その愚者は誰がために 作:夢泉
「アルザーノ帝国魔術学院……」
その学院に訪れた女性は、一人呟いた。
広がる広大な土地と、聳え立つ巨大な建造物。
アルザーノ帝国魔術学院。
およそ400年前に創立された国営魔術師育成専門学校。
「こんなに近くに来たことは無かったわね……」
女性は、乗ってきた馬車から降りつつ、辺りを見回す。
その身に繕ったドレス。学院という場に配慮したのか、色合いは穏やかだ。されど、彼女の雰囲気と相まって、形容しがたいほどに美しい。
その堂々たる佇まいは、気高く、強く、そして美しい。立ち姿だけでも、彼女が只者でないことがわかる。
そして、何より目を引くのは、彼女のその顔。まさしく、美女という言葉が相応しい。とても、とても美しい顔立ちをしている。
「ここが羨ましかった……『力』が羨ましかった……」
彼女は目を閉じて、過ぎ去りし日々を思い出す。
「何より、彼ともっと一緒にいたかった……」
長い月日を経た今でも色褪せぬ、幼き頃の、とある思い出。それは彼女にとって最も楽しかった日々。ある少年と共に過ごしたその日々は、彼女にとってかけがえのない日々。
それは、恋、と言うには余りに無知で幼いものであったけれど、それでもきっと、あれが彼女にとっての初恋。
「グレン……」
彼女は学院の巨大な校舎を見上げ、思い出のなかの、その少年の名前を呟いた。
「まずいッ…!?このままではまずいッッ……!」
アルザーノ帝国魔術学院の魔術講師、グレン=レーダスは、いつになく必死な形相で悩んでいた。
いつもの彼からは想像できないほどに真剣で、彼がいかに追い詰められているかがわかる。
「くそッ…!奴が来るッ…!押さえきれねぇッ!」
彼は万策尽きた、というように、地に膝を突き、拳を突き立て咆哮する。
「くっそがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
ぐうぅぅ。
彼の咆哮と同時に響く妙な音。
その音は、彼の
「・・・さて、どうしたもんかねぇ」
毎度のことながら、減給に減給を重ねられ、セリカ=アルフォネアとの賭けでは敗けを重ねて、現在グレンの財布はすっからかんなのである。
朝昼抜きでなんとかするつもりが、今日は不幸にも、一日中授業が詰まっていて休みが無かった。朝食を抜いた状態では午前の授業だけで限界であり、とても午後の授業をするなど無理な話だったのである。
そんな訳で、彼は生死の境を彷徨う危機に直面していたのである。
そんな彼のもとに・・・
「先生、お弁当一緒に食べませんか?私とシスティで作ったんですけど、三人では食べきれないくらい作ってしまって…」
声をかけてきた、
「え…?」
訳がわからず、茫然とするグレン。
「か、勘違いしないでね!午後の授業で倒れられたら私たちが迷惑するから、ちょっと作りすぎたお弁当を分けてあげるだけなんだからね!」
別にグレンのために作ったわけではないと言い張るシスティーナ。しかしその顔は真っ赤に染まっていた。
「ぁ…ぁ、ぁ…」
グレンには目の前の教え子三人が輝いて見えた。それはどこまでも神々しく、慈愛に満ちていて・・・彼は神に救いを与えられた咎人のように、膝を突いたまま、目に涙を浮かべて、口を震わせる。
「自信作なんだよね!システィ!」
「ちょ、ルミア、余計なこと言わないで!」
「ん、大丈夫。美味しかった」
「あはは…食べちゃったんだね」
「…ごめん。でも、大丈夫。少しだけだから」
そんな少女三人の会話の傍らで、
「天使だ、天使がいる…」
涙を流し、頭を垂れる男、グレン。
「それで!食べるんですか?食べないんですか?」
システィーナが相変わらず顔を真っ赤にして、怒った調子で尋ねる。
「食べます!食べます!是非とも食べさせてください!頼む!この通りだ!」
その問いに、直ぐ様見事な土下座をするグレン。
「ちょ、先生、顔をあげてください!」
そんなやり取りを見て、
「我らがルミアちゃんの作ったお弁当を一緒に食べる、だと・・・?」
「くっそぉぉぉぉッ!」
「しかも、リィエルちゃんとシスティーナまで…?」
「なんなんだアイツは!」
「これはかねてより計画していたグレン=レーダス暗殺計画を実行すべきなのでは!?」
と、男子生徒達が涙を流し、憤激し、物騒な計画を実行しようとしていた。
それは、ある平和な昼下がり。とても和やかで、穏やかな、美しい一日。
・・・その声が響くまでは。
「グレン=レーダス、貴様ぁッ!? 今度は一体何をやらかしたぁーーーーーーーーーーッ!?」
「げっ!ランゲルハンス先生!?」
「貴様、『ハ』をつければいいとでも思ってるんじゃないだろうな!?言いにくく無いのかそれは!?それよりも貴様、あれはどういうことだッ‼」
「今回こそは何も心当たりが無いんですが!?」
「ふざけるな!何も無くて、あんな人物がお前を訪ねて来るわけないだろうがッ!」
「ちょ、ほんとに何のことですか!?…ハー何とか先生!?」
「自分の胸に手を当てて考えろッ!私はもう知らんぞッ!」
そう言い捨てて、足早に、逃げるように去っていくハーレイ。
「えぇ――…?どういうこと―…?」
何が何だかわからず戸惑うグレン。
「先生、今度は一体何をしたんですか…?」
「わからねぇ…さっぱりわからねぇ…リィエルも何もしてねぇよな?」
「ん、してない」
「まぁ先生のことだから、きっとロクでもないことだわ」
そんなやり取りをしつつ、一体どうすればいいのかと考えを巡らすが、原因がわからない以上、対策もなにもあったものでは無い。完全に詰んでいる。訳はわからないままだが、自分にとんでもないことが起こることだけはわかった。
どこに逃げようかと、本気で考えていると・・・
「グレン…?」
グレンの後方から、女性の声が聞こえた。
「えーっと…ど、どちら様でございますか?」
この女性がハー何とか先生の言っていた人物であろう。しかし、グレンは彼女を知らない。
だが、面識がなければこのようなことにはならないはず・・・
グレンは混乱しながらも、恐る恐る尋ねる。
「・・・・・・」
女性はなにも言わず、グレンの方へ歩いてくる。
(しっかし…綺麗だな……)
グレンは女性のその容姿に、彼女が繕うその空気に見とれていた。先程までの慌てぶりなど全て忘れて。それほどまでに女性は美しかった。
美人などセリカで見慣れていると思っていた。が、彼女はセリカとはまた少し違う美しさで・・・
こんな女性が死神なら満足だな。そんな場違いなことをグレンが考えていると、
「グレンッ!久しぶりッ!」
突然、グレンの目の前に女性の顔が近づき、いい匂いがして、体に軽い衝撃が来て・・・
「な…!?」
グレンは女性に抱きつかれていた。
「グレンッ!…グスッ…会いたかったッ!」
女性はグレンに体を預けたまま、胸に顔を埋めて、泣き出してしまった。
「「「は…!?」」」
それを見て、
「「「はあぁぁぁーーーーーーーーッ!?」」」
生徒達の驚愕の声が響き渡った。
「あんた、誰、だよ…?」
どこかで会ったような気もする。だけど、これ程の美人と関わった記憶ならもっと鮮明に覚えているはず・・・
「忘れ、ちゃったの…?」
グレンの胸から顔を離し、上目使いで悲しげに聞いてくる女性。
「ぐっ………すまん…」
とてつもない美人がそれをするだけに破壊力抜群で、グレンは直視できずに顔を逸らしつつ答える。しかし、思い出せない後ろめたさから言葉に詰まる。
「いいよ。もうずっと昔のことだからね」
女性は一旦グレンから離れて言ったあと、顔をグレンの顔に近づけて、耳もとで、
「今日の勝利を、あの日の小さな『正義の魔法使い』君に捧げます…」
と囁いた。
グレンはその言葉を知っている。つい先日、耳にしたばかりだ。セリカが新聞の記事のその言葉を読み上げてくれた。それを言っていたのは…
「……まさか、お前……ニーナ、か……?」
その言葉を聞いた女性は満面の笑みを浮かべて言った。
「そうよ。ニーナ=ウィーナス。…久しぶり、グレン」
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