【完結】僕のヒーローアカデミア・アナザー 空我 作:たあたん
「水」要素を入れたかったんですがストレートになりすぎた気もします。
初期のブルースだの吼えよドラゴンだのパロディやってた頃が懐かしい。
「うぐ、あ……ッ!?」
鋭い銛が、肉を裂く。その衝撃と激痛とに、クウガは水中でありながら呻き声をあげた。
バックパックが破損し、酸素を取り入れることもできない。抵抗もままならず、クウガの身体はゆっくりと沈降を始める。その姿を冷たく一瞥して、ゴ・ジャーザ・ギは悠々と去っていこうとしている。手を伸ばすが届かない……届くはずがない。
それよりもまず、この銛をなんとかしなければならない。痛みに朦朧とする意識の中でその結論だけは絞り出した彼は、腹部に深々突き刺さったオブジェクトを右手でぐっと掴んだ。震えてしまって、あまり力が入らない。出久は自身を叱咤し……銛を、ずるずると引き抜きはじめた。
「がッ、ぐあア゛あッ!」
神経すべてが悲鳴をあげているかのような凄まじい激痛が、腹部から脳へと走り抜ける。叫びは無数の泡となって、水面へ立ち上っていく。
痛みのあまり、視界が明滅する。そしてすうっと狭くなっていく。
(だめ、だ……まだ……ッ!)
銛が突き刺さったままでは、治癒もしようがない。霧散しかかる意識に抗い、出久は苦痛のままに泡を撒き散らしながら……銛を、引き抜ききった。
「がは……ッ、ぁ………」
そこで限界が訪れた。ふっと力の抜けた異形の英雄の身体は、彼自身の意識ともども、仄暗い水底へと堕ちていった。
*
「遅いな……緑谷くん」
焦れたように飯田がつぶやく。
出久が潜行してから既に30分近くが経過している。そろそろ何か状況が動いてもよさそうなものだと思うのは心操も同じ。しかし現実には、ここから一望する濁った水面は、表向き波紋すら浮かべないままだった。
(緑谷……)
あるいは想定しうる中で、最悪の事態が起きてしまったのではないか――そんな予感を後押しするかのように、G3のインカムから焦り気味の呼び声が響いた。
『こちら発目ッ、心操さんどうぞ!』
「こちら心操、どうした?」
『緑谷さんの意識レベルが急速に低下しています!』
「ッ!?」
声を呑む心操。表情は隠れていても、その反応ひとつで飯田も状況を悟ってしまった。
「……緑谷のいるポイントを教えてくれ、俺が救助に行く」
潜れるくんには装着者の状況を把握するために、意識レベルを計測できる機能があるほか発信器も付けられている。それを辿れば、この黒い海の中から対象を見つけ出すこともできる。
発目から発信地点を聞き出した心操は、スコーピオンを飯田に押しつけ、代わりにアンタレスを装備した。
「飯田、万が一44号が上陸してきたら距離をとってそれで応戦しろ。反動はあるが、おまえの身体とそのスーツならある程度は耐えられるはずだ」
「……わかった。きみも気をつけて!」
うなずくや否や、海中へ勢いよく飛び込むG3。それを、見送りつつ。
「……ッ、」
本当は自分も、出久を救助に行きたい。だが自分の個性は泳ぐにはよくても潜水には向いていないし、何よりこの重装備では沈んでしまう。かと言ってアンダースーツ一枚になれば、今度は万が一戦闘になった場合に己の命を守れない――
ともかく飯田は奇襲に備えて水面からやや距離をとり、じっと身構えた。ほどなくして森塚はじめ捜査本部の面々が数名合流して布陣も整ったのだが、敵は上陸する気配すら見せないままだった。
一方で心操は、発目のサポートを頼りにひたすら水中を進んでいた。出久の……正確には出久の装備していた潜れるくんの反応は、心操が潜行してからというもの一度も動いていないらしい。自力で動ける状況にないということか。
(緑谷……ッ)
錯覚の息苦しさを覚えながらも親友の顔を思い浮かべたとき、発目から『もうすぐです!』と告げられる。
そして、
「――!」
そこには、人間の形をしたものが揺蕩っていた。ゆらゆらと揺らめく緑がかった頭髪が、いつにも増してまるで海藻のよう。
「緑谷……!」
すぐさま接近し、その身体を抱きかかえる。シャツがめくれ上がり、露になった腹部から激しく出血している。――とにかく、まずは水面へ上がらなければ。
ちょうど付近に堤防が見えたので、そこ目掛けてアンタレスのワイヤーを射出。フックを引っ掛けたうえで今度はワイヤーを収納することで、水の抵抗もものともせず高速で突き進む。
「ッ、緑谷!!」再び呼びかける。「しっかりしろ、緑谷!!」
「………、ぅ……かはっ、」
弱々しいながらも咳き込み、飲んでしまったのだろう海水がわずかに吐き出される。焦燥にとらわれていた心操の心が、わずかに落ち着きを取り戻した。親友はまだ、生きている。
*
――宮城県 牛三市
爆豪勝己と轟焦凍は、ギャングオルカとともに、死柄木たちの潜伏予想ポイントの捜索を続けていた。
彼らがいま踏み込んでいるのは、山間に打ち棄てられたように存在する廃屋だった。
「チッ……もぬけの殻かよ」
舌打ちしつつも、勝己は屋内にただならぬ気配の残滓を感じとっていた。漂う空気が、じくじくと肌を蝕むような感触。
それをさらに具体的な感覚として得ていたのが、チームアップすることになったギャングオルカだった。
「……血の臭いがする、それもヒトの血だ」
「!」
と、いうことは――
「未確認の連中の細胞組織は、俺ら人間とほとんど変わらねえ。血液もな」
「ならばこれは、殺害された未確認生命体の……」
ギャングオルカが考え込む横で、勝己はしゃがみこんだ。床をじっくり観察する。埃の積もり方がいやに偏っている。
(ここが、奴らのアジト……)
少なくとも、直近の。既に移動しているという可能性も否定はできないが――
一方、焦凍は廃屋の周辺を警戒していた。妙に頭がざわつく。まだ明確な感覚ではないから、それが何の予兆であるのかまでは判別できない。ただ万が一襲撃を受ける危険を鑑みて、こうしている――
「………」
ふと廃屋のほうを振り向く。鬱蒼とした木々に囲まれ、いまにも朽ち果てそうな薄汚れたトタン。つい4ヶ月前までは自分も、同じような場所で寝起きしていた。人ならざるモノになりゆく、他ならぬ自分自身を恐れて。
けれど、
(いまは、この力を……アギトの力を手に入れることができて、心からよかったと思える)
(死柄木……おまえは、どうなんだ)
本当の弔は……志村転弧の心は、いまの自分自身に何を思うのだろう。仮にここで彼を止めることができたとして、その心に触れることができなければ……きっと、何も変わらない。
焦凍が己の掌をじっと見下ろしていると、
「おいコラ半分野郎!!」
「!」
はっと我に返った焦凍が振り返ると、眉を吊り上げた相棒の姿がそこにはあった。
「……どうした?」
「どうしたじゃねえ、俺ぁテメェをボーッとさせとくために外に置いたんじゃねえぞコラ」
「悪ぃ。――どうだった?」
「痕跡は間違いなくあった」ギャングオルカもやってくる。「だが、ここに戻ってくるかどうかはわからん」
「………」
それがわからないのが厄介なところだった。彼らはおそらく、荷物らしい荷物など最初から持っていないだろうから。
難しい表情で黙り込むふたりの若者。しかしいつまでも沈黙を続けることは、かつての鬼教官が許さない。
「ここから何をするかは、この案件の責任者である
「!、………」
「あなたの判断に私は従う」――格下の若造ではなく、リーダーとして勝己を扱っている。心から。だからこそギャングオルカのことばには、ずしりとのしかかる重みがあった。
ターゲットの帰還を待ち伏せするか、それとも裾野を拡げて捜索を続けるか……あるいは、まったく異なる判断をするか。それらすべて、勝己の手に委ねられている。
一方で、
(爆豪……)
正式な捜査本部の一員でないゆえに、そうした責任を負えない焦凍。それでも、意見を述べることくらいなんら問題はないだろうと思った。キャリアに空白はあるが、自分だってれっきとしたプロヒーローだ。
しかし実際に口を開こうとした途端、彼の脳裏に稲光のような衝撃が奔った。
「ッ、爆豪、ギャングオルカ!!」
「!?」
突然の大声。もう慣れている勝己はともかく、ギャングオルカは露骨に目を丸くしていた。なかなか見られない表情だったが、この時点ではそんなこと気に留めていられない。
「なっ、なんだいきなり?」
「奴らが近くで行動を開始した!」
「!、間違いねえんだな?」
「ああ……!」
悩む必要がなくなったとばかりに、勝己が不敵な笑みを浮かべた。
「ならやるこたぁひとつだ。――行くぞ」
「わかった」
「フン……よかろう!」
目標を見定めた英雄たちが、戦意をみなぎらせた。
*
緑谷出久の意識が浮上したとき、まずもって目に入ったのは鈍色をした天井だった。ただ、あまりにも距離が近い。
きょろきょろと見回してみると、ここが車――おそらくパトカー――の中で、自分は後部座席に寝かされているのだとわかった。運転席に、見知った友人の姿がある。その紫色の瞳が、こちらをじっと見下ろしていた。
「……目、覚めたか?」
「しん、そう……くん」
心操人使――G3を装着して敵の上陸を警戒していたはずの彼が、既にG3ユニットの制服に着替えている。もう戦闘態勢が解かれて久しいのだと、自ずから察せざるをえない。
「44号、は……?」
「逃げられた。俺が沈んでたあんたを救助に行ったときにはもう、周辺にはいなかった」
「……そう」
おそらく、別の場所からの上陸を図ったのだ。捜索網に引っ掛かればいいが、地上で人間体に戻られたら捕捉は困難だろう。
ブツブツといつもの調子で考え込みはじめた出久だったが、ふと心操の視線が鋭いことに気づいた。
「……な、何?」冷や汗が浮かぶ。
「あんたさ……他に気にすること、あるんじゃないの?」
「え――!、痛……ッ」
咄嗟に身体を起こそうとした途端、腹部に奔る鋭い痛み。思わず捲って見てみれば、そこにはぐるりと包帯が巻かれていて。
「あんたの腹、穴が開いてた。ふつうの人間なら死んでたぞ」
「……心操くん、もしかして怒ってる……?」
恐る恐る訊く……と、あからさまにため息を吐き出す心操。訊かなきゃわかんないのか、とでも言いたげだ。
「無茶しないって……約束だったろ」
「あ……」
出久は一瞬二の句が継げなくなった。その声色が、あまりにも悲哀に満ち満ちていたから。
「ご……めん……」謝罪しつつ、「でも、その……言い訳にしかならないと思うけど……無理な特攻をかけたりしたわけじゃない。ちゃんと地上に追い込もうとしたんだ。それは……信じて、もらえないかな?」
「………」
暫しの沈黙のあと、
「……今回の奴も、かなりの強敵ってことだな?」
「!、う、うん」
「なら次は、連携して戦わないとな」
表向き淡々とした口調で、言い切る心操。その裏で複雑に絡みあった感情を抑制しているのだろうことは、いくら鈍くても容易に察しがつく。出久は唇を噛み締めて、うなずいた。
「さてと……外に飯田と森塚刑事たちがいるんだ。俺は行くけど、おまえはまだ寝ててもいいぞ」
「あ……僕も行くよ。傷ももうほとんど塞がってると思うし」
「……あぁそう」
また心操からじとりとした視線を向けられたのだが、口では何も言われなかったので気づかないふりをした。これは決して冷淡な判断ではないだろう。
さて、心操の言うとおり、外では飯田と森塚をはじめとする面々が捜査を続けていた。心操とともにパトカーから降りてきた出久の姿を認めて、三者三様の表情を浮かべる。
「緑谷くん!」飯田の声。「もう大丈夫なのか!?」
「う、うん……まだちょっと痛いけど。ごめんね、心配かけて」
「いや……色々と思うところはあるが、俺からはもう何も言わないよ」
「心操くんの繰り返しになるだけだろうしな」と飯田。一緒にいた森塚も「右に同じく!」と続ける。出久は苦笑しつつ、もう一度謝罪のことばを口にした。それが空疎なものにならないよう心しつつ。
「さてさて、その後の捜査状況についてだけど……」
手帳を開く森塚。既に飯田に説明済みだからか、滑らかに口を開く。
「被害に遭った旅客機の機長の証言がとれた。――44号は乗客のひとりとして乗り込み、離陸直後に怪人体に変身。パニック状態に陥って通路にひしめいた乗客たちを……」一瞬口ごもり、「……銛のようなもので、一気に貫くようにして殺したらしい」
「ッ!」
出久は思わず自分の腹に手を触れていた。クウガの肉体ですら易々と串刺しにするような、あんな凄まじい武器で――
しかも森塚の報告には、耳を塞ぎたくなるような続きがあった。
「被害者のうち多くは未就学児だったらしい。……そのことで緑谷くん、塚内管理官からだけど、」
「……僕がこの前行った幼稚園の子供たちも、犠牲になったってことですよね」
それを自分で口にすることは、傷の痛みなど押しやられるくらいに腸が煮えくりかえったけれど。
「……うん。しかも、生存者はひとりもいないことがわかった。44号は子供を優先して殺害したみたいだ。次いでその関係者……親とか、先生とかね」
「……ッ、」
ならば陸と大河の生存も、もはやありえないということになる。クウガを好きだと言った大河、爆心地を好きだと言った陸。――彼らは自分たちに、救けを求めていただろうか。絶望しながら、死んでいったのだろうか。
(大河くん、陸くん……。ごめん……救けられなくて、ごめん……!)
気がつけば出久の瞳からは、じわりと涙があふれ出していた。人前で泣くのは憚られたけれども――恥というより、周囲に気を遣わせてしまうことに――、それすらも容易く踏み越える烈しい感情が、出久にそうさせた。
「緑谷くん……」
「………」
隣に立つ心操の手が、背中にそっと触れる。友の気遣いが、いまはただ申し訳ない。
「一応、まだ続きがあるんだけど……いったんやめにするかい?」
森塚もまた、気を遣って訊いてくれる。――だが涙をこらえきれないほど悔しいからこそ、出久はただ悔恨に浸るだけの無力な存在に成り果てたくはなかった。
「いえ……お願い、します。僕には、全部聞く義務が、あるから……っ」
「そこまで気負う必要はないけど……わかったよ」
やや躊躇いを垣間見せながら、森塚は再び手帳を開く。
「奴は犯行を終えたあと、機長に対して、我々へのメッセージを伝えていた」
「メッセージ?」
「うん。――"ヒントは出した。5時間で567、このままなら楽勝だ"……だってさ」
「……ッ、」
飯田が拳を震わせる。出久も同じようにしかけて、ふっと息を吐いた。
「……そんな挑発も、ゲームのルールの一環なんでしょうか」
「どうかな……」
「いずれにせよヒントに出された次の犯行が、どこでどんな形で行われるのか、一刻も早く割り出さなければ……」
ひとつ確実に言えることは――実行されれば確実に、多くの命が奪われるということ。
「本部に戻って仕切り直すしかないね。インゲニウム、行こう」
「はい!――緑谷くん、」
神妙な表情を浮かべて、飯田が歩み寄ってくる。
「きみは少し、事件から離れたほうがいい」
「!、何、言って……」
色をなして反論しようとする出久を手で制して、飯田は続けた。
「勘違いしないでくれ。戦うなと言っているわけではないし、きみのあのことばを信じていないわけでもない。……だが、きみがいま、やりきれない感情を募らせていることも事実だろう?」
「………」
図星を突かれて沈黙する出久。しかしそうした思いを抱えているのは、皆同じだ。
「そうした人として当然の思いを殊更にこらえて、戦わなければならない……それはきっと、きみの精神衛生上非常によくないことだと思う。――だから第44号の動向がわかるまで、日常生活に戻ることもひとつの選択肢だと思うんだ」
飯田の提案は、自分に対する最大限の優しさなのだと出久は理解した。それに純然たる"捜査"において、自分にできることはそう多くはない。41号の事件の時はたまたまゲームのルールを看破できたが、あの時は特殊な状況下だったということもある。
「緑谷、」心操が口を開く。「そういや今日、本当はバイト行く予定だったんだよな。ポレポレの」
「!」
飯田が「そういえばそうだったな!」と努めて明るい声を発する。
「事が事だからやむをえないが、アルバイトの予定も無下にしてはいけない!そちらに行くのもいいんじゃないか?」
「それにあのマスター、ギャグセンはアレだけど包容力パないしね。いっそ包み込まれてきなよ、加齢臭だけ我慢してさ」
「包み込まれるって……物理的にですか?」
「………」
少し考え込んだあと――出久は、小さくうなずいた。身体だけでなく、
「……すみません。じゃあ、何かあったら呼んでください」
「もちろん」
「ゆっくり休むんだぞ、緑谷くん!」
念押しのようなことばを受けつつ。仲間たちと別れ、出久は歩きだした。止まらない涙をひたすらに拭いながら。