【完結】僕のヒーローアカデミア・アナザー 空我   作:たあたん

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雨の休日って、時間の感覚なくなりますよね。


EPISODE 50. 空我 1/3

 まだ昼下がりであるにもかかわらず、鈍色の曇天と視界さえ不自由にするほどの大雨に覆われた東京はどこも、逢魔ヶ時のごとくほの暗いいろに染まりつつある。

 

──文京区、閑静な住宅街の一角に居を構えるポレポレ。ヒーローやヴィラン、ましてグロンギとも無縁の陽気で平穏なこの喫茶店も、すっかりこの黄昏に閉ざされているかのようだった。

 しかしそれは、表の見かけの話。店内も薄暗くはあったが、いるべき者たちは揃っていて、あたたかな空気に満たされていたのだった。

 

「バカだねぇ、おまえは。この雨ン中バイクで実家帰って、すぐまた戻ってくるなんて」

 

 そう言って呆れ笑いを浮かべるのは、ポレポレのマスタ──―出久の言うところの"おやっさん"だ。明るく冗談好きな彼の性質が、そのままこの店の象徴となっている。

 

「もう、いいやないですか!せっかくひと休憩しに来てくれたんやし……」

 

 そう言っておやっさんに口を尖らせるのは、彼の娘ほどの年齢のかわいらしい丸顔のウェイトレス。彼女──麗日お茶子の本職がヒーローであることは、あらかじめ知らねばわかるまい。

 

 そんなふたりの、変わらぬやりとり。それを眺めて笑みを漏らしながら、緑谷出久はコーヒーに口をつけた。身体が温まるのはいままで訪ねた場所で出されたものと共通しているが、やはりひと味違うと感じる。大学に入って間もない頃、慣れない東京での独り暮らしに疲れていた自分を温かく迎えてくれたのも、この味だった。コーヒーばかりでなくカレーも他のメニューも、いまではすべて母の味に並ぶものとなっている。

 

「ま、いいけどさ。おやっさんはそろそろ出るんじゃないかと思うね」

「何がですか?」

「そりゃあ、くしゃ……み……へ、ヘェッ、ブエェックション!!」

「いや自分がするんかい!」

 

 言い切らないうちに自分がくしゃみをするというボケをかましたおやっさんと、すかさずツッコミを入れる関西出身のお茶子。あまりに鮮やかなコンビネーションに、出久は笑う以上に感心してしまった。

 

「へへへ……しかしまあ、出久もお茶子ちゃんも無事でよかったよ。こんな大変なときだからこそさ、3人力合わせてポレポレを盛り上げていかんと!まあお茶子ちゃんはそうも言ってらんないだろうけど……」

 

 この状況下、東京に限らず関東およびその近郊は厳戒態勢が敷かれている。ヒーローたちは公安委員会の指示のもと事務所を飛び越え地区単位で警戒にあたっているわけだが、その結果勤怠管理が厳密になされるようになり、場合によっては休日が増えたヒーローもいるという皮肉なありさまである。無論、正邪構わずすべてを焼き尽くすX号の猛威に恐れをなしたヴィランたちが息を潜めており、一時的に犯罪発生率が激減しているせいもあるが。

 そういうわけで、このような状況であるにもかかわらずお茶子はポレポレにいる。思うところは当然あるが、勝手な行動は禁じられているし、動いたところで何ができるわけでもない。動くべきときをじっと見極めることも、一流のヒーローに必要な能力であると彼女は学んでいる。ただ、逸る気持ちが湧かないかといえば嘘になる──若さゆえ。

 それを抑えつつちらりと視線を移せば、カウンター席に座る青年と目が合った。そのことに気づいた彼は、楕円形の瞳を細めてフッと微笑む。お茶子は己の心拍数が増え、頬に熱が集まるのを感じた。悟られるのを恐れて、顔を逸らす。

 

「……ごめんなさい、おやっさん」

「ん?」

「僕、今日はもうそろそろ行かないと。やらなきゃいけないことと……やりたいことが、あるので」

 

 そう告げて立ち上がる出久。その表情を目の当たりにして、おやっさんは彼を引き留める気をまったく失った。

 

「なんかおまえ……いい表情(かお)してる」

「ハハ……」

 

 「しょうがない、行ってこい!」と、気持ちよく送り出そうとしてくれるおやっさん。実父が海外に単身赴任している出久にとって、この店主もまた父に等しい存在だった。流石にそんなこと、恥ずかしくて口にはできずじまいだったが……それでも"おやっさん"という呼び方に、気持ちを込めてきたつもりだ。出久にはそれが精一杯だった。

 万感の想いを込めて一礼した出久は、顔を上げて再びお茶子と視線をかわした。笑顔のおやっさんに対し、彼女の表情は複雑そのものだった。

 

「ほんとに……行くの?轟くんとふたりでやっても、駄目だったのに?」

「……麗日さん、」

「……ごめん。こんなこと、言っちゃダメなのわかってる……。でも、でもやっぱり、私……!」

 

 徐々にかすれていく、お茶子の声。おやっさんとは異なり、彼女はこれから自分が何をするのか、悟っている。ゆえにこうした反応も受け入れようと前もって心に決めていた。なんの蟠りもなく万歳三唱で送り出してもらおうだなんて、虫が良すぎる。

 

「……いいんだ。そう言ってくれて、嬉しいと思っちゃう自分もいる……ごめん、不謹慎かもしれないけど」

「………」

 

「──でも、今度こそ僕、死柄木を止めたいんだ。そうしたらそのあとは、ただのヒーローオタクに戻るよ」

「……デクくん、」

「だから──もうちょっとだけ僕を、"頑張れって感じのデク"でいさせてほしい」

 

「ダメかな?」と、困ったように微笑む出久。その表情には彼のやさしい心根が現れていて、戦いに身を置くよりふさわしい場所があるように思われた。

 

「……それでもきみは、ヒーローなんだね」

 

 独り言のようにつぶやいたお茶子は、今度こそ笑顔で出久と視線をかわしあった。

 

「……マスターの言ったこと、忘れちゃダメだよ。ポレポレ(ここ)は、私たちのお店なんだから」

「……うん」

 

 3人力を合わせて、この店を盛り上げていく。戦いのあとにそんな未来があると、出久も信じたいと思った。

 

「じゃあ……行くね」

「……うん。気をつけて」

「い、出久……?」

 

 事情を知らないおやっさんは、明らかに困惑している。できれば自分ですべて説明したかったけれど、もうあまり時間は残されていない。

 彼にもう一度頭を下げて、今度こそ出久はポレポレを飛び出していった。お茶子があとを追おうとしてしまったのは……ほとんど、条件反射だ。

 

 玄関で、彼女は思いとどまった。そのうちビートチェイサーに乗った出久が、エンジン音とともに雨粒をかき分けて走り去っていく。その背中は、まるで──

 

「………」

「お、おい、どういうことだよ……?なんだよ、シガラキとかヒーローとか……」

 

 問いをぶつけられるのも、当然の帰結か。ただお茶子がすべてを明かすまでもなく……彼は、聡かった。

 

「あいつ、まさか……」

 

 

──丁寧に棚にしまわれた、手製の第4号特集スクラップ。写し出された主役は……ずっと、こんな身近にいたのだ。

 

 

 *

 

 

 

 雨漏りの酷い廃アパートの一室に、爆豪勝己はひとり佇んでいた。

 

「………」

 

 視線の先にある、手にした羊皮紙。グロンギの文字などがびっしりと描かれたそれらの頂、他とは明らかに異質な梵字のような紋様から、どうしてか目が離せない。懐かしさすら感じるこれは一体なんなのだろう。それも個として感じているものではなく、もっと根深いところ……"ヒト"としての遺伝子が、それを叫んでいるように思えてならない。

 

「……チッ」

 

 我に返った勝己は、己を戒めるかのように舌打ちを漏らした。これに書かれているものがなんであれ、いまの自分にとって重要なのはグロンギのアジトがほぼ確定したことだ。

 そろそろ飯田を呼ばなければと思い至ったそのとき、

 

 ハイヒールが、コンクリートを打ち鳴らす音が近づいてきた。

 

「!!」

 

 こんな場所に不似合いなその足音に、勝己は咄嗟に本の山と山の隙間に身を潜ませた。息を殺しつつ、頭脳をフル回転させる。飯田はこのエリアの反対側を捜索している、全速力で駆けつけてきても数分はかかるだろう。ひとりで切り抜けるには、やはり──

 

 あまりにも長い数十秒ののち、ついに足音の主が室内に姿を現した。真白いスーツにスカート──ブーツまで。その美貌は冷たく、他者を寄せ付けない雰囲気を醸している。

 彼女──ラ・バルバ・デは書籍の山の前に立ち、勝己に背中を晒した。だがそれは、隙などではなかった。

 

「やはり、おまえか」

「………」

 

 彼女は最初から、勝己の存在に気づいていたのだ。勝己の側も、そのことに驚きはなかった。この女は、グロンギの中でも特別な地位にある存在──

 即座には仕掛けず、勝己は声をあげた。

 

「究極の闇の目的はなんだ」件の羊皮紙を突き出し、「これに書かれてることと関係あんのか?」

「………」意味深に笑うバルバ。

「……答えろや!」

 

 唸るような声で恫喝したところで、この女に対して意味をなさないことはわかっている。勝己はぎりりと歯を噛み鳴らした。

 と、ようやくバルバが口を開いた。──勝己の質問に答えるものではなかったが。

 

「リントは完全に、我々と等しくなったようだな。クウガもまた、ダグバと同じ"究極の闇"にならんとしている」

 

 「ンな話は聞いてねえ」と怒鳴りつけようとした勝己だったが……次にバルバが放ったことばは、いままでのように蔑ろにできるものではなかった。

 

「かつてのクウガは、惜しかった」

「……ンだと?」

 

 バルバは笑みを保ったまま、勝己に向き直った。出久ではない、超古代の──争うことを知らない平和なリントの中から、戦士として生み出されたクウガ。

 彼までもが、"究極の闇"に到達しようとしていたというのか?

 

「ダグバ……いや死柄木弔に与えた魔石、本来の持ち主がどうなったか、おまえは考えたことがあるか?」

「!、まさか……」

 

「──かつてのダグバは誰よりも純粋に、誰よりも殺戮を快楽とした男だった。ゆえにかつてのクウガには、奴に対する憎悪が生まれた。……封印では、済ませられないほどのな」

 

 そう、超古代のクウガもまた、敵の命を奪ったのだ。残虐極まりない形で同胞たちを殺され、彼は清廉潔白なリントではいられなくなった。

 

──ゆえに彼は戦いを終わらせてなお、帰れなかった。己をも封印し、遠い未来でも戦士として戦う道を選ばざるをえなかった……結果的に彼は、復活より先にン・ガミオ・ゼダに殺害されてしまったが。

 

「今度のクウガも、ダグバを殺すだろう。そして……白き闇と黒き闇が、ひとつとなる」

「何を……」

「その先のことを、おまえが知る必要はない――!」

 

 バルバの腕が、蔦に覆われた異形へと変わる。はっとした勝己が身構えようとした瞬間には、それが一閃していた。

 

「が──ッ!?」

 

 弾き飛ばされ、書籍の山に叩きつけられる。彼の手を離れた羊皮紙を、バルバは抜け目なく奪いとった。崩れた本の群れを冷たく一瞥し、去っていく。

 

「ッ、クソ、が……!」

 

 背中から広がる痛みに呻きながらも、勝己は即座に立ち上がった。──自分は何度も死にかけている。この程度の苦痛、一体なんだというのか。

 今度という今度ばかりは、あの女を取り逃がすわけにはいかない。アパートを飛び出し、降りしきる大雨の中をひた走る。雨粒に塞がれた視界の果て、純白のスーツに覆われた背中を捉えた。

 

「……ッ、」

 

 勝己は再び歯噛みした。真冬のこの大雨、防寒にすぐれたヒーロースーツも意味をなさないほど身体は冷えきっている。爆破が、起こせない。起こせたとしても……それでバルバを倒せるほどの力は、自分にはないのだ。

 だが、去りゆく彼女に対して何の手立てもないわけではない。腰のホルスターの中で、かちゃりと音を立てる黒鉄の塊。本来プロヒーローである自分とは無縁であるはずの、この武器を使えば。

 

──もはや、手段を選んでなどいられない。

 

 羊皮紙を手に、港を足早に歩くラ・バルバ・デ。その背中めがけ、ついに勝己は銃口を向けた。引き金に、指をかける。

 

 そして、

 

 

 雨音を切り裂くようにして、烈しい銃声が響き渡った。

 

「………」

 

 バルバが立ち止まる。彼女の背中を突き破った銃弾は右の胸元を貫通し、鮮血を噴出させていた。

 文字どおりトリガーを引いてしまった勝己からは、あらゆる意味での抵抗感という歯止めが外れていた。込められた弾丸すべてを押し出していく。

 言うまでもなく、銃器の扱いについては素人の勝己である。放った弾丸の半分はあらぬ方向に飛んでいった。──逆に言えば、半分はバルバの胴体を貫いたのだ。

 

 身体にいくつもの風穴が開いたにもかかわらず、彼女はすぐには倒れなかった。やおら振り向き……勝己を、見据える。その瞳にはどうしてか、いままでのような冷たさがなかった。

 彼女は──微笑む。臓腑からあふれ出したのだろう血を、口許から流しながら。

 

「……ビビギダダ」

「!」

「ゴラゲド、パラダ、ガギダ……ギ、ロボザ」

 

 それが最後のことばとなった。

 瞼を下ろしたバルバの身体が、ゆっくりと傾いていく。足が地面を離れ、宙に投げ出される。

 

 そして、水飛沫が上がった。彼女は海中に落下し、そのまま沈んでいったのだ……かの羊皮紙とともに。

 

「………」

 

 勝己は半ば、茫然としたような表情でその光景を見届けていた。個性を奮ってヴィランを鎮圧するのとは、まったく異なる感触だった。達成感などというものはかけらもなく、ただどろりとした汚泥のような何かが胸に広がっていく。それは、遠い昔の記憶を思い起こさせた。

 

 

 あの日も、こんな土砂降りだった。

 小学校に上がったばかりの頃の下校途中、勝己は、雨の中で震えている仔犬と出会った。

 尻尾をちぎれんばかりに振ってくりくりとした瞳で見上げてくる小さな身体が、ひどく愛おしく感じた。抱き上げて「うち来るか?」と訊いた瞬間、はっとした。勝己の家は、父の体質上動物を飼えないのだ。

 仔犬を地面に置いて、勝己は走り出した。しかし懐いてしまった仔犬は、無我夢中で勝己のあとを追ってくる。

 そして、道路へ飛び出した。

 

──車に轢かれて、仔犬は死んだ。

 

 

「──爆豪くんッ!!」

 

 勝己の意識を現実に引き戻したのは、飯田天哉の雨音を貫くような大声だった。

 

「……おまえ、もう来たんか」

「ッ、嫌な予感がしてこちらに向かっていたんだ、そうしたら銃声がして……」

 

「撃ったのか、B1号を?」

「……ああ」

 

 飯田は海面を見遣った。薔薇の蔦とおぼしき物体が大量に漂っている。バルバがここに沈んだであろうことは、訊くまでもなく察せられた。

 ならば、

 

「爆豪くん……俺は言ったはずだぞ。B1号を発見したら、必ず俺を呼べと……」

「………」

 

 何も答えない勝己を前にして、飯田の握り拳には力がこもっていく。

 

「なぜだ……!なぜきみはいつも、そうやって……ッ」

 

 瞳に激情を宿した飯田が迫ってくる。殴られる、と勝己は思った。そうされても構わないとさえ感じるほど、捨て鉢な気持ちになっていた。

 しかし飯田のとった行動は……彼の予想の範疇を超えるものだった。

 

「──ッ、」

 

 飯田の拳は振るわれることなく、解かれて勝己の背中に回った。その大柄な身体に、思いきり抱き寄せられる。以前にも同じことを──出久・焦凍とまとめて──されたことはあったが、今回は困惑ばかりが先立った。

 

「お、おい飯田……」

「ッ、どうすればいい……」

「あ……?」

 

「どうすれば僕は、きみに信頼してもらえるんだ……!」

「……!」

 

 分厚い鎧越しに、この青年の震えが伝わってくる。

 あの仔犬と触れ合ったときと同じ気持ちが己の中に湧き出してくることに、勝己は気づいた。彼の大きな背中に、おずおずと手を回す。

 

「……悪かった」

「……ッ、」

「ちゃんと、信じてっから……だから、ンなカオすんな」

 

 学生時代、独りで抱え込みすぎて、突っ走りすぎて……多くの人から苦言を呈された。同級生たちからは、「仲間甲斐がない」と責められたこともある。あのときは知ったことかと思ったけれど……もういい加減、潮時なのだろう。

 

「……あんがとよ、委員長」

 

 そう口にすると、飯田はようやく泣き笑いのような表情を浮かべた。

 

 


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