【完結】僕のヒーローアカデミア・アナザー 空我   作:たあたん

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EPISODE 28. ストレイボーイ 2/3

 

 桃色の、悪夢。

 

 言うなれば、そんな時間だった――ショーケースの狭間をふらふら歩きながら、心底から出久はそう思った。

 

 まず三人の美女によって女性用水着コーナーへ連れ込まれ、大量の水着――派手なものもたくさんある――とそれを物色する女性たちの渦に取り囲まれる羽目になった。もうそれだけでも恥ずかしいやら居心地が悪いやらで居たたまれないというのに、さらには試着室の前で長らく待たされることに。

 

 言うまでもなく、出久だって健全な男だ。他人より控えめに振る舞っているだけで、異性への興味はちゃんとある。だからこそ耐えがたいのだ。薄い布一枚隔てた向こう側で服を脱ぎ、水着に着替えるプロセスを、リアルタイムで想像せざるをえないから。

 

(やだなぁ……。変態みたいじゃないか、僕……)

 

 一瞬、お茶子の開いてくれた誕生日会で知り合い、いまも時折連絡を取りあっている小柄な葡萄頭のヒーローの顔が浮かんだが、流石に失礼かと思いすぐに打ち消した。お茶子はじめ同級生たちが知れば、比べるのは自分自身に失礼だと擁護してくれることだろうが。

 出久の目が濁りぎみであることに気づいてか、隣を歩く桜子が声をかけてきた。

 

「ごめんね出久くん、久しぶりに私も悪ノリしちゃった」

 

 謝罪のことばとは裏腹に、その表情から罪悪感は微塵も感じられない。もしもまったく同じシチュエーションが今後訪れれば、悪びれることなくもう一度同じことをやるのではなかろうか。

 

「やっぱりね、年下のコのノリって憧れちゃうっていうか、つい引きずられちゃうのよ。自分まで若返った気になって」

「若返るって……三つしか違わないでしょ、僕らと」

「三つは大きいよ!来年にはアラサーになっちゃうんだよ、私」

「でも仲良くできてるじゃない。僕だけじゃなく、麗日さんたちとも」

 

 桜子が海水浴に行くことになったのだって、もとはと言えばお茶子が誘ったからだ。自分の頭越しにすっかり仲良くなってくれたなぁ、と、出久は心底感心したものだ。自分に対する想いが彼女らの絆を結んだと知ったら、一体どんな顔をするのだろうか。

 

「水着のことはともかく……今度の海水浴、ほんとに楽しみにしてるんだ、僕。――だから嬉しいな、沢渡さんも来てくれることになって」

「!、出久くん……」

 

 ふつうなら口説きともとれるひと言に、桜子は胸が高鳴るのを感じていた。彼がここまで率直に自分から所感を述べてくれるのは珍しいことで。ただ、クウガになって……特に幼なじみと通じあうようになってからは、以前に比べて耳にすることも増えた気がする。やはり己のアイデンティティー、その土台が確固たるものとなったことは大きいのだろう。――その一種の積極性が男女の関係にまで及ぶかは、まだ別の話であるようだが。

 

「で、でもあれだねっ、心操くんもさ、来られたらよかったのにね」

 

 友情以上の意味はないとわかっている桜子は、もうひとり、出久の大学での友人の名前を口にした。お茶子が自分に声をかけてきたように、出久は心操を誘っていたのだ。意外や断られてしまったそうだが。

 

「まぁ、しょうがないよ。色々と忙しいみたいだし……僕もほんとはそうしなきゃなんだけど」

「出久くんの場合は特殊だもん。誰よりも立派なことやってるんだし、いまはそっちに集中!でしょ?」

「ハハ……まあね」

 

 桜子の言うとおり、自分はそこまで器用な人間ではない。皆の笑顔を守る――そのために全力を尽くすのだと、出久は改めて自身の右手に誓った。

 

 と、少し前を八百万と雑談しながら歩いていたお茶子が、くるりとこちらを振り返った。

 

「ねーデクくん!」

「へっ!?な、なんでしょう?」

「私たち的には大体買いそろえた感じだと思うんだけど、デクくんはあと何かほしいものある?」

「うーん、たぶん大丈夫だとは思うけど……」

 

 そう答えながら、周囲をきょろきょろと見回したのはほとんど反射的なものだった。そのままお茶子たちに視線を戻して「特にないかな」と明言するのが規定の流れであったはずだ。

 

――出久の瞳が、ショーケースの前に立ち尽くすひとりの少年を捉えなければ。

 

(あの子……?)

 

 年の頃は小学校高学年くらいだろうか。しかし雰囲気としてはそれ以上に大人びている……というより、陰のある感じだ。シンプルながら仕立てのいい服装とは不釣り合いな角つきの赤い帽子、そこからわずかに覗く吊り上がった瞳は、やはり言い知れぬ何かを抱え込んでいるように見えた。

 

 小学生だって夏休み真っ盛りのこの時期、少年がひとりショッピングモールにいるからといっておかしいと断じることはできない。だが出久は、どうにもその少年の様子が気にかかってしまった。ただ陰があるからというだけではない、妙に周囲を警戒しているように見えるのは穿ちすぎだろうか。

 

 出久がさりげなくじっと様子を窺っていると、少年は落ち着かない様子で商品に手を伸ばした。それを拳で覆うようにしながら引っ込め――

 

――肩から提げたカバンの中に、突っ込んだ。

 

「!」

「デクくん……?」

 

 少年の存在自体に気づいていないお茶子たちが訝しげな表情を浮かべる中、出久は一歩を踏み出した。少しずつ歩を速め、確実に距離を詰めていく。

 少年がはっと顔を上げたときにはもう、出久は手を伸ばせば届く距離にまで迫っていた。

 

「――ッ、」

 

 慌てて逃げ出そうとする少年、だがもう遅い。出久の左手が、彼の手首をがっちり掴んでいた。

 

「きみ、いまカバンに何入れたの?」

「ッ、知らねぇよ!放せよ……ッ!」

 

 しらを切りながら、身を捩って逃げようとする少年。しかし出久の握力は見かけによらず強く、びくともしない。

 そうこうしているうちに、女子たちが駆け寄ってきた。

 

「どうしたの、出久くん?」

「!、その子……」

「……どこかでお見かけしたことがありますわね」

 

 お茶子と八百万には、その少年に見覚えがあるようだった。しかしそれを深掘りするのはあとだ、出久は躊躇うことなく彼女らに自分が見たものを報告した。

 

 それを聞くや、厳しい表情を浮かべた八百万が少年に迫り、

 

「失礼いたしますわ」

 

 少年が抵抗するのも構わず、ファスナーの開いたカバンの中に手を突っ込む八百万。やがてその手が引き上げたのは、ありふれた百円ライターだった。

 

「こちらの商品、ですわね」

 

 ショーケースにあるものと見比べ、断言する八百万。一同の表情がにわかに険しくなる。――万引き。

 

「なんでこんなこと……万引きは犯罪なんだよ、わかってるのか!?」

 

 出久の叱責に、たじろぐどころかキッと睨み返す少年。その鬼気迫るまでの瞳の鋭さは、少なくともこれが面白半分の行為ではないことを如実に示していて。

 出久が思わず息を呑んだとき、既にこちらに向かっていた飯田が騒ぎを聞きつけてやってきた。

 

「どうしたんだ一体?――ムッ、きみは……!」

 

 

「もしや……洸汰くんか!?」

「!」

 

 洸汰くん――その名を聞いた途端、お茶子と八百万がはっとした表情を浮かべた。やはり顔見知りらしいが……つまりは、彼ら雄英出身者とどこかで出会ったということだろうか。交流が続いていたわけでないことは、互いの言動をみれば明らかだったが。

 

「うそ、洸汰くん……!?なんできみが、万引きなんか――!」

「ッ、うるせぇ!!どいつもこいつもッ、ヒーロー面してんじゃねえよ!!」

 

 怒鳴り散らして青年たちを威圧するや、洸汰少年は自由なままの左手を出久の顔面に突き出した。

 

「え、――んぶッ!!?」

 

 出水洸汰――個性"水の発生"。手から水を放出する、極めてシンプルな個性である。

 しかし噴水のような激しいそれに、不意を突かれた形の出久は堪らず怯んだ。よろけ、洸汰の右手首を掴んでいた力も緩んでしまう。振り払われる――それだけにはとどまらなかった。

 

「死ね!!」

「――ッ!?」

 

 振り上げられた膝が……出久の股間に、突き刺さった。全身に痺れるような衝撃が奔り、遅れて鈍くも強烈な痛みがじわじわ広がっていく。

 

「お゛……お゛オオ………ッ」

「みッ、緑谷くんの陰嚢!!」

 

 悶絶する出久を抱きかかえ、堪らず叫ぶ飯田。流石に公共の場でその発言はどうなんだろう――もちろん出久の心配はしつつも 、正直蚊帳の外になってしまっている桜子は冷静に思った。

 

「な、なんてことをするんだ洸汰くん……!万引きといいッ、犯罪にまで手を染めるほど、きみは道を踏み外してしまったのか!?」

「……ッ、ふざ……けんな……!」

 

 飯田にも殺気すらこもった瞳を向ける洸汰。しかしわずかな揺らめきが宿ったのを、痛みのせいで朦朧としている出久は捉えてしまった。

 

「あんた、未確認の捜査本部にいんだろ!あんたらがチンタラしてっから……!」

「なに……?」

「!、――ッ、なんでもねえ、死ね!!」

 

 はっとした様子で慌てて罵倒のことばに切り替えると、洸汰は再び手をかざした。反射的に身構える飯田。しかし彼の狙いはショーケースだった。激しい噴水に襲いかかられ、比較的軽い商品の群れが床に押しやられていく。

 

「ああ……!」

 

 ぐずぐずになった商品を前に絶句する青年たちを尻目に、洸汰は脱兎のごとく逃げ出す。子供の悪戯というには過ぎた行為の数々、プロヒーローがこのまま見逃すわけにはいかなかった。

 

「待て……くっ!皆、すまないが緑谷くんのことと……あと店員さんへの状況説明を頼む!俺は彼を追う!」

「う、うん、任せといて!」

 

 無意識なのか遠ざかっていく洸汰に手を伸ばす出久を女子に託し、プロヒーロー・インゲニウムは走り出した。

 

 

 こんなはずではなかった。頭を抱えたい思いで、出水洸汰もまた走っていた。万引きの瞬間を目撃されてしまうだけならまだわかる、まさかその目撃者の連れ合いが、以前顔を合わせたことのある雄英出身のヒーローたちであったなどと。自分には疫病神か何かついているのではないか――神の存在など信じていないのにそれだけは真剣に考えてしまって、洸汰は自嘲しそうになった。

 ともあれ、いまは「待てー!!」とうるさいインゲニウムを撒くことだ。ひとまずエレベーターに乗って一階にまで降りることには成功したのだが、こうして追いつかれてしまった。元々いたのは三階だったから、彼のスピードをもってすればそれが可能だったということだろう。まったく大した個性である。だから、腹が立つ。

 

――まだだ、まだ捕まるわけにはいかないのだ。

 一計を案じた洸汰少年は、いっそとばかりにその場に立ち止まった。胸いっぱいに酸素を取り込み、

 

 

「ヒーローのインゲニウムがいるぞぉぉぉ!!」

 

 叫んだ。ヒーローがいる、とのことばに、老若男女問わず買い物客たちの視線が集中する。ましてインゲニウムは若手ヒーローの中でも知名度がある。気づかれればあっという間に囲まれてしまうのだった。

 

「インゲニウム、本物だ!」

「握手してください!」

「サイン!」

「あ、いや、いまはそれどころでは……」

「雄英体育祭で一目惚れしました、結婚を前提にお付き合いしてください!」

「いや、ですから……えぇっ!?」

 

 個性豊かな群衆は、ある意味では未確認生命体より厄介だった。だとしても悪気はない彼ら相手に、強引に突破を図れるほど飯田は割り切った性格はしていない。仲間には個性で吹っ飛ばしそうな者が約一名いるが。

 飯田が彼らの対応に四苦八苦しているうちに、洸汰は全速力で駆け逃げていく。出口から飛び出すと、そのまま目の前にある地下鉄の階段を駆け下りていく。改札を通り抜け、構内へ――ちょうど来ていた電車に飛び乗れば、ほとんど同時に扉が閉まった。これでもう捕捉されることはないだろう、一転、今度はついていると思った。

 

「……ハッ」

 

 思わず空疎な笑みが漏れる。――意識せずともどんどん愚かになっている。望んだ、とおりに。

 

(パパ……ママ………)

 

 そんな自分が、彼らを呼ぶ資格などない。だから口にすることなく胸の奥に押し込め、緩慢に振り返る。

 

 

 そして、心臓が止まりそうになった。

 

 そこに立っていたのは、タンクトップに迷彩柄のズボンといういでたちの、筋骨隆々の大男だった。彼はじろりと洸汰を睨めつけると、既に動き出している電車内をさらに揺らしながら歩き去っていく。もっと混雑していたら迷惑千万だったろう――そんなことも考えられないくらい、洸汰は怯えていた。

 

 だってその風貌も、血の通っていない冷たい瞳も、あまりによく似ていたのだ。

 

 

――両親を殺した、あの男に。

 

 

 

 

 

「ウォーターホースの……息子さん?」

 

 自身の"男"に受けた甚大なダメージからどうにか立ち直った出久は、お茶子たちからかの少年の意外な出自を聞いて呆気にとられていた。

 

「緑谷さんは、ウォーターホースのことはご存じですの?」

「う、うん、もちろん!夫婦で活動してた水を操る個性をもつヒーローだよね。でも確か、七年前………」

「……うん。"マスキュラー"って凶悪なヴィランから市民を守ろうとして、亡くなったんだ」

 

 殉職。自分の命を捨ててまで無辜の民を守った彼らの行動は、ヒーローとしてはこのうえなく素晴らしいものだった。彼らの死は多くの人々に悼まれ、また称えられてきた。七年が経ち、間に敵連合の起こした一連の事件を挟んでいる以上、それも風化しつつあるというのが現実ではあるが。

 だが称賛からも風化からも、置き去りになってしまっている者がひとり、いた。当時まだ3歳だった、彼らの遺児だ。

 

 それが、出水洸汰だった。

 

「あの子……その洸汰くんとは、雄英の行事か何かで知りあったの?」

 

 やはりかの少年のことは気にかかるのだろう、桜子が質問する。雄英出身者の三人と揃って面識があり、それもそう最近のできごとでない様子ということは、それしかあるまい。

 

「……はい」お茶子がうなずく。「洸汰くんと出会ったんは……一年生の、林間合宿のときでした」

 

 夏期休暇期間に実施される、雄英高校の林間合宿――ヒーロー仮免許試験に備えて実施されたそれには、教師陣だけでなく外部からもプロヒーローが招聘された。

 "ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ"――個人ではなく、四名のプロヒーローからなるヒーローチーム。洸汰は両親の死後、そのメンバーのひとりである"マンダレイ"(ウォーターホースの従妹なのだそうだ)に引き取られた。当時まだ5歳だった洸汰はひとりで留守番しているわけにもいかず、マンダレイに連れてこられていたのだ。

 ヒーローを両親にもち、その死後もヒーローに育てられている少年――そんな身の上でありながら、

 

 

 洸汰は、ヒーローが嫌いだった。

 

「どうして……?」

「……憶測やけど、やっぱり、"置いていかれた"からやないかな」

「世の中にヒーローは大勢いますけれど、あの子のご両親は世界にふたりしかいらっしゃらない。……まだ甘えたい盛りの幼子に受け入れられることではなかったんですわ、きっと」

 

 憶測、のひと言とは裏腹に、ふたりのそれはまるで見てきたかのような説得力をもっていた。

 

(ヒーローが……嫌い………)

 

 昔の自分ならきっと、理解できなかった。でもいまなら、ほんの少しだけわかる。夢をあきらめてすぐの頃は、まぶしい彼らの姿に自分のみじめさを嘲われているようで、ヒーローにかかわるものすべてから目を背けていたから。

 無論自分などと、両親を喪った洸汰を一緒にしてはいけない。その悲哀と絶望はきっと、味わった本人にしかわからない。

 

 出久がじっと噛みしめていると、飯田が戻ってきた。どこかくたびれた様子で。

 

「ハァ……も、戻ったぞ……」

「飯田くん……洸汰くんは?」

「……すまない、取り逃がしてしまった。彼のひと声で俺がインゲニウムだと周囲に気づかれてしまってね……」

「それは……災難でしたわね」

 

 有名プロヒーローがいるとなれば、それはもうとんだ騒ぎになっただろう。容易に想像できる。八百万はともかく、お茶子などは自分ではそこまでにはならないだろうと思ってちょっぴり嫉妬も覚えていたのだが。

 

「わたくしたちもそちらをお手伝いするべきでしたわね……」

「ああ……だが、あまり騒ぎを大きくして注目を浴びるのも彼に酷だった。仕方ない、俺の落ち度だ」

 

 「それより」と、続ける。

 

「緑谷くん、蹴られた箇所は大丈夫か?」

「へ?あ、う、うん、もう大丈夫!」

「そうか、よかった!万が一生殖機能に悪影響があったら大変だからな」

「ア、ハハハハ………」

 

 引き気味に笑う出久。桜子はやはり「そんなはっきり言う?」と首を傾げていた、無論他の客には聞こえないよう配慮しているようだが。お茶子はというとなぜか「ホントだよ!」と憤慨している……頬を赤くしながら。

 

「ま、まあ、それは置いといて……。私、爆豪くんに連絡してみようと思うんだけど、どうかな?」

「え、かっちゃんに……?どうして?」

 

 訝しがる出久と桜子。それに対し、やはり「それがいい」とうなずく雄英組。

 

「爆豪くんはあのとき、随分彼を気に掛けていたようだったからな!」

「え、かっちゃんが……?」

 

 冗談だろう、と一瞬決めつけかけて――ありえないことではないと思い直した。爆豪勝己という人間は少なくとも、雄英に入ってからはそういう生き方をしていたようだったから。

 

「ふたりとも知ってると思うけど、その林間合宿で私たち、ヴィランの襲撃を受けたんよ」

 

 知っている。それがオールマイトの最後の事件(ラストケース)となる、"神野の悪夢"に繋がったのだから。

 

「そのヴィランの中には、ウォーターホースの……洸汰くんの両親の仇であるマスキュラーもいた」

「!、そんな、まさか……」

「ええ。わたくし達とは離れていた洸汰さんが、襲われて……あわやというところを救けたのが、爆豪さんでしたの」

 

 怯える洸汰を背に、不敵な笑みを浮かべてマスキュラーに立ち向かう勝己――そんな場景が、まるでその場にいたかのように脳裏に浮かぶ。

 

(かっちゃん………)

 

 脳内で繰り広げられる戦いに浸っていた出久は、お茶子の「もしもし爆豪くん?」という声に現実に引き戻された。

 

「仕事中?ごめんね突然……うん、実はね――」

 

 

「あ?あのガキが?」

 

 ことの経緯を伝え聞いた勝己の声には、確かに驚きが乗っていた。だがそれは、その名を久方ぶりに聞いたことによるものではなかった。

 

「……実はさっき、そいつが家出したとかでマンダレイから電話があった」

『へ?爆豪くん、マンダレイと連絡先交換してたん!?』

「あのガキ命がけで救けたからお礼したいとか言われて事件のあと一回会った、そんときにな」

『うぉ~……』

「ンだその声、プロヒーローに人脈つくるまたとない機会だろうが」

 

 「つーかそこじゃねえだろ」と、勝己。

 

「ガキ捕まえねえと、何しでかすかわかんねえぞ。そんだけ切羽詰まってるらしいからな」

『切羽詰まってる、って……?』

「……先言っとくが、マンダレイも詳しくは知らねえらしい。ただ――」

 

 

 すべてを聞き終え、通話を切ったお茶子は、深刻な表情のまま携帯電話をしまい込んだ。

 

「爆豪くん、なんだって?」

「………」

「麗日さん?」

 

 わずかな逡巡のあと、

 

「洸汰くんの、同級生がね………」

 

 

「自殺しようと、したんだって」

「……ッ!?」

 

 皆が、息を呑む。

 

「自殺って……なんで……?」

「……多分、いじめだって。いま大変なことになってるでしょ、異形型の子が、未確認生命体扱いされたりするって……」

「!、………」

 

 飯田がギリ、と歯を噛み締めるのがわかる。潔癖でまっすぐな彼は、どのような理由があれいじめなど絶対に許さない。だが未確認生命体のことが原因としてあるならば……責任は自分にもある、そう思っていた。

 

「洸汰くん、そのことがショックだったんじゃないかって……それで……」

「そう……なのかな」

 

 果たしてそれだけで、非行にまで走るものだろうか。――いや、それだってありえないとは言いきれない。洸汰という少年は、とてもセンシティブなのだろう。出久はそう思った。

 あの瞳も振る舞いも、どこか幼なじみを想起させるものがあったから。

 

「その自殺を図ったという子は、どうなったんだ?」

「一命は取り留めたらしいけど……昏睡状態で、入院中だって」

「……そう、か」

 

 俯く飯田。――賑やかなショッピングモールの一角に、重苦しい沈黙が下りる。

 

「――捜そう、洸汰くんのこと」

 

 静謐に、きっぱりと、出久は言った。皆の視線が、自ずと集まるのがわかる。

 

「何かしようとしてるなら、止めなきゃ。もしひとつでも罪を犯したら、あの子は傷つくことになる。その傷はたぶん、一生治らない」

「出久くん……」

「だから、捜そう。捜して、止めよう」

 

 立ち上がる出久。――まずそれを追ったのは、飯田だった。

 

「そうだな……!俺にはそうする責任がある……いやそうでなかろうと、そうしたい!」

「私も!一回くらい見たいもん、洸汰くんの笑った顔!」

 

 麗日。そして、桜子も。

 八百万も追随しようとしたのだが、

 

「ヤオモモ、午後から仕事でしょ?無理せんでええよ」

「ですが……」

「仕事ならば、そちらを優先したほうがいい。他に手の空いている者がいないならともかく、実際こうして四人もいるわけだからな!」

「……申し訳ございません、皆さん。パトロールの際、念のため気を配ってみますわ。万一ということもありますし」

「そうだね、そうしてくれると――あ、麗日さん、洸汰くんの行き先の心当たりとかは聞いてない?」

「あ、うん、えっと――」

 

 

――そうして八百万を除く四人は、洸汰を"救ける"ために動き出した。

 

(ん?なんか、忘れてるような?)

 

 その際お茶子の頭に過ぎったそんな疑念は、しかしすぐに忘れ去られてしまった。思い出せないなら大したことではないだろう、と――

 

――それから、数分後。

 

「いや~またしても、ちょっと買い杉良太郎……あれ?」

 

 両手にパンパンのレジ袋を提げたおやっさん、しかし待ち合わせ場所には誰もいないのだった。

 

 

「ドーナッツってるの……?」

 

 


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