「よ、よう」
「……うん」
なんとなく想像はしていた。
双葉がアキバや神田や品川でもなく、四軒茶屋にいる可能性を。
と言っても実家に滞在しているか、ルブランで先程までの俺たちと同じように特製カレーをかき込んでいる――というのが大方の想像だった。
だから、双葉が四軒茶屋駅のホームを出た先で待ち伏せをしていると、流石に面食らってしまう。
……俺が双葉は四軒茶屋にいることを読んだのと同様に、双葉は俺が四軒茶屋に来ることを読んでいたらしい。おあいこだ。
「……」「……」
誰に言われなくとも隣に並び、どちらからともなく並んで歩きはじめる。あたりはすっかり夜だ。エンジン音、多くの足音諸々の喧噪は、商店街から小道に曲がるまでの間は続くだろう。吐く息はまだ全然白くない。
先に口を開いたのは双葉だった。
「寒いなー」
「うん」
「秋? 何それ? 美味しいの? レベルの寒さじゃね?」
「本当に」
「ん……」
「もう一年の六分の五まで来た」
「それが?」
「そう言われると、なんとなく、感慨深くならない?」
「そんなに」
「そっか」俺は頷いた。「双葉なら、そう言うと思った」
数年前とほぼ変わらない位置から双葉の声が聞こえる。それだけの事実がとても幸せなことなのだろう。それでも幸せだなぁと、心が温まるなぁと、それこそ感慨深く感じないのは、きっとそれが今の俺たちの当たり前だからだ。
偶然俺の右手が双葉の左手に触れる。どうしようかと迷っていると、双葉から先に握ってきた。俺も負けじと握り返す。じんわりと右手が温かくなってくる。
「ひ」
「ひ?」
「ひさ、しぶりだな。こうやって手を、つつつ……」
「筒?」
「繋ぐの」
「ああ」俺は頷いた。「そうかも」
確かに、今更改まって手を繋ぐような行為をした覚えは、少し前の記憶を辿ってみても見当たらない。
だから、これはレアイベントなのだろう。じっくり堪能しなければならない義務が発生していると言える。
「いやー、それにしても暑いなー。なんだか頬も熱いし……流石にジャケットは着こみ過ぎ過ぎた説あるな」
「ふっ……くく……」
「なんで笑うし!?」
「双葉、さっき寒いって言ったばかりなのに、暑いって言ってる」
「~~っ!」
言うと、双葉の言う通り少し赤みが差していた双葉の頬が、より一層朱色に染まる。
心なしか、右手から伝わる温度が高くなった気もした。
「じゃ、手、もう繋がへん……」
なんで関西弁なんだ。
ともあれ。
「いや、それはい……ダメだ」
「何で?」
「久しぶりだから」
「……そ」言って双葉は、んふふと笑った。「久しぶりなら、仕方ないなー」
そうだ、仕方ない。
俺が双葉の心情に気づけなかったのも、ほんの出来心で、双葉が冷蔵庫で大切に保管していたコンビニで買ったらしい極上プリンを食べてしまい、真顔で理詰めで叱られたことも、よしなんとかさんのお誘いに乗ることが、双葉に対する引け目になるのが嫌で、断る口実を作るために、急いで一二三にカレーを食べる約束を作ったのも、全て俺の不徳の致すところには違いないけれど、過ぎてしまったものなのだから、仕方のないものは仕方ない。
でも、このまま今朝の出来事をなあなあで終わらせてしまうことは、仕方ないことじゃないだろう。
「ごめん」
ありがちな、謝罪の言葉が被らなかったことに内心ホッとしながら、俺は続ける。
「どうしても、サボっちゃうんだよな。ずっと一緒にいるから、わざわざ面と向かって喋ることが、野暮ったいと思っていたんだろう」
「……」
「双葉。もっと話そう。もっと手を繋いで、もっと……その……」
「〇〇〇?」
「ちょ……いや、まあ……要するにそんな感じだ」
「……〇〇〇」
「いや……言いたかったのはそういうことじゃなくてだな……」俺は頭を掻く。「相互理解を、したい」
改めて。
色んな分野を知って、見識を広めて、得難い体験をしていった。少なくとも、俺たちが下宿初日に出会ってから。お互い。
そんな様々な荒波に揉まれて、俺たちはきっと変わってしまったんだ。ズレてしまったんだ。
双葉はどもることが少なくなった。ネット用語をあまり使わなくなった。初対面の人でも、多少のぎこちなさは残るが、コミュニケーションを取れるようになった。それは表面的な変化だ。だからきっと、内面も少なからず変化している部分はあるはずだ。
そして、それは俺についても言えることだ。
だから、その変化と、元々の認識の差異を、埋めるための相互理解。
「それって、自己満足じゃね?」
「そうかも」
「昔の方がよかったって、失望しちゃうかも」
「それはない」
「誓って?」
「うん」俺は頷く。「誓って」
「……そ、あんがと。んで……ごめん」
それは何に対しての感謝で、何に対しての謝罪なのか。
その疑問も、理解を深めていく内に解けていくのだろうか。
分からない。分からないけれど、前よりかは少しだけ前向きになれてる。そんな気がする。
「行こ」
「うん」
俺は頷く。
どこへ行くか。
それくらいは、今の俺にも分かった。
「行こう」
……もうコーヒーを飲む程度のキャパしか、俺の胃には残されていないけれど。