【完結】僕のヒーローアカデミア・アナザー 空我 作:たあたん
目的を果たしての退却は、彼らにとってはまさしく凱旋だった。無論ひとつは、G2を手に入れたこと。ただ"手に入れた"だけで終わりではなかった。――その証拠に、装着者となるズ・ゴオマ・グは……培養液の中に、浸けられていた。
「すごいね……敵連合」
ジャラジは思わず隣の青年に声をかけた。しかし彼は爪をかじりながら、ぼんやりとその光景を見つめているばかり。――こうした邪悪な技術を差配していたであろう男の面影はない。
「ダグバ」
「……なに?」
「楽しかった?」
その問いに――彼は、ぱあっと笑みを浮かべてうなずいた。純真無垢な笑み。おそらく成人はとうに過ぎていて、唇がひび割れた不気味な様相であってもなお、その笑顔は幼児のかわいらしさを想起させるものだった。……その頬に、べっとりと血が付着したままでなければ。
「ねえ……次はいつ、あいつらと戦える?」
「ん……整理が終わってから、かな」
「………」
打って変わって、どこか不満げな表情を浮かべる弔。暫しそのままズのグロンギを被験体とした"実験"のプロセスを見つめていたが、唐突にくるりと踵を返した。
「どこ、行くの?」
「………」
「キミが大事なのはこれからなんだから……遊びすぎちゃ、ダメだよ」
「大丈夫……ちょっとおしゃべりしてくるだけ」
そのことばに嘘はないのだろう――"おしゃべり"が何を指すかは、推察の余地を残しているが。
想像どおりなら、それはそれで面白いだろう。彼が自分の望みどおりの存在になれるかどうか、その試金石となりうる――
「ヒヒッ……楽しいなぁ……」
口に出してつぶやくくらいに、ジャラジの心は弾んで仕方がなかった。
*
緑谷出久は科警研に向かってトライチェイサーを走らせていた。無力感とともに。
――捜査本部との通信で、既に三体のグロンギは科警研から逃走したことは知らされてしまっている。間に合わなかった。本来ならばもう、出久が科警研へ行かなければならない理由はないし、直接やりとりをした面構本部長からもそう言われた。だが、それでも駆けつけずにはいられなかったのだ。焦凍や飯田、心操――何より、傷ついた身でありながら躊躇なく飛び込んでいった勝己。彼らの無事な姿を、この目で見なければ。
そしてついに、科警研の付近へたどり着いた。規制線の周囲には、野次馬や報道陣が多く詰めかけている。何事もなく突破するのは至難の業のようだった。
苛立ちを覚えた出久が思わず眉をひそめていると、「緑谷!」と名を呼ぶ者があった。
「!、心操くん……」
G3ユニットの制服姿の心操に手招きされる。既に戦闘が終わって相当時間が経過していることをまざまざ感じとりながら、出久は彼のもとへ駆けた。
「――残念だったな、間に合わなくて。まあ俺もだけど」
「心操くんも?」
「ああ、俺とゴウラムが同着くらいだったんだが、一足遅かった。……死体だらけだったよ、あっちもこっちも」
「………」
なんでもないことのように言う心操だったが、その頬はわずかに紅潮していた。到着したときにはすべて終わってしまっていた――怒りのやり場など、あるはずがない。
「奥に爆豪がいるから、行ってやったほうがいい。俺はあっちに駐まってるGトレーラーに戻ってるから、何かあったら声かけてくれ」
「……わかった」
うなずき、いったん別れる。正規の装着員として、事後にもやるべきことがあるのだろうが……それ以上に、何か、気を遣われたような印象を受けた。
ともあれ、施設の裏側へ走る。そこにも多くの警察やヒーロー関係者の姿があったが、一ヶ所だけ隔絶されたように開かれた場所があった。
そこに、かの幼なじみの姿はあった。
「かっちゃん……」
「………」
歩み寄っていく出久。視界にちらつくその姿に気づかないはずがないだろうに、顔を上げることすらしない。――彼が最後に言ったことばを思い出す。「とっとと来い、チンタラしてたらぶっ飛ばす」……。
自分は結局、間に合わなかった。心操のように、一歩遅かったというわけですらない。きっと彼の、怒りと失望を買ってしまったのだ。
「ごめん、かっちゃん……僕、間に合わなかった……」
何もできなかった――やるせなさに拳を震わせながら、出久は頭を垂れる。
しかしようやく口を開いた勝己の反応は、予想だにしないものだった。
「……俺が、逃がしたんだ」
「!、いやでも、それは八百万さんを守るためだろ……?」
「………」
事情を既に聞いていた出久はそう言って自責めいたそのことばを否定したが、勝己の心を変えるには至らない。――さらに根深いものが、その心に影を落としていた。
「……死柄木が、グロンギになっちまった」
「………」
それももう、聞いてはいる。焦凍の変身するアギトと互角の、恐ろしい怪物になってしまったと。
「なぁデク、」
「な、なに?」
「俺は……スゲーよな?」
思いもよらぬ、問いかけだった。思わず、ことばに詰まってしまうくらいには。
「かっちゃ……」
その真意をまずは質したくて呼びかける声は、完遂されることなく途切れてしまった。
出久は、確かに見てしまった。伏せられた勝己の真紅が、いまにも雫がこぼれそうなほどに潤んでいた。
(あ………)
G2を奪われ、救けたいと思った死柄木弔はかつてを上回る邪悪として立ちはだかり。勝己のヒーローとしての誇りは深く深く傷ついているのだと、出久はようやく気づいた。
そんな彼を前に、自分は一体どうすればいい?何をしてやれる?――そんなの、簡単なことだ。"デク"である自分を受け入れたあの日、すべてわかったはずじゃないか。
「――当たり前だろ、そんなの」
だから滑り出したことばは、ごく自然に、心の底から出でたものだった。
「きみはいつだってすごい奴で、ヒーローだよ。そんな怪我してるのにひとりでグロンギに立ち向かって、八百万さんを救け出して……」
「………」
「それに僕、うれしかった。きみが八百万さんを守ることを選んだって聞いて。自分を曲げてでも、目の前の命を守った……ヒーローとしてそれが間違ってるだなんて、誰にも言わせない」
「……それで、あとあと大勢の人間がG2に殺されることになってもか?」
皮肉るように訊く。それでも、
「だとしてもだよ」
迷うことなく、断言する。
「もちろん、そんなことはあっちゃいけない。全力で防がなきゃいけないよ。でもそれはきみひとりで背負うものじゃなくて、みんなで考えて、がんばるべきことだと……僕は思う」
分厚いグローブに包まれたまま、投げ出された勝己の手。その片割れを両手で包むようにして、ぎゅっと握りしめた。
「言っただろ、僕も協力するって。――力になりたい……ならせてよ、かっちゃん」
「………」
勝己はなおも沈黙していたが、やがて深々とため息をついた。チッ、と舌打ちもひとつ。
「テメェに励まされンの……やっぱクソムカつくわ」
「な、なんだよ……きみが言い出したんじゃないか」
「うっせ」
相変わらず酷い返事だなぁ、と、出久は苦笑した。ただ振りほどかれることもないまま、てのひらの熱で温められていくグローブの感触が、彼らの"
「あ……そういえば、轟くんたちは?」
「!!」
くわっと目を見開いた勝己にいきなり振り払われたうえに、軽く爆破を浴びせられる。無論直撃ではないが、熱を受けた頭髪の毛先がチリチリになってしまった気がした。
「いっ、いきなり何すんだよ!?」
「テメェ、言うに事欠いて次はそれかこのクソナード!!」
「しょうがないだろ気になったんだから!!」
突然の爆破からの口論に、周囲が何事かとこちらを見つめている。注目されるのはふたりとも本意ではないから、ふたりはいったん、渋々口をつぐんだ。
ややあって、
「……飯田の奴は捜査に参加してる。轟と八百万は知らん、どっか行った」
「言い方……」
出久は呆れたが、勝己のことばには流石に続きがあった。
「色々あんだよ、積もる話がな」
*
爆豪勝己には「どっか行った」と表現されてしまった轟焦凍と八百万百は、数キロ離れた流山市内の大堀川水辺公園にいた。できれば、現在の科警研のように血の臭いのする場所から離れて話をしたいと思ったのだ。科警研の目の前にも公園があることもあって、なんとはなしにここを選んだのだが……結論を言えば、正解だった。
公園のど真ん中を貫く大堀川は、夕焼けに照らされて淡い橙の光を放っている。今日はずっと曇天だったから、結局青空は見られなかったな、と焦凍は思った。
「あの……轟さん」
「!」
河川敷に並んで座る、八百万がおずおずと声をかけてくる。ぼうっとしている場合ではないのだ。
「……悪ィ。もう、身体は大丈夫か?」
「え、ええ……もう平気ですわ。あの、程度のことで――」
声がかすれ、肩はぶるりと震える。――彼女は今日、あの恐ろしい怪物たちの手に落ちかけたのだ……独りぼっちで。
震える手に、焦凍はそっと、自身の左手を重ねた。彼女の手はひんやりと冷たくなっていた。温めてやりたいと思ったが、個性は使わなかった。
「ここにはおまえと俺しかいない。……弱音、吐いたっていいんだぞ」
「………ッ、」
八百万は暫し、嗚咽のような声を漏らす。焦凍は黙ってそれを聴いていた。川のせせらぎと混じりあったその音を綺麗だと、思うことは本当は不謹慎なのだろう。
「ヒーローは常に危険と隣り合わせ、命を落とすことだってある。わかっていた、つもりでした……」
「………」
「でも、彼に……死柄木弔に、会ってしまったときに……」
あの凝血のような瞳にひと睨みされたとき、"死"というものがまるで津波のように押し寄せてきたのだ。ただそれだけのことで戦意を失い、ヒーローとして立ち向かうことなどできなくなってしまった。――神野でオール・フォー・ワンと遭遇した15歳のときと、何も変わっていない。
「私、また何もできなかった……!」
死の恐怖が去れば、残されたのは自身の無力さへの激しい悔恨。人々を守るどころか人質にされ、結果、警察官やプロヒーローが殺された。さらには将来、多くの人間が危機に晒されることになるかもしれない――
「――かもな」
懺悔を聞き届けた焦凍のことばは、冷たくも聞こえるものだった。もとより慰めのことばを期待していたわけではない八百万だったが、やはりわずかに俯くしかない。
「けど……少なくともおまえは、何かしようとしたんだろ。……逃げ出して、あんな奴らが暴れてても知らねえふりして、何もしなかった奴もいる。今さらのこのこ戻ってきて、ずっと心配してくれてた仲間に"極秘任務"なんて嘘までついてな」
「え、それ、って……」
一年以上も音信不通となり、ふらっと帰ってきたかと思えば「極秘任務で連絡できなかった、まだ継続中だから表向き行方不明のままにしておいてくれ」などといけしゃあしゃあとのたまった男。――まさしく、目の前にいるではないか。
ただそれを指摘するのは無粋なことだと、さすがに八百万もわかってはいた。
「その方は……一体なぜ、お逃げになったんですの?」
「化け物になっちまったから」
答は単純明快だった。
「化け物になった自分を、そいつは制御できなかった。守るどころか全部ぶっ壊しちまうのが怖くて……逃げて、震えてた。自分と向き合おうともしねえで……」
もしも"彼"に、最初からそれができていたなら。復活したグロンギと戦うことができていたなら。奴らの手から、もっと大勢の人間を救け出せたかもしれない。――傲慢なのはわかっている。出久や勝己たちの血を吐くような奮闘を嘲笑うかのような思考であることも。それでも……。
「そいつはまた、戦ってる。今度こそ自分のなりてえヒーローになるために。……もう止まらねえ、止まりたくねえんだ、俺」
(言ってしまいましたわね……"俺"って)
せっかく他人のこととして話していたのに。まあそういう抜けたところも、この青年らしい。髪を短く切り揃えていることもあって、学生時代より幾分か精悍に見える横顔を、八百万はじっと見つめた。
「だから八百万、おまえも立ち止まるな。今日のことを後悔するんだったら、尚更だ。――大丈夫、つらいときには支えてくれる人がいる。独りで踏ん張らなきゃいけないわけじゃねえ」
「轟さん……」
雄英に入学したての頃、いつも独りでいた焦凍の姿を思い出す。他人との間に分厚い氷壁を築き、それは触れれば切れてしまいそうなほど冷たく鋭くて。いつしか薄くなりはしたけれど、結局完全に融けきることはなかった。
その頃の彼とはもう、決定的に何かが変わっている。その変化こそ、彼を異形の怪物から超人たる英雄たらしめたものなのだろう。爆豪や飯田、そしておそらく――
「轟さんにそこまで言わせるだなんて、見かけによらず大物ですのね。――緑谷さんって」
「!、なんでそれを……」
突発的な事態に、思わずそう返してしまった。八百万がふふ、と微笑むのを目の当たりにして、自身の迂闊さに思い至った。
「……カマかけたな?」
「ごめんなさい。でもなんとなく、そんな気はしていましたの」
いずこからか帰ってきた焦凍が、東京で学生をやっている出久と知り合いで、しかも自分たちに対して以上の信頼を寄せている様子だったこと。海水浴に行った際、急用と称して出久が去った直後、東京で未確認生命体が出現したというニュースが入ってきたこと。そこに第4号に似た戦士の正体が焦凍とわかれば、状況証拠が誰を指すかは明白だ。
「ハァ……」ため息をつきつつ、「あいつは、本当にな。あいつなりに色々悩んでたこともあったけど……ある意味誰よりもまっすぐ、ヒーローやってる奴だよ」
「そうですわね……」
ただ優しいわけでも、正義感が強いというわけでもない。――困っている、苦しんでいる人を救けたい。その純粋な想いを心に宿す青年、それが緑谷出久なのだ。お茶子や桜子が惹かれるのも、よくわかる。
――気づけばずいぶん、空が暗くなってきている。
「……そろそろ帰るか」
「あ……そう、ですわね」
「腹も減っただろ。飯、奢る」
「いえ、そのようなお気遣いは……」
空腹を感じているのは事実だし、焦凍と食事をともにできるのはとても心が弾むが。
立ち上がり、歩きだしたふたり。しかしその瞬間、不意に冷たい風が吹いた。秋口の逢魔ヶ時といえども、あまりに――
「……!」
「……轟さん?」
途端に、焦凍の顔色が変わった。オッドアイを見開いて、振り返る。八百万もまた、その動きにつられた。
そして彼らは、見た。――先ほどまで何もなかった川縁に、ひとりの男が立っていた。一点の汚れもない白髪に、曲がった背中はまるで老人のよう。しかしそうではないと、彼らは思い知らされていたのだ。
「死柄木……!」
わずかに怯えを覗かせる八百万を背中に庇い、焦凍は変身の構えをとる。しかし弔は、それを手で制した。
「焦らなくていいよ、とどろき。
「何……?」
にたり、と笑う弔。純朴でありながら、酷薄――いまにも殺意が滲むのではないかと思えば、油断などできようはずもない。あの瞬間移動めいたスピードで襲いかかられ、"崩壊"の力を使われればひとたまりもない。
が、そんな焦凍の態度などお構い無しに、弔は言い放った。
「ぼく、これからしばらくいなくなるから」
「……は?」
「"整理"、やれって言われたんだ。だからジャラジと、ゴオマ連れてく……」
「なに言ってんだ、整理ってなんだ!?」
「……すぐにわかるよ。そんなことより轟……整理やるだけじゃ、ぼく、つまらないんだ」
「ぼくとまた、遊んでくれるよね?」
「――!」
焦凍は思わず息を呑んだ。そのことばのためではない。何か、色とりどりの糸のようなものが、ふたりの間でつながっているのが見えた。それを介して、弔の感じているものが自分に流れ込み、自分の感じているものが弔に流れ込んでくるような感覚があった。
(死柄木……おまえは……)
(………)
「……さん、轟さん!」
「!」
焦凍ははっとした。長い夢を見ていたかのような後味が、体内に渦巻いている。
気づけば弔の姿は、その場から消えうせていた。
「大丈夫……ですか?」
「……ああ。どれくらいボーッとしてた?」
「何秒か……」
そうか、と口の中でつぶやいた。自分の身に一体何が起きたのか、それはあとでよくよく検証する必要があるだろう。
だが、いまは――
「八百万、」
「は、はい!」
「飯……しばらく、一緒に食えねえと思う」
「……!」
焦凍が何を決断したのか――この聡明な女性にすべてを悟らせるためには、そのひと言で十分だった。
「悪ィ……いや、ごめんな」
「……いえ、」
なりたいヒーローになる――焦凍はそのための途を突き進もうとしている。だったら、自分のやるべきことはひとつ……彼女はそう心していた。
「私……いつまでもお待ちしていますわ。だから轟さん……どうか、ご無事で」
「……」
――ああ、
――彼女はこんなにも、綺麗な
母以外の女性のことを、焦凍は生まれてはじめて心からそう思った。