もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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--/--『料理』

「オッケーモウマンタイ。よし、できる、できる……自分ならできる……!」

 

 台所に出されたネギ、豆腐、豚挽き肉、豆板醤を一瞥しながら、慣れない様子で包丁を握る双葉。

 今日の献立は、出されている具材から分かるようにシンプルな麻婆豆腐だ。レシピに必要な材料は少ないながらも、ある程度のクオリティーを出すことができる、初心者御用達の料理。

 

「よし、自己暗示完了。え、えと……まずは、豆腐を、切る……と」

 

 アプリで見かけたその調理方法を、持ち前の記憶力で辿る。そして恐る恐る、豆腐のペラペラとした蓋を開けた。ポテトチップスの封を開ける時は一切の躊躇がない彼女としては、驚かざるを得ない変わり身っぷりだった。

 

「夕飯がポテチなら最高なのになー」

 

 小学生のような発想を垂れ流しながら、双葉は溜息をついた。

 双葉が初料理(カップ麺を除く)に挑戦するキッカケとなったのは、マスターが風邪を引いたことだ。アイスにスナック菓子と荒れに荒れまくる双葉の胃を、夕食毎の健康的な献立で沈めてきたマスターが離脱したのは、彼女にとって重大な問題だった。

 かと言って、少しだけ美味しいコーヒーと辛いカレーを作れる程度の俺に、マスターのような料理の腕はない。外食という選択肢もあったけれど、せっかくなので一緒に夕食を作ることになったという経緯がある。

 双葉は涙目で拒絶していたけれど。しかしこのまま、「カップ麺は料理の内に入るに決まってる!」とドヤ顔で言い切る彼女自身のためにもここは一つ、心を鬼にする必要があると感じた。

 

「……」

 

 真剣な顔つきで、そっと豆腐をまな板の上に降ろし、包丁を逆手に持つ。

 逆手に持つ。

 ……どうやって切るつもりなんだろう。

 

「え、逆手じゃない? ……順手?」

 

 包丁の持ち方に逆手も順手もないと思う。

 逆手で持ったまま豆腐を捌く双葉も見てみたくはあったが、流石に切れるはずがないので、手取り包丁の正しい持ち方、及び左手を猫の手にするよう教える。

 ……しかし。

そういったやむを得ない事情でその手に触れていると、やはり双葉の手は小さいということを再確認する。

 ゲームのし過ぎで中央に窪みができている両親指に、常日頃タイピングに勤しんでいるからかギタリストのようにかたい指先。一方で爪が生えている側面を挟めば、ふにふにとした感触が俺の指から伝わってきて、ともすれば一生この側面をふにふにしていたい気持ちに陥らせるような魅力を秘めていた。

 

「……そうじろうに、彼女の指だけで興奮するヘンタイだって言いつけてやってもいい」

 

 そんな人聞きの悪いことを言う双葉を、気を取り直してもう一度豆腐の前に立たせる。

 やはりどこか必要以上に緊張しているようだったので、深呼吸をするように促した。

 

「ふー、ふー。……おし、やってやる」

 

 気合を入れなおして、そのままの勢いで双葉は――サクリと、

 

 自分の指を切った。

 

「ひっ……ん?」

 

 一瞬真顔で、何が起こったのかを確認した後、

 

「ぎゃあぁあ!」

 

 飛び出してきそうな程に目を見開いた。

 

「ち……血!」

「落ち着け。水で流せば問題ないし、我慢できるくらいの痛さだ」

「む……うう。大丈夫。耐えられそう」

「上出来だ。……俺は、二階から絆創膏を持ってくるから、双葉は安静に、うん、安静に」

 

 自分にも暗示がかかるように言いなおした。仲間が深手を負ってしまったときに身に付けた、その場しのぎの処世術だ。

 また、絆創膏はとある理由で、セントラル街で大量購入しているから、俺が住んでいる屋根裏部屋にも多数貯蓄されていた。

 とりあえず、双葉にそのまま台所の水で手を冷やすように言って、早く二階にあがってしまおう。

 双葉に背を向けかけると、何か言い澱むようにしながら、傷口を俺に見せるようにして、双葉は「ん」とだけ呟いた。

 

「……だ、唾液は菌の増殖を抑制する、働きをする酵素や成分を含んでいる」

「……?」

 

 傷が付いている方の手を押し付けてくる双葉。

 

「だ、だから、その……な?」

「な……と言われても」

 

 いつか惣治郎さんが言ったように、双葉は時々こうして、一見俺達にはよく分からない言動をすることがある。これに関しては特に有効な手段がないので、素直に聞き返すしかなかった。

 

「……――!!」

 

 ボンッ、と双葉の頭から何かがショートしたような音がして、

 

「な、なんでもない! 早く取って来て!」

 

 右の腕で俺をグイグイと押しながら、しどろもどろになって双葉は話した。

 さらに頬を赤くしている双葉を見て、双葉が何を言いたいのか考えていると、

 

「……あ」

 

 ようやく合点がいった。

 

「くれぐれも舐めちゃダメだ、双葉。唾にも勿論、体に悪い細菌が入ってるからな」

「…………あい」

 

 俺の推論は間違っていないはずだったけれど、その時の双葉は、筆舌に尽くしがたい微妙な表情をしていた。

 

 

 

 

「うめー! なんだろ、やっぱ自分で作った料理はカクベツに美味い気がする。新発見だな」

 

 口に沢山の麻婆豆腐を詰めながら、器用に話す双葉。食べながら会話をすることは行儀が悪いけれど、口をモゴモゴと動かしながら喋っている様子はなんだか無性に可愛かったので、そのままにしている。

 

「ま、そうじろうには敵わないけどなー」

「……そうだな」

 

 殆ど俺が作ったんだけど。まあ、これは言わぬが花だろう。

 あの後――双葉が手を切った後、常備してあった絆創膏を双葉の指に貼って応急処置をした。「もう切れない、ムリ、トラウマんなった」と包丁を見るなり慄いていた双葉だったが、もし無理やり切らそうにもその手では包丁を持つことさえままならないから、最終的に切った具材を混ぜる作業をさせることにした。慣れない手つきで混ぜたためか、最後まで原型を留めることができなかった豆腐がチラホラ見かけたけれど、これはこれで美味しかった。

 

「……マスターが作る料理で、一番何が好きなんだ?」

 

 一通り食べた後、俺は適当に話題を振ってみる。

 

「基本的に全部好きだけど……けど、そうだな……あれ?」

「どうしたんだ?」

「……カレー」

 

 確かにマスターが作るカレーのクオリティは高い。どう表現していいかは分からないけれど、隙がないというか、既に完成されているというか――、

 

「……そうだ、カレーだ。なんで今まで……忘れてたんだろ」

 

 ……そこまで、神妙に打ち明ける必要はないと思うけど。

 双葉が引きこもりから脱却しつつある今、ルブランで三人と夕ご飯を食べること自体、珍しくなくなってきている。当然マスターの作った料理は全部美味しいし、特筆して美味いカレーは何回も食べているはずで――え、

 

「まだ、一緒に食べたことはない……か?」

 

 最近食べさせてもらった記憶もある。初めてマスターの手料理をご馳走してもらったときに、朝食で食べたカレーの味も忘れられない。

 けど。

 三人で食卓を囲んで食べたことは、どうしてだか思い出せなかった。

 

「すごい偶然……だな。また、作ってもらうことにしよう」

「……うん」

 

 少し間があった後、ゆっくりと首肯する。その同意の言葉は少し、歯切れが悪いような気がした。

 まあ、残りがあれば俺も作ることはできるのだけれど。また双葉に振舞ってあげようか……。

 

「えー……。前食べたときはただただ、辛かった」

「……傷ついた」

「い、いや……ダイジョブ。カレシの作った料理なら……きっと、食える」

「涙目になって言わないでくれ」

 

 双葉が見せた優しい気遣いにもっと傷つきながらも、俺は最後の一口を口に運んで――、

 

「あーん」

 

 ……。

 俺がこれに応えたかどうかもきっと、言わぬが花に違いなかった。

 


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