もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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PQ2発売記念遅刻投稿ずさー
というのは建前で、久しぶりにこっちの世界の双葉と一二三に会いたくなったので書きました。よろしくお願いします。


余章
11/30


『だからー』

「うん」

 

 師走の到来が間近に迫った、11月30日。

 暖房設備の「だ」の字もなかった屋根裏部屋が懐かしくなる。それでもまだ暖房をつけるのは贅沢な気がして、フリースを着て机に向かっている。

 

『遠心力と向心力はイコールじゃない。遠心力は見かけの力だから本当は存在しない。でも円運動してる物体と同じ舞台に立ったら、物体は止まってるように見えるから、遠心力も含めて同じ力のつり合いを考えたらいい。こっちがオススメだな。向心力は遠心力じゃなくて、円の中心に向かってる力の成分とイコールで結んだらおけ』

「なるほど」

『絶対分かってない! 電話越しでもカレシの気持ち、ちゃんと分かるからな』

「うん」意味がないことは分かってはいるけど、俺は頷いた。「全然分かってない」

 

 数十分、いや、下手したら一時間以上俺を悩ませ続けている物理の問題。自分で解いてみても、解説を読みこんでみても、挙句の果てにはYahoo知恵袋で質問してみても分からなかったそれを、俺は双葉に電話を掛けて教えてもらっていた。

 まあ、双葉と喋る口実ができたので一概にも悪いとは言えない。最近は双葉も俺に気を遣っているのか、あんまり喋る機会がなかったから。だから実際、通話のボタンを押すとき、内心ウキウキしていたのは認めざるを得ない。

 そこまでは良かった……んだけど。

 

『単振動は……だって、ほら、振動してんでしょ? じゃあ、ノータイムで周期が出せるし、周期が出せることが分かってる訳だから、そこから――に繋げられるのはよゆーじゃん』

「なるほど」

『絶対分かってない!』

 

 双葉は。

 教えるのが壊滅的に下手だった。

 いや、嘘だ。俺の理解力が足りないだけ。でも、『公式知ってたら勝つる』なんて言われても、どこにその公式を当てはめれば良いかが分からない。

 

「まあ、いいや」

『ぐぬぬ……。え、なにー?』

「いい。とりあえず休憩してから考える」

『そ、そうか。まあ、いいけど……本当に大丈夫か?』

「うん」僕は言った。「勉強だけが全てじゃない」

『うわー。適当な一般論を言って誤魔化すパターンのやつだー……』

「双葉と話したいし」

『いっ!?』スマホから、高い音が聞こえてきた。『そ、そそ、そんなこと言われると……まぁー……やぶさかじゃ、ないけど』

 

 ちょろい。

 でも、ちょっと恥ずかしい台詞だったかもしれない。今更ながら、耳の奥が熱くなる。

 でもでも、まだ一応自分は高校生だから、これくらいの痛いことは言っても許される気がして。

 同時に、もうすぐ自分が高校生ではなくなってしまうことに、内心焦りも感じていた。

 年明けだとは言っても、一次試験の日も遠いとは言えない距離にある。

 そして瞬く間に二次試験。落ちたら、浪人。

 ……ダメだ。暗いことを考えたくない。

 だから、(ペルソナに覚醒して以来)いつでも前を向いている双葉と話したくなるのだ。

 

『でも、なんでだ?』

「うん?」

 

 どかりとベッドに腰を下ろして、俺は言った。

 

『カレシって、どっちかって言ったら文系行くのかなって、思ってた。杏も竜司も、一緒の国公立受けるって頑張ってるし』

「うん。皆とは会ったりしているのか?」

『たまにねー。ハロウィンの日とか、ルブランにお菓子、持ってきてくれた。でも、私誘うの苦手だから、いっつも竜司とかが誘ってくれる』

「へぇ」俺は言った。「それは、楽しそうだ」

『……寂しい? そっちで、一人で』

「まぁ、ちょっと。でも大丈夫」

『そっち、行ってあげてもいいけど』

「構わない」

『そっか』

「双葉も、大事な高校生活があるだろ?」

『…ぅだけど』

 

 耳にあてがったスマホはそのままに、俺はベッドの上で伸びる。コキコキとあちこちから音がなった。一年前と比べたら、大分筋肉も落ちてきている。筋トレも時々しているにはしているけれど、全盛期とは程遠い。

 

『……しぃのは、カレシだけじゃないし』

「え?」

『私も結構、いや、そんなだけど、まぁ、ちょろっとは……寂しいし』

「……あぁ」

 

 そうか。

 双葉も。

 ……それは。

 

「ちょっと嬉しいかもしれない」

『なにぃ! もしやドSか?』

「そういう訳じゃないけど」

『じゃあ、来て』

「え」

『ルブラン。そして私の部屋。今すぐ。これ、カレシの、カノジョのお願い』

「まじで?」

『マジだ』

 

 時計を見る。時刻は夕方の五時半過ぎ。新幹線を使わなくても一応行けないことはないけれど、帰りの電車を乗れるかどうかは怪しいし、四軒茶屋に行ってすぐ戻る訳でもないから多分無理。

 難しいな……でも、双葉の頼みだし……明日の学校に遅刻しても……まぁ。

 と、ブドウ糖切れの頭で思案を巡らせていると。

 

『うっそー』

「なんだよ……」

 

 軽い声が聞こえてきた。

 

「どう断ったらいいか考えていた」

『んふふ、分かってるし』双葉は言った。『勉強、頑張ってるの。だから、わがまま言えない』

「助かるよ」

『あと、わがまま言ったら、割と本気で考えてくれることもな!』

「……適わないな」

 

 俺は笑った。スマホ越しに、双葉の笑い声が聞こえてきた。

 

「切るよ」

『ん。頑張りたまえ~』

「ああ」

 

 言って、俺は終了ボタンを押した。すると一件、誰かからLINEが来ていることに気付く。

 差出人は東郷一二三。

 ……まじか。

 アイコンを押して、内容を見た。

 

『近くで棋戦があって、今――に来ています。お忙しいところ恐縮ですが、何やら美味しそうなカレー屋さんを見つけたので、そちらに来てくださると嬉しいです』

 

 相変わらず文面はカチコチにお堅い。

 その下には、しっかりとその店らしきURLが張られていた。やっぱり、相変わらず一二三は一二三だ。

 しかし、双葉の件を断ってしまった手前、ほいほいと一二三の元へは行きづらい。

 

『いえ、その、難しければ一人で食べられますので』

『行くよ』

 

 まあ、行くけど。

 許せ、双葉。

 

「行くのか?」

「ああ」

 

 ベッドの下で、ずっと空気を読んでくれていたモルガナに向かって頷いて。

 俺は着ていたフリースの代わりにジャケットを羽織って、もう真っ暗になった夜の街へと繰り出した。

 

 

 

 一二三に指定されて向かった店は、知る人ぞ知るような年季の入ったカレー屋さんではなく、最近できたらしいフランチャイズ店だった。死角にいるのか、店の外のウィンドウから一二三の姿を捉えることはできない。店に入ると、カレー特有のいい匂いがした。それでも、ルブランの店に漂っていた匂いを思い出すことはできなかった。

 事情を聴いていたらしい店員さんに連れられて、店の奥まで進む。すると、綺麗に流したロングヘアと、かつてモルガナがハンドスピナーだと揶揄した髪飾りを見つけた。店員さんにお礼を言って、俺は一二三の対面に座った。

 

「あなたなら、どう指しますか」

 

 久しぶり、という前に、机を凝視して、思案顔を浮かべている一二三に機先を制される。

 机に置かれていたものは、言うまでもなく将棋盤だった。

 ……一体どういう状況なんだ、これは。

 突っ込もうにも、一二三の表情が真剣すぎて、水を差すのも憚られる気がする。とりあえず腰を落ち着けて、考えてみることにした。

 盤面を読む。昔に培った経験と知識を、脳の奥深くから引っ張り上げる。

 ……。

 

「こう、かな」

 

 俺は自駒を滑らせて、こうだと思った位置に置いた。

 

「……ふふ」

 

 一二三の口から零れた笑い声が気になって、俺は彼女を見た。

 

「相変わらずですね。どの駒も犠牲にしない、堅実で優しい指し回し。……お久しぶりです」

 

 言って、一二三は。

 ようやく俺に視線を向けた。

 

 

 

「……ごちそうさまでした」

 

 一二三は丁寧に手を合わせる。俺もほぼ同時に食べ終わって、追うように一二三の真似をした。

 南無。

 美味かった。でも途中から一二三との会話に意識を割きすぎた所為で、この味を再現してみろと言われても、できるかどうかは分からない。

 意外と、一二三と話すべきことや、話したい話題はそんなに多くなかった。何せ東京を離れてから、ほとんどの自由時間を受験に費やしていたんだ。球体と三角錐の共通部分の体積を求める積分とか、マルクスアウレリウスアントニヌスがどうだとかをドヤ顔で語ったとしても、女流棋士として快進撃を続けている一二三に伝わる訳がない。

 だから当然、東京での思い出に頼ることになってしまう。

 カレーを店員さんに片してもらってから、改めて一二三は将棋盤を持ち出して、名残惜しそうに駒を空打ちした。

 ……音、店に響いてないかな。

 まあいいや。

 

「……それにしても、懐かしいです」

「うん?」

「貴方がこちらに戻ってから、まだ一年も経っていないのに……時々神田で指していると、寂しく思ってしまいます」

「ああ」俺は頷いた。「そうだね」

 

 去年よりかは幾分かアクティブになった双葉が、たまに制服姿のまま教会に乗り込んでくるらしいが。

 それでも、以前のように三人で集まって指すようなことはなくなった。

 そうして、将棋に役立つ知識と経験を手元に残して、思い出は風化していくのだろう。

 でも、まあ。

 俺の第一志望は東京にある大学で。双葉もすぐには高校を卒業できないし、東京に大きな将棋会館がある以上、一二三も離れるに離れられないから。

 また集まれる未来も、なくはない話だ。

 その事を伝えると、一二三の表情が、目に見えて明るくなる。

 

「そう……ですよね。では、来年までに、もっと力を付けておかないといけません」

「お手柔らかに頼む」

 

 俺は苦笑した。多分今の一二三の状態でも、平手で100回指しても勝てそうな気がしない。

 来年か。

 俺は……ちゃんと来年、大学生になれているだろうか?

 毎日勉強していれば必ず入られるような大学を、俺は志していない。理由はあるけど、声を大にしては言えない。

 ともかく、どれだけ正しい努力をしたつもりでも、落ちる可能性は大いにあるのだ。そして浪人なんてことになれば、東京にある有名な予備校に行くことにならない限り、再上京はお預けになる。

 一二三の期待に応えられるだろうか、俺は。

 ……寝不足のせいもあるのか、思考が段々と暗くなってきた。

 

「……あ、そういえば。最近、研究会に入ったんです」

 

 そんな俺を知ってか知らずか、一二三は話題を変えた。

 乗っかろう。

 

「研究会?」

「はい」一二三は頷いた。「知り合いの棋士たちと集まって、同じ場所で将棋の研究をするんです。初めは、その、他の棋士と関わりを持ったことがなかったので……随分と緊張してしまって、駒が全然掴めなくて……フフ。でも今は、とても充実しています」

「……そうか」

 

 それは。

 とても凄いことだと思う。

 かつて女流棋士に敬遠されていた一二三が。

 勇気を振り絞って、ライバルと接点を持とうと頑張っているんだ。

 

「変わったな、一二三は」

 

 言葉が漏れた。

 一二三は何も言わず、スッと俺を見た。

 

「すごいよ、本当に。SNSでどれだけ言われても毅然としてるし、着々と女流タイトルも獲っていってる。……なんだか、一二三が遠く見えるよ」

 

 でも。

 

「双葉もだ。休んでいた間は、『お勤め、ご苦労!』なんて言っていたのに、今は自分の意志で高校に通ってる。竜司も最近LINEで横文字を使うようになった。皆……本当に、すごいと思う」

 

 でも。

 でも、俺は?

 模試の点数も劇的に上がらない。第一志望校は、Cがやっとだ。

 昨日覚えたはずの英単語も頻繁に忘れるし、教えてくれる双葉の言っていることも理解できない。

 取り残されているようだった。

 東京(あの場所)にいない、俺だけが。

 

「貴方が弱音なんて……珍しいですね」

 

 淡々と一二三は言った。

 

「え……?」虚を突かれて、一瞬黙ってしまった。「い、いや。別に、皆を褒めただけだ」

「私、最近彼氏ができたんです」

 

 今度こそ俺は何も言えなくなった。

 固まっている俺に構わず、一二三は続けた。

 

「嘘です」

「う……」

 

 嘘、かいな。

 似非関西弁が頭をよぎった後、俺は机に突っ伏した。

 

「……そんなに動揺されるとは思いませんでした。すみません」

「いや……別に、構わない」

 

 そもそも動揺するこっちの方がおかしい。

 素直に祝ってやるべきなのだ。こんな時は。

 

「とにかく。私が言いたいのは、すぐに人は変われないということです」調子を崩さずに、一二三は言った。「特別に運がいい場合を除いて、何もしていないのに、突然誰かに好かれることも、突然模試の結果がよくなることも、突然外に出る意思が芽生えることもありません。全ては目に見えない努力の結果なんです」

 

 だから、安心して努力して下さい、と。

 最後に厳しくも優しい言葉を投げかけて、話を締めた。

 ああ。

 やっぱり、見透かされていたのか。

 

「……敵わないな」

「それも中々、変わりませんね」

 

 一二三は笑った。俺もつられて笑った。

 支払いを済ませてから、一二三を駅まで送ることにした。知名度が上がってきたからだろう、チラチラと一二三を見る通行人が何人かいた。

 

「そういえば」思い出して、俺は言った。「今日は、勝ったんだよね。おめでとう」

「あ……ありがとう、ございます」

「なんでも、新手を繰り出したらしいけど」

 

 名付けて……なんだっけ?

 

「ワールド・エクスィード・飛車です」

「……え?」

「だから」憮然とした態度で、一二三は繰り返した。「ワールド・エクスィード・飛車」

「ワールド・エク、」

「改心の技名なんです」

「なるほど」

 

 確かに。

 人の根っこの部分は、早々変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 一二三を見送った後、家路につく。

 さっきまで抱え込んでいた妙なわだかまりは、もうすっかりどこかに行ってしまっていた。

何せ今日は双葉と一二三両方と話せたんだ。何にも変化がない方がおかしいだろう。

今は勉強へのモチベーションに満ち溢れていた。帰ったらもう少し、勉強机に向かおうか……。

 でも……まあ。

 たまには面と向かって、アイツと話してみたくなる。

 明日は休日だ。少しくらい、休暇を取っても許されるだろう。

 久しぶりの四軒茶屋凱旋への算段を立てていると、あっという間に着いた。

 ドアノブを引く。。

 すると、モルガナが招き猫よろしく、玄関前で丸くなっていた。

 何をしているんだろう。

 

「空気、読んでんだよ」

「?」

 

 大丈夫か?

 まあいい。

 モルガナを跨いで、ポッケの財布とコートを仕舞うため自分の部屋まで上がる。

 扉越しにガサゴソと物音が聞こえてくる。

 誰だ?

 反射的に息を潜めて、久しぶりにサードアイを開眼させながら、そっと扉を開けた。

 

「よ」

 

 すると、そこには。

 俺がベッドの下奥深くに隠していたはずのソレをしげしげと眺めている双葉がいた。

 

「18歳になったからもしやと思ってきてみたが……案の定だな……」

「ふ、ふた……お前、」

「まぁ、『眼鏡っ子特集』って書いてるから、許す!」

「許された」

 

 謎の判断基準。

 ……じゃなくて。

 夢じゃないよな?

 

「違うし! 明日休みだからなー、来ちゃった♡。……なんて言うんでしょー、最近のカップル!」

「……」

「……ねぇねぇ。いくら反応鈍いっていっても、もうちょっと驚いてくれてもいーじゃん」

「……いや」

 

 だって。

 ああ、チクショウ。

 口元が緩みすぎて、何も言えないなんて。

 言える訳がないだろう。

 

「……おひさ」

 

 前に会った時より、ほんのちょっとだけ大人になった笑みを見せて、双葉は俺に飛びついてくる。

 俺はしっかりと彼女を受け止めて。

 なんとか、口を動かした。

 

「久しぶり、双葉」

 


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