。
しかし、最古の騎士はそれを見透かしたように豪快に笑ってアルスに語りかける。
「アルス。言いたいことがあるなら言ってみな、その方が俺も独り言じゃないって気になる。何より、お前はまだ若いんだ。なら疑問を疑問のままにすんな。聞けるうちに周りを頼って聞いてみろよ」
「分かった……。んじゃ、質問。時代の流れが月の満ち欠けに似てる。その話はなんとなく分かった。でも、やっぱり運が良いなんて思えない……。だってあんたの話だと新月って。時代の終わりを意味してるじゃないか」
素直に思ったことを口にする。
アルスの疑問を聞いたベルクーリはそれも予想していたように、再び豪快に笑い、アルスの髪をくしゃくしゃに撫でた。
「わっ……、何すんだよ!?」
「アルスよぉ。もっとも前向きに行こうぜ?確かに月ってのは満月の後はどんどんかけて行き、新月が訪れて夜空から消えちまう。だがな、新月の後はまた月が出てくるじゃねぇか」
擬音にするなら、くしゃくしゃ。から、わっしわっし。と髪ではなく、完全に頭を撫で始めたベルクーリ。しかし、アルスは他人に頭を撫でられると言う行為自体が新鮮で。何となく抵抗を止めてそこ新鮮さを楽しみ始めた。
月咬も俺に撫でられてる時はこんな気分なのかなー、とぼんやり考えながら。
「いいか、確かに新月は空に浮かぶお月さんを消しちまうかもしれねぇが、その後には必ず新しい月が出てくる……、いや、産まれるって言った方が格好いいな」
「・・・だから、月は時代に似てる。か……」
「おうとも。新月によって産まれた
松明に照らされた2人。
地平線の彼方から少しずつ朝日が溢れ、長い影を作り出す。
「だから新月は縁起が良いって思ったんだ。今日の新月で人界とダークテリトリー。人同士が血を流す血みどろの時代が終わって、明日からの月で新しい時代が始まんだ。戦争は今日で終わらせる。……まぁ、願掛けだな」
最後に苦笑を見せたベルクーリ。
だが、彼の想いはその場にいた少年に正しく伝わった。
自分の覚悟、この戦争の先に何を見るのか。この新月が明けた後の新しい時代で何を成すのか。それを問い掛け、確実なものにするかのように彼は折れてしまった自分の愛剣を鞘から引き抜き、昇る朝日に掲げる。
水晶質な黒い藍色の剣は半ばから失った刀身。その歪み、破れた部分から光を取り入れ、内部で光を屈折させながら、光を放つ。アルスはそれを見て、剣の声を聞いた気がした。
キリトの持つ夜空の剣以上に透き通ったその色は今なお2人の頭上に静かに鎮座する新月の色を思わせる物だった。
「ベルクーリ、ちょっと付き合ってくれないか?」
アルスはそう言いながら、黒藍の死剣を振ってみせる。
半ばから失われた刀身をまるで補うように破断面から取り込まれた光が放たれる。
「おいおい、良いのかよ。その剣折れてるぜ?」
「良いんだよ、何よりコイツがまた戦いたいって言ってる。そんな気がするんだ」
そうだよな、俺の剣は勝利の白剣だけじゃない。お前も俺の剣なんだ。こんな姿になっても俺と一緒に戦ってくれるんだよな。アルスは呟きながら自らの剣を撫でる。
それを見たベルクーリはどこか安心した様な、暖かい笑みを浮かべて時穿剣を構えてみせる。
「分かった。軽くで良いなら付き合うぜ」
「サンキュー、よろしく頼むわ」
アルスもベルクーリと対面し、剣を握る手に力を込める。
その瞳にはいつかの様な渇望する何かを感じない。だが、覚悟を。強い意志を感じる。
最古の騎士は剣を大上段に構え、刀身に黄色の混じった白の光を灯す。
対面する剣士は剣を下段に構え、刀身に黒い藍色の光を纏わせる。
少年の剣に宿ったその光はまるで夜空か、その中に微かに紛れる新月の様な見事な黒い藍色で——。
2人の剣が音を立てて交わった瞬間。
混じり合った2人の心意は……。
新月と月明かりの様に見えた。
後書き
皆さんお久しぶりです!
この度、1ヶ月にも及ぶ本社での研修が終わって地元に帰ってきました!これで投稿ペースは戻る……筈です。
今回はベルクーリとアルスの絡みですね。
何となく自分で書いてて、アルスは男キャラと絡むことが多いよな。と思いました。けっして必須タグが必要な事案にはしませんので悪しからず。
今回は何となく3人称視点で書いてみました。
うまく書けてたでしょうか……?
3人称視点になると、『しかし』とか『けれど』とか『だが』を多用してしまう癖があるので治さないとと思いました。
閲覧ありがとうございました。
お待ち頂いた読者様。私。復活しました。
……多分。