もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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投稿しようかどうか迷った話なんですが、一応。


--/--『ありがとう』

「あー……負けた。……ありがとうござ、いまし、た」

「ありがとうございました」

 

 双葉が、悔しそうに頭を下げる。ちゃんと対局のお礼が言えるようになったのは、一二三先生のご鞭撻の賜物だろう。

 

「いやー、やっぱひふみんは強いな。戦術変えられたら手も足も出ない」

「ひふみん……」

 

 一二三は、双葉が彼女に付けた愛称に少し返答に窮したようだったが、

 

「……いえ、双葉さんも中々力を付けているように思われます。……少しずつですが、段々と中盤の安定感が増していますね」

 

 双葉を見つめながら、ふんわりと笑った。やはり俺の知らない間に、すっかり打ち解けているようだ。確かに微笑ましいことこの上なかったけれど、少しだけ複雑な感情が僕の胸の内にわだかまっている気がする。どうやら俺は、俺自身が彼女たちの蚊帳の外に置かれているように勝手に感じていて、そのことに対して少しばかり嫉妬しているようだった。

 情けない。が、嫉妬しているのならしょうがない。双葉や一二三のように、俺は彼女達と肩を並べられるような才能を持っていないからだ。ここはグッと堪えて、中に入れてもらうのを待つだけだ。

 

「あ、やっぱそう思う? 思っちゃう? ぐふふ……一二三城を没落させるのは、そう遠くない未来にあるな」

「ええ……楽しみです。……ですが、私も負けていられませんね。まだまだ鍛錬が、必要なようです」

 

 ……ダメだ。どうしても会話に入る隙がない。ではここは寧ろ、あえて聞き手に徹して彼女達の会話に耳を傾けるのはどうだろう。一二三は頭が良いから、双葉の突飛な会話にも合わせてくれるだろうし、彼女達の会話も、なんとなく一度は聞いておきたいな。

 よし、そうと決まればと、俺は自分自身の気配を限界にまで薄くするよう心掛ける。ずっと体勢を維持できるような楽な姿勢を取って、息を潜める。あまり視界は広くないらしいシャドウにしか効かない、子供だましのような気配の消し方だけれど、ないよりはマシだろう。

 

「毎日どれだけやってる? 将棋」

「そうですね……指したいときに指しているから、あまり時間を計ったことはないのですが……休日でしたら、一日中指しているときもあります」

「ま、マジか……一日中。で、でも、勉強も大変だろ? 私と違って、ひふみん、学校行ってるし……」

「はい。集中していると、時間を忘れてしまいますから……勉強のときも、そうですが」

「あー、分かるわー」

 

 分からない。潜入道具を作っているときは、作業に没頭しているときはあったが。

 

「え、えっと……その……」

 

 一二三は少しだけ言葉に詰まって、

 

「双葉さんは、いつもはどう過ごされているのですか?」

 

 何気ない質問を、双葉に返した。慣れない会話に、少し難しいと感じているのかもしれない。

 俺も含めると、三人とも会話やお喋りが上手という訳ではないだろう。弾む会話より、ぎこちない会話が多いように感じる。

 それでも、双葉も一二三も、お互いに仲良くなりたいという意志は、会話の中からひしひしと感じられた。思うままに喋り続ける双葉に対して、慌てながらも、時には冷静に返している一二三の姿は、どこか懐かしい思いがした。俺が双葉と出会って、もう四ヶ月も経つのか……。

 しかし、先輩であるはずの一二三が丁寧な言葉を使っている一方で、年下であるはずの双葉がニコニコしながらありのままで喋っているのを見ていると、ちょっと面白い組み合わせだな、と思ってしまう。言葉だけを取り出せば、一二三が後輩のように思ってしまうんだけれど。

 

「ねぇねぇ」

「なんでしょう?」

「ひふみんってさー……その口調、どうにかなんないの?」

「え?」

 

 一二三が呆けた声を上げたのと、僕が耳を疑ったのは、ほぼ同時だった。

 

「いっ……いや、それはちょっとゴヘイあるな……。わ、私は全然、それで良いと思ってる。 ……けど、別バージョンのひふみんも見たいっていうか……」

「別バージョン、ですか……」

 

 別バージョンの一二三、つまり丁寧語で喋らない一二三……か。

 言われてみると、少しだけ興味はあった。確かに誰に対しても敬っているような口調は、彼女の容姿も相まって随分とガッチリはまっているように思える。人と戦うという世界に身を置いている仕事柄、相手に敬意を示すことを心掛けた結果、後天的にそうなったのだとも考えられた。別に俺達が友達だからと言って、馴れ馴れしい口調に矯正する必要は全くないと思うし、むしろいつもの口調で喋ってくれる方が、自分がより出せるというものだろう。

 だがしかし、一二三がタメ語で喋っているというシチュエーションは少々、いやはっきり言ってかなり興味があった。俺は依然と、彼女達の会話の行き先をじっと見守っている。

 

「……ですが……これが恐らく、私の素ですので……難しい提案ですね」

「そうだな。これが世に言う無茶振り。……でも、ちょっとだけでいいからさ、頼む、一生のお願いだ」

 

おお、中々グイグイ行くな、双葉。

 

「そうですね……では、言って欲しい言葉を指定して頂けませんか? あまり、皆の口調を真似るということに関しては、不得手なので……」

「ぃよし! 分かった。ダイジョーブだ、任せておけ」

 

 自分の手で、双葉はトンと胸をついた。その直後、双葉の瞳はせわしなく目の中で動きだした。

 

「えと……まずは小手調べだな……『今日は、ありがとう』」

「今日は、ありがとう……ございました」

「それじゃいつものひふみんじゃん! じゃ、じゃあ、『またね』」

「では、また次の対局まで。ごきげんよう……」

「全然違う件!」

 

 双葉が突っ込みに回っている……。

一方で、一二三は「なんでしょう?」とばかりに、顎を右手に乗せて首を傾げていた。

 

「やべぇ……話し方、脊髄にまで染み込んでる。……どうする? ジョーカー」

 

 双葉は実に真剣な表情を浮かべながら、僕を見た。あの双葉でも、この問題にはお手上げらしい。

 かと言う俺も、一二三が勝手に丁寧語で喋ってしまうことへの対応策は全く見つからないでいた。

ええい、ここはもう行き当たりばったりだ、思いついたものを言っていくしかない。

 

「食らえ!」

「食らいなさい!」

「何っ!?」

「まさか!?」

「来い……アルセーヌ!」

「来なさい……ハンゾウ!」

 

 俺と一二三の、言葉の応酬が続く。途中からは、面白そうに双葉も交じっていたけれど、一向に一二三の口調が、ですます調から抜けきることはなかった。一二三自身も言っていたように、本当に彼女の素の喋り方なのかもしれなかった。確かに俺は、一二三の口からはいつもの口調しか聞いていなかっ……たっんだっけ?

 

「あー……笑った。これで一週間は行ける、バッチリ」

 

 思い出しかけている時に、双葉が俺の所に近寄って来た。どうやら満足したらしい。

 

「また来る。今度こそは、ハンデ無しで勝つ!」

「……はい、また、お会いしましょう」

 

 一二三は、主に双葉に沢山喋らされたことで少し息を切らしたが、穏やかな笑顔で双葉に振り向いて見せた。彼女にとってはいい迷惑だったかもしれないけれど、双葉の楽しんでいる様子を見て、なんとなくそういった雰囲気を味わってくれているようだ。

 双葉が、無邪気に遊んでしまったことに謝りを入れて、俺も席を立つ。久しぶりに立ったものだから、少々立ち眩みがした。もう夕方だとは言っても、夏真っ盛りだから教会を出た瞬間に、またクラっときそうな気がする。

 

「あの……」

 

 一二三に呼び止められる。いつもと変わらない、適度に間が空いた口調だ。しかし、今はどこか、何かを言う事をためらっているような気がした。俺は立ち上がった姿勢のまま、顔を一二三の方に向けて窺う。

 

「その、今日は……あ、」

 

 あ……?

 

「ありが、とう……」

「……」

 

 声の抑揚で、次の言葉がないことを悟った。一二三は俯いてしまっていて、よく表情を読み取ることはできなかったが、恥ずかしがっているということが目に見えて明らかだった。

 俺も何だか恥ずかしくなってしまって、「ああ」とか「おう」とか曖昧な事を言って、その場を離れる。表情筋がモゾモゾして、今にもニヤけてしまいそうだ。

 

「なに、笑ってる」

 

 しかし、双葉の疑うようなジト目を見て一瞬で感情を失う。俺は「なんでもない」と言って、その場を誤魔化そうとした。触らぬ双葉に祟り無しである。

 

「ぐぬぬ……カレシ、怪しい」

 

 ルブランに着くまで、双葉の包囲網が解かれることはなかった。

 双葉も、一二三の「ありがとう」が聞けるまで、仲良くなってもらいたいものだ。

 


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