【完結】僕のヒーローアカデミア・アナザー 空我 作:たあたん
文京区・茗荷谷駅からほど近い住宅街。城南大学をはじめとする名門大学群が付近に建ち並ぶためかどこか知的な雰囲気を醸すこの街角にて、喫茶ポレポレは10年前と変わらぬたたずまいで営業を続けていた。
「♪~」
"戦士クウガ"を意味する古代リント文字の刺繍されたエプロンを着て、作業を続ける初老のマスター。塚内と同じく、彼も10年の時を感じさせぬ不変ぶりである。
「マスター、さっきから何してるん?」
「おー。実はね、夏目ミカロンから手紙が届いたんだ。去年ケイサツチョーに入って、警察官としてがんばってるって。だからお返事書いてるってワケさ~」
「へぇ、実加ちゃんが!なんか意外やなぁ……でもすごいわ、警察庁なんて」
「ヘヘン、そうだろそうだろぅ~」
「なんでマスターがエラそうなん」と唇を尖らせる妙齢の女性。流石に大人びてはいるものの、少女時代の愛らしさを存分に残している。そこが彼女──ヒーロー・ウラビティこと麗日お茶子の根強い人気の秘密だった。
「ハァ……そうやって皆、あっという間に大人になってくんやねぇ」
「な~にしみじみしてんの、そういうのはおやっさんみたいな年寄りの役割……って何言わせるねん!おやっさんまだピッチピチやぞ!」
「なんも言うてへんし……。まあ一番ビックリなんは、キミがここで働いてることなんだけどねっ!」
お茶子が目を向けた青年は、「そうですか」とぶっきらぼうに応じた。彼女に比べればひと回りは若い、学生だろうか。尖り気味の黒髪に鋭い目つき、すらりと伸びた四肢はやや獰猛な魅力を備えているのだが、それ以上に内面の素朴さが立ち振舞いから醸し出されている。変わってないなあと、お茶子は嬉しく思った。
「フフン、こう見えてこの子は働きモンだぞ~物覚えもいいし。ちょっと無愛想なのがタマにキズ……と思いきや、ふと見せるはにかみがご婦人方には大人気なんだこりゃあ」
「……そんなことないですよ」
「あ、ホントだ。かわいい」
「………」
青年が顔を赤くしていると、不意にからんころんとドアベルが鳴った。
「あ、いらっ社員しょくど……おっ!」
「!」
「……ども」
軽く会釈して入ってきた客人を、マスターは心から歓迎した。
「いやあ、こりゃどーもどーも、堂本光一!」
ギャグセンスも10年前と変わっていないようだ。
「よう、爆豪くん!」
「おー相変わらずの丸顔。なんだおまえ、まだバイトしてたんか?」
「きっ、キサマぁ!……バイトはもうしてません~いまはお客として通ってるんです~」
唇を尖らせるお茶子。勝己のように華麗な遍歴を辿っているわけでなくとも、彼女はかねてより所属していたブレイバー事務所で地道に経験を積み重ねていた。現在では事務所No.2として所長の補佐に若手の教育と、重要な役割を任されている。目立たなくとも、彼女はヒーロー社会を支える貴重な存在だった。
──そして、もうひとり。
「………」
「!、お久しぶり……です」
「俺のこと……覚えて、ますか?」
青年は、勝己に浅からぬ想いを抱いていた。幼少期からずっと、彼の背中が常に頭の中にあったのだ。
だが、相手はどうか。存在そのものは記憶の片隅にくらい置いてくれているかもしれないが、それと同一視するには時が経ちすぎている。最後に会ったのは、青年がまだ小学生のときだったのだ。
だから「覚えてますか」と訊きつつ、名乗って思い出してくれれば僥倖とさえ思っていたのだが。
「覚えとるわ、──"マセガキ"」
「!!」
バカにしたような呼び名。しかしそれこそが彼の記憶の中にいる幼子と、いまの自分が完全に一致していることの何よりの証明だった。
「おっ、流石の記憶力だね爆心地さん!」
「まったく素直やないんやから……。よかったねぇ、洸汰くん」
「……はい!」
──出水洸汰。紆余曲折あった彼もまた、立派な青年へと成長していた。
「さあてと!」おやっさんが手を叩く。「ポレポレカレーは用意してあるけど……コーヒーは何にします?」
「あー……」
そういえば、そこまで考えていなかった。コーヒーも飲むには飲むが、普段はもっぱらインスタントばかりであまり知識がないのだ。
勝己が思案していると、少し離れた席に座っていたお茶子がすり寄ってきた。
「寄んな丸顔。丸顔が
「ンなワケあるかい!そんなコトより爆豪くん、このお店、裏メニューあるの知ってた?」
「裏メニュー?」
初耳だった。デクもそんなこと、一度も言っていなかったはずだが。
そうつぶやくと、にしししと悪戯っぽい笑みを浮かべるお茶子。
「そのデクくんにちなんだ、"ミドリヤイズクブレンド"があるんだって!ね~マスター!」
「おう、あるとも~!」
「飲みたい!」
「……夏季限定なの、あいつの誕生日にちなんで」
「……そこは通年にしようよぉ」
残念がるお茶子だったが……それでも話のタネにはしたいのか、めげずに続ける。
「そういえば、元になった"玉三郎ブレンド"ってのもあるって昔デクくんから聞いたけど……」
「!、あ、ああ玉三郎ね。よかったら呼んでこようか?」
「えっ、いらっしゃるんですか?」
「うん、ちょっと待っててねぇ……」
カウンターの奥から2階の住居スペースめがけ「玉三郎さ~ん!」と呼びかけるおやっさん。そのまま階段を登っていき、しばらくすると「はぁい~」という裏返った返事が聞こえてくる。この時点で残された3人はオチを察したが、皆、空気を読んだ。
そして、
「こんにちワトソンくん。──飾、玉三郎です」
「……ハァ」
ポレポレのマスター、飾玉三郎54歳。本日も絶好調である。
「……いや~しかし、改めて生で見るとこう、同じ男として恥ずかしくなるくらい立派でカッコいいねぇ。10年前はまだまだ男の子って感じもありましたけど……『びっくりしたなぁ、もう』by三波伸介って感じですよ」
拵えてあったポレポレカレー(スパイス強め)を出したあと、気が緩んだのかマシンガンのようにまくしたてるおやっさん。やかましい人間は基本的に好まない勝己だが、不思議とこの店主に対して不快感を覚えたことはなかった。
「やっぱりアレかな?もうヒーローとしてはチョモラ
「……さあ。ゴールとか、特に考えてないんで。行けるとこまで行くだけです」
そう、自分の戦いに頂上などない。近い将来押しも押されぬNo.1の座を手に入れたとしても、そこに安んずることなく登り続けるのだ──自分自身に、終わりが来るまで。
「おぉ~……」と感嘆の声を漏らすおやっさん。それに対し洸汰は、そんな勝己の姿に目を奪われている様子だった。
「おい」
「!」
はっと我に返ると、勝己がこちらをじっと見据えている。視線がうるさかったかと慌てて目を逸らした洸汰だったが、彼の人となりを知る勝己はそこまで冷淡ではなかった。
「おまえ、いま何やってんだ。大学通ってんのか?」
「!、あ、はい……城南大学の文学部に通ってます。心理学を専攻してて──」
そこでことばを切り、洸汰は改めて勝己の目を見つめ返した。ここから先は、自負をもって伝えるべきこと。
「──俺、心理カウンセラーになろうと思ってるんです。それも、ヴィラン専門の」
「ヴィランの?被害者じゃなくてか?」
「はい、そっちは一般的にも注目されやすくて、なり手も多いので。ヴィランがなぜ犯罪に走るのか……いまの世の中、ほとんど気に留められてないでしょう」
「……確かにな」
勝己の脳裏に、つい先ほど会ってきたばかりの男の姿が浮かぶ。ヴィランの更正──ことばにするのは容易いが、現実はそうではない。
「俺ぁ門外漢だから、知ったような口ききたかねえけど……ラクじゃねえぞ。おまえの親殺したマスキュラー、ああいう奴にぶち当たったらどうする?」
「!、………」
「ちょっと、爆豪くん……」
お茶子が咎めようとするが、他ならない洸汰がそれを制した。
「……やっぱり痛いとこ突くよな、あなたは」自嘲めいた笑みを浮かべる。「確かに俺、あいつのことはまだ許せない。平気な顔して人を傷つけて笑ってる奴らなんか、いなくなっちまえばいいと思うこともある……」
「でも……そういう気持ちをもってる俺だからこそ、できることがあると思うんだ」
犯罪者と、向き合う。憎しみを殺すのではなく、戦うためのエネルギーに変えて。
そう、洸汰もかつての誓いをかなえようとしているのだ。暴力を振るって傷つけあう……その果てに平和をもたらす。自分にはそれができない。だとしても、無血の戦場に立ち続けることはできるのだと彼は知っている。
「俺、がんばるよ。あなたとは違う方法で、違う場所で……それでもあなたと、"あの人"の背中を追い続ける」
「……そうかよ」
「ま、せいぜい気張れや」
「──はい!」
形は違えども、想いは受け継がれていく。自分と幼なじみが、オールマイトに憧れたように。
「ふたりの背中、かぁ……」ふとつぶやくお茶子。「いまにして思えば、そういうときのふたりってなんとなく似てたよね。同じものを醸し出してるというか……うまく言えへんけど」
いつの間にか、カウンターテーブルの上に広げられていた新聞記事のスクラップ。10年より前の日付が記されたそれには、グロンギに敢然と立ち向かうクウガと爆心地の姿が掲載されていた。燃えさかるような烈しい闘志が、写真という二次元からでも鮮明に伝わってくる。
「……かもな」
「うお……認めた!」
予想外の反応にお茶子が驚いていると、窓の隙間から射し込んでいた陽の光が、紙面を照らし出した。その場にいた全員が、思わずその方向を見遣る。その果てにある、美しく澄んだ青空。
これからの未来を予感させるような光景に、勝己はふと頬を緩めた。
*
「"心清き戦士の泉枯れ果てしとき、我、崩れ去らん"……」
城南大学の構内に、朗々とした女性の声が響く。勝己にとっては10年ぶりに聴くものだが、年月を経ても淀むところがないと感じた。
「──聖なる泉が枯れ果て出久くんが凄まじき戦士になったら、ゴウラムはそれを感知して砂になってしまうメカニズムがあるようなんです」
「セーフティ……っつーことですか?」
「ええ。"究極の闇"が広がるのを、少しでも食い止めるために……」
憂いを帯びた表情でつぶやく──沢渡桜子。10年前は大学院生だった彼女は、いまでは一端の学者として研究を続けていた。年齢を重ね、当時よりぐっと大人びて知性的になったように感じる。それも嫌味はなく、笑うと三日月になる瞳は変わっていない。すれ違う学生たちが男女問わず尊敬と親しみの入り混じった視線を向けるのも、理解できる気がした。
構内を歩きながら会話を続けていたふたりは、はずれにある高床式の小屋にたどり着いた。現代的なキャンパスからは浮いたその建物の扉を開くや否や、静かに横たわる唯一の住人が姿を現す。
「でもこのとおり、ゴウラムはいまでもここにあります」
巨大な顎に黄金の翅、エメラルドグリーンに輝く露出した霊石──かつてとなんら変わりのない、ゴウラムの姿。置物であるかのようにぴくりとも動かないボディ、しかしながら視線が交わったように勝己は錯覚した。
「出久くんが幻で見た凄まじき戦士は目まで真っ黒だったって聞いてました。でも、実際は違ったんですよね?」
「ええ。あいつの目は、金色をしてた」
桜子には話せないが、受け継いだワン・フォー・オールの影響か。確かにそれもあるかもしれない。しかしその鮮烈な輝きは、彼が長年内に秘め続けてきた意志の具現化ともとれる。みんなの笑顔を守りたいという、純粋な想い。それは究極の闇さえ光に変えるものだったのだ。
「じゃあ出久くん、伝説を塗り替えちゃったんだ」
ふふ、と、桜子が笑う。
「憎しみに身を任せるのは簡単だったかもしれないけど……それ以上に強い気持ちで、出久くんは頑張った」
「頑張れば、願いはかなえられるんですね」
「………」
桜子のことばは綺麗事だ。けれどその綺麗事を、出久は実践してみせた。
ならば、
「──次は、俺たちだ」
「……はい!」
青空の遥か彼方から、幼なじみの笑い声が聞こえる。
幻聴に決まっている。いまは、それでいい。
遠くない未来──それを現実とするための出立の時間が、迫っている。
*
──1ヶ月後
日本からみて地球のほぼ真裏に位置する、南洋の島国。半透明の紺碧と真白い砂浜が、さんさんと降り注ぐ陽光により照らされている。海原から少し離れた場所に目を向ければ、根を海水に侵されたマングローブが生い茂る。
俗世から切り離されたかのごとき地上の楽園。その中にあって、賑やかな子供たちの声が響いている。当初は楽しげに……しかし時を経るごとに、剣呑ないろを増していく。
やがてそれは、明確な争いと化してしまった。罵り、掴みあう子供たち。些細なものであれ、そこには怒りと哀しみとが存在していた。
それを察知したかのように……どこからともなく、車輪の廻る音が近づいていく。
『────』
流暢な現地語で子供たちに呼びかけるのは、この島には珍しい東洋系の青年だった。痛々しい傷痕の残る両手で車椅子を操りながら、子供たちに近づいていく。──ゆったりとしたズボンを履いているが……右脚側は膝下あたりからいきなり萎んでいて、本来裾から飛び出しているべきものが存在していない。
不具の身体で喧嘩をする子供たちの間に果敢に割り込むと、青年は再びこの国のことばで語りかけはじめた。行動に反して、穏やかな口調。少年のような甘さを残した声色は、興奮した子供たちの心を落ち着かせるのにひと役買った。
やがて彼らは互いの非を素直に謝罪しあい、笑顔を取り戻した。青年に対しお礼を言い、遊びに戻っていく。
「………」
この世の暗い部分など知らないであろう少年たち。深いエメラルドグリーンの瞳が、そんな彼らの姿を見守っていた。それはとても優しい光景だった。
そこにもうひとつ、砂を踏みしめる音が響いた。
「相変わらずヒーロー気取りか──デク」
「──!」
長らく聞いていなかった声、呼び名。しかし幼少の頃から時間をかけて心身に染み込んでいる"それ"は、意志とは関係なく青年を反応させた。
慌てて車椅子を反転させる。果たしてそこに立っていたのは、この南国には不似合いな抜けるような白皙と、烈しい闘志を垣間見せるピジョンブラッド──思い描いたとおりの、姿。
青年は、微笑を浮かべた。
「……久しぶり、かっちゃん」
"かっちゃん"──10年ぶりにそう呼ばれた勝己は、つられて口許を緩めかけた。
しかし即座に引き締め直すや、今度は眦を吊り上げ──
「……なぁにが"久しぶり"だクソナードォ!!俺になんの断りもナシに行方くらましやがって!!しかもなんでこんな南国なんじゃ夏休み気分か、クソ長げぇ夏休みだなおーコラァ!!!」
「ちょぉっ……い、いきなりンな怒鳴り散らさないでよ!子供たちもいるんだから……」
確かに出久の背中越しに遊んでいた子供たちが、何事かとこちらを窺っている。先ほど喧嘩の仲裁をしてくれた"友人"が見知らぬ外国人に食ってかかられているのだ、当然だろう。
「……チッ」
「……きみに何も伝えなかったことは謝るよ、ごめん」
「今さら謝罪なんかいらねえ……俺が聞きてえのは理由だ」一転して、静かな声で問い詰める。「……俺のこと、大切だとか抜かしてたよな。アレは嘘か。俺を騙して、嘲ってたのか」
「……!──違うよ!」
今度は出久が大きな声を出した。まっすぐに見据える、翠の瞳。その縋りつくような表情、声。記憶より少し痩せたようには感じるが、全体として昔とあまり変わっていない。あの頃のままだ。
「……僕の身体、見てよ。自力じゃ歩くどころか立ってもいられないし、右手も……うまく動かせない」
「知っとるわ、ンなこたぁ」
存在しない右足も、骨格から歪んで指の折り曲げもままならない右手も、余すことなく見つめながら勝己は言った。出久が自嘲めいた笑みを浮かべる。
「まだグロンギと戦ってた頃……クウガでなくなったあと、ただのデクに戻ったあとの僕に何ができるか、ずっと考えてた」
クウガの力をなくせば、自分はまた"無個性"だ。少年だった勝己の言うところの、"何もできない無個性のデク"。確かにそう言われていた頃の自分に、できることなんてなかった。しようとも、見つけようとも思っていなかったのだから当然だ。
「でも現実に、いまの僕は自分の身の回りのことさえ精一杯なんだ。……きみのそばにいても、何もできない。でも僕は、きみのそばにいられる喜びをもう知ってしまった。別れ別れになって、ヒーローと一般市民っていう関係に戻るなんて……イヤだったんだ」
「ッ、ンなの……俺に黙って地球の反対側に逃げる理由になってねえよ。俺は──」
「"素直に打ち明けたら、一緒にいてやった。山に登れないなら、こんな身体のおまえでもできることを一緒に探してやった"?」
「!」
反射的に「違ぇ」と返してしまったが……出久はくすりと笑った。腹立たしい、なんでもお見通しという表情をしている──実際、そうだった。
「……もし仮にそう思っててくれたなら、僕はとてもうれしいよ。こんな身体でも、きみがそばにいてくれたならどんなにか──」
「……デク、」
「でもね……僕って、僕の思ってた以上にわがままだったみたい」
「ただ、受け入れてもらえるだけじゃダメなんだ。……求められたい、必要とされたかった。だから──賭けたんだ」
勝己に何も告げず、遥か遠い場所へ。それでも彼が迎えに来てくれたなら、こんな自分でもまた誇りをもって生きていける。
浅はかな考えであることはわかっている。この幼なじみの気持ちも、大勢できた仲間や友人の気持ちも蔑ろにして……ただ自分自身のためだけに、出久はこの10年を過ごした。
それを、
「ハッ、──ンなこったろうと思ったわ」
驚きも、怒りもしない勝己。だって彼は知っているのだ、最初から。出久がわがままで、何がなんでも自分の意志を押し通そうとすることくらい。
「じゃあ俺ぁ、まんまとテメェのお望みどおりに動いてやったってわけだ」
「う、うん」
「……けどなナードくんよぉ、そんなテメェにプレゼントがあるなんてことまでは想像してなかったろ?」
「え……?」
ニヤリと笑う勝己。その表情は幼少期の頃によく見せてくれたものだった。
背負ったリュックサックから、長方形の小箱を取り出す。しなやかな指が付属したボタンにかかるや、箱がにわかに巨大化した。成人男性の膝下から先くらいはあるか。
「わっ、な、何……?」
「なんだろーな、……っと」
ゆっくりとした手つきで、箱が開かれていく。そこに仕舞われていたものを目の当たりにして、出久は大きさの喩えが喩えでなかったことを思い知った。
「あ、あし……!?」
それはまさしく人間の足だった。出久が目を剥くさまを見て、勝己はおかしそうに唇を吊り上げている。猟奇的!反射的に後ずさりしようとする出久だったが、車椅子ではそれも困難であるからして。
「か、かっちゃんきみ……まさか……」
「……何が言いてぇかは察しがつくけどツッコまねえぞ」
「よく見ろや」と断面を見せつける勝己。グロテスクなものを目の当たりにするかと思いきや……断面から見える内部は、すべて機械部品で構成されていた。
「え、あ……」
「発目に造らせたんだ、テメェの義足」
「!、あ、あぁそういう……──え、僕の……?」
「他に誰がいんだよ」
再会までは願ってもないことだったけれども、これは流石に予想の範疇にはなかった。勝己が、そこまでしてくれるなんて。
「勘違いすんなよ。これはテメェのためじゃねえ、俺のためだ」
「……義足付けたって、僕がただのデクなのには変わりないよ」
「たりめーだろンなこたぁ。テメェが一番デクなンは脳味噌だからな」
「えぇ……」
はぁ、と嘆息しつつ、勝己はその場にしゃがみ込んだ。目線がちょうど同じ高さになる。いずれにせよ元々身長差があるから、こんなふうになることは久しくなかった。
「──これで山、登れんだろ」
「……!」
「約束、破られんのが一番ムカつくんだ」──ぶっきらぼうに言い放つ勝己。けれどもそのことばは何より、出久の胸を打つものだった。
「は……ははは……ッ、やっぱり敵わないや……。すごいなぁ、かっちゃんは……」
「ハッ、たりめーだろ。泣き虫」
「人のこと、言えないだろ……」
指摘し返された勝己は、これ見よがしに空を見上げてこう誤魔化した。
「……眩しいんだよ、太陽が」
なんだよそれ──そう言ってたまには嘲ってやりたかったのに、胸が詰まってことばにならなかった。
*
さらに、数ヶ月後。
「はぁ、はぁ……ま、待ってよかっちゃん……」
息も絶え絶えに山道を登る出久。対して数歩先を行く勝己は健脚そのもので、すいすいと進んでいく。
「おせーぞクソナードが、早よしろや!」
「ンなこと、ハァ……言われても……ふぅ、──ああもうダメっ、休憩!」
手近な岩場に座り込み、水筒に入れたスポーツドリンクを煽る。「いきかえる~」と弛緩したその表情を見下ろして、勝己は額に青筋を浮かべた。
「早よしろっつってんのに何座っとんだクソカス!!」
「ダメなもんはダメなのっ、休ませて!」
「テメェ……」
ふてぶてしくなりやがって!歯がギリギリと音をたてる。10年ぶりの再会からこっち、コイツは昔が嘘のように物怖じせず接してくるようになった。それ自体腹立たしいことなのだが……何が一番腹立たしいかといえば、そんなコイツを憎からず思う自分自身だ。
「なっさけねぇ……」
思わず漏れたつぶやき。それを曲解してか、出久が唇を尖らせる。
「しょうがないだろ、やっと
「……わーっとるわ」
出久に贈った、機械の右足。発目明の作品であるだけに生身と遜色ない動作を可能とするとはいえ、出久には10年ものブランクがあった。リハビリにも苦労した──勝己も手を尽くしたことは言うまでもあるまい──。
「それにさ、」一転、へらりと笑う出久。「時間はたっぷりあるんだ、焦らず行こうよ。──"ポレポレ"ってね!」
「……はぁ、そーかよ」
相手があきらめたのを察して、出久は視線を頭上へ遣った。つられて勝己も空を見上げる。かの南洋と変わらぬ、抜けるような青空がそこにはあった。頂で見なければ意味がないと頑なに思い込んできたが……ここでも、十分に綺麗だ。
「……デク、」
「なぁに?」
「いま、どんな気分だ」
「えー?……ふふっ、内緒」
「チッ……あとで覚えとれ」
こんななんでもないやりとりに視界がぼやける。青空を眺めすぎて目がおかしくなってしまったか。それさえも悪くないと思う自分は、随分年寄りになってしまったと勝己は自嘲した。
過去も、現在も、未来も。青空はいつだってそこにある。
この青空の下で、俺たちは生きている。
僕のヒーローアカデミア・アナザー 空我 完